10-2

 冬の乾いた空気が頬を刺す中、水車小屋の周りには十数人の村人が集まっていた。自前の工具や古い木材を持参する者もいる。

 水車の修理は村の生活を左右する重要な作業だ。村人たちは進んで協力しようとしているものの、王子が指揮を執ることに対しては、不安も感じているようだった。

「本当に王子様に任せて大丈夫なのか」

「途中で飽きたとか言って、放り出すかもな」

 そんなつぶやきが、村人たちの間で小さく交わされていた。

「今日は損傷部分の解体作業と、森へ行って木材の調達、加工をしていきます」

 エリックが皆に聞こえるよう声を張る。商人として各地を巡っているという彼は、たまたまこの村に滞在していたらしい。

 本業は商人だが、建築物に関心を持ち、自分の街の水車小屋で修理を手伝った経験がある。専門の水車大工の下で基本的な構造を学んだようで、非常に頼もしい戦力だ。

 エリックの説明が終わると、昂生が一歩前に出た。村人たちの視線が一斉に集まる。

「安全第一でいこう。痛んだ部分の側とか上を通る時は気を付けて。道具のチェックもやって、事故防止の安全網も張る。無理すんなよ。体調悪くなったらすぐ言って」

 その具体的な指示に、村人たちに意外そうな表情が浮かぶ。

「全員、皮手袋付けたか?よし、始めるぞ」

 作業が始まると、昂生は自ら先頭に立って指示を出し、率先して動いた。重い木材を運び、高い屋根上での危険な作業も躊躇なくこなす姿に、村人たちは驚きの目を向ける。

 最初は様子を伺うよう遠巻きに接していた村人たちも、次第に昂生に積極的に話しかけたり、作業の相談をするようになっていた。

「解体ん時は、皆で声かけ合って!一、二、三でいくぞ!」

 昂生の指示に、村人たちも各々声を上げる。

「せーの!一、二、の、三!」

「そっち崩れるぞ!」

「頭気を付けろ!」

 バキバキと大きな音を鳴らし、腐った屋根板がはがれ落ちる。人々から「おおー」と歓声が上がった。昂生が汗を拭いながら、木片を覗き込んだ。

「中までグズグズだ。よく今まで持ったな」

「本当ですね。でもこれでやっと、新しい板に変えられます」

 エリックの言葉に、昂生は「よし」と立ち上がる。

「みんな、新しい木材で組み直すぞ」

 村人たちから活気のある返事が湧いた。

 伊織も自分の作業の手を留め、昂生たちを手伝おうと解体された木材を手に取る。結構な重さのあるそれを運ぼうと顔を上げると、昂生が目の前に立っていた。

「伊織、お前は重いの運ぶなよ。危ない」

 伊織は静かに息を吐き、一旦持っていた木材を下ろす。そして、さらに二、三枚を重ね、腰をしっかり入れ再び持ち上げた。

「お気遣いありがとうございます」

「おい、そんなにたくさん――」

「王子、邪魔です。退いてください」

 伊織は昂生の制止を無視して、重ねた板を抱えたまま歩き出した。

 昂生は伊織をか弱い女性のように扱うことがある。まったくに腹立たしい。日本の成人男性の平均を大きく超える、自分の体格や体力を基準にするなと言ってやりたい。

 その後も初日の工程を順調にこなし、日が傾く頃には水車小屋の骨組みが姿を現し始めていた。村人たちの顔には疲労の色も見えるが、それ以上に充実感が漂っているようだった。

 伊織も久しぶりの肉体労働で身体は疲れていたが、気持ちはなんだかすっきりしている。

 夕食後、風呂に入り布団に潜り込んだら、すぐに睡魔が瞼を重くした。昂生と一緒の部屋どころか同じベッドでも、この調子なら特に問題ないなと思いながら、伊織は落ちるように眠りについた。

 翌日以降も、修理作業は予定通り、大きな問題もなく進んでいった。

 昂生は相変わらず伊織に対して、「手袋付けた?」「あんま板の上歩くなよ」「そっち行っちゃダメ。危ないから」など、過保護っぷりを発揮してくるけれど。

 水車の軸の補強作業を終え、水車の羽の製作と取り付けが始まる頃には、昂生も伊織も、村人たちとだいぶ打ち解けていた。

「ヤバい!待って、……っよし!」

 昂生が革製のボールを胸でタップすると、その俊敏な動きに歓声が上がった。

「王子ナイスです!」

「次の奴、落とすなよ!」

 昼食後の休憩時間、昂生は村人たちとボールを使って遊んでいる。何回地面に落とさずパスが通るかのゲームらしい。

「記録更新いけるぞ!」

「十八、十九、……二十!」

「やったー!新記録!」

 派手な騒ぎが起こり、どうやら連続パス繋ぎの記録が更新されたようだった。昂生を中心に参加者たちが円陣を組みはしゃいでいる。

 伊織はその様子を眺めながら、本当にタフな男だなと感心する。昂生は村人の誰よりも働いている。朝早くから重い木材を担ぎ、高い場所に登り、汚れるのも構わず土を運ぶ。だからこそ、それを間近で見ている村人たちは昂生に心を開いていったのだろう。

