1-6.出会い

ヴォルグアの宿屋“春風の大樹”で身体を休めた翌朝。

ダクエスは港の傍にある海岸公園と呼ばれている場所で爽やかな海風を浴びていた。



「心地良いな」



広々とした敷地に木や花が植えられていて噴水もある“街の憩いの場”を散歩しているとつい思っていたことが口から洩れてしまった。

ダクエスが初めてこの場所に来た時は船の発着や荷物の積降の為ではなく散歩したり座って海や港を眺める場所が整備されているという事実に驚いたものだ。


ウェスタビア王国ではすべての街と村の中心には必ず“霊樹広場”が存在する。

ウェスタビア人は古くから魔除けの効果がある“霊樹”を中心に街づくり、村づくりを行う慣習があるからだ。

しかし、ヴォルグアには彼がいまいる海岸公園の他に複数の霊樹とは無縁の憩いの場が設けられている。

それだけでこの街が如何に大きいのかを物語っていると言えるだろう。


その海岸公園にはあまり人の姿は見られなかったが、石段を上がった先の通りは多くの人手賑わっていた。

ヴォルグアに幾つかある“露店通り”の一つである。

この“海岸露店通り”には主に海路で運ばれて来た物が並んでいる。

同じセカルタビア島でも離れている港町であったり王国の他の島の特産品、更には異国の品々だ。


王国の中心部であるセカルタビア島のヴォルグアは王室直轄地であり、異国の旅客船や交易船の出入りも認められている“王室指定港”の一つである。

その為、国内外の様々な産物が集まるのだがその多くは交易品。

つまりは商人と商人がやりとりするのが基本なのだが、同行者の中には行商人や商人見習いがいて露店通りに出店することも珍しくない。


そもそもウェストランデ群島と言う地域そのものが様々な地域に繋がる海上交通の要衝になっている。

東のサウォール海を越えれば大大陸の西端である“西陽”地域。

西に広がる大海原にして難所として知られるイウェス海の向こうには大大陸の東端である“東陽”地域。

北東のペルサド海を抜ければ“北大陸”ことスカリオディア大陸に至り、南のセティス海を渡れば“新大陸”ことアドレア大陸に辿り着く。

ウェストランデ群島の中心にあるセカルタビア島の中心として整備されたヴォルグアが国内外の品が並び賑やかなのはそうした立地が大きな要因となっていた。


その露店通りをダクエスが歩き始めると食欲をそそる食べ物の良い香りを感じた。

露店の中にはその場で食べられる軽食を売っている店も幾つかある。

地域の特産品や異国の食材を実際に提供することで価値を高め普及しようと言う狙いだ。

そうした食べ物の香りを感じながらもダクエスは商品を眺めながら歩いて行く。

王都があるグレトスタビア島の特産である焼き物と共に異国の焼き物を並べている露店もあれば見た事のない異国の意匠デザインが施された煌びやかな装具を揃えている店もある。

他にも地元セカルタビア島で採れた野菜と一緒に見慣れぬ異国の穀物を売っている露店まで。


ダクエスがこうして歩いているのは冷やかしではなく勉強の為だ。

彼は自分が“田舎生まれの田舎育ち”であること。

正確には“世間知らず”であることを気にして時折歩きながら世の中の物に関する知識をつけようとしているのだ。



(あ・・・)



そうして彼なりに今日も勉強をしていると前を歩く人の腰から何かが落ちたのが見えた。

落としたのは後姿からもわかる獣耳と尻尾から獣人族であった。

獣人族は耳が良いので落とした音で気づくかもしれない。

ダクエスがそう思ったものの地面に落ちるのと客引きの大きな声が重なった。

その所為か女性は気づかずにそのまま歩いて行ってしまう。


周囲の人たちも気づかない様子にダクエスは誰か踏んでしまわないかとそわそわしながら歩き続け素早く落とし物を拾った。

彼が安堵しながら拾い上げたのは小物入れの皮袋。

どうやら腰に結び付けていた紐が切れてしまい落下したらしい。

ダクエスは視線を歩き去った女性に向けるとその後を追った。



「腰の皮袋、落としましたよ」



周囲の喧騒に巻き込まれないように声を掛けた。

いきなり声を掛けるのだから驚かせたり警戒されないようにと無難な言葉を選ぶ辺り彼らしいと言える。


声を掛けられた女性は振り向かなかった。

だが彼の声は聞こえたらしく念の為にと言った様子で歩きながら自分の腰に右手を当てた。

すると腰にある筈の皮袋がないことに気づいて聞こえた声が自分に向けられたものだと察し素早く振り向いた。



(昨日の・・・)



