神様はどこにいる?

下藤じょあん

<朱鳥一輝>-1

 ここは某県四ノ宮(しのみや)市の南に位置する創建1700年の古社、朱雀神社。

 5歳の私は、自宅の隣にある神社の境内にいた。傍らにはお父さんが、白衣と紫色の袴姿で竹箒を持って立っている。私はその日、保育園でお友達とケンカしてお父さんに怒られていた。

 『だってたっくんが、あーちゃんをなかせたんだよ。』

 『だからといってすぐに叩くのはだめだ。まずダメだよとお話ししなさい。』

 『はーい。あ、イツキもおやしろ、おそうじするー!』

 『まったく・・わかっているのか?』

 お父さんがため息をつく側で私はいつものように雑巾を握る。冷たい水もなんのその。

 『イツキはしょうらい、おとうさんといっしょに、おやしろのおせわをするの。だから、水がつめたくてもがんばる。ねー、おとうさん、おとうさん。』

 『ん、どうした、一輝(いつき)。』

 『ここはかみさまのおうちなんだよね?』

 私が指さす方には、古びた小さい社が建っている。

 『そうだ。我が家が代々お祀りしてきた、御祭神の速火若彦(はやひのわかひこ)様がいらっしゃる。だから指さしてはいけないよ。』

 『ね、かみさまもケンカするの?』

 『若彦様はこの辺りの悪いものから皆を守ってくださってるんだ。その時だけはする。』

 『せいぎのみかただ!てきのそしきはなんていうの?おきゅうりょういくら?』

 苦笑するお父さん。

 『お給料は出ない。そういうものはなくても、やってくださるんだ。』

 私は感動した。報酬もないのに皆のために戦ってくれるなんて!

 『ね、かみさまってつよい?』

 今度はにっこり笑ったお父さん。

 『ああ、お強いぞ。強いだけではなく、心の温かいお方だ。たまにやさぐれるが・・』

 『イツキ、かみさまにあってみたいなあ・・』

 笑っていたお父さんの笑顔がふと、曇った。それからしゃがんで私の肩に手を置いた。

 『いつか会える日が来る。父さんの手でお前を会わせてやれる日が、必ず。』

 真剣な顔でそう言ってから、また笑い、私の頭をなでた。

 なぜお父さんの笑みが途切れたのか、その時の私にはわからなかった。ただ、幼かったからだけではない。

 その理由を、お父さんがずっと私に隠していたからだ。

 それから11年・・私が高校1年のとき、お父さんは亡くなった。


<朱鳥一輝>

 数日前に交通事故で亡くなった父の葬いが今日で終わり、涙も涸れかけた頃。

 朱鳥(あかみとり)一輝(いつき)は8畳の居間に座っていた。

 疲れと悲しみで頭がぼーっとしている中、ずいぶん涙が落ちたな、クリーニングに出さなきゃかな、と考えながらスカートのひだを見ていた。

 名前を一輝、と書くが、某県立四ノ宮高校に通うれっきとした16歳の女子高生である。

 背中の中程まで伸びる髪は先端で緩く波打ち、目は日本人にしては少し明るい茶色である。これは彼女の血筋に現れる遺伝的特質で、父の祭壇を置く続きの8畳間に座る叔父・虎杖(いたどり)光(みつ)之(ゆき)にもその髪と目が受け継がれている。

 その叔父は向かい合って座る2人の男性と、時々小声で何か話し合っている。一番背が高くてがっしりした体つきの竜井克(かつ)隆(たか)、まあまあシュッとしている玄住順(じゅん)一(いち)郎(ろう)の2人だ。

 小声なのだが、それでも「遅いな、・・様・・」と言う言葉が聞こえた。まだ誰か弔問に来るのかと一輝は思った。来そうな人はもうほとんど来ている。

 (“様”って言った?)

 聞き違いだろうか。そんな偉そうな誰が来るというのか。

 (市長さんとか?)

 (でも、いくら市長さんでも様はないよね)

 亡くなった父及び今一緒にいる叔父達3人は市長と顔見知りでもおかしくはない。

 父達4人はこの四ノ宮市の名の由来となった四つの神社の宮司である。

 創建1700年を誇るこの4社は通称“四(よ)つ宮”と呼ばれ、四ノ宮市では古来から信仰を集めてきた。選挙があれば必勝祈願に来る者も多い。

 (いや、違うなー)

 一輝は小さい頃から宮司の父の手伝いをしてきたが、そんな偉いさんが来た記憶は無い。

 (ウチは他のお宮と違うもんね)

