<朱鳥一輝>-3

 「兄さん、一輝ちゃんがウチに来るところまでは話したよ。」

 「お、そうか。」浩之は一輝に向き直る。「そういうことだから一輝、荷物をまとめなさい。光之の家で世話になるんだ。」

 「・・・・・・・・・・」

 「まだ処理が終わらないのかしら。」

 出水姫が早蕨姫にささやく。と、速火若彦がちゃぶ台に片肘ついて言った。

 「一輝、金の話なんだが。」

 「はっ。」

 「すげえ、“金”で覚醒した。」

 丹生彦が無表情に感心する。

 「ねー、お父さん、お父さん。・・お父さんなんだよね?」

 「うん。幽霊だけどな。」

 浩之は生前と変わらない、セーターにジーンズという出で立ち姿でそこに座っていた。セーターは去年のクリスマスに一輝がバイトして買って贈ったものだ。

 「お・・お父さーーん!!」

 一輝は思わず父に抱きついた・・が、父の体をきれいに通り抜け、顔から畳に激突した。

 「ふぎゃっ!!」

 「い、一輝、大丈夫か!!すまん、実体化があまり進んでなくてな。」

 まだ霊体だけになってから日が浅いからなーという速火若彦の言葉を聞き流し、鼻を押さえながら一輝は父ににじり寄る。

 「大丈夫だよ・・ね、お父さん、生活費の通帳にお金がないんだけど。ガス代と電気代と電話代の支払日が近いよ。あと、学校の授業料も入れないと。」

 「お、もうそんな時期だったか。今月はちょっと色々あって忘れていたよ。」

 速火若彦が、「その色々だがな、一輝、」と割り込もうとするが、一輝はカレンダーを指さし、

 「来週の天馬市の権田さんの車のお祓い、どうする?再来週も地鎮祭やらお祓いが・・」

 「それは・・光之、行けるか?」

 「ああ、いいよ。予定が入ってるお祓いと兼務社はこれから俺達で3人で分担する。」

 「向こう2ヶ月くらいの外祭の分担、今ここで決めちまえよ。そうすりゃ一輝も少しは安心すんだろ。」

 そうですね、と3人が手帳を取り出して朱鳥家のカレンダーとにらめっこを始める。

 「お父さん・・あのさ、お祓いとかの方はいいんだけど、ここのお社はどうなるの?誰がお世話するの?」

 「光之達3人のうちの誰かが兼務することになるだろうが・・まあ、勝手が分かってる光之が来るだろうな。」

 光之がこっちを向いて、こくこくうなずく。

 「お父さん、ずっとウチにいるの?」

 浩之は一輝を見た。

 「ずっとというわけにはいかないが、しばらくはいるぞ。」

 「ほんと?!じゃあさじゃあさ、私引っ越さなくてもよくない?」

 「ん?」

 その場にいた全員が一輝を見た。

 「私、ここでお社のお世話を続けていきたいの。だから、この家を離れたくない。」

 一輝はきっぱり言った。

 「一輝・・」

 「さっき順一郎おじさんが不用心だって言ってたけど、お父さんがいるなら大丈夫じゃない?不審者が来たら、お父さんがちょっと顔色悪くして、うらめしやーとかやればいいと思うの。」

