第27話 復讐の果てに

 短機関銃を手にした小龍の姿。それから、スピードを上げまっすぐこちらへと向かってくる海上コンテナ用トレーラー。

 ……トレーラーごと突っ込むつもりか!

「反対側のドアだ! 走れっ!」

 駆け出したひばりの背中をM16の銃口が追っている。銃を構えようとして、さっきコルトガバメントのマガジンを空にしたことを思い出した。腰のポーチを探るが、予備の45ACP弾はもうない。

 ライダースのポケットから成也の黒星を取り出し、外したマガジンを取りつけて撃った。

 ただの威嚇射撃。

 それでも、怜の顔がみるみる赤くなり、額に筋が張るのが暗がりでもわかった。

「黒星っ……成也のか!」

「音だけでよくわかるな。……俺は、お前に伝えなきゃいけないことがある。成也の最期の言葉だ」

 怜が息を呑む気配がして、晃は言葉を続けた。

「『怜のこと、よろしく頼む』。あいつは、たしかにそう言ってた」

「だから、何だって言うんだ」

「なぁ……ここで戦わない選択肢はないのか? お前は組織のために戦っているわけじゃないんだろう」

 こいつはいつも、ただ成也の側にいた。

 その手の事情に詳しいわけじゃないが、組織に従順というよりは個人の意思で行動するタイプのように見える。孤高の一匹狼。ギルドに所属しているだけのアウトサイダー。怜の感情を抜きにすれば、いまこいつと積極的に戦う理由はない。

 身を潜めていたフォークリフトに、無数の風穴が空いた。M16の銃口が盛大に火を噴く。

 冗談じゃない。これが答えだ。そう言っているかのようだった。

「……俺は、あんたを許す気はない。この世の果てまで追いかけて、必ず息の根を止めてやる」

 迷いのない瞳だった。思いがけない言葉だったはずなのに、どこかほっとしたような気分になる。

 思えば、成也にはこうなることがわかっていたんじゃないだろうか。

 それでも、あいつはあえて自分に怜のことを託した……。

 晃はその意味について考え、答えの出ないまま黒星を構えた。立て続けに撃ち込んでその場を離れる。出口のドアを開放したひばりが、手で合図を送っていた。

 ちょうどいい頃合いだった。もう迷いはない。

「俺が必要だと思うことは伝えたさ。お前がそう言うなら仕方ない。……悪く思うなよ」

 ドアのほうへと駆け出し、振り向きざまにトリガーを絞った。2発、続けて撃ち放つ。

 被弾しなくても構わなかった。怜が逃がすまいと追いかけてくる。

 M16の攻撃を、資材の陰に飛び込んで凌いだ。タイミングを見計らう。1秒でも間違えれば、自分自身が巻き込まれる危険があった。

 怜との距離が最も離れた、その一瞬。

 晃はあらかじめ仕掛けておいたプラスチック爆弾のスイッチを取り出し、2回手早く押した。

 刹那。地の底から響いてくるかのような轟音。火山でも爆発したのかと思うほどだった。

 ものすごい熱と爆風で、瞬く間に吹き飛ばされた。上も下もわからなくなるほどの強い衝撃。

 晃は気づけば倉庫の外で、泣きじゃくるひばりにずるずると引きずられていた。

「目ぇ覚ましてよ。晃さん……! いったいどうなってんだよ、これ……」

 どこかにそっと横たえられている。ともすれば、このまま眠ってしまいそうだった。

 埠頭の端。光の届かない無機質なドライコンテナの陰。倉庫を仰ぎ見ると、その半分くらいが爆発によって吹き飛ばされていた。残りも、まるで龍のような赤い炎に包まれている。

 憂炎……あの餞別、本当に正規品か?

「悪いな。助かった……」

 地面にへたり込んでいるひばりに礼を言い、そっと身体を起こす。

 怜は……この爆発だ。おそらく助かりはしないだろう。

 トレーラーは? 小龍はどうなったんだ……?