 ふと、外を見やった。

 風で時折揺れるサッシの向こうに、社の屋根が見える。人が20人も入れば一杯になる、最後の立て替えが明治の頃という古い小さな社だ。小さいも小さい、実は四つ宮の中で建物も敷地も最小を誇る。

 祀っているのは四柱の祭神の中で最も高位にある神であるにもかかわらず、だ。

 そんなことを考えながら一輝は立ち上がり、こけた。

 「一輝ちゃん?!大丈夫?」

 「だ、大丈夫、足がしびれたの。ちょっと2階に行ってくるね。」

 心配そうな叔父に笑顔を見せて、一輝は階段を上がって廊下の右側の亡き父の部屋に入る。父の使っていた箪笥の一番下の引き出しを開け、たたまれたブリーフをよせると、古いお菓子の缶があり、中には銀行の預金通帳と印鑑が入っていた。恐る恐る通帳を開いて・・

 「・・っ・・やっぱし。」

 残高を見てうめき、階下に戻る。

 「どうしたの、一輝ちゃん。」

 「生活費が・・ヤバいの。」

 「あ。」

 「ゼロじゃないけど・・ヤバいの。・・あっ。もう一つヤバい・・来週、お祓いが入ってるんだった。」

 「おっと、お祓いか・・」

 光彦は克隆と順一郎を見た。一番年長の克隆が腕を組む。

 「その関係のことだけ先に話しておくか・・一輝ちゃんも心配だろうしな。」

 うなずいた光之は膝を進めた。

 「一輝ちゃん。唐突だけど、これからは僕のところで暮らそう。」

 「え・・虎杖の家で?」

 光之は一輝の一輝の亡き父浩(ひろ)之(ゆき)の実弟で、四つ宮の一つ玄武神社に婿入りしている。妻は虎杖神社の娘の冬美、二人の一人娘の楓果は一輝には同い年のいとこに当たる。

 「冬ちゃんとは話がついてる。ていうか冬ちゃんが来て、って言ってるんだ。楓果と二人、大学を出るまでちゃんと僕らが面倒を見るから。」

 「そうした方がいいと俺達も思うよ。」順一郎が言う。「一輝ちゃんはまだ16歳だ、一人暮らしはちょっと・・生活費も心配だけど、不用心だよ。」

 うなずいて克隆が続けた。

 「今まで浩之が行っていた三ツ宮地区のお社には俺達が分担して行くから、そこも安心していいよ。」

 「・・・・」

 自分の知らない間にその辺りの話がまとまっていたことに、一輝は軽くショックを受けた。父と共に先祖代々護ってきた神社の仕事を、大人並みにしてきたという自負があったので、頭越しにそんな話が決まっていたのはイヤな気がした。

 ・・また涙が出てきた。

 「まだ泣いてんのか、一輝。」

 不意に頭の上から声が降ってきた。

 叔父達がなにやら動く気配がする・・見れば、今までバラバラに座っていたのが、一列に正座で並び、そろって下げた頭を上げているところだった。

 「?!」

 何事かとよく見ようとしたが、視界がふさがっている。

 誰かが一輝の前にしゃがんでいた。ティッシュが2枚差し出される。

 「あ、すいません。」

 「鼻もかめ。」

 「あ、はひ。」言われるままズビーと鼻をかみ、涙を拭いて・・「どちら様?」

 顔を上げた。

 最初に見えたのは、薄茶色の瞳だった。一輝も瞳の色は薄いがさらに薄い、日本人離れした目の色だ。緩く波打つ髪も光が当たると金色に光る茶色。片耳にシルバーのピアスが3つ4つ見える。少々タレ目だが、結構なイケメンがそこにいた。

 「ティッシュはもういいか?」

 「・・はい、ありがとうございます。ところで、どちら様でしょう?」

 弔問客か。しかし、父の知り合いにこんな茶髪の若い人がいたとは。

 (人手が足りなくて民生委員したときもあったから、その時のお知り合いとか?)

 「あ、父はそちらです。」

 祭壇を見せ、茶を煎れ、茶菓子を用意するが、

 「知ってるよ。」

 男はあぐらで座り直した。白シャツにジーンズ、裸足というシンプルな出で立ちだった。

 「ああ、茶はくれ。小腹が空いた。」そう言って、茶菓子のかりんとうを2つ食べてから、「光之、何か説明はしたか?」と、問う。

 呼び捨てで呼ばれた光之は、しかしこともなげに、

 「はい、これからの生活のことを少し。」

 と答える。若彦と呼ばれた男はさらにかりんとうを食べ、「そういうわけだから、一輝、お前は明日から虎杖の家に行け。」と、言った。

 「・・は?」

 「は、じゃねえよ。お前を一人にしちゃおけねえからな。」

 「・・はあ。」

 「はあって何だよ、お前、話が見えてねえんじゃねえのか?」

 「話って・・てか、あの、どちら様です?」

 「ん?」

 「申し訳ありません、若彦様。」克隆が割り込む。「おいでになってからの方が良いかと思いまして、若彦様のことはまだ一輝ちゃんに話しておりませんでしたし、虎杖家に行く話も今したばかりです。」

