第13話 ライブハウスツアー
大阪は道頓堀、両手を上げるポーズの看板が見える橋の上で、璃雨たち鉄血牡丹の5人は看板の中の人と同じポーズを取っていた。その様子を動画撮影しているのは同行しているサキで、グリップの先に取り付けたスマホをメンバーに向けている。別角度からは池辺が撮影していた。
橋の上は平日にもかかわらず人通りが多く、璃雨たち同様に看板を背景に撮影する人が後から後からやってきていた。しかもそのほとんどが外国人観光客で、あたりは様々な言語が飛び交っていた。
「はい、やってきました大阪。ライブハウスツアー初日の大阪公演は明日なんですが、前乗りして私たちはこれから大阪観光をしながら道頓堀で食べ歩きしたいと思います」
挙手するように右手の手のひらを顔の横に並べながら、はるみはカメラに向かって笑顔を向けた。
1月の寒空のもと、鉄血牡丹の面々は思い思いの私服に身を包んでいた。動画撮影ということもあって気合を入れているメンバーも少なくない。
「今回のライブハウスツアーでは開催地それぞれの名所で動画撮影して、それを編集後アップロードしていきます。なのでファンの方は後で私たちが訪れた名所やお店に立ち寄ってみてください」
はるみはワイドパンツに鮮やかなオレンジのパーカーを着て、その上に皮のジャケットを羽織っていた。やはりオレンジ色のニット帽にショートの髪のほとんどをおさめ、おでこを出していた。
「やっほー、つきだよ。見えてるかな?」
横から月歌が顔を割り込ませた。ニットのトップスとロングスカートを組み合わせ、ベロア生地の黒いロングコートを羽織っていた。巻き髪にしたミディアムのハーフアップがいつもよりお姉さんに見せていた。
「明日のライブ会場は心斎橋でさっき下見してきました。なかなかきれいな箱で今から楽しみです。そこから足を延ばして道頓堀にやってきました。大阪出身の岡林琴依さん、いかがですか?」
はるみは琴依に握りこぶしを向けた。背の高い琴依は、はるみの横に並ぶとカメラの枠からはみ出しそうになった。
「はい、こうしてウチの地元に帰ってこれてほんまにうれしいです。道頓堀には子供のころからしょっちゅう遊びに来ているのでどこでも案内できます。おすすめのお店を紹介していいっちゅう企画なので、ウチは色んなたこ焼き屋を巡って味比べしたらおもろいちゃうんかと思ってます」
ロングブーツにジーンズ姿の琴依は、脚もお腹も出ていなかったがその代わりに肩が出ていた。毛足の長いピンクのオフショルダーのセーターを着て、鎖骨のラインをくっきり浮き上がらせていた。巻き下ろしの髪がふわふわと揺れていた。
その琴依と手をつなぐ杏奈は、白のジャケットに白のミニスカート、白のハイソックスを履き、白のベレー帽をかぶっていた。全身白づくめで白うさぎのようだった。ストレート下ろしにした漆黒の黒髪とのコントラストでさらに白さが引き立っていた。
琴依は肩、杏奈は脚、真冬と言えど露出せずにいられないようで、その姿を見るだけで璃雨は寒気がしていた。
その璃雨は、黒のジーンズにボーダーのトップス、デニムジャケットだった。いつも着ているデニムジャケットとの違いは冬仕様の裏起毛になっているところだった。そのモコモコのジャケットを着こんでいても寒いのに、なぜ肌を露出する杏奈と琴依は寒そうでないのか疑問で仕方なかった。その割には外気温で冷やされたペットボトルの水を飲んでいた。
ライブのツアー日程は東名阪に加えて、はるみの出身地の岐阜、杏奈の出身地の福岡、璃雨の出身地の埼玉も回ることになっている。それぞれのメンバーがそれぞれのおすすめスポットを紹介する企画で、今日は大阪で琴依の番だった。璃雨は地元埼玉をどのように紹介するべきかでここ数日悩まされていた。