振り向いた女性の濃い青色の瞳と目が合うとダクエスは前日にバフェリス工房の入口で出会った人物であることに気づいた。

目を合わせるまで気づかなかったのは昨日と違い女性が髪を結っていなかった為、印象が違ったからだろう。

女性の方も気づいたのか微かに目を瞠り、二人は数秒程見つめ合った。


だが周囲は人が行き交う賑やかな通りだ。

このまま二人とも立ち尽くしたままでは道が広いとはいえ他の人の邪魔になる。

何よりずっと皮袋を持っているのも落とし物を拾った謝礼を求めていると思われそうだし早く渡してしまおう。



「これ、落とし物です。お返しします」



そう判断したダクエスが皮袋を差し出すと女性の耳が微かにぴんと伸びた様に見えた。

女性は昨日と同じ様に軽く頭を下げてから無言で皮袋を受け取った。

昨日と変わらず襟巻で口元を覆っているので表情はよくわからない。


傍から見ると女性はダクエスをジッと睨んでいる様に見える。

しかし、ダクエス自身は女性が困っている様な、そわそわしている様に感じられた。

その所為か渡してすぐに歩き去ろうと思っていたのに何か声を掛けなきゃと思った。



「気にしないでください。偶然落とす所が見えただけですので・・・あ、良ければこれ、代わりに使ってください」



ダクエスは鞄の中から普段から持ち歩いている紐を手に取り差し出した。

野営や応急処置とか色々な場面で使える意外と便利なものなので普段から数本を持ち歩いていたのだ。

だが彼が差し出したのは黒色の紐。

女性の皮袋には元々茶色の紐が使われていたようなので見栄えが変わってしまう。

そのことに気づいたダクエスが引っ込めようとしたが女性は紐を受け取ると器用にその場でササッと皮袋に括りつけて腰につけ直した。

そしてダクエスへと視線を向けた。


女性の視線を受け止めた時、ダクエスは不思議なことに“これでもう安心”と言われた気がした。

その感覚に戸惑いながらもあまりこの場に立ち尽くしては他の人の邪魔になるだろうし、謝礼を求めていると勘違いされかねない。



「良かったです。また落とさない様に気を付けてくださいね。では」



そう判断したダクエスがそう言って背を向けようとした。



「え?・・・うわっ」



しかし、女性は彼の腕を掴むと引っ張るようにしながら移動を始めた。

思わぬ事態にダクエスは転ばぬ様に気を付けながらも困惑した。


先ほど“これでもう安心”と言われた気がしたのは気のせいで。

実際には女性を怒らせてしまったのだろうか。

そう焦った彼は一旦足を止めて貰い謝ろうとしたが、その時には女性は立ち止まり腕を放していた。

状況が呑み込めず困惑している彼は気づけば露店の前に立っていた。



「おや、角耳のお嬢ちゃんじゃないか。いらっしゃい、また買いに来てくれたのかい?今日も例のお肉があるよ」



その露店は串焼き屋の様だった。

ダクエスが状況を把握しようと必死になっている間に緑人族の女性店主が笑顔で獣人族の女性に声を掛けている。


獣人族と一言で言っても実際には獣耳と尻尾には様々な形がある。

特に背を向けていると見えないこともある尻尾とは違い被り物をしても形が何となくわかってしまう獣耳には形に応じた呼び名がある。

例えば円形の耳を丸耳、細長い耳を縦耳や長耳と言った具合だ。

店主が口にした角耳とは三角状の耳の呼び名である。


店主の問い掛けに獣人族の女性はこくりと頷くと無言で手を差し出した。

店主は慣れた様子でその手から金貨を一枚受け取った。

そして金貨を渡した獣人族の女性が指を二本立てる。



「今日は二本も買ってくれるんだね、ありがとう。焼き立てをあげるから少しだけ待ってくれるかい?」



女性がまたこくりと頷くと店主は笑みを浮かべてから肉の刺さった串を取り出し、何か調味料を掛けてから焼き始めた。

二人のやりとりにダクエスはあることに気づいた。

昨日出会った時からこれまで女性が一度も声を発していなかったのだ。

その様子にダクエスはようやく彼女が自身の妹と同じで声を失っているのだと察した。


一方でダクエスは串焼きの値段にも驚いていた。

この世界では金、銀、銅の価値が地球とは異なり銀、金、銅の順に価値がある。

