第41話 娘と親

「はぁ、はぁ……」


「満身創痍じゃなぁ。じゃが、避けているだけでは妾には勝てないぞ」


 またしても扇子を振り上げられる。


 すぐに水奈の指示に従って動くが、最初の頃に負った傷が響き、動きが鈍くなっていた。


「ふふ。もうそろそろ終わりかのぉ」


 九尾は扇子を下ろし、息を切らす羅刹を見据える。


 体中に傷が刻まれ、血は止まらず流れ続けている。

 このまま止血もせず戦い続ければ、鬼であっても出血多量で命が危ない。


 そんな羅刹の無様な姿を見て、九尾はにんまりと笑った。


「残念じゃのぉ。お主はここで死ぬ。本当に残念じゃ。もっと本気のお主と戦いたかったぞ」


「はぁ、はぁ……――――はは。それは、どうだろうな」


 羅刹は、なぜか口角を上げ強気に笑った。

 その笑みに、九尾はピクリと表情を曇らせる。


 本来なら悔しがる姿を楽しみたかったのに、期待外れだったのだろう。


「何を言いたいのかわからんが、まぁよい。お主が死ねば妾も動きやすくなる。じゃから、ここで死ぬがよい」


 扇子を振り上げた瞬間、下の方が騒がしくなり、九尾も思わず視線を向けた。


 ――そこには、襲い掛かる男達を蹴散らす水喜の姿があった。


「何をっ――――!」


 水喜は九尾の視線に気づき、振り返りながら懐からクナイを取り出した。

 そのまま流れるように投げる。


 クナイは見事に、九尾の右手──扇子を持つ手に命中した。


 ――――大きな隙が、生まれた。


「今です!! 羅刹様!!」


 水喜の叫びと同時に、羅刹は九尾へと斬りかかる。

 防ごうともう片方の扇子を持ち上げたが、間に合わない。


 ――――ザシュッ


「っ――――」


 九尾の胸を、羅刹の刀が鋭く切り裂いた。


「がはっ!!」


 血を吐き、九尾は胸元を押さえてふらつく。


「う、嘘じゃ……。嘘じゃ!! 妾が……、まさか……」


 まだ息はある。

 羅刹は追撃しようと刀を振り上げた。


 だが九尾は、悔しげに顔を歪めながらも、一瞬で姿を消した。


「っ、待ちやがれ!!」


 周囲を見回すが、もう九尾の姿はどこにもない。


 焦る羅刹の耳に、風に流れるように九尾の声だけが届く。


 ――――今回はここで終わりにしてやるぞ、鬼と人間よ。

 次は、今回のようにいかぬからな。覚悟して待っておるがよい。


 それを最後に、九尾の気配すら完全に途絶えた。


「はぁ……はぁ……」


 羅刹は満身創痍。

 雪女と狗神も息を切らし、皆すぐには動けない。


 やがて、朝日が昇る。


 羅刹はゆっくりと地上へ降りていき、昼の姿へと変わった。

 そのまま身体がぐらりと傾く。


「羅刹様!」


 倒れ込む前に、水喜が飛び込みその身体を支えた。


「……水喜か。どうやら、九尾との決着はお預けのようだな」


「そう……みたいですね……」


 二人は朝陽の差し込む空を見上げる。


 終わった──そう思ったのも束の間。


 ――――タッタッタッ


 廊下の奥から足音。

 狗神と雪女が即座に警戒する。


 水喜と水奈も視線を向けると、羅刹も震える体を動かし確認した。


「――――なっ!?」


 そこに現れたのは、思いもよらぬ人物──水喜の両親だった。

 水喜は青ざめ、水奈は口を開けて固まる。


「母上……父上……」


 両親は、雪女と狗神を見て驚きながらも、九尾がいないことに焦りの色を浮かべた。


 そして、姉妹が寄り添っている姿に激しい怒りを見せた。


「何をしているの水奈!! そんな疫病神と一緒にいるんじゃありません!! 早くこっちに来なさい!!」


「そうだ水奈!! 早く来い!! 祓い屋としての仕事に戻るんだ!!」


 その言葉に、水喜は舌打ちを漏らした。


 額には怒りの血管が浮かび、握った拳には爪が食い込み血が滲む。


「水奈、羅刹様をお願い」


「水喜?」


「水喜姉さん?」


 ふらつく羅刹を水奈に渡し、水喜は二人の前に立った。


「何だ。お前のような疫病神に用はないぞ」


「そうよ!! 水奈に用があるの! 貴方は引っ込んでなさい!! この疫病神!!」


 昔の水喜なら「はいはい」と受け流しただろう。

 だが今は違う──怒りに飲まれていた。


 水喜は父の胸ぐらを掴み、そのまま右手を振り上げた。


「待って姉さん!! 殺しては駄目!!」


 水奈の叫びと同時に──乾いた音。


「いっ!?」


「ちょ、ちょっと!! 何をするの!!」


 水喜は父の頬をビンタした。


 母が叫ぶが、水喜の耳には届かない。

 視線も一切逸らさず、再び手を振り上げる。


「ブブブブブブブブ!!!!」


「ちょ、ちょっと!! 連続ビンタはやめなさい水喜!! 父の顔が変形するでしょ!! ちょっと! どこ見てるの水喜!! 無言やめなさい!!」


 父の顔が腫れ上がり、誰かわからなくなる頃、水喜は手を離した。

 父はそのまま気絶して倒れ込む。


 次の標的は母だ。


 母は恐怖か怒りか、震えながら水喜を見つめていた。


「な、何をするの!!」


 叫ぶ母に対し、水喜は冷静に──しかし内容は容赦なく告げた。


「母上、私は貴方と血が繋がっていない」


「っ、え……」


 大蛇から聞いた話をそのまま伝える。

 母の顔色が一瞬で変わる。


「ど、どこからその話を……」


「どこでもいいでしょ。それで──これからやるべきことは分かるわよね? 母上」


 黒い闇を湛えた瞳で、水喜は母へ顔を近づける。


「水奈は私と暮らす。祓い屋としての高浜家は畳んで。出来るだけ早く」


「そ、そんな……」


 ――――バキン!


「ひっ!?」


 母が反論した瞬間、水喜の足元の床が砕けた。

 母は震え、口を閉ざす。


「次に、私達に今後一切近づかないこと。そして最後に──自分達で金を稼いで、それを全部、羅刹様に融資すること」


「そ、そんな……私達に働けなんて……」


「別にいいよ? 働かなくても。母上ならまだ“女”としてやっていけるでしょ? 水奈のお金を勝手にエステやネイルに使ってたんだし。男に貢がせれば?」


 娘とは思えぬ冷酷な言葉。

 だが水喜の瞳は、まるで闇そのものだった。


「あぁ、そうそう。“断る”という選択肢はないから。もし断ったら──ある人に頼んで毒殺してあげる。のたうち回って苦しんで、地獄に落ちなさい。約束破った時も同じね」


 冷たい声に、母は震えるしかない。


「罪を償いなさい。水奈にしてきた仕打ちを思えば、軽いわよ?」


「で、でも……体を売るなんて……」


「どっちか選んで。普通の仕事か、そういう仕事か」


 その背中を見て、羅刹はガタガタ震えた。


「……我、絶対に水喜を本気で怒らせないようにする」


「その方がいいと思います……」


 水奈も、水喜の背中を見てただただ頷くしかなかった。

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