 流れた沈黙を破ったのは速火若彦だった。

 「固い決意の割になんだその防犯対策。いいか、一輝、金はどうすんだよ、金は。飯食って、学校行かなけりゃいかんだろ。」

 さらに、

 「今、学校で奨学金のこと調べてるけど、それでも一人は色々大変よ?」

 「誰か死者ではなく生者の保護者がいたほうがいいわね。何かあってからでは遅いわ。」

 「女子高生の一人暮らしはヤバい。」

 と他の3神も押してくる。叔父達も父もそうそうとうなずく。しかし。

 「でも、私、お社のお世話がしたいの、ご祭神様のお世話したいの!小さい頃からずうっとお父さんと一緒に神社の仕事してきたんだもん、私は・・」

 「いらん。」

 一輝は速火若彦を見た。

 「世話する必要は無い。」速火若彦はあぐらに腕組みで言った。「お前の世話がなくてもなんとかなる。」

 「・・・・」

 「掃除は毎日じゃなくてもいい。たまに総代や光之がやるぐらいでいい。飯もなきゃなくてもいい。お前は・・お前はここにいない方がいい。」

 「・・・・!」

 言葉もない一輝・・浩之は目を伏せ、そして言った。

 「一輝、まず学校のものと2,3日分の着替えを持ってきなさい。足りない分は後で光之と取りに来ればいい。」

 「お父さん!」

 「言うことを聞きなさい、一輝。」

 「・・いや。」

 「虎杖の家はよくしてくれる。心配いらない。」

 「分かってるよ。私、虎杖の家がイヤで言ってるんじゃない。私は・・私はお父さんと一緒に苦労して護ってきたお社を、放り出したくないの!」

 再び流れる沈黙・・

 浩之と光之、克隆、順一郎は一輝の言葉が本物だと知っている。

 暑かろうが寒かろうが毎日社と境内の掃除を欠かさず、祭りや外祭(神社の外で行う地鎮祭など)があれば買い出しや準備を手伝い、社務所で参拝客の応対をし、祭具の手入れや授与品(お守りなど)の在庫管理と発注から神社の会計まで、一輝はこなしていた。そのほか家の家事もやっていたので、一輝は中学高校と帰宅部である。

 「はー・・」ため息をついて髪をぐしゃ、とかく速火若彦。「ったく、わがまま娘が。」

 「なんでよ。」

 速火若彦は一輝を見た。

 「危険なんだよ。」

 「なにが。」

 「色々と。」

 「だから何が。」

 「・・色々だ。」

 「あのさ。ちゃんと説明してくれる?頭の悪い私にもよーく分かるように。何が危険なのよ。」

 「・・命だ。」

 「は・・?!」

 「いや、まあ、すぐってわけじゃねえけどな。」

 「え・・じゃあ、近々?」

 「そこまでも近くねえ。ていうか、俺らは・・ここにいる全員は、それを阻止してえんだよ。だから虎杖の家に行け。あそこは常に誰かいる。安心安全だ。」

 「ちょ・・何なの、何で私の命がヤバいのよ。」

 「あー・・」

 「若彦様、私が説明いたします。」

 浩之が引き取った。光之達3人が緊張する。

 「一輝、父さんはテビレ・イルヴァイという人間と・・喧嘩しているんだ。こいつが

父さんを逆恨みしていて、お前にも危害を加えるかもしれないんだ。」

 「私にも・・?」

 テビレ・イルヴァイという名前を心で反芻しながら、続きを聞く。

 「ヤツに始めて会ったのは20年前だ。父さんが東京に出張したときに、ある女性にかかっている呪いを解除した。それがヤツがかけた呪いでな。怒ったヤツがもう一度呪いをかけようとしたのも父さん達が止めたものだから、まあ・・目の敵にされてな。」

 「20年前から・・根に持ってるってこと?」

 「そうだな。」

 「で、今は?」

 「四ノ宮市のどこかに潜んで、恨みを晴らそうとしている。」

 「うえ。」

 一輝は思わずうめいた。見も知らぬ人間の執念深さ、それが身の回りの、でもどこにいるのか分からないのが気持ち悪かった。

 「ちなみにその呪いにかかってた女ってのが、お前の母親だ、一輝。」

 羊羹を切りながら速火若彦が言った。

 「え。」

 一輝の母・初見(はつみ)は一輝が3歳のとき、がんで亡くなっている。

 「がんは呪いとは関係ないがな・・当時東京で会社務めをしていた初見が同僚のストーカー男のプロポーズを断ったら、アホなその男が、ちょうど日本に来ていたテビレに呪いを依頼したんだよ。」