「まず1軒目に向かうからウチの後について来ぃや。はぐれんようにな」
琴依は先頭に立ち、メンバーを引き連れて人ごみの中をかき分け歩き出した。通りには、大きなリュックを背負っていたり、キャリーバッグを転がす人の姿が多く、地元の人よりも観光客の方が多いのはすぐに分かった。大阪の街は威勢がよく活気にあふれていた。やがて平日でも行列のできる有名たこ焼き店に到着すると、メンバーを代表して杏奈と琴依がテイクアウトの列に並んだ。
「今回のライブハウスツアーはフルバンド形式です。ワンマンライブと同じですね」
たこ焼きを待ちながら、はるみはカメラを構えるサキに向かって語り掛けた。
「バンドメンバーもそろそろ機材と一緒に到着予定だ」
サキは面白くなさそうに言った。バンドメンバーと機材は車移動で、東京から何時間もかけて移動となっていた。新幹線移動の璃雨たちとは待遇が違っていた。
しばらくすると杏奈と琴依がメンバー5人分のたこ焼きを両手に抱えて帰ってきた。こんがり焼きあがったたこ焼きにはたっぷりのソースとマヨネーズがかかっており、湯気とともに空腹を刺激する芳香をあたりに漂わせていた。たこ焼きからはタコがはみ出していて具の大きさを象徴していた。
「俺も食べたいんだが」
5人分しかないたこ焼きを見て、ずっとメンバーを撮影していたサキが不満を漏らした。
「撮影隊さんは後でゆっくり食べてください」
はるみはサキと池辺に向かって冷淡に言った。
「冗談ですよサキさん。つきの半分あげますよ」
月歌は笑いながらサキに割りばしを渡した。サキはしかめ面をして受け取る。左手にカメラ、右手に割りばしを持ち、熱々のたこ焼きを口に運んだ。池辺には杏奈が半分提供していた。
「熱っつ!」
璃雨は灼熱ようなたこ焼きを頬張ると、飲み込むことも吐き出すこともできずパニックになった。地団太を踏むように璃雨が暴れると、月歌たちは吹き出した。
「おいおい、気いつけや」
やっとのことでたこ焼きを飲み込んだ璃雨は、残りを用心しながら息を吹きかけて食べた。
しばしの沈黙の後、たこ焼きを食べきった一同は満足そうにため息をついた。
「だいたい俺はマネージャーじゃないぞ。なんでギタリストがカメラマンなんかしないといけないんだ」
サキは口の端のソースを拭いながら言った。すぐに月歌がウェットティッシュを渡すと、璃雨たちにも配って回った。
「あれ? サキさんはマネージャー兼任じゃないんですか? 社長さんからそう聞いた覚えがありますけど……」
璃雨は驚きながらサキの顔を見ると、サキににらまれた。
「まあまあ、動画編集は私たちでやるんで心配しないでください」
はるみが得意そうに言うと、サキは今度ははるみをにらんだ。
「当たり前だ」
「じゃあ次の店に行くで~」
琴依の案内で次々にたこ焼き屋を食べ歩き、鉄血牡丹一行はたちまち満腹になった。それぞれのお店の印象やたこ焼きの味の感想を順番に述べてその様子をカメラに収めると、ひとまず休憩になり全員ベンチに腰を下ろした。一息つくとその場から動けなくなってしまった。
「ウチはまだ食べれるで」
ひとり得意げな琴依は平気な顔をしていた。体が大きいうえに食べ盛りの琴依は通常の女子の倍以上は食べる。小食の杏奈とは正反対だった。毎日のはるみの夕ご飯でもひたすらお代わりを続ける琴依の食費は天井知らずだった。
「璃雨も食べれるよ」
璃雨の胃袋も底なしだった。小さな体のどこに消えるのか、熱々のたこ焼きは次々と吸い込まれていっていた。璃雨は満腹で動けなくなった月歌たちに向かってペットボトルの水を差しだした。一同首を横に振った。
「琴依も璃雨も何でそんなに食べて体型維持できるんだよ。私はちょっとしか食べないのに……うらやましい」
はるみはお腹を押さえながらつぶやいた。
