【2-8k】初対面で金をかしてくんね?って言ってきた配達員が、世界で一番まともだった件。

リドリーが連れていかれたあとの廊下には、風が吹き抜けていた。


ケンは立ち尽くしていた。動けないまま、何かを置き去りにされた感覚だけが体を覆っていた。


ふと、玄関の足元に目を落とす。 紙袋が二つ、静かに置かれていた。 油とソースのあまい匂い。ほんのりと温かい気配。


……が、それはふいに、視界から消えた。


ケンは眉をひそめ、視線を凝らした。 空間がゆらぎ、ノイズのような違和感が走る。 そこに、誰かがいた。


「お、お客様……で、ごぜいますか?」


細い目に軽い笑みを浮かべながらも、声はやけにかしこまっていた。 彼は袋の中身を手でつまみながら、少し距離を取ってこちらを見ていた。


「えーと、あの、大変申し訳ありません……お届け先のお名前を確認させて──」


ケンは何も言わず、ただ立っていた。 服装も乱れ、手ぶらで、状況の説明もない。


男は目を細め、じっと見つめる。


「……あー……あんちゃん、あれだな? 客じゃねえな?」


突然、言葉遣いが崩れた。


「めずらしいな…見えるのか? オイラのこと」


細い目に軽薄な笑みを浮かべた男が、袋から紙に包まれたハンバーグのようなものを取り出して頬張った。


「いや、お化けとかじゃねぇよ。あんたが見えてるってことは──その高慢ちきなオーグの視覚阻害をキャンセルしたのか? あー、なるほど。クレームつける以外でわざわざフィルタ切るやついるんだな。」


「…にしちゃあ、なんだその恰好。大昔の賢者様か? それともそうゆう変態か?」


勢いでここまで来てしまったが、やはりというか、この格好はおかしいらしい。ぼくもそう思う。めっちゃスースーするしね。


ぼくは転生者であること、そしてここにたどりついた経緯を説明する。


「まじかよ、あんちゃん転生者!? すっげ、はじめてみたわ。おまえらって、もっとピカピカの装備で現れるもんかと思ってた」 彼は素直な感想を遠慮なく僕にぶつける。


「んじゃあオーグの設定してないか、視覚除外をキャンセルしたとか? まぁそんなこたぁできないか」


見た目の軽薄さとは違い、聡明な、恐らく正解の鋭い回答だった。


「まぁ、オレらみたいな“自由市民”ってのは、最初から“市民様”の視界に入らねぇ仕様だからな。貧民、プロールはオーグのフィルターの向こう側ってやつよ」


なるほど… ぼくは…ケン。きみは? 異世界で頼れるものがいない僕にとってはいま、目の前の軽薄なコイツが唯一のこの世界を知る手がかりだった。というのもあるが、彼はどうにも人好きがする性格につい自己紹介をしていた。


「あ、オイラ?? スイミーさんとか、配達員よ。」


一拍おいて、彼はふと気づく。


「あ、名前か、しばらく言われたことも、言ったこともねぇからうっかりしちまったよ。ステファンだよ」


自分でも思い出すように言ってから、「ステでいいよ」と続けた。


細身の体に、フード付きのノースリーブロングコート。ねこっけの髪が無造作に風に揺れている。 背中には宝箱のような運搬バッグ。ハーネスにはロープとカラビナ。ランペリング装備が腰に揺れていた。


「このへんまで来ると、宅食じゃ人工精霊のドローン使われねぇのよ。オレら人間様の方が安いんだからな。空中交通しかねぇから、建物から建物へはジップライン、あとはランペリング。ハーケンもアンカーも持ち出し、保険もなし。まぁ、おっかねぇよ」


ステはあたりまえのように、ケンの目の前で紙袋を開け、リドリーが頼んでいたであろう食料をパクパクと食べていた。


「あのねーちゃん、思想犯罪か? おっかねーな、でもノックアウトパッチもしりーうぉーくシリーウォークシリーウォークデバイスも使われてねーのな。なんかお姫様かなんか?」


「ノックアウト?」


「ああ、たまに確保されるやつぁみるけどな、さっきみたいに『どうぞこちらへ』なんてお行儀よく連れられるなんて見たとこねぇよ。問答無用で意識を飛ばされる札で昏睡させるか、殴って意識を飛ばしてからのどちらかだな。思想犯罪なんて騒がれるだけで伝染するってのが収容するほうの言い分だからな」


「え? つまり」


「ふつうの収容じゃねぇよ。あんがい、ただのお迎えとかじゃねーの?」


「でも、確かに収容されて…」


「おれにそんなこと言われてもしらねーよ。あんちゃんのオンナなんだろ? 気になるなら助けに行きゃあいいじゃねーか」


「たすけ…る」 そう呟いた瞬間、自分の無力さが背後から追いかけてくる。 あの二人に、この国の仕組みに歯向かうというのは、そんなに簡単な話じゃない。 ぼくに、何かできるのか?


「ま、ぶちのめされて引きずられてるわけじゃなかったんだ。だいたいはその場で消去されるもんな。おとなしく待ってりゃあーゆーのはひょこっと帰ってくるって」


でも、帰ってくる場所は…リドリーにはもうない。一体どうゆうことなんだ。 考える時間が、答えを出す知識、この世界の理屈を知る時間が… いまは欲しい…


ステはハンバーガーを食べ終わり、ついてた飲み物にストローを刺し、それを流し込むと次の袋をあける。


たぶん、それ、リドリーの注文したものなんだよなぁ… ふと彼をいぶかしんで視線をやる。


「……そんな顔すんなって。これはオレの当然の権利。600カウント以上受取人が来なきゃ“廃棄”って扱いなんだよ。だから今、おれの胃袋に“廃棄”してるってわけだ。まぁ、店の三倍の値で宅食頼むなんてさ。一日がっつり働いたってオレには食えねぇ。でもこれ、正直ぱっさぱさで味気ねぇんだよな」


ケンは無言のまま、その匂いに吸い寄せられるように袋を見つめていた。 ステは少し笑って、残りのケーキを差し出した。


「ほらよ、あんちゃん。見りゃわかる、腹減ってんだろ? 遠慮すんな」


ふてぶてしい態度で自分の獲得した獲物を分け与えるボスのように、ケンに残った袋のそれをよこした。


中はケーキだった。ケーキというには素朴なパンケーキだった。 リドリーがそうゆうサービスを指定したのだろう。表面にチョコのようなもので描かれてた。


「トロイメイアへようこそ! ケン」


ぜんぜん甘くなくて、ただ乾いていた。 パサついた生地が喉の奥に絡んで、最後に残ったのは、 ……しょっぱい味だった。


食べ終えたステは、紙袋をまとめて腰に巻き付けてあった布袋を展開して紙屑をひょいと入れる。まるで、食事も出会いも、日常の延長のように。


「じゃあ、まぁ──頑張れよ、あんちゃん」


ふと、彼を、ステを引き留めようとした。教えてくれ、この世界のことを。


「助けてほしい。……ぼくを、この世界から、リドリーを奪ったものから」


という衝動がお腹の底から湧き出る。喉を通って出そうになる。でも声にはならなかった。 会ってすぐ、おそらくこれから会うこともないだろう。そんな彼に体重をかけられるようには、僕の回路はできていなかった…。


しかし、背を向けかけたそのとき、ステはふと振り返った。


「あ、そうだ、あんちゃん。金、貸してくんね?」


しかし、彼は見ず知らずのぼくに全体重をかけて助けを求めてくるやつだった。


かっる!!!

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