「それにしても、あの水車はずいぶん大事に使ってたのにな」

「そうだよな。最新のものだって聞いてたのに、すぐ壊れちまったよ」

「確か、隣国の技術者が設計したんだろ?」

 村人たちの会話を耳にした伊織は、興味を引かれて尋ねた。

「隣国というと、アルカディア国のことですか?」

「ええ、そうです」

 村人の一人が答えた。

「なんとかって協定があって、かなりの金をかけて設置したって話なのに」

 伊織はその話を聞いて、眉を寄せる。

 確かにフィオレ王国とアルカディア国の間には協定が結ばれている。フィオレが資源や物資を提供し、アルカディアが技術力や先進的な機械を提供することで、両国の発展を目指すというものだ。

「正直、アルカディアが最新の技術力を持っているとは思えない水車ですね」

 エリックが怪訝そうに首を傾げる。

「……というと?」

「そうですね。……まず、水車の軸受けの設計が粗雑です。摩擦を減らす工夫が足りないため、すぐに磨耗してしまいます。それに、水車の羽根の形状も効率が悪い。水の力を十分に活かせていません」

 エリックは一息つき、さらに付け加える。

「これらの問題は、基本的な技術さえあれば避けられるものばかりです。……最新技術どころか、かなり古い設計に見えます」

 エリックの話は、伊織の疑惑を深めた。協定の内容と実際の製品の品質に、大きな乖離があるようだ。――もしかしたらこの問題の背景には、単なる技術的な欠陥以上のものがあるのかもしれない。

「よーし、作業再開するぞー」

 昂生の元気な声に、意識が引き戻された。村人たちが作業に戻り始める。伊織も再び水車小屋へと向かいながら、後でこの件について詳しく調べようと心に留めた。

 その夜、部屋の火鉢に当たりながら、伊織はアルカディアの史書を広げていた。ページをめくるたびに、伊織の疑惑は確信に変わっていく。

 アルカディアの技術水準はフィオレ王国よりも高い。けれど、この村の水車は設計や素材の選択など、明らかにレベルの低いものばかりが採用されている。――この村の水車だけがたまたま?そんなことがあるのだろか。城に帰ったら、隣国との条約について調査の必要がありそうだ。

 ふと、本の余白に書かれたアルカディア語の注釈に目が留まる。簡単なアルカディア語は少し読めるようになったけれど、専門用語にもなるとまるで理解できない。

「何読んでんの?」

 伊織が顔をあげると、風呂から出たらしい昂生が、伊織の肩越しに本を覗き込んでいた。

「アルカディアの史書。でも、この注釈が読めない」

「ふーん……ここ?『水力の効率的利用について』って書いてある」

「――え? 昂生、アルカディア語が読めるのか?」

「うん。なんか読める」

 当たり前のように答える昂生に、伊織は驚き、けれどすぐに納得した。昂生は王子だ。外国語の教育を受けているのは当然かもしれない。

「それじゃ、これは――」

 伊織が読み切れていない部分の翻訳を頼もうかと思ったが、大きな欠伸をする昂生に、思い留まる。

 とりあえず、アルカディアのことは城に戻ってからにしよう。

 伊織は本を閉じると、蝋燭をベッドまで移動させる。

「あー、今日もめっちゃ働いた」

 昂生は大きく息を吐きながら、ベッドに身を投げ出した。

「火消すよ」

「うん」

 伊織はふっと蝋燭を吹き消し、いつも通り昂生の隣に横たわった。一つしかないベッドを二人で共有する生活も、もう一週間が過ぎようとしている。

 連日の肉体労働で布団に入ればすぐに眠ってしまい、気づけば朝だ。初日に思った通り、一緒のベッドでも少し狭いことを除けば、それほど問題はない。

 ただ、朝は毎日、昂生に抱きかかえられた状態で目が覚める。昂生本人も無自覚に、そうなってしまうらしい。――まあ、このくらいは許容範囲だし、この村にいる間だけだろうし。

「伊織、おやすみ」

 すぐ近くで聞こえる昂生のゆったりとした声に、伊織も小さく「おやすみ」と返した。

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