 周りの状況を確かめようと目を凝らす。

 その場に立ち上がった途端、目の前で鮮血が散った。

「えっ……」

 機関銃の低い掃射音。小龍だ。

 ひばりが撃たれた。急いで腕を取り、コンテナの陰に引きずり込む。ひばりは腹のあたりを強く押さえながらうずくまっていた。

「おい、大丈夫かっ⁉」

「……俺は平気……だから晃さん、逃げて」

「できるかよ、バカ」

 服を捲り、背中側の傷を確認する。

 貫通はしていないようだった。弾はまだ身体の中に留まっている。

「押さえてろ。すぐ終わらせる」

 その場にひばりを残し、黒星を構えて飛び出した。

 距離は3、40メートル。一か八か首許を狙って撃った。

 2発のうち1発が被弾する。弾は頸動脈に届いたのか、血が派手に噴き出していた。

(やったか……⁉)

 小龍はだが、小鳥に啄まれたとでも言いたげに首を傾げ、後ろに撫でつけた髪を振り乱しながら手許の機関銃を掃射してきた。狙っていたのか、昨日やられた肩に被弾する。

「嘘だろ……化け物かよ」

 傷ついた動脈から血が溢れた。焼けた杭でも打ち込まれたような激痛が走る。

 思わずコンテナに身を寄せると、小龍はマガジンの空になった銃を投げ捨て、背中側のホルスターからナイフを取り出した。周囲に小龍以外の人影はない。さっきのトレーラーは倉庫近くのコンテナに頭から突っ込んで炎上しているようだった。

 絶好の機会だ。

 サシで決着をつけられるなら、それに越したことはない。

 晃は覚悟を決め、腰のホルスターからサバイバルナイフを取り出した。真っ直ぐに飛んでくるダガーナイフを躱し、一気に距離を詰める。ナイフを腰だめに構え、勢いのままに体当たりした。

 肉を裂く感触はなかった。さらりと横に躱され、顔面目がけて掌打が飛んでくる。上体を後ろに逸らして避けた。9時の方向に振られるナイフ。それを取り上げようと、手を取ったのが悪かった。手首を返され、鎌のような形をしたナイフが上腕の皮膚に食い込んだ。引き剥がそうと下腹部を思いきり蹴りつける。小龍の身体は晃の腕の皮膚を切り裂きながら、大きく後方へと吹っ飛んだ。

「クソっ……!」

 アスファルトの地面に鮮血の池ができる。

 猛獣の爪のような形をしたいわゆるカランビットと呼ばれるそのナイフは、内にも外にも鋭い刃がついており、指に嵌めたリングでしっかりと固定することができるもののようだった。奪うのも叩き落とすのも難しく、下手を打てば自滅しかねない、扱いにくい武器。

(こんなものを、自在に扱える人間がいるとはな……)

 男の背景に思いを巡らせていると、小龍はおぼつかない足取りで立ち上がり、口に溜まった血を吐き出して言った。

「お前も、佑も……バラバラにして横浜の海に沈めてやるよ」

「そうかよ。……我孫子たちはもういいのか?」

「虫の息だ。情報を聞き出したら、皮でも剥いでから殺すさ」

「……どうしてそこまでする必要がある?」

「俺の邪魔をしたからに決まってる。……十年だ。十年ものあいだ、俺たちは横浜の裏社会で末席にすら着けないよそ者だった。ずっと組み敷かれ、虐げられてきたんだ……。だから、このときをずっと待ち望んでいた。これで、俺たちはこの街でようやくまともに息ができる」

 小龍は首に大判の布をきつく巻き、ナイフを逆手に構えてゆらりと奇妙な動きを見せた。

 一瞬で距離が詰まる。切っ先が鼻の頭を掠めた。

「俺たち……か。金とあの石のために、お前は何人の仲間を殺した」

「そんなのは、もう数えてもいないさ」

「楊宇春も王朱亜も……みんなお前が殺したんだろう? 林美帆を手にかけたのもお前なのか」

「林美帆……?」

 第二撃を手刀で弾くようにして止め、すかさず反撃に転じた。ナイフが脇腹の肉に食い込んだが傷は浅い。小龍は足を一歩引いて半身の構えを取った。

 ふと何かに気づいたように目を見開き、薄い唇を歪めて狂気じみた声で笑った。

「ああ……なるほど、そういうことか!」

 男が動いた。ギリギリで躱したつもりだったのに、今度はこっちが肩から斜めに切りつけられる。

 ……クソっ、ナイフの持ち方が変わってる!