「つきも中高生の頃は食べてたな~。1日5、6食は食べてたかな。あと何年かしたら食欲も落ち着くんじゃない? 食べられる時に食べた方がいいよ」
「月歌さんそんなに食べてた時があったんですか? それでこのスタイルですか?」
杏奈は大きな目をさらに大きくさせながら、月歌のほっそりとした体を舐めまわすように見つめた。
「杏奈食事制限してやっとこれだけなのに……」
一番体の細い杏奈は両頬を押さえながら納得いかない顔をした。
「ちゃんと食べた方が健康的やで」
「分かってるけど、琴依ちゃんは特異体質だから……」
杏奈は琴依を見上げた。琴依は杏奈と違ってがっしりとした体形だったが、長すぎる脚のおかげで非常にスタイルがよく見える。
「サキさんは学生時代どれくらい食べてましたか?」
はるみはずっとカメラを回しっぱなしにしているサキを振り返った。
「俺は食事も睡眠も削ってひたすらギター弾いてたからな。ほとんど食べてない」
「ストイックなんですね。今のギターテクニックはその時代の積み重ねということですね」
ふとはるみは思い出したようにカメラに向かって咳払いをした。
「メンバーインタビューを再開します。アルバムを引っ提げてのライブということで、新曲をたくさんやることになりますが、杏奈さん今の心境はいかがですか?」
はるみはすぐ近くにいた杏奈をつかまえた。急に話を振られて驚いた杏奈は慌てて前髪を整えた。
「この動画っていつ公開されるの? ネタバレして大丈夫? あ、杏奈たちが動画編集したらすぐなんですね。大阪公演が終わった直後くらい? じゃあネタバレできませんね。えーと、今回のライブハウスツアーではアルバム曲をやるんですけど、今までの鉄血牡丹とはまた違った新しい世界観が見せられると思います。今までは割と分かりやすい曲をやってたけど、今回からダークでメランコリックでメロディアスな曲が増えます。結成2年目で鉄血牡丹の第2章といったところかな?」
杏奈は首をかしげながら、両手の指を2本ずつ立てた。
「曲数が増えてセットリストを組みやすくなったことも大きいで。逆にどの曲を選ぶか困るくらいや」
「ライブ時間をたくさんできるようになったのもあるね。前まではカバー曲をやっても出演時間短かったからね」
「出演時間たっぷり、曲数たっぷり。聞きごたえ見ごたえたっぷりなライブになっているので、お気軽に遊びに来てください」
杏奈は両手で顔を包み込んで笑顔を浮かべると、小顔がさらに小顔になった。
「うまくまとまったところで、次は何食べたい?」
琴依は立ち上がって高いところから一同を見下ろした。口の端から舌を出して、まだ食べ足りないと言いたげな顔をしている。
「今度は串カツでも行こか」
「行く!」
璃雨は勢い良く立ち上がったが、残りのメンバーは地面に突っ伏しそうなくらいお腹が膨れていて立ち上がることができなかった。
「明日に響くから今日はここまでにしようよ。歩くのもしんどいからタクシーでホテルに帰りたい……池辺さんタクシー呼んでもいいですよね?」
池辺は首を横に振った。はるみたちの顔色は暗くなった。
心斎橋のライブハウスは満員だった。決して広いとは言えない会場だったが、大阪はもとより、近県からのファン、東京からの遠征組で殺到していた。ワンマンライブと同等かそれ以上の熱気があった。
開演前から赤いペンライトがライブ会場全体をレッド1色に染めていた。普段のライブでは鉄血牡丹5人のメンバーカラーがそれぞれの輝きを放っているが、この日は琴依の大阪凱旋ということで、琴依のメンバーカラーであるレッドに包まれていた。ファンの誰かが示し合わせたわけではないが、当たり前のように統一されていた。最近メタルファンたちがペンライトを持つようになっていたし、アイドルファンがヘドバンをするようになっていた。これも誰かが強制したわけではなかったが、自然とお互いのファンが溶け合っていっていることを象徴していた。