 「そうか・・まあ、そうだな。実物見ねえと納得できねえか。」男は一輝を見た。「俺は若彦だ。ここの社の祭神だ。以上。分かったか?」

 「・・・・」

 「お前な、いくら学校の成績が240人中200番だからって、自分が普段掃除やらやってる社の祭神の名前を忘れてんじゃねえよ。」

 「テストの順位言わなくてもいいよ!」叔父達の前であまり芳しくない成績を披露された一輝は赤くなって反論した。「しかもそれは去年の期末テストの順位!今回は!・・・」

 「どうした。」

 「・・・・」

 「まさか、下がったんじゃねえだろうな。」

 「・・・・」

 「おい、240人中の200番からさらにか?さらに下がったのか?!」

 「ちょっとだけだし。」

 「マジかよ。何が悪かったんだよ。赤点とったのか?どの教科だよ?」

 「数学と物理と生物と英語二つ。」

 「とりすぎだよ。なんで5つもあるんだよ。」

 「・・・・」

 言われなくてもそんなことは重々分かっている。だが。

 「私のテストのことはいいんです。どちら様ですか?お父さんの知り合いですか?」

 腕組みして考えていた男は、信じられないものを見る目で一輝を見た。

 「お前、国語もヤバいのか?さっき、ここの祭神だって言ったろうが。」

 「国語は60点だよ!そうじゃなくて!祭神って何よ!あなたがウチのお社の神様ってこと?!」一輝はびしっと男を指さした。「信じられるわけないでしょ!」

 あちゃー、と克隆が頭を抱えた。

 そりゃそうだよな、と順一郎がつぶやく。

 「い、一輝ちゃん、落ち着いて。」光之が慌ててやってきた。「この方はね、ホンモノ。本当にここのご祭神の速火若彦(はやひのわかひこ)様なんだ。」

 一輝の眉間にしわが寄る。

 「え~・・?いや~、無理無理無理無理、信じらんない。だってさ、神様って、白い着物着て、白いズボンはいて、八の字みたいな髪くっつけてるじゃん。片耳ピアスとかしないでしょ。」

 「くっつけてねえよ。」と、速火若彦。「あれは“みずら”っつって、ああいう髪型なんだよ!何でアレを結ってねえかつーとだな、天パーで結いにくいから止めて、髪も切ったんだよ!服?服はな、好きで着てんだよ、ピアスも趣味でやってんだよ、悪いか?!お前だって夏になりゃ、好きで太もも丸出しの短パンとかはいてんじゃねえか!」

 「ふと・・ちょっと、そういうのセクハラだよ!やっぱ信じられない、神様がセクハラかますとかないわ!てか、その言葉使いもどうなのよ、神様だったらもうちょっといい言葉使うでしょ!」

 「けっ。」

 「“け”?!」

 「神だからって、みんなお行儀がいいと思うな。」

 開いた口がふさがらない一輝。

 眉間をもむ光之、克隆、順一郎。

 そして湯飲みを差し出す速火若彦。

 「一輝、茶、もう一杯くれ。」

 「今の流れで、よくお茶のおかわりとか要求できるね!」

 「のど渇いてんだよ。」

 振り向けば叔父達が一斉にうなずき始めた。目で、早くお茶をと訴えてくる。

 何なのだ。

 この、そこいらによくいるちょっとやさぐれた若い男にしか見えないヤツが、ここの神社の祭神だと、本人だけでなく叔父達までが全力で主張してくる。

 父と共に物心ついた頃から朱雀神社の祭神に仕えて十有余年。

 周りの子ども達が大人になり、神の存在を否定し初めても、一輝は同調しなかった。が、だからといって神という目に見えないものが実際に存在するとまでは思っていなかった。たとえ家が神社の宮司の家でも、そこまで妄信的な信仰をしているわけではない。

 「その割、社の掃除は丁寧にやったりしてんじゃねえか。」

 「や、だって・・もし神様が本当にいたら、汚いのはイヤかなって・・」

 「それでいいんだよ。信心なんてその程度で。」

 分かるような分からないような答えを返して茶を飲む速火若彦。

 と、玄関のチャイムが鳴った。

 一輝が出ると、女性が二人と少年が一人立っていた。


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