「お前……あのろくでなしの、クソ売人の身内か」

「売人……?」

 小龍は見下したように鼻で嗤った。

「美帆が石を隠す先に選んだ、あの日本人のことさ! 燗流の奴、博物館から盗んだセレンディバイトを勝手に懐に入れた挙げ句、女に渡したって言うじゃねぇか。その尻軽を呼び出してちょっと痛めつけてやったら、すぐに吐いたよ。日本人なら同国人より疑われないと思ってそいつに預けたことも、たまに上物のハッパを分けてもらってた相手だってこともな」

「……まさか……」

「そいつは仕入れのルートについて、何度聞いても口を割らなかったそうじゃねぇか。口が堅いだけの馬鹿は、さぞ利用しやすかったろうな。ションベン漏らしながら命乞いする腑抜けを殺すのは、蛇口をひねるよりも簡単だったぜ。お守りだか何だか知らねぇが、律儀に持ち歩いていた石を奪うこともな!」

「この下衆野郎がっ」

 感情のままにナイフを振るった。刃は男の上着を切り裂いただけで空を切る。

 眩暈がした。遼が薬の売人で、大麻を売っていた……⁉

一瞬の隙を突かれた。

 懐に潜り込まれ、横にスウィングされた刃が右腕を大きく切り裂く。鮮血が散った。腕の力が抜け、危うくナイフを取り落としそうになる。

 距離を取る晃を嘲るように笑いながら、小龍はべっとりと血のついたナイフを手で弄んだ。

「不思議だよなぁ、家族ってやつは。たまたま同じ腹から生まれてきただけなのに、互いにすべてを共有できるもんだと勘違いしちまう。しょせん、人間なんて目先の利益しか考えないただの動物に過ぎないのになぁ。俺は家族だろうが仲間だろうが、裏切者はすべて殺して生きてきた。血の繋がり以前に、他人を信じようとすることこそが愚の骨頂だ。……お前もそう思うだろう?」