オープニングSEが流れるとそれを合図に歓声が上がる。ペンライトは曲のリズムに合わせて時に激しく動いた。
琴依を先頭にして登場するとさらに大きな歓声と拍手が上がった。すでに待機しているバンドメンバーの前でフォーメーションを組むと同時に曲が始まる。
1曲目は1stフルアルバムに収録され、ワンマンライブですでに披露済みの『Over the Wall』から幕を開けた。
サキの高速リフから始まる疾走感あふれる曲は、メロディーがこの上なく暗かった。メランコリックかつ歌謡曲風のメロディーラインは抒情的で、どこか哀愁さえ漂っていた。インスト部分でもギターのクサメロなソロパート、キーボードのクラシカルなソロパート、そしてそれぞれのハーモニーパートがあり楽器隊の見せ場がたくさんあった。
ワンマンライブでの披露との違いは、3声ハーモニーが追加されたことだった。1stフルアルバムの音源で披露され、ライブでは初披露となる3声のハーモニーが大々的に生かされていた。厚みのあるハーモニーは、メロディーの美しさをさらに際立たせていた。月歌、琴依、璃雨の3人がそろって隊列を組む姿は鉄血牡丹のトレードマークになりつつあった。
ライブハウスツアーは1stフルアルバム「蒼穹の月」を引っ提げてのツアーになるため、アルバム曲はすべてセットリストに組み込まれ、むしろ初期からのおなじみになっていたカバー曲はセットリストから外されることになった。
アイドルファン、メタルファンが入り混じる客席はフリコピをする人、コールをする人、ヘドバンをする人、拳を突き上げる人、思い思いに楽しんでいるのがステージ上に伝わっていた。
髪をサイドポニーにして和風衣装を着たブルーの璃雨は会場全体を見渡した。様々なファンが入り混じる様子を見て、出来る限り全員と目を合わせようと目を凝らした。
まず会場に足を運んでもらえるだけでもうれしかったし、そのうえで盛り上がってもらうのもうれしかった。中には楽曲をじっくり聞きたくて微動だにせず聞き入っている人もいる。そういう楽しみ方もあると璃雨は感じていたが、動かないことで逆に目立っていた。
ここは大阪であって東京都内ではない。璃雨たちは大阪には以前アイドルフェスの地方遠征で訪れたことがあるとはいえ、土地に不慣れである意味アウェイな会場で歓迎されるのはうれしかった。
最近琴依は自身のソロの歌パートやソロダンスでアドリブを入れることが増えていた。今日の琴依は左サイドの髪を耳にかけ、大きなヘアピンを何個もつけて留めていた。凱旋で気分の高まった琴依は即興でフェイクを入れたり、フリーダンスの場面で派手な振りを入れていた。それを見ても月歌は特に注意することなく、琴依の好きなようにさせていた。琴依は日々進化していった。
ラストの曲『ENDLESS COSMOS』まであっという間で、この日一番の盛り上がりを見せた定番曲によって会場は沸騰するかのように熱気にあふれた。疾走感と明瞭なメロディーライン、何度歌っても名曲だと璃雨は感じてしまう。歌うたびに新たな発見があるのだった。
曲が終わると盛り上がりを断ち切るようにステージは静まり返り、璃雨たちは足早にステージをはけ楽屋へ駆け込む。
鉄血牡丹初のアンコールが起きた。楽屋からでも璃雨の耳に大きな声は聞こえていた。慌ただしく着替えが終わりステージ袖で準備をしていると、先にバンドメンバーがステージで準備を整えていた。
1stフルアルバム収録の『Strike of the Dragonfly』のイントロをきっかけに、月歌たちがステージに登場する。
