100 騒動

 「佐藤、土浦で三河会を仕切っているのは――"四柱"の深井玲子で間違いないか?」

 「はっ、間違いありません。補足いたしますと、同じく"四柱"の加藤昭彦も土浦に駐在しています」

 「"四柱"が二人……」

 柏が小さく呟く。

 楓は少し間を置いてから言った。

 「その二人の資料をまとめろ。特に深井玲子――本人だけでなく、家族、家系、関係者すべてだ」

 「承知しました」

 「他の者は随時動けるよう待機しておけ。外出は構わん。

 ただし、今、筑波には早乙女組の連中が集まっている。

 くれぐれも騒ぎを起こすな。――解散だ」

 「「「はっ!」」」


 会議のあと、楓は佐竹に連絡を入れた。

 主に千葉方面の情勢や、新型覚醒剤の量産・出荷に関する指示を出す。

 その一方で、稲村は柏と清水の肩を軽く叩いた。

 「よ、お二人さん。――ちょいと土浦に遊びに行かねぇか?」

 「土浦?」

 柏が眉をひそめる。

 「そうよ。せっかく茨城まで来たんだ、こんな田舎じゃ退屈だろ?」

 清水は苦笑して肩をすくめた。

 「いやぁ……でも、今は目立たねぇ方が……」

 「大丈夫だって。あっしらは会長や龍崎さんと違って、まだ三河会の"要注意リスト"には載っちゃいねぇ。な?」

 「……まあ、確かに」

 清水が少しだけ納得したようにうなずく。

 稲村は柏の表情を盗み見て、さらに言葉を重ねた。

 「それにだ、裏の流れも調べられる。今後の作戦の参考にもなるだろ?」

 「……そりゃ、確かに一理あるな」

 「だろ? いい飲み屋も知ってんだ。地元の名酒を味わって帰ろうぜ」

 その"酒"の一言に、柏の目がぴかっと光った。

 「――よし、事前の調査も大事だ。清水、行くぞ!」

 「えっ、調査ッスか? ただの飲みじゃ――」

 「うるさい、行くぞ!」

 稲村はニヤリと笑い、肩をすくめた。

 「決まりだな。――夜風にでも当たりながら、景気づけといこうや」


 「社用車はやめとこう。ナンバーで足がつくかもしれん」

 柏の一言で、三人はタクシーを拾った。

 筑波から土浦まで、およそ四十分。

 車窓の外には、田園と研究棟が交互に流れていく。

 整然とした街並みも、千葉とはまるで空気が違う。

 どこか無機質で、妙に静かだった。

 やがてタクシーが土浦駅前に停まる。

 稲村が料金を払いながら、周囲をぐるりと見渡した。

 「よし……裏通りはあっちだな」

 柏と清水も続き、三人は駅前特有の雑多な裏街へと足を踏み入れた。

 まだ日も高いというのに、暖簾の奥から焼酎と煙草の匂いが漂ってくる。

 稲村が暖簾を押し上げる。

 「昼酒ってのも、悪かねぇだろ?」

 「おお……うっまそうだな」

 柏の目が一瞬で輝いた。

 三人は奥の座敷へと足を進めた。

 稲村は焼酎を一口あおり、満足そうに息を吐いた。

 「やっぱり地方の酒はいい。雑味がねぇ」

 「弘大さん、これほんとに"調査"なんスか?」

 清水が眉をひそめる。

 柏は徳利を傾けながら答えた。

 「バカ言え、調査も酒も紙一重だ。……ほら、飲め」

 「絶対、飲みたいだけっスよね」

 「お前なぁ、現地の情報は地酒に宿るんだよ」

 「どんな理屈だよ、それ」

 三人の笑い声が、狭い居酒屋の中に響いた。


 裏通りで二軒目をあおり、夕方まで飲み歩いた三人は、ようやく表の大通りへ出た。路地と違って風が冷たく、酔いが多少醒めるかと思いきや、柏は電柱にもたれかかって戻す仕草を繰り返している。