 てらてらと光る刃を長い舌が這った。ひどい寒気がする。

「……一緒にするんじゃねぇよ。遼は、あいつは俺の大切な弟だった」

「大切だぁ? 傑作だな。反吐が出るぜ」

 奇妙に開いた瞳孔。乱れた息の合間に繰り出される攻撃は素早く、少しの緩みもなかった。

「てめぇの弟は俺と同じ、脳汁垂れ流しの立派なヤク中だろうが! 上物を扱ってたってことは味がわかるってことだ。残念だったなぁ、聞かされてなくってよ」

 相手の熟練した動きに、獲物の長さを活かしきれない。こちらの甘い一撃を見逃さず、手首を取られた。外刃が煌めき、そのまま腹を抉られる。

 致命傷だった。

 身体から力が抜け、冷えたアスファルトに片膝をついて崩れ落ちる。

 二丁の銃は、どちらもすでに弾切れだ。そもそも、接近戦でナイフを相手に立ち回るには分が悪すぎる。

 なんとか攻撃を食い止めようとするものの、ひとたび態勢を崩してしまえば逃げることも難しく、温度のない刃が死の宣告のように頸許に当てられた。

「弟と同じところへ送ってやるよ。しみったれた昔話に花でも咲かせるといい」

 薄い皮膚に刃が食い込む。

 肉を裂き、血の流れる動脈を……。

 その瞬間、切り裂くような銃声が響いた。続けて2発。

 小龍の手が止まり、力が弱まるのを感じる。

 顔を思いきりぶん殴り、ナイフの届かないところまで距離を取った。音がしたほうを振り返る。短く切れのある発砲音には聞き覚えがあった。

 巨大なコンテナに身体を預けながら、ひばりが真っ直ぐに銃を構えていた。

 男の腹からたちまち血が溢れてくる。それを堰き止めるよう必死に押さえながら、小龍は信じられないという顔でひばりのほうを見た。

「てめぇ、佑……いったい誰がお前を拾ってやったと思ってる⁉ 恩を仇で返す気かよ!」

「知らないよっ! ……それは晃さんと、弟の遼さんの分だ‼」

 ひばりが構えを崩さないまま吼える。その姿は深手を負っていると感じさせないほど凛々しく映った。

「自分のしたことの責任は、いつか自分で取らなきゃいけない。……俺だってそうだよ! 自暴自棄になってふらふらしてたこと、あんたの部屋から宝石を盗んで逃げたことの責任を取らなきゃいけない。でも、もう逃げないよ! 俺は助けてもらうばかりじゃ嫌なんだ。今度こそ自分の力で自由を掴みたいんだよっ!」

力強く名前を呼ばれた。

 ひばりの手を離れたリボルバーが硬いアスファルトの上を滑る。ナイフを捨てた手でそれを掴み、左手を腰のポーチに伸ばした。

 この銃なら、弾薬をセットしたスピードローダーがまだひとつ残ってる……!

 ナイフを逆手に握り直した小龍が、態勢を立て直す。晃は距離を取りつつポーチの弾薬を素早く装填した。手に馴染む大きさに、心地よい重さ。

 決着をつけるときだった。

 小龍は目を血走らせ、撃たれた傷をものともせずに迫ってくる。横一文字に振られるナイフを片手で捌き、至近距離から右肩を狙ってトリガーを絞った。

 呻き声があがる。落ちたカランビットナイフが無機質な音を立てた。

 露わになった左肩に一発。右足に一発。

 地面に崩れ落ちた男の左足にもう一発、銃弾をねじ込んだ。

 射抜かれるたびに小龍の身体がびくりと跳ねる。

 虫の息ではあるが、魂はまだ肉体に留まっているようだった。地に伏せながらも、怨念のこもった瞳でこちらを強く睨みつけている。

「俺は死なない……必ず地獄から蘇って、お前を殺してやる」

 ひばりがいつの間にか隣に立っていた。視界が歪む。もはや立っていることすらおぼつかなく、いまにも倒れそうになるのを必死で堪える。

 トリガーに指を掛け、力を込めながら口を開いた。

「……弟が本当は何をしていたのかなんて、俺は知らない。でも、それでお前のしたことが許されるわけでもない。あんな石ころのために……お前は命を弄びすぎたんだ。こいつのことも、傷つけた」

 ひばりが差し出した手には、さっき渡した弾薬が5つ乗っている。鈍く輝くそれを受け取り、おもむろにシリンダーに込めた。

 湧きあがる怒りは消え、心は凪いだ海のように穏やかだった。

 弾薬の装填される硬質な音。先日、自分がそうされたように、男の額に銃を向ける。

「地獄にいる仲間とやらに、よろしくな」

 ぎょろりとした瞳に感情はなく、代わりに顔に彫られた龍の燃えるように紅い瞳がこちらを強く睨みつけていた。四つの瞳に見つめられながら、晃は何も考えずに引き金を絞る。

 マズルが光り、シリンダーが回った。

 すべての弾を撃ち切り、男が肉塊になるまで晃は同じ動作をし続けた。

「晃さん、もう……」

 ひばりの声が聞こえて我に返る。

 力が抜け、思わずその場にへたり込みそうになった。

「……悪い」

 短く返し、辺りを見渡した。岸壁からひっきりなしに聞こえていた銃声が止んでいる。

 抗争は終わったのだろうか……。

 半壊した倉庫からは黄みがかった赤い炎が噴き出し、生き物のように蠢いている。火の粉が飛び、革製のライダースに小さな穴が開いた。

 正直もう一歩も動けないと思っていたが、同じように放心していたひばりと目が合った。

「……少し離れるか」

「うん」

 一歩を踏み出すごとに、意識が遠のく。

 気持ちを切らさないよう、なんとか繋ぎ止めながら後ろを振り返った。

 ひばりは撃たれた腹の傷を手で強く押さえながら、動かない身体を引きずるようにしてついてきていた。

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