速い曲が多い鉄血牡丹にはめずらしく、スローテンポの曲だった。ベースとドラムの変拍子のリズムが重々しく進行し、どっしりと力強さを象徴している。スローな分じっくりと歌声を聞かせる曲でもあり、璃雨はいつも以上に緊張していた。
観客はスローな曲に少し戸惑いつつも、璃雨たちの歌声に魅了されるかのように聞き入っていた。
重たい空気を漂わせたまま曲が終わると、璃雨たちの顔も暗かったが、充実し切っていた。
「アンコールありがとうございます」
重たい空気を振り払うかのように、月歌の声は明るく響いた。
「鉄血牡丹で、このアンコールが起きたのは初めてです。とてもうれしいです。今までは短い時間やっておしまいでしたからね。今聞いていただいたのは1stアルバムから『Strike of the Dragonfly』でした。なかなか重たい曲ではありますがいかがでしたでしょうか」
グリーンのメンバー衣装の月歌は、ハーフツインにしておでこを出していた。客席から拍手が起きた。
「そして私たちの新たな武器である3声ハーモニーいかがでしたか?」
月歌が客席にマイクを向けると、大きな歓声が返ってきた。地鳴りのような声に璃雨は鳥肌が立った。
「先週リリースされたアルバムの中ですでに3声ハーモニーは聞くことができましたが、気が付きましたか?」
もう一度月歌が客席にマイクを向けると、再び大きな歓声が返ってきた。
「レコーディングや練習を重ねて、みんなで特訓してきました。これが鉄血牡丹の進化した姿です。新たに手に入れた武器をたずさえ、これからもパワーアップしていく鉄血牡丹にご期待ください」
月歌がお辞儀すると璃雨たちもならって頭を下げた。
「新グッズのツアーTシャツの紹介をします。グッズ売り場でも売ってますが、みなさん着てらっしゃる方も大勢いますね。メンバー5人のイラスト風の写真がプリントされたオリジナルツアーTシャツなんですが、これは杏奈ちゃんの発案でデザインしたものです」
ツアーTシャツに着替え璃雨たちは横並びした。バンドメンバーもTシャツ姿になっている。
Tシャツには璃雨たち5人の顔が等間隔に並んでいた。シリアスな表情のメンバーの顔写真がイラスト風に加工されており、劇画のようにTシャツにプリントされていた。
「これカッコよくないですか? メンバーそれぞれの素材写真は神尾さんはじめスタッフさんがライブ中に撮影したものなんですが、イラスト風に加工したのははるみちゃんなんです。こんな才能を持ってるなんてすごいよね?」
ピンクの杏奈は、はるみの方を振り返りながらツインテールの髪を揺らした。
「なんだか恥ずかしいですね。私カメラ好きと言うこともあって、普段から撮影した写真を加工してて、そんなに大それたものではないんですがうまく仕上がってますか? メンバーの個性が出ていればいいなと思います。特にこだわったのは目ですね」
暗闇に光る猫の目のように鋭い目をしたメンバーTシャツをはるみは指さした。ツアーTシャツを着ている客席から拍手が起きた。
ステージ上から璃雨の目には、自分のメンバーカラーである青のペンライトを持っている人が見えていた。首から青色のタオルを提げた人もいる。ホームの土地から離れていても璃雨のことが好きでいてくれる人たちなのだと思うと、璃雨はついひいき目にレスを送ってしまう。
「では次で本日最後の曲です」
月歌の言葉に名残惜しそうな声が漏れた。月歌は嬉しそうに歯を見せた。
「アルバムから『月光幻想曲』です。ライブが終わった後、今晩この曲のミュージックビデオが公開されるので皆さん見てくださいね」
最後の曲は1stフルアルバムから、この日唯一演奏していない曲だった。アップテンポでシンフォニック、力強さというよりは曲構成で聞かせる、複雑で浮遊感のある不思議な楽曲だった。途中にアコースティックパートがあり展開は激しかった。璃雨、月歌、琴依のボーカルは多層に重なり合い、相乗効果を出していた。
