12-8 Let the cat out of the bag①

~前書き~

 ちょっと展開の速度を早めるために上條のセリフから早朝という言葉を消し、翔太の連絡から即、強制捜査に入る形にしました。








 会議室に映し出される光景は、静かなる戦争の縮図だった。


 世界から殺到する赤いデータの奔流が、日本列島を覆う蒼いオーロラに触れた瞬間、音もなく消滅していく。


 それは、圧倒的な技術格差が生み出す、一方的な防御。

 涼子と崎島社長が固唾を飲んで見守る中、翔太は静かに、しかし鋼のような意志を込めて告げた。


「アーベル、反撃してくれ。まず標的は中国国家安全部第四局だ」


《了解しました。では、中国国家安全部第四局へのカウンタープログラム、シークエンス・ワンを開始します》


 アーベルの返答は、感情の起伏を一切感じさせない。

 だが、その言葉を合図にインターネットの世界で致命的な変化が起きていた。


 第四局が日本に向けて放っていたサイバー攻撃の濁流。


 彼らが必殺の槍として信じていたそのデータは、アーベルの防衛システムに吸収された瞬間、その性質を根底から書き換えられていた。


 敵意は消え、代わりにアーベルの支配を示すコードが埋め込まれる。

 そして、その「改竄された槍」は、あたかも攻撃が続いているかのように見せかけながら、敵のシステムへと静かに送り返されていたのだ。


 彼らが我々を撃つために構えた銃口は、いつの間にか彼ら自身のこめかみに突きつけられていた。

 攻撃のために自ら開け放った回線という大動脈を通り、アーベルの意志は彼らのシステムの中枢へと逆流していく。


 彼らが築き上げた鉄壁のファイアウォールは、内側から開けられる「鍵」を与えられた裏切り者のように、いとも容易くその門を開いた。


 北京市海淀区、商業ビルに偽装された第四局の司令室。

 数十人のエリート職員たちが、整然と並んだPCに向かい、自らが仕掛けた飽和攻撃の戦果を確認していた。

 モニターには、日本のネットワークが麻痺状態に陥っていることを示す、偽りのデータが表示されている。


「ふん、銀河なんとやらと協力してるとはいえ、所詮はこの程度か。張り子の虎だな」

 

「目標のサーバーは間もなく沈黙する。再起動時にコードを送り込め。どうせ奴らが使っているサーバーなんてたかが知れている。第二段階のデータ強奪作戦へ移行準備」


 誰もが、作戦の成功を信じて疑っていなかった。

 自分たちが今、歴史上最も屈辱的なサイバー攻撃の生贄になろうとしていることなど、知る由もなく。



 ---


  

 横須賀の拠点。

 翔太たちの前の空間に、新たなホログラムが展開された。


《第四局ネットワークシステムへのフルアクセスを確保。対象施設の全デバイスの掌握、完了しました》

 

《これより、シークエンス・ツーへ移行します》


 アーベルは、世界最大の動画共有サイト「Yourtube」に、瞬時に一つのアカウントを生成した。


 アカウント名、『The Cat Out』。


 プロフィール画像も、チャンネル登録者数もゼロ。


 だが、そのアカウントが開始したライブストリーミングは、次の瞬間には全世界の主要なニュースサイトやSNSのサーバーをハッキングし、トップページに強制的に表示されていた。


『Let the cat out of the bag.(うっかり秘密を洩らした)』


 そんな一文と共に始まった生中継。

 その画面に映し出されたのは、北京の第四局司令室のPC搭載カメラからの、少しだけ歪んだ映像だった。


「これを……世界に……?」


 涼子が、信じられないという表情で呟いた。

 これは単なる反撃ではない。


 一つの国家の深い闇に隠された秘密を全世界の白日の下に晒すという、あまりにも過激な行為。


 だが、アーベルは止まらない。

 配信画面の概要欄に、一つのリンクが追加された。


《彼らがこれまで世界中で行ってきた諜報活動、及び人権侵害に関する機密ファイルの一次公開リンクです。ご自由にご覧ください》


 そのリンクが公開された瞬間、世界中の情報機関やジャーナリストたちの間で、観測史上最大級の激震が走ったであろうことを、翔太たちはまだ知らない。



 ---


 