 「だめだ、だめ――ゲボッ、こんな量で酔うかよ」

 稲村が肩を揺らして嘲笑う。清水もふらふらと歩幅を合わせる。

 交差点の赤信号で車が止まる。運転席から、男の声が低く漏れた──

 「玲子様、あそこを…」

 後部座席の、"玲子"と呼ばれた人物は窓を少し下げて外を覗き込む。薄く目を細めると、酔っぱらい三人の姿が目に入った瞬間、顔にわずかな変化が走る。

 「――あの茶髪とアイパーは……」

 彼女の声は小さく、だが確信に満ちていた。

 あれはあの日、小宮山を殺した犯人のうちの二人だ。

 「すぐに拠点へ連絡を……いや、信頼できる者を呼んで来い。あの三人を、絶対に逃してはならん」

 「はい」


 十数分後。

 まだふらつきながら路地裏へ入った稲村は、電柱の影で立ちションをしていた。

 「ああ、気持ちぃぃ……」

 「おい、こんなとこでやめとけって!」

 清水が焦って止めるが、稲村は聞く耳を持たない。

 そのとき、路地裏の入り口に数名のスーツ姿の男たちが現れ、通り道を塞いだ。

 不穏な気配に、三人の酔いは、一瞬で吹き飛ぶ。

 「……なんだてめぇら」

 スーツの男たちは無言のまま、冷たい視線をこちらに向けてくる。

 その足取り、ただの通りすがりではない。

 柏が一歩前に出て、吐き捨てるように言った。

 「おいおい、なんか言えよ。連れションの仲間でも欲しかったのか?」

 その声と同時に、柏は背後で手信号を出す――"逃げろ"の合図。

 だが、まるでその意図を読んでいたかのように、反対側の出口にも数人の影が立った。

 完全に――包囲されていた。

 「弘大さん、俺がなんとか逃げ道を開きます。お二人は先に逃げてください」

 清水は、いつの間にか鋭い刃のナイフを手にしていた。

 「こんな三下ども、正面からぶっ潰しゃいい」

 稲村もナックルをはめ、構える。

 清水は鴨川衆随一の戦闘員。速さでは、黒楓会でも指折りだ。

 稲村も、柏もまた、並の極道では太刀打ちできない。

 「……正面が薄い。合図をしたら、一気に突破するぞ」

 柏が低く告げる。

 「3、2、1――」

 三人が動こうとした瞬間、正面のスーツの男たちが列を割き、真ん中に道を開けた。

 「――?」

 現れたのは、一人の女。

 中性的な魅力と凛とした美しさを併せ持つスーツ姿。

 手には黒光りする金属製の扇子。

 「……やるッスか?」

 清水が低く唸る。

 「待て。様子を見る」

 柏が一歩前へ出て、低く言い放つ。

 「貴様、何者だ?」

 スーツの女は興味深げに柏を見据えた。

 「そなたらは、あの小宮山を手にかけた者たちであろう? 黒楓会の者よ」

 その言葉に、柏たちは一斉に目を見開き、反射的に武器を握り締める。

 「――!!」

 「な、なぜそれをっ!?」

 柏は歯を食いしばり、さらに詰め寄る。

 「貴様、俺たちが黒楓会だと知った上で、手を出そうってのか!」

 女は淡々と首を振り、小さく笑った。

 「案ずるな。そなたら――否、そなたを、拙宅へ招こうというだけだ」

 「何だって、俺が?」

 「弘大さんを!?」

 「断ると言ったら?」

 「無論、そなたには拒否権はない」

 その一言を合図に、スーツの男たちが一斉に銃を抜いた。

 乾いた金属音が、路地裏に響く。

 「……おいおい、こりゃ駅前だぞ」

 稲村が険しい顔で言う。

 「分かった。仲間に手を出さねぇって約束をしてくれりゃ、俺が行く」

 「危険ッスよ、弘大さん!」

 清水が叫ぶ。

 「心配すんな。それより――ここの状況を会長に伝えろ」

