第29話 sideキク(1/2)


 ――17年前。



「なあ父ちゃん、知ってる? 桜庭さん家、赤ちゃんが来た、、んだって」



 古いアパートの一室。六畳一間の隅っこで、膝の上で宿題をしながら独り言のように呟く。



「……父ちゃん?」



 返ってこない返事に顔を上げると、父はふっと嬉しそうに頬を緩めながら、プシュッと缶ビールを開けて呷る。



「んじゃ、これから仲良くしてやれよ」


「それはもう、これでもかと言うほど言われた」


「ははっ。そうかいそうかい」


「てか、なんでそんなに嬉しそうなんだよ」


「そりゃおめえ、友人に子どもができた、、、っていうんだ。嬉しいに決まってんだろ?」


「いや、そうだけどさ」



 父がやけにご機嫌な理由は、大抵決まっていた。

 きっと、母のことを思い出していたのだろう。



 母は、オレを産んですぐにこの世を去った。元々体が弱く、子どもを産むなんてことは奇跡でも起きない限り難しいと。妊娠がわかってから産むまでずっと、母は言われ続けたらしい。

 きっとオレは、母を死なせてしまったからこんな名前を付けられたんだろう。そんな名前を付けた両親が、この時はまだ嫌いだった。苦手だった。



 けれどある日、ふと天を仰ぐように上を見つめた父は、そこでまたふっと笑った。

 いつもだらけていて、笑ってもだらしなさげにふにゃふにゃしてるだけなのに。その時の笑顔は、飛び切りやさしかった。


 まるで、誰かと一緒に、笑ってるみたいな。



「菊」


「なに?」


「おめえじゃねーよ。菊の花」


「まぎらわしい」


「父ちゃんと母ちゃんの、大好きな花」



 そして、酔った父が勝手に語り始めた、父と母の出会いの話。ベロベロだったし、あの時話したことが父の記憶に残っていたのかは、結局聞いたことはなかったけれど。


 でも両親にとって菊の花が、二人の出会いであり、大事な花だったと知ったオレは、いつもそのことを思い出すと胸がむず痒くなった。そして同時に、いつも誇らしかった。



 そんな父も、オレが小学校を卒業するのを待たずして、母の元へと行ってしまったけれど。


 両親が死んでからは、母親の両親に引き取られた。何でもオレを産む時に一悶着あったらしく、その時に一度縁は切られていたらしい。一応は母の子どもだからか、それとも父のことが余程嫌いだったのか、詳細は知らないが。



「菊、一緒に暮らさないか?」



 あいつの父ちゃんと母ちゃんがそう提案してくれたけれど、オレは良くしてくれたこの人たちにだけは、迷惑をかけたくなかった。



「大丈夫だって。義務教育の間だけだからさー」



 中学を卒業するまでの辛抱。高校からは一人暮らしをしようと以前から考えてはいたから。

 けれど、そんな人たちと一緒に暮らしてると、居心地や気分は悪いばかりで、学校帰りは遅くまで家に居座らせてもらっていた。



「きくちゃん! なにしてあそぶー?」



 そんなオレに、あいつは何も聞かずにそんなこと言ってくるから、オレの気はそれで十分紛れてた。


 だからさ、オレは大丈夫だったんだ。オレは。



「紀紗が、部屋から出てこなくなったって……」



 受験生に、深刻な顔して何を相談してくるのかと思えば。

 最初はほっとけば出てくると思っていた。けれど、なかなか出てこない。ご飯もろくに食べなくなった。そんなこと聞いたら、ほっとけるわけがなかった。



(……ま。大体の予想は付いてるけど)



