第2話 遠征

 遠征出発を明日に控え、騎士団の倉庫は普段以上の喧騒に包まれていた。もっとも、その喧騒のほとんどは、次々と運び込まれる物資の山を前に呆然と立ち尽くすカイトと、それを遠巻きに眺めて指示だけを飛ばす騎士たちの声によるものだったが。

「おいカイト、これも頼むぞ。壊れやすいから丁寧に収納しろよ」

「こっちの食料もだ。傷まないようにちゃんとしろよな」

「まったく、こんな量の荷物、普通の人間なら運びきれん。つくづく便利なスキルだな、〈収納〉は」

 騎士たちは口々に言いながら、重そうな木箱や麻袋をカイトの足元に無造作に置いていく。手伝う気配は微塵もない。カイトは黙って頷くと、右手を目の前の物資にかざし、意識を集中させた。

「収納……」

 短い詠唱と共に、カイトの手のひらから淡い光が放たれる。すると、目の前にあった木箱がふっとその姿を消し、カイトの中に構築された異空間へと吸い込まれていった。その感覚は、物を引き出しにしまうのに少し似ているが、もっとずっと抽象的で、意識の中に直接仕舞い込むような不思議なものだ。次から次へと、カイトは運び込まれる物資をスキルで収納していく。食料、水、テント、ロープ、予備の武具、矢、ポーション類……。その量は、通常の遠征の数倍にも及ぶのではないかと思えるほど膨大だった。


 霧の森深部への遠征だから、これくらいの準備は当然なのかもしれない。だけど……。

 カイトの胸には、拭い去れない不安が渦巻いていた。

 孤児院で育ったカイトは、人の悪意には比較的敏感な方だった。生き抜くために、相手の顔色や声の調子から、その真意を探る癖がついていたのだ。ゲオルグ隊長からは、あからさまな侮蔑だけでなく、もっと陰湿で計算高い何かを感じずにはいられなかった。

 そんなカイトの内心を知ってか知らずか、倉庫の入り口に、ひときわ目立つ人影が現れた。ゲオルグ隊長だ。彼は腕を組み、壁に寄りかかりながら、カイトの作業を値踏みするように眺めていた。その整った顔には、やはりあの傲慢な笑みが浮かんでいる。

「順調そうだな、カイト君。さすがは我が隊の『倉庫』だ」

「は、はい。ゲオルグ隊長」

 カイトは収納作業の手を止め、居住まいを正した。

「ところで、例の『アレ』はちゃんと収納しただろうな」

 ゲオルグは声を潜め、意味深な視線をカイトに向けた。

「『アレ』……ですか?」

 カイトが問い返すと、ゲオルグは周囲に聞かれないように、さらにカイトに近づき、耳元で囁いた。

「先日、私が個人的にお前に預けた、小さな黒い革袋のことだ。今回の遠征で『必要になるかもしれない』特別な品だ。絶対に他の物資と混同するなよ。そして、私が指示するまで、決して中身を確認したり、誰かに見せたりするな。もちろん、存在自体も他言無用だ。いいな?」

 ゲオルグが個人的に預けた黒い革袋。確かに数日前、彼は人目を忍ぶようにしてカイトにそれを手渡し、〈収納〉に仕舞うよう命じていた。中身は硬貨か何かのような、ジャラジャラとした感触だったが、ゲオルグの剣幕に押され、深く考えずに収納していた。

 特別な品って、一体……? 

 カイトの胸に再び疑念が湧き上がった。しかし、隊長の命令に逆らうことなどできるはずもない。

「……はい、承知しております。間違いなく、他の物資とは分けて収納してあります」

「よろしい」

 ゲオルグは満足げに頷くと、カイトの肩をポンと叩いた。その手つきは昨日と同じく、親密さとは程遠い、どこか値踏みするような感触だった。

「まあ、せいぜい頑張ることだ。お前の働きが、我々の生死を分けるのだからな」

 それだけいうと、ゲオルグは再び傲慢な笑みを浮かべ、ゆっくりと倉庫を後にした。その背中を見送りながら、カイトは革袋を収納した異空間の特定の位置を意識の中で確認する。確かにそこにある。だが、その存在が、まるで時限爆弾のように感じられてならなかった。


※ ※ ※


 翌朝、空はどんよりと曇り、霧雨がぱらついていた。まるでこれからの過酷な遠征を暗示しているかのようだ。騎士団の門前には、ゲオルグ隊の騎士たちが集結していた。彼らの顔には、いつもの自信に満ちた表情はなく、どこか不安げな色が浮かんでいた。霧の森深部という未知の領域への挑戦は、エリート意識の強い彼らにとっても相当なプレッシャーなのだろう。

 カイトは隊列の最後尾で、他の騎士たちから少し距離を置いて立っていた。相変わらず、カイトに声をかける者はいない。ただ、時折向けられる視線には、侮蔑だけでなく、「本当に大丈夫なのか、こいつのスキルは」といったような、疑念と不安が混じっているように感じられた。

「全隊員、揃ったな。これより、霧の森深部への遠征を開始する。各自、気を引き締めて任務にあたれ」

 ゲオルグが高らかに号令を発する。その声だけは、いつも通り自信に満ち溢れていた。

「目標は、森の最深部にあるとされる古代遺跡の調査だ。道中、いかなる危険が待ち受けているか分からん。だが、我々アルトリア王国騎士団の精鋭ならば、必ずやこの任務を成功させられるはずだ。行くぞ!」

 ゲオルグの言葉に、騎士たちが「おお!」と力の限り呼応する。そして、重々しい雰囲気の中、隊列はゆっくりと動き出した。目指すは、王国北東部に広がる、不気味な霧に包まれた広大な森。

 カイトは深く息を吸い込み、覚悟を決めて歩き出した。背負っている荷物は何もない。すべての物資は、彼の〈収納〉スキルの中にあるのだ。しかし、体は軽いはずなのに、心はずっしりと重かった。ゲオルグの企み、未知の森への恐怖、そして、自分に課せられた重すぎる責任。様々な不安が、冷たい霧のようにカイトの心を覆っていく。


 やがて、隊列は霧の森の入り口に到着した。そこは、まるで世界から切り離されたかのように、濃い灰色の霧が立ち込めていた。木々は奇怪な形にねじ曲がり、不気味な静寂が支配している。時折、森の奥から聞こえてくる正体不明の鳴き声が、不安をさらに掻き立てた。

「これより、霧の森に進入する。カイト、お前は常に俺の近くにいろ。いつ何時、物資が必要になるか分からんからな」

 ゲオルグがカイトに鋭い視線を向ける。

「は、はい」

 カイトは唾を飲み込み、返事をする。一歩、森の中に足を踏み入れると、ひんやりとした湿った空気が肌を撫でた。視界は数メートル先までしか効かず、背後で見ていたはずの王国の景色は、あっという間に霧の中に溶けて見えなくなった。まるで、もう後戻りはできないと告げられているかのようだ。

 カイトは強く拳を握りしめた。不確かだが、不穏な確信、それだけが霧よりも濃く胸に立ち込めていた。

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