それでも串焼きと言えば一本当たり銅貨数枚程度が一般的なのに女性が注文した串焼きは二本で金貨一枚。

そんな高い串焼きが売られていることにも驚きなのだが、二本も女性が注文した事実にも戸惑いを隠せない。


ダクエスは女性に問いかけようとしたが声を掛けるのを止めた。

彼女の獣耳が微かにピコピコと動き尻尾も微かに揺らめいていたからだ。

その視線は焼かれて行く串焼きに向けられていることから彼女がとても楽しみにしていることが伝わって来る。

邪魔をしないようにと口を噤んだダクエスが視線を動かすと“数量限定!地鶏の味焼き”と書かれているのが目に入った。

他の書き物の様子からどうやらこの店はセカルタビア島南部の特産品を販売しているらしい。

そうなると地鶏は南部の特産品なのかもしれない。


なんて思っているとダクエスのお腹が鳴った。

頭がどれだけ戸惑っていようとも食欲をそそられる香りに彼のお腹は準備万端らしい。



「お待ちどうさん。またよろしくね」



しばらくして店主から焼き立ての串焼きを二本受け取ると女性がダクエスを見た。

その表情が“ついてきて”と言っている様に感じられた。



「はい。今度は何処に?」



ダクエスが問いかけると女性は微かに耳をピンとさせてから歩き出したのでその後に続く。

程なくして辿り着いたのはダクエスが散歩していた海岸公園へと繋がる石段の一つ。

女性は石段の中段付近の端っこに座るとダクエスを見上げた。

今度は“ここに座って”と促している様に感じたダクエスは“お隣失礼します”と言って彼女の横へ座った。

座りながら石段を椅子代わりにして良いのだろうかとダクエスは不安に思ったのは田舎者である彼らしい反応と言えるだろう。


そんな彼に女性は先ほど購入した串を一本差し出した。

ダクエスはそれが皮袋を拾ったお礼なのだと察した。



「ありがとうございます。折角ですから頂きますね」



ダクエスは素直に感謝し受け取った。

お礼が欲しくてしたことではないので申し訳なさがある。

それでも受け取ったのは“街に行ったら人の厚意は素直に受け取りなさい”と村を離れる時に祖母から言われていたことが大きい。

“あんたは変に遠慮するところがあるから意識しなさい”と言われたことを彼はよく覚えていた。



「・・・・・・美味い」



串に刺さった肉を一つ食べるとその美味さに思わず言葉を漏らした。

串にはなかなかの大きさの肉が四つ刺さっている。

肉の食感は硬すぎず柔すぎず、味付けも濃すぎず薄すぎない程良さで食べ応えもある。

二本で金貨一枚するだけのことはある。


“美味しいですね”と伝えようとして隣に視線を向けたダクエスだったが言葉を飲み込んだ。

串焼きを食べる為に獣人族の女性は口元を隠していた襟巻をずらしていた。

初めて見る彼女の素顔。

その横顔がとても綺麗で思わず見惚れてしまったのだ。


だがその時間は短かった。

女性が彼の視線に気づいて見返して来たからだ。


と言っても女性は彼の視線に抗議をした訳ではなかった。

一つ食べて二つ目を食べようとしない彼の姿に不安を抱いたらしい。

視線に慌てたダクエスだったが彼女が“口に合わなかった?”と問いかけて来ている様な気がして。

慌てて“とても美味しいです”と答えた。

その返しに女性は満足したのか僅かに頷くと自分の串焼きを食べ始めた。


女性はずっと無表情のままだ。

獣耳と尻尾も動きはしても一般的な獣人族と比べたら控え目に見える。

しかし、ダクエスには美味しい串焼きを食べて凄く喜んでいる様に見えた。

またしてもダクエスが自分を見ていることに気づいた女性が彼を見る。

相変わらず無表情なのに“美味しいでしょう?”と自慢気に語り掛けられている気がした。

自分が感じているこの感覚が本当なのだとしたら大人びた雰囲気なのに可愛らしい人の様だとダクエスは思った。

もし声を失っていなかったら感情表現豊かで明るい人だったのかもしれない・・・と。



「ごちそうさまでした。こんな美味しい串焼きを教えてくれてありがとうございます」



あっという間に串焼きを食べ終えた後。

ダクエスは女性に改めてお礼を伝えた。