 「しかし――!」

 「いいから行け!」

 「悪い、柏。すべてはあっしのせいだ。必ず会長に伝える。……行くぞ、清水!」

 稲村は清水の腕を掴み、強引に路地の奥へと走り出した。

 柏は二人の背中を見送り、ゆっくりと両手を掲げた。

 「さて、顔だけは殴らねぇでくれよ」

 普段は冷ややかな瞳を向ける女が、わずかに笑みを漏らした。

 「ふふっ、賢明な判断だ。連れていけ」



 稲村と清水が黒楓会の臨時拠点に戻ったのは、それから一時間後だった。

 楓の前に立つ二人の額には、冷や汗が浮かんでいる。

 「……で、なぜ土浦に行った?」

 低く押し殺した声。

 「そ、それが……」

 稲村は怯えながらも、震える声で経緯を話した。

 ――パァンッ。

 楓の掌が、机を激しく叩いた。

 「騒ぎを起こすなと言ったはずだ!」

 「す、すみませんでしたッ!」

 二人は即座に土下座した。

 楓がここまで怒りを露わにするのは、久しぶりだった。

 その勢いのまま、古傷が痛んだのか、咳が込み上げる。

 「楓さん!」

 矢崎が慌てて駆け寄る。

 楓は片手を上げて制し、もう片方の手で口を押さえた。

 しばらく咳き込み、ようやく息を整えると、冷ややかな声に戻った。

 「……相手は、おそらく三河会の"四柱"、深井玲子だ」

 室内に重い沈黙が落ちる。

 楓はゆっくりと目を細めた。

 ――しかし、おかしな話だ。

 本来なら、正体を隠すために三人まとめて捕らえるはず。

 それなのに、なぜ稲村と清水だけを逃がした……。

 それに――あの女は確実に知っていた。

 小宮山を殺したのが黒楓会だということを。

 だが、そうであればなおさら――なぜ三河会は、ああいう動きを取った?

 楓が眉間に皺を寄せたそのとき、ドアが静かに開いた。

 「……何かありましたんですか?」

 入ってきた佐藤が、部屋の空気を感じ取って眉をひそめる。

 矢崎が小さく状況を説明した。

 「……なるほど」

 短く頷いた佐藤は、手にしていたファイルを楓の前に差し出す。

 楓は思考をいったん止め、ファイルに目を落とした。

 「これは……」

 「深井玲子の資料です」

 「よくやった。……ちょうどいいところだ」

 資料には、深井玲子の生年月日から、関わった事件の経緯、さらには家系に至るまで、詳細に記されていた。

 楓はしばらく黙して読み込み、ページをめくる手を止める。

 ――やはり、そういうことか。

 眉をわずかに動かし、思考が一本の線で結ばれたように、低く呟く。

 「もし俺の考えが合っていれば――柏は無事のはずだ」

 「本当ッスか!?」

 清水が顔を上げる。

 「ああ。あの女はおそらく、俺と接触しようとしている」

 「――!?」

 場にいた全員が息を呑んだ。

 「ならば、こっちが怯えている場合じゃない。――会ってみようじゃないか」

 「む、無茶です!」

 「そ、そうッスよ! 万が一、罠だったら危険です!」

 反対の声が次々と上がる。

 しかし楓は、まるで耳に入っていないかのように静かに言葉を続けた。

 「念のため、少人数で行く」

 「お供いたします!」

 矢崎が身を乗り出す。

 「あっしも行きます。あっしの責任なんで」

 「俺もッス! きっと役に立ちます!」

 口々に名乗りを上げる幹部たちをよそに、

 隅に立っていた龍崎が、静かにため息をついた。

 「……俺がいく」

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