熱狂の渦を起こしながらライブは終わった。
ライブ後の夜。月歌の予告通り『月光幻想曲』のミュージックビデオが公開された。大きく映し出された月を背景に歌い踊る映像のミュージックビデオは、瞬く間に再生回数が増えていった。
燃え盛るような熱いライブが終了すると、ステージに未練を残しながら璃雨たちは楽屋になだれ込んだ。大きく肩で息をしながら興奮と熱気で顔を紅潮させて、椅子にも腰掛けず立ったままお互い顔を見合わせていると、狭い楽屋内はあっという間に室温が上がり、滝のように汗が出てくる。
会場からはまだ声援が遠くぼんやりと聞こえてくる。
「ファンの人たちの顔見た?」
月歌がめずらしく興奮した顔つきで言った。汗びっしょりでも月歌の汗はさわやかだった。
「みんなすごい笑顔だった」
月歌の勢いにつられてはるみは声が大きくなった。
「声援もすごかったよね。すごくうれしい」
まだ止まない声援を聞きながら、杏奈は自分の背中に手を回し体を震わせた。全身汗だくの杏奈は前髪が完全に崩れていた。
「ウチの大阪時代のファンも大勢いた。ライバルだったアイドルグループのメンバーもいたで」
琴依は手ごたえがあったようにこぶしを握り締めた。激しいライブの後でも琴依の前髪はがっちりと固まったままだった。
「3声ハーモニーのところで一緒に歌ってる人たちがいたよね?」
「すごくうれしい。みんなでライブ作ってる感じがして感動しちゃった」
「初披露なのにコールも出来上がっていて、これもうれしい。メタルの乗り方とアイドルの乗り方が融合している感じというのかな? とても面白いと思う」
「地元大阪だからウチ歓迎されるとは思ってたんやけど、まさかここまで盛り上がるとは、すごくうれしい」
月歌たちは口々に感想を言い合うと、さらに盛り上がっていった。メイクを落とすことも着替えも忘れ、興奮の度合いを増していった。
ライブハウスツアーの初日、大阪公演を無事に終え、大盛り上がりで締められたことは月歌たちにとって大きな経験になったし、続く福岡公演への弾みとなっていた。実際、地方公演では盛り上がりどころか客席が埋まるかどうかという心配もあったが、それらは全くの思い過ごしだった。
「璃雨、ライブ中水を飲み干しちゃった」
「え……」
璃雨の間の抜けた発言に月歌たちは言葉が詰まってしまった。会場からの声援はいつの間にか止み、辺りは静まり返っていた。
「まあ曲間にあれだけ水分補給すればそうなるな」
あまり汗をかかない琴依は、涼しげな顔で手に持っているペットボトルの水を飲んだ。まだ半分くらい残っている。
璃雨に水を差された格好になった月歌たちは、それぞれため息をつきながら椅子に座ったり鏡の前に向かった。そしてのろのろと帰り支度を始めた。今回のツアーでは特典会を行わないため、ライブ後の時間には余裕があった。
「ねえみんな、つきのメイクポーチ知らない? ここに置いたはずなのに無くなってる」
鏡の前の月歌は辺りをキョロキョロしながら自身のメイクポーチを探している。璃雨たちの荷物が置いてある箇所も見て回るが、見当たらないようで困った顔をしている。
「さあ知りませんけど、そんなに簡単に無くなるものですか?」
はるみは月歌と一緒になって狭い楽屋内を探し回った。5人入れば狭い楽屋を各々見て回る。
「月歌さん、これですか?」
月歌が振り返ると杏奈が黒い小ぶりのポーチを手にしていた。杏奈の大きな花柄のポーチと比べてずいぶんとコンパクトだった。
「え、どこにあったの?」
「あ、あの……ゴミ箱です」
「なんでそんなところに?」
月歌は不思議そうな顔をしながら杏奈からポーチを受け取った。