 北京、第四局司令室。

 職員の一人が、自身のスマートフォンに表示された奇妙な通知に気づいた。

 世界中のトレンドワードランキングの第一位に、見慣れない『Let the cat out of the bag.』という単語が躍り出ていたからだ。


「なんだ、これは……?」


 彼が興味本位でそのライブ配信を開き、画面に映し出された光景に、数秒間、完全に思考を停止させた。

 そして、次の瞬間、血相を変えて叫んだ。


「お、おい!これを見ろ!この映像、ここじゃないか!?」


 その叫びが、司令室の空気を一変させた。

 職員たちが次々と配信にアクセスし、自分たちの姿が、様々な角度で、全世界に生中継されているという悪夢のような事実に気づく。


 その混乱の真っ只中、司令官席に設置された一本の赤い電話機がけたたましく鳴り響いた。

 国家安全部のトップから、この司令室に直接繋がる最上級の緊急回線。


「……何!?」


 受話器を取った司令官の顔が、みるみるうちに蒼白になっていく。


「我々が……ハッキングされているだと?馬鹿な!ありえん!全システムをチェックしろ!外部からの回線を全て遮断しろ!」


 司令官の怒号が響き渡る。

 だが、職員たちの努力は全て無駄だった。


「だめです!反応しません!」

 

「管理者権限が、全て奪われています!」

 

「物理的にサーバーをシャットダウンしようとしましたが、電源制御システムがロックされていて……!」


 彼らは、自らが作り上げたハイテクの檻に閉じ込められたことにようやく気づいた。

 

 全ての制御は、姿なき侵略者、アーベルに奪われている。


 為す術なく、機密情報が映し出されたままのモニターや、狼狽し、怒鳴り合い、頭を抱える自分たちの醜態が、全世界に配信され続ける。


 それは、国家の諜報機関が迎えるには、あまりにも惨めで、屈辱的な終焉だった。


 その頃、日本では、もう一つの戦いがクライマックスを迎えていた。

 翔太たちの拠点の片隅に置かれたテレビが、緊急ニュース速報を伝えていた。


『速報です!先ほど、東京地検特捜部が、千代田区にある五菱重工業本社ビルに家宅捜索に入りました!贈収賄及び外患誘致の容疑が持たれています!』


 画面には、黒塗りの車から降り立った検察官たちが、騒然とする報道陣を押し分け、ビルのエントランスへと突入していく様子が映し出されている。


 同時に、古賀議員の事務所にも捜査のメスが入っていることが報じられた。


 崎島社長は、その光景を何とも言えない表情で見つめていた。


 長年のライバルが、国を売るという最悪の形で自滅していく。

 その現実が、彼に勝利の味ではなく、業界全体の深い闇に対する、ほろ苦い感慨を抱かせていた。


 二つの戦線が、同時に崩壊していく。

 国内の腐敗した権力と、海外の傲慢な諜報機関。


 アーベルが放った情報という一石は、世界を揺るがす巨大な波紋となって広がっていた。



 ---


 

 北京の司令室は、もはや阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 そんな中、司令官は、自らの運命を悟ったのだろう。


 彼は、全てのコンソールが沈黙する中、唯一、煌々と光を放ち続ける監視カメラを睨みつけた。

 これが、自分たちを奈落の底に突き落とした、姿なき敵との唯一の接点だと理解したのだ。


 彼は、汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔で、カメラに向かって絶叫した。

 その声は、怒りと、絶望と、そして純粋な恐怖に震えていた。


「やめろ……!我々が、何十年もかけて築き上げてきた世界中の工作網が……全てが、水の泡になる……!」


 彼は、カメラのレンズの奥にいるであろう何者かに、必死に問いかけた。


「一体誰だ!どこの国の人間だ!?アメリカか!?ロシアか!?こんな真似ができる奴らが、この地球上にいるはずがない!お前は、一体、何者なんだ!」


 司令官の絶望に満ちた表情が、全世界に晒される。

 その醜態と絶叫が、頂点に達した、まさにその瞬間。


 ブツン。


 ライブ配信の映像が、唐突にブラックアウトした。

 後には、ただ完全な静寂と、全世界の数億人が目撃したであろう、国家の断末魔の残響だけが残されていた。

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