【短編集】かさぶた
永見 潮
かさぶた
1
はじまりは、或る、なんの変哲もない日のことだったと記憶しています。
ふと、腕のところを見遣ると、見慣れた肌色のうえに、ぷつりとした赤が転がっていたのです。あ、血だ、と思いました。同時に、何故こんなところに傷ができているのだろうとも思いました。
よく見つめてみれば、半球状になっている血の表面は生乾きしており、薄い膜になりつつありました。
血は、真っ赤に熟れた林檎のようでした。その、よく磨かれた林檎には、私の好奇心にまみれた表情がべったりとうつりこんでいるようで、昏く、鈍い光を反射しています。
私はおそるおそるといった風に、人差し指で、固まりつつある血に触れてみました。半球は音を立てることなくはじけ、静かに、止まっていた時が流れ出しました。
幾日か過ぎ、また、ふと、腕のところを見遣ると、傷はいつの間にか塞がっていました。血と似ているような、似ていないような色の固い皮膚に覆われていて、血はもう出ていませんでした。
指先で触れてみれば、ざらざらとしています。散らしたざらめを撫でているような感触でした。しばらくの間、無心になって撫で続けていると、ふとした拍子に爪がかさぶたに引っ掛かってしまい、ガリ、という音を立てて、半分ほど剥がれてしまいました。
密やかな痛みを感じていると、かさぶたの下に隠れていた桃色の肉から、こぽりこぽりと鮮やかな血が溢れ出てきます。
ああ、血だ、と思いました。
痛みはもうありませんでした。
それから私は、かさぶたが形成される度にそれを皮膚から引き剥がし、溢れ出てくる無限の血潮を見つめるようになりました。飽きることはありませんでした。
それだけに留まらず、赤いものを見ると、恍惚として、目が離せなくなりました。視界を赤いもので埋めつくしたくなりました。
しかし、普通の赤では駄目なのです。
黒く、濁った赤でなくては駄目なのです。
血の色こそ、私の理想でした。
私は刃物で自分の肉を切るようになりました。痛みは血を見ると、すう、と引いていくので、なんら恐怖はありませんでした。裂かれた皮膚の割れ目から、赤黒い血が我先にと這い出てくる姿がとても愛おしく、自分の中に取り込みたくなりました。
傷口に震える舌をそっと這わせると、温もりの中に、じゅくりとにじむ心地好さを感じました。
鉄の味が口の中いっぱいに広がると、私は耐え難い快楽の渦に飲み込まれました。犬のように、だらしなく涎を垂らしながら、夢中で血を舐めました。
心が清らかになるばかりでなく、取り込んだものが私の一部となり、私という人間をかたちづくる身体や魂が満ち足りていくのを感じました。
これは人間に不可欠な【清浄な行為】だと思いました。
だから私は、皆さんにも、この感覚を味わってもらうべきだと思いました。
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