 足早にあいつの部屋へと向かう。つい勢いで来たが、振り返ってみれば、壁の向こう側には期待の眼差しでこっちを見ている父ちゃん母ちゃん。失敗は、許されなかった。



「なあキサー」



 ふとオレはあることを思い付いた。声をかけてみるが、もちろん返事はない。

 失敗したら恥ずかし過ぎると思いつつ、オレはあいつが最近はまっているものを思い出しながら、扉に向かってこう言ってみる。



「今な、お前の父ちゃんと母ちゃんが、悪の結社『ザ・ザンギョー』に襲われて」



 にしても、今時のヒーロー戦隊って……名付け親誰だよ。そろそろネタ切れか? “残業”なんて、働いてる人たちみんなの敵だっつーの。

 まあ、小2にもなってこれにはまってるこいつもどうかと思うけど。



「それで今、お前の部屋の前に――」



 ――来ようとしているんだと、言おうと思った瞬間中から飛び出してきたあいつは、そのヒーローが使うのであろうおもちゃの携帯電話を持っていた。てっきり、それで変身するのかと思ったら。



「もしもし、けいさつですか? いま、おそわれそうになってるんです! たすけてくだちゃい!」


(……いや、思いっきり噛んでるし)



 それが終わったあいつは、あれ? って顔をしている。そりゃそうだ。そんなもん、端からいねーよ。



「……お前の部屋に来ようとしてたんだけどな? オレがぶっ飛ばしてやったわ。お前の父ちゃん母ちゃんも助けてやったから無事だぞー」



 作戦は大成功。すっかり騙されて部屋から出てきたこいつに、ニヤリとオレは笑っていたけれど。



「――! あ、ありがとお! きくちゃんは、せいぎのヒーローだあ!」


(……! マジか)



 なんて言いながら無垢な笑顔を向けてくるもんだから、すっかり油断してオレは、その笑顔につい見惚れてしまっていた。小2相手に。



 こんな、小っ恥ずかしいことになったなんて絶対言えねーわと。父ちゃん母ちゃんには、「別に大したことしてねーよ」と、何も言わないでおいた。オレの気持ちなんてそのうちすぐにバレるけど。


 それから部屋から出てきたあいつは、父ちゃん母ちゃんの無事な姿を確認したのか。涙目になりながら抱き付いていった。



「あのね。三人に、きいてほしいことがあるの」



 その後キサ本人からオレらは、自分が本当は父ちゃんと母ちゃんの子どもではないことを聞いた。オレらには、知っていて欲しかったからってさ。

 オレらはそんなの関係ないって。今まで通り、このメンバーで楽しく遊んでた。



「けいさつは女子な! 男子がどろぼう!」


(チビどもは元気だなあ)



 いつだったか。あいつらとその友達がどろけいをしようとしてるところに、たまたま通りかかったことがある。



「ええー」


「なんだよさくらば。いやならおまえはいれてやんねーぞ!」


(……はあ。たく、世話の焼ける)



 そんな馬鹿なことを言ったガキがいたもんだから、ついつい口が出た。



「別に、遊ぶ時まで分かれなくていいんじゃねーの」


「! きくちゃん! きくちゃんもいっしょにやろ!」


「あ? バカ。受験生を誘うな」


「やだ! きくちゃんもするの!」


(……どんだけ手抜いたらいいんだよ)



 ま、女王様には逆らえねーわなと。思っている横で、さっきのチビがこちらをじっと見ていた。ま、面白くはないわな。


 けど……悪いな。こっちが先なんだわ。



「あんま、好きな子いじめんなよ」


「……?! なっ!」



 それからというもの、オレのまわりはいつも騒がしかった。


 幼馴染みの、トーマとキサとチカ。キサと同い年のアキラ、カナデ、ツバサ、アカネ。チカと同い年のヒナタとオウリ。それから、オウリのおまけのミノルさん。みんなで、それはもうよく遊んだ。それこそ母ちゃんたちが、いい加減帰って来いと言うまで。



「菊ちゃん菊ちゃん! ドロケイしよ!」


「お前、よくもまあ飽きねーな」



 そしてオレを見つける度、あいつはことあるごとに誘ってきた。



「え? だって、いろんな子と友達になれるもん!」


「そうかよ」



 何がそんなに嬉しかったんだか。



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