第8話 “畳通りのホテル跡”
サークルカンパニーのビルは、畳通りに面していた。
正方形の白い紙で、“さすって、やぶいて、ポン”──というフレーズでテレビではCMも流れている。
用途は物を収納するだけだが、色のバリエーションが豊富だ。
一、二階にショップが入っていた。
チユは棚からフィルムで包装された巫女紙を一つ取り、表や裏を眺めた。
「買うの?」
ハルに訊かれ、チユは首を振った。
ハルはサングラスと黒マスクで顔を隠していた。
流石に山羊の姿で外は歩けない。
これなら怪しむ者はいない。
潜りたちが顔を煤塗れにしたり、動物のゴムマスクを被っているからだ。
それと同じだと思われているだろう。
だからオレンジ色のオーバーオールを着させ、それっぽく見せた。
チユの提案だ。
「一」の目は直視するとバレる可能性があるので、サングラスで隠させた。
「巫女紙ばっかりだね」
「雑誌や本もありますよ」
ビョークの姿があった。
「お待たせしました。それじゃあ、行きましょうか」
そう言ってすぐ、ビョークの視線が傍の平台へ向いた。
彼は平置きされている雑誌を一つ手に取ると表紙を見た。
同じものをチユも平台にあるものから確認した。
“ハーレー旅団、帰国の意向”──。
という見出しが目に入った。
“ハーレー”──。
つい最近、ハルの口から聞いた名だ。
〇
そこは空き地だった。
大きな正方形に近い土地には、石と雑草、砂利くらいしかなかった。
左右後ろの三方をビルに囲まれており、路地側に安価なロープで柵が作られている。
借地という看板もない。
「ここです」
ビョークがカバンからプリントの束を取り出した。
プリントには写真が印刷されていた。
「図書館でコピーしてきました。写真をよく見て欲しいんです。ハルタさんも見てください」
ハルにも見えるように、チユはプリントを低い位置で持った。
「見覚え、ありませんか?」
「山羊たちのホテルだ」
ハルが反応した。
「これ、あの丘にあったホテル?」
ビョークが頷いた。
一枚目の写真には、ホテルの外観が映し出されている。
浮遊島の、あの丘の頂上にあったホテルにそっくりだとチユは思った。
二枚目はエントランスや一階の各部屋。
「パーティースペースだ」
チユの手元に四枚目のプリントが見えると、ハルが言った。
「これは?」
「パーティースペースです。あの山羊たちがいた部屋ですよ」
火事で焼けた山羊を運んだ際、チユたちは三階までは上がらなかった。
階段で待機し、バケツリレーのように焼けた山羊を手渡してゆく、その列に参加しただけだ。
「ハル、この部屋を知ってるの?」
「うん。山羊たちがいた部屋だ」
「でもこれ、図書館で印刷してきたんでしょ?」
「はい」
ビョークが応える。
「あの晩は、ただホテルを見に行っただけです。カメラなんて持ってませんでしたしね。外観とエントランス、階段の手すりから何から、見える部分はすべて目で見て覚えてきました。パーティースペースもしっかり見てきました」
「どういうこと? これはいつの写真なの?」
浮遊島で会った男が言っていた。
あのホテルや山羊たちは、あの日の昼にはなかった。
火が落ちる前くらいに現れた、と。
「これは浮遊島のホテルじゃありませんよ。それは、かつてここにあったホテルの写真です」
ビョークが空き地を見た。
チユの頭が空っぽになった。要領を得ない。
何を言わんとしているのだろう、と思ったきり話がわからなくなった。
「つまりこういうことです。むかしここに建っていた、火災で全焼し取り壊されたホテルと同じものが、何故かあの浮遊島の丘にあった。それはあの“島酔い”した男の言葉から推測するに、僕らが登頂する前後に現れ、逗留者たちはそれを元からそこにあったものだと錯覚していた」
チユは呆然とした。
僕にもわかりません、とビョークがつけ加えた。
「どうしてこんなことが起きているのか……」
「ここに山羊たちのホテルがあったの?」
ハルが訊いた。
「山羊たちのホテルに似たホテルがあったんです」
空き地の隣のビル一階が不動産屋だった。