璃雨は椅子から立ち上がると楽屋を出た。扉を後ろ手に閉め大きくため息をついた。
まだ汗のひかない璃雨は、廊下の突き当りにある自動販売機に向かった。あまり明るくない廊下の中で、自動販売機そのものの照明が一番明るかった。スマホをかざすと、鈍い音とともにペットボトルが落ちてきた。
水を一口飲んだ璃雨は、すぐそばで声が聞こえてきて思わず身構えた。そっと辺りを見回すと、自動販売機の陰にサキがいて、何ごとかぶつぶつつぶやいている。
「サキさんどうしたんですか? こんなところで」
驚いた璃雨は焦りながら思わず早口になった。
「どうもしないよいつも通り愚痴を吐いていただけだ。お前こそどうしたんだ。みんなと一緒じゃないのか?」
廊下の壁に背をもたれ、サキは腕組みしながら言った。ライブTシャツを着替え、いつもの黒ずくめの格好になっていた。
「何かのどが渇いて」
璃雨はペットボトルを差し出した。サキは手のひらを振った。
「璃雨は鉄血牡丹が世間からどう見られてるか知ってるか?」
サキににらまれると璃雨は背筋が伸びた。
「今日のライブとても盛り上がりました。3声ハーモニーを受け入れてもらえました。すごくうれしいです。あとSNSでもファンの方からほめてもらっています。月歌さんや琴依の歌がうまいって。はるみはダンスがうまいし、杏奈は可愛いって。もちろんサキさんのギターもかっこいいですよ」
「お世辞はいらない。それはお前たちのブログのコメントだろう。ちゃんとSNSを見てるか? 批判的な意見もたくさんあるぞ。俺に対する人格否定も少なくないが、一番多いのは鉄血牡丹そのものに対する批判だ。アイドルとメタルをくっつけた意味が分からないという類だな。アイドル側の視点だとバンドはいらないと言ってるし、メタル側の視点だとアイドルはいらないと言ってる」
「でもそれが鉄血牡丹のいいところだと思います。神尾さんが言ってました」
「神尾か……。俺は正直もっとメタルを極めたい。アイドル要素を無くした、ゴリゴリのメタルをな。俺はスラッシュで生まれ、グラインドコアの洗礼を受け、インダストリアルにたどり着いた。だからいずれインダストリアルメタルをやる。中田のキーボードは欲しいから誘うつもりでいる。ドラムもブラストビートが叩けるから欲しいところだな」
サキは目をつむりながら頭の中の構想を語ったが、璃雨はサキの言葉をうまく理解できなかった。
「璃雨、そのバンドでボーカルやりたいです」
思いがけず璃雨の口から本音が飛び出した。時々冗談半分に口をついて出る言葉だったが、本心かどうか璃雨自身でも分からなかった。なぜかサキと一緒の景色を見てみたいと感じてしまっていた。
「アホか、今アイドル要素はいらないって言ったろ。お前みたいなガキがいたらメタルじゃなくなる」
ガキと言われて璃雨はひるんだ。
「じゃあメタルって何ですか?」
璃雨はまっすぐな目でサキを見返した。
「う……。それは鋼鉄の魂と意思を持った気高い崇高な音楽のことだ」
「それを璃雨がやったらダメですか?」
璃雨は一歩サキににじり寄った。サキは思わず背をのけぞらせた。
「小学生時代の俺を見てるようだな……。まあいい、好きにしろ。話を戻すと鉄血牡丹は正統派とは呼ばず、中途半端な存在らしい。少なくとも正義を名乗るミュージシャンたちはそう言ってる」
「正義、ですか?」
璃雨は首を傾げた。
「まあ嫉妬だな」
「え?」
「中途半端なはずの鉄血牡丹が意外とウケてるのが妬ましいんだよ。正々堂々と正統派をやっている連中から見れば、こんなイロモノが売れるのが面白くないんだよ。でも連中絶対に自分たちが嫉妬してるのを認めないだろうな。正義の顔をして正しいことを発言してるつもりだから。正義面して嫉妬を隠してるだけさ。おっとお前たちはこんな言い方するなよ。たちまち大問題だ。俺が言うからまともに受け止められないし、万が一批判を浴びようが俺自身は全く気に留めないからな。まあ何をどうしたところでアンチが無くなることはないけどね」
