第2話 蝉注進

法暦1286年の5月から7月にかけて、各地から、名のある大名や武将が都に入った。


奇妙だったのは、通常、都へ上洛する際は、僅かな供回りだけなのだが、此度の上洛は、騎馬武者、侍衆、大勢の足軽雑兵など、何とも物々しい雰囲気だった。


やがて木に止まる蝉が、喧しく鳴き始める時期には、大名行列は止まり、馬の嘶きや兵の足音も静まり、ただただ蝉の鳴き声だけが響いていた。


大名や武将らは、各々の都にある邸宅に滞在した。


法暦1286年7月25日、彼らは都の南端にある大定寺へと参内した。


「暑いのぉ。」


馬に跨り、都路をゆっくりと歩む一人の武者がいた。佐田影義であった。影義は、御側衆(大侯直属の侍)の一人で、官位は少五位下右門警備中尉。亡き大侯の書記官を務めていた人物である。


影義が大定寺の門前を通ろうとした時、彼の目に異様な光景が入ってきた。寺の門前に大勢の兵が控えていたのだ。


「そは何事か?」


影義は不思議そうに、それを見つめながら、馬を進めていると、その兵達の中に見覚えのある顔が何人か確認できた。


「あの御人は、菊間内海守様の家臣。こちらの御人は、加東山中守様の家臣。何ぞおうたのか?」


すると、寺の門の脇にある木戸が開き、中から一人の人物が出てきた。隆真田大記であった。


隆真田大記は桐川泰親の家臣で家老を務める人物であり、また、軍師でもあった。非常に怜悧な人物であり、また、大変に冷徹な人物でもある。


影義は肝を冷やした。


「大記殿がおられるとは、もしや、桐山左京太親様も、寺におられるというのか?!」


影義は自らの頭の中の点を速やかに繋げ、線にした。つまり、寺に参内しているのは、実務派の面々。そもそも大定寺は西慶僧寛の寺である。


影義は急ぎ馬を走らせると、そのまま原山中殿頭和盛の邸宅を尋ねた。


「申し上げます。佐田中尉様、お目通り願っております。」


近習の侍が和盛に伝えると、和盛は通す様に命じた。


「佐田殿、お珍しい。何ぞ面白きことでも、お有りか?」


和盛がにこやかに口を開いた。しかし、佐田の表情は曇っていた。佐田は、和盛に人払いを申し出たので、和盛は手で合図して、近習らを下がらせた。


「恐れながら中殿頭様、大定寺にて…。」


佐田は自らが目にした光景の全てを和盛に注進した。和盛の顔が、見る見る曇った。


「あい分かった。佐田殿、この件、他言無用。」


和盛は臣下に命じて、仕度をすると、急ぎ登城した。


城の広間に着くと和盛は御台所が現れるのを待った。暫くすると、色鮮やかな打ち掛けに身を包んだ御台所が、広間へとやってきた。


「中殿頭、如何したのじゃ。」


御台所は静かに話した。和盛は事の次第を全て御台所に注進した。


「おのれ実務派どもめが。兵を起こし、我らを討つつもりか?!」


御台所は語気を強めると扇を力いっぱい開いた。城の庭園の松の木に止まる蝉が喧しく鳴いている。


「恐れながら御台様、我らも急ぎ評定を。」


かくして、血統派の有力者達が招集された。


大定寺では桐川泰親が、集まった実務派諸氏を前にして、意見を述べた。


「各々方、此度は参内下さり、先ずは御礼申し上げる。我らは、知恵と力によりて、国家を正しき方へと誘わねばならぬ。十の童を君主に据えるは、これ正に天魔の所為なり。」


すると、菊間内海守が声を荒げて申した。


「天魔は早急に討ち取るべし!」


すると、書院の上座に座る西慶僧寛が、ゆっくりと口を開いた。


「天魔を討つは御仏の教えに適うものなり。敵の首を討ち取る者には、極楽浄土が約束させるであろう。」


実務派達は結束を固めた。


城には都に滞在している血統派の諸氏が上がり、御台所と和盛を前にして評定を開いた。


「逆賊たる実務派を根絶やしにすべし!」


血統派の過激派である松波日弥守が声を張り上げ、そう言うと、その向えに座した安里邑麻田守が静かに口を開いた。


「日弥守殿、そう焦られるな。急いては事を仕損じるぞや。」


と。庭で蝉が喧しく鳴く。


すると、御台所の側近くに座していた和盛が、徐ろに立ち上がると、手にしていた紙を広げ、腰から扇を抜くと、ゆっくりと紙を扇で指した。


それは大定寺の絵図であった。


「夜襲を掛ける。敵が怯んだ隙を突いて西慶僧寛を奪う。」


評定の場が静まり返る。蝉の声だけが、場を支配していた。


「各々方、御返答は如何に?」


評定に参加した大名、武将らは、満場一致で、この計略に賛同した。


「皆の衆、此度はよう来てくれた。礼を申す。ゆるりとなされよ。」


御台所がそう言うと、侍女や女官らが、酒と料理を膳に載せて運んできた。


城の庭園の松の木に止まった蝉が、いつまでも喧しく声を上げていた。


乱が起こる三日前のことであった。

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