ショーウィンドウに物件情報のチラシが張られている。
「ちょっと聞いてみましょう」
ビョークはそう言いながら、不動産屋へ入って行った。
ハルを連れ、遅れてなかへ入ったチユは会話の途中から聞いた。
「ホテル?」
受付テーブルの向こうで男性スタッフが応じていた。
チユとハルに気づくと、先に入ったビョークの連れだと認識したのか、会釈して彼へ視線を戻した。その際、ハルの姿を見て奇妙に思われたかもしれないが、何も言われなかった。
ビョークの話を理解した男性スタッフは、思い出したよように繰り返し頷いた。
「すみません、お仕事中に」
「いえいえ、構いませんよ。隣の、火災のあったホテルですよねぇ」
「そうです」
やや迫るようにビョークは応えてしまい、苦笑を浮かべた。
男性スタッフの表情は柔和なままだった。
「よく覚えてます。わたしはその時間、すでに退勤していたんですが、翌日他のスタッフから伺いまして。確か、同窓会があったと聞いたような……」
「同窓会?」
「はい。その日は成人式だったんですよ」
なるほど、とビョークは顎を撫でた。眼鏡の位置をなおす。
「高校の同窓会ですか、それとも中学の」
「成人式のあとだから、中学の同窓会だと思います。ホテルの一室を貸し切ってるわけですし」
仲の良い友達同士で集まる同窓会とは違う、と男性スタッフは言いたいのだろう。それならホテルではなく、居酒屋など飲食店を予約するはずだ。
「確かに。どこの中学校かわかりますか?」
「流石にそこまでは……。六、七年前くらいのことですし。一校のみではなかったはずです」
男性スタッフは何か思いだそうとしてくれているようだったが、わからないと答えた。
ビョークは他にもいくつか質問したが、男性スタッフがわからないと答えると、諦めて不動産屋をあとにした。
火災があったホテルには、パーティースペースのような広い室内が階ごとにあった。
その日は、複数校が同窓会に使っていたという。
建物の見取り図は用意できなかったが、ビョークが準備した写真を見る限り、三階のフロアには複数両開きの扉が見られた。
「浮遊島のホテル三階は、パーティースペース以外、他の扉は全部瓦礫で埋まっていました。だから入れなかったんです。あっちも確認したかったなぁ」
「何が知りたいの?」
「ハルタさんの痕跡です。僕らはイカルガさんを蘇らせようとしていた。でも生き返ったのは彼女ではなく、ハルタさんだった」
ビョークはハルを見た。山羊のハルを。
「まだ疑わしいですけどね。でもきみがハルタさんなら、そういうことになる」
「僕はハルだよ」
「そう願います」
「ねえ、いまイカルガを蘇らせるとか言わなかった?」
ハルが訊いた。
「イカルガさんは亡くなったの」
ビョークが言葉に詰まっていたのでチユが代わりに答えた。
「どうして?」
「事故があったんだって。生前にハルから聞いたの。熱線が暴発したって」
「ふうん」
自殺のことまで話す必要はないだろう。
実感がないのか、ハルはそれ以上深く訊いてこなかった。
「ビョークは、ホテルに痕跡があると思ってるの?」
「わかりません。彼女をどうやって蘇らせるのか、そのイメージをスノードームに注ぎ込んだのは、ハルタさんです。僕はスノードームを教えたに過ぎない。浮遊島の正体を正確に知っているのはハルタさんだけです。あの日記を読むまで、ネモフィラやかすみ草、白い塔があるなんて知りませんでした」
話に一区切りつけるように、ビョークは咳払いした。
「あるいはメッセージカードを集めた先で、何か起きるのかもしれない。なんなら僕が集めたっていい。でも今、あの島に不用意に近づくのは危険な気がします」
「まだ老人になりたくはないかな」
「同感です」
「それより、このあとの予定は?」
「僕は終わりました。帰ってハルタさんの日記でも読みますよ」
ビョークは伸びをした。
「じゃあ、ちょっとつき合ってくれない? ハルと
「構いませんが、あんなところへ何をしに行くんです?」
「記憶を取り戻しに」
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