 「じゃあ、お父さんとお母さんのなれそめは。」

 「呪いだ。」

 「うわー、マジで。」

 「お前にもつながる腐れ縁だ。いや、悪縁だ。俺らは何とかして断ち切りたいが、その過程で何が起きるか分からん。だから、お前を一人にしちゃおけねえんだ。」

 「そ・・そんな、危ない人なの、そのテビレって人。何やってる人なの?」

 「呪術師だ。依頼を受けて人を呪うのを生業としている。ヨーロッパじゃその筋で名が知れてるそうだ。西洋魔法の黒魔術師ってやつだな。おい、聞いてるか?」

 「ね・・まさか、お父さんが亡くなったの・・って、ホントは・・」

 「いや、ちがうよ、一輝・・父さんは子犬をかばって車にぶつかってしまったんだ。」

 だから交通事故だよ、聞いて一輝はほっとした。父が呪われて死ぬとか、ひどい話だ。

 「一輝、テビレってのはな、見た目は普通の中年親父だ。つるっぱげで耳と鼻がとがっていて、目が濁っている。あと、昔の手品師みてえな黒いマントを羽織っている。だからこういうヤツを見かけたら逃げろ。」

 「逃げる、て。」

 「間違っても抵抗とかしちゃダメよ。すぐ走って逃げるのよ。」

 と、出水姫が言い、早蕨姫も、

 「長い間一人でいてはダメよ。なるべく人が多い場所を歩くようになさい。」

 と、まるで対痴漢のような対策を授けてきた。

 「そうだな・・後ろ暗い人生で人目は避けているらしいから、人が多いところを選んで歩くのは有効だろ。」

 「えっと・・つるっぱげで・・耳と鼻がとがってて、黒いマントの中年おじさん。それを見かけたら逃げる。」

 「そうだ。逃げろ。」

 「ん?」一輝は学級担任である出水姫を見た。「先生、そんなヤバい人がいるんなら学校、公休ってことには・・」

 「ならないわよ。悪い呪術師がいるから休ませてとか、通るわけないでしょ。」

 「ちっ。」

 「舌打ちするんじゃねえよ。よくこんな時に学校休むこととか考えるな。授業に出ろ。これ以上成績下げるんじゃねえ。あ、浩之、お前一輝の中間テストの成績知ってたか。赤点が5教科のヤツだ。」

 浩之が固まる。

 「あ、赤点が5教科?・・一輝?」

 一輝は遠い目でサッシの向こうの庭を見た。出水姫が咳払いして、

 「浩之・・ちょっとここで二者面談やってかない?ホントは夏休みにやるんだけど、緊急事態というか・・まあ、あんたが生きてたら親を呼び出す流れって言うか。」

 「面目次第もございません。何分男手一つで育てた娘で、不行き届きな点が多々ございまして。」

 「あの、兄さん、俺達そろそろ一度帰ろうと思うけど、一輝ちゃんは・・」

 「ああ、うん。」浩之は少し考えて若彦を見た。「若彦様、一輝とはもう少し話し合いたく思います。もちろん、虎杖家に行く方針は変わりありませんが・・その間一輝の身は私が全力で護ります。2日、2日いただけますか。」

 一輝が見たこともないような厳しい顔で浩之は言い、速火若彦に頭を下げた。

 「・・親のお前がそう言うなら、しょうがねえな。」

 ため息交じりに言い、速火若彦は茶の最後の一口を飲み干した。

 浩之は光之達に詫びと礼を言い、玄関まで送った。丹生彦は光之の、早蕨姫は克隆の車で帰ったのだが、出水姫は残っている。

 「じゃあ、面談しましょうか。」

 「出水姫様・・いえ、水分先生、このたびの一輝の成績は・・」

 「そうねえ。神職の免許が取れる大学に行くのが至難の業なのは、火を見るより明らかだわ。火の一族だけにね。まだ1年生とはいえ、ちょっと油断しすぎっていうか。」

 「やはり神社業務を少し削らねばなりませんな。」

 「だから、社の世話はいらん。そういう意味でもな。」

 二者面談なのに、速火若彦まで参戦し始めた。

 いらないわ、と思いながら、一輝は湯飲み茶碗を洗っていた。

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