サキは言いたいことを言うとその場を立ち去ろうとしたが、璃雨が引き止めた。
「あの、璃雨、月歌さんに嫉妬してるんです。月歌さんはあんなにキラキラ輝いているのに璃雨は……。全然ダメなんです。歌割だって少ないし」
再び璃雨の口をついて出た言葉は、絶対に心の奥底にしまっておかなければならない重大な秘密だった。誰にも言わずに隠し通さなければいけなかったが、サキのある意味純粋な目を見ていると、つい本音を言いたくなってしまう。サキになら言ってもいいかもしれない。璃雨はそう感じていた。
「ほう……そういえばいつだったかも嫉妬してるって言ってたな」
思いがけない璃雨の告白にサキは再び向きなおった。
「月歌さんのことが好きなんです。憧れなんです。月歌さんのことが好きで好きで仕方ないんです。なのにそれ以上に憎いんです」
意図せず璃雨の目から涙がこぼれて頬を伝った。一粒流れると、次々に涙が溢れてきた。璃雨は涙を拭おうともせず訴えた。右手の中にあるスマホは強く握られていた。
「困ったな……でもな、俺から見れば璃雨お前だって輝いていると思うぞ」
「え?」
璃雨は弾かれたように顔を上げるとサキの顔を凝視した。聞き間違いではないかと耳を疑った。
「ここ最近、お前のボーカルが成長しているんだ。一緒にステージにいるから分かる。今日のライブが特にそうだったが、メランコリックな鉄血牡丹の楽曲に憂いを帯びたお前の声質がとても合っている。つまり感情が乗っているんだよ」
「本当ですか? 信じられない……」
「俺は愚痴は吐くが嘘は言わない。恐らくお前の内面が知らないうちに表に出ているんだろうな。月歌のことが憎いっていうドロドロした感情が、心の底から湧き出てくるのかもしれないな。全くもって鉄血牡丹のメランコリックで陰鬱なメロディーにはぴったりだ。まあ顔には出さなくても歌声には乗っかってるわけだ」
璃雨は慌てて口をふさいだ。心に秘めた恐ろしい感情が漏れ出ているのかと思うと震え上がるようだった。サキに歌声が伝わったのであれば、月歌たちにも伝わっているはずで、暗くジメジメした心の内を知られてしまえば今まで隠し通していたことが無意味になってしまう。それだけは避けたかった。
「言っておくが今俺はほめてるんだぞ。だから月歌と比べても見劣りしないから、璃雨は璃雨で自信をもてばいいんだ」
青ざめている璃雨をサキが軽く小突くと、璃雨は我に返って辺りを見回した。ライブでの汗はとっくに引いていて、今は冷や汗にまみれていた。べとべとする嫌な汗だった。
「まあ、そこまで悩んでいるなら一度神尾に相談してみたらどうだ?」
サキはなだめるように言ったが、璃雨は反射的に一歩退いた。
「え、嫌です。サキさん絶対に言わないでください」
璃雨は急に逃げ腰になった。サキ以外の人間に知られてしまうのがたまらなく怖かった。
「いやしかしな。俺は半分お前たちのマネージャーみたいなことしてるから、監督しないといけないからな」
「今のは冗談です。サキさん何も聞かなかったことにしてください。楽屋に帰りますね」
涙と汗をタオルでこすり落とすと、璃雨は楽屋に駆け戻った。
璃雨の鼓動は高鳴るばかりで、サキに気持ちを伝えたからと言って完全に気が晴れるわけもなかった。
またそれとは別に周囲の評価から、璃雨は鉄血牡丹に貢献できているかもしれないという意識も芽生えてきていた。もしかしたら自分は鉄血牡丹に所属する意味を見出しているかもしれないと思いつつあった。
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