女性はまだ食べている最中だったが彼の言葉に食べる手を止めて視線を向けた。

申し訳ないことをしたなと思いながら互いに無言で数秒程見つめ合う。

不思議なことに“串焼きは落とし物のお礼だから感謝はいらないのに”と女性が思っている様に感じられた。



「お礼としてご馳走して下さったんですよね?でも美味しい串焼きとあの店を知る事が出来たのはあなたのお陰です。ですから落とし物の件とは別に感謝を伝えたいなと思って」



女性の表情は変わらなかった。

その様子にダクエスは自分の勘違いで勝手に話し掛けただけなのかもしれないと思った。

だが、つい先ほどまで妙な感覚に戸惑っていたと言うのに彼には妙な自信があった。

自分が感じ取っているのは女性の“意思”の様なものなのだと言う確信を抱いていたのだ。


そのことに気づいたのか。

女性が残り一つの肉を残した状態で彼に向き直った。

そしてジッと見つめる。

するとダクエスは“もしかして身近に私みたいな人がいるの?”と問われている様に感じられた。



「はい。うちの妹も声を失ってしまったんです。妹と同じ獣人族の方だからなんでしょうか。何となくですけど、意思を感じ取れるというか・・・すみません、こんなこと言って」



ダクエスの言葉に女性は微かに目を瞠った。

その様子から驚いていることを察するとダクエスは“変なこと言って困らせちゃったな”と反省の念を抱いた。


一方、女性は驚くと同時に納得していた。

不思議なことに先ほどから彼と上手く意思疎通が取れている気がしていたが、勘違いではなかったのだと。

そして急に恥ずかしさを覚えた。

声を出せない自分の意思は彼は何処まで感じ取っているのだろうかと。

あくまで自分が彼に意思を向けた時にやんわりと伝わるのなら良いが、こうした自分の思考まで読み取られては恥ずかしくて堪らないと思ったのだ。


この様に二人は初めての感覚に戸惑っていたがそれ以上に相手のことが気になり始めていた。

しかし、女性はあることに気づいてやや慌てた様子で立ち上がると公園に置かれている時計を見た。

時刻はもうすぐ九時だ。



「あの・・・もしかして何か用事があるんですか?」



女性の様子にダクエスは迷惑だろうかと心配しながらも問いかけた。

それに対し女性はすぐに視線を彼へと向けると頷いた。

ダクエスには彼女が“うん、そうなの”と言っている様に感じられた。



「それなら串は俺がまとめて捨てておきますよ。露店の脇に置いてあった屑箱ですよね?」



ダクエスはそう言って女性が持つ串へと手を伸ばした。

そして女性が意思表示を返す前にやや強引に串を取った。



「お気になさらず」



更にダクエスがそう言って微笑むと女性は躊躇いがちにぺこりと一礼し、早足で去って行った。



「・・・どうしてなんだろう?」



女性の背を見送った後。

目の前に見える海を眺めながらダクエスはつい疑問を口にした。


これまでに人の感情の機微に敏いと言われたこともあれば彼自身よく気づく方だと言う自覚がある。

しかし、声を失い無表情な人を相手に何故何となくとは言え意思と言うか気持ちと言うか、とにかく汲み取ることが出来ているのか。

女性が気に掛けた様に妹で慣れているのはあるかもしれないがそれだけではないような気がした。

もしかしたらこの一年で魔力の扱いが上達したことが関係あるのだろうか。



「・・・あっ」



わからないことをいつまで考えていてもしょうがない。

そう思い立ち上がったダクエスであったが女性の名を知らずに見送ってしまったことに気づいた。

そもそも彼女が声を失っているのだから教えてもらうのは難しいのだが、せめて自分だけでも名乗るべきだったと思った。


バフェリス工房の入口で会ったことや革製の防具を纏っていたことから彼女も探索者の筈だからまた会うこともあるかもしれない。

その時にはちゃんと挨拶をしようと思いながらダクエスは串を捨てに露店へ向かった。

ついでに他の売り物の価格を見て店主と話が出来そうなら営業日とか確認しよう、と思いながら。

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