書きかけの手紙

静かな夜、美咲は自分の部屋の机の前に座っていた。窓の外には、月明かりが薄く差し込み、部屋を優しく照らしている。周囲は静まり返り、心の中でずっと引きずっていた感情を整理しようとするには、まさにぴったりの時間だった。手のひらに触れる紙の感触が、何故かひんやりと冷たく感じる。


 「伝えたいことが、ある。」美咲は自分にそう言い聞かせながら、ペンを手に取った。普段から言葉にするのが苦手で、気持ちを上手く伝えることができない彼女にとって、手紙は唯一自分の思いを伝えられる方法だった。しかし、どんなに時間をかけて書いても、心の奥にしまっておきたい感情と、言葉にしてしまうことへの恐れが絡み合って、簡単には書き出せない。


 美咲は何度もペンを動かし、紙の上で言葉を綴ろうとするものの、途中で何度も筆を止めては、深い息をついて考え込んでしまった。手紙を送ることの意味、それを読む相手がどう感じるかを考えると、自然と心が重くなる。


 彼女がどうして手紙を書こうと思ったのか、それは一度も口にできなかった思いを伝えたかったからだ。天音に対しての、自分の気持ちを。ずっと心の中に閉じ込めてきた感情を、言葉で表現できる自信が持てなかったから。


 「天音に伝えたいこと…」美咲はそう呟きながら、何度もペンを置いてはまた持ち上げた。心の中で言葉を何度も繰り返すが、それがそのまま形になっていくことが怖かった。


 「私、天音のことが好きだよ。」


 そう書こうとしたが、その言葉すら自分で書くのが恐ろしかった。もし、伝えたらどうなるのだろう?もし、この気持ちを明確にしてしまったら、今までのような、ただ一緒にいるだけの心地よさは崩れてしまうのではないか。天音との関係が変わってしまうかもしれない、という不安が美咲の胸を圧迫する。


 「でも、何も伝えなければ、何も変わらない。」そう心の中でつぶやき、再びペンを持ち直した。美咲は深呼吸をしてから、ゆっくりとした手つきで紙に書き始めた。


 『天音へ』


 最初の一文をつづるのに、長い時間がかかった。手紙がどんな形になるのか分からないけれど、とにかく心の中にある言葉を紡ぎたかった。何もかもが恐ろしいけれど、この手紙を通じて、少しでも伝わるものがあればと、心から願いながら。


 『私は、あなたと過ごす時間がすごく大切で、幸せだと思っている。でも、時々それが怖くなる。あなたと一緒にいることが心地よくて、もっとあなたを知りたいって思うけれど、それが怖くて仕方がない。あなたに依存してしまうんじゃないかって。私が一人でいられなくなってしまうんじゃないかって、そう考えてしまうんだ。』


 美咲は一度手を止めて、しばらくその文を見つめた。彼女はこれまで一度もこんな気持ちを人に打ち明けたことがなかった。それがどれほど辛く、苦しいことだったかを自分自身が一番よく分かっている。けれど、それでも書かずにはいられなかった。


 『だから、私は時々あなたから距離を置こうとしてしまう。あなたを傷つけたくないから、私は一歩引いてしまう。でも、本当は、あなたにもっと頼りたくて、もっと一緒にいたい。あなたのことを、もっと知りたいと思う。でもその気持ちが恐ろしいんだ。』


 その文を書いたとき、美咲の胸の奥に小さな痛みが走った。それでも、これを伝えなければ、心の中でこの気持ちを抱えていることがもっと辛くなってしまうことを、彼女は理解していた。


 『どうか、この気持ちを受け入れてほしいとは言わない。けれど、少しだけでもわかってほしい。私があなたと一緒にいるとき、どれほど安心しているか、どれほど幸せでいるかを。そして、私が怖くて、でもそれでもあなたのことを大切に思っていることを。』


 美咲はその手紙を読み返すと、顔を赤らめた。恥ずかしさと共に、胸の中に溢れる感情があふれそうになるのを感じた。でも、もう書かずにはいられなかった。


 手紙をそっと机に置き、美咲は目を閉じた。深呼吸をして、少しずつ落ち着こうとした。その手紙は、まだ完成していなかった。彼女が天音に渡す準備ができるかどうかは、まだわからない。それでも、少なくとも今、心の中にあった感情を少しでも言葉にできたことが、少しだけ救いに感じられた。


 「いつか、これを渡せる日が来るのかな。」美咲はふとそう思いながら、再びペンを取るのを躊躇した。その手紙は、まだ書きかけのまま、彼女の心の中に深く沈んでいくのだろう。


 けれど、もうすぐその時が来ることを、美咲は感じていた。

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