騎士、優治、反抗期

 騎士とはなにか。それは貴族の下につき一門に属することにより得た魔法の力を用いる、貴族たちの私兵の将校のような存在です。

 それがいま、目の前に立って私のことを見下ろしておられました。


「頭が高いぞ貴様」


「……は、ははぁっ!」


 ぎこちない動きで膝まづくと、ウェッダ様は「ふん」と鼻を鳴らして私から視線を外します。

 どうやら本命はアヴェリア様であるらしく、ウェッダ様はガチャリと甲冑を鳴らしながら言いました。


「話は聞いていますよ。屋敷からの失踪……私がいない時期を見計らっての計略、実に見事です」


「あ、あはは……それはよかったわ。じゃあ私は急用ができたから、それじゃあね~……」


「しかしここでアヴェリア様を見つけたからには、私もみすみす見逃すわけにはいきません」


 その瞬間、ウェッダ様は目にも止まらぬ速さでアヴェリア様に肉薄すると、そのまま体に腕を回して羽のように軽々しく抱き上げました。

 アヴェリア様のまばたきの間にすべて行なわれ、まばたきをしてからそのことに気が付いたアヴェリア様は慌ててじたばたと暴れ始めました。


「離しなさい! いまのは不意打ちよ! ズル! ズルだわ!」

 

「あーズルしないと勝てないお嬢は天才ですねー」


「え? そ、そうかしら……?」


 三秒であやされるアヴェリア様にウェッダ様は「はいはいすごいです」と適当に返しています。それにアヴェリア様はキャッキャと喜んでいました。


「さ、お家に帰りましょうねー」


「ええ! 帰りましょ!」


「アヴェリア様!?」


「はっ!! 帰っちゃダメじゃない!!!」


 私がつい発してしまった一言でアヴェリア様は正気を取り戻してくださったようで、油断したウェッダ様の腕からスポっと抜け出すとアヴェリア様は私の背中へと隠れ潜みました。

 それを見たウェッダ様が恐ろしい形相で私を睨みつけてきます。


「貴様、どうしてアヴェリア様が貴様の後ろに隠れるのだ」


「ど、どうして、と言いますと……」


「だって私たち家族だもの! 一緒に石も拾ったんだから!」


「……」


 は、はわわわわ……ウェッダ様の手が腰の剣の柄に近づいてます……

 おそらく殺意を抱いているのであろうそれに対しておびえるばかりの私。むしろ背中に隠れたいのはこっちの方です。


「……はぁ。いいですか? お嬢はバーバル辺境伯唯一のご息女なのです。もっと跡取りとしての自覚をですね……」


「あーあーあー! その話は耳にタコができるくらい聞いたわ!」


「でしたら屋敷にお戻りください。じきに始まる誓約祭のためにいまからでも舞踏の稽古、絵画音楽彫刻の教養論、各地の時事のお勉強――」


「嫌よ!!!」


「ならば無理にでも連れ帰ります」


「嫌よ!!!」


 アヴェリア様は地団駄を踏んで抵抗の意思を見せますが、当然ウェッダ様相手に効果もなく、また先ほどと同じようにして抱きかかえられてしまいました。

 ひどく暴れながら抜け出そうとするアヴェリア様に、ウェッダ様はため息をついて見せます。


「離して!」


「やけに必死ですね。なにか事情でも?」


「このまま帰ったって私はなんにもできないまんまじゃない! 私はここで民を助けてあげないといけないの!」


「民を? なにを言い出すかと思えば、またなにかの詩にでも影響されたので?」


「そんなんじゃないわ! お父様たちは民を軽んじすぎなのよ! いまのままじゃ民に支えてもらってる私たちだってやっていけなくなっちゃうじゃない!」


「む……今回はやけにそれっぽいことをおっしゃいますね……」


 そう言うとウェッダ様はまたしてもアヴェリア様を地面におろして解放します。アヴェリア様は腕を組んで仁王立ちし、徹底抗戦の構えをとっていました。

 私の立場もありますが、アヴェリア様のおっしゃっていることは至極真っ当であると感じられます。事実私たちのような卑しい身分が虐げられているというのは、皮肉にも私たちの背で横たわっているシーナおばさんがそれを証明してくれているのです。そこに疑う余地はありませんでした。


「ですがお嬢。責任とは常に義務を果たす者にのみ口にすることを許される言葉であることは忘れずに。貴族としての責任を果たしたいのなら、まずは貴族としての義務を終えてからにしてくださいませ」


「義務って……誓約祭?」


「領主様はお嬢のために素敵なお召し物を用意しておられでした。あれほどの厚意を無碍にするというのは、私といたしましても心が痛みます」


「そ、そのお金だって民を苦しめてかき集めたお金で……」


「だからと言って領主様の苦心を無視して良い理由にはならないかと存じますが」


「……そんなに」


 アヴェリア様の拳が震えています。

 彼女の正義感は人一倍。だからこそたまたま耳にしてしまった辺境伯たちの密談が許せず、今日までずっとこの村で過ごしてきたのです。アヴェリア様にとっての誓約祭とは、きっとそんな貪欲な貴族たちが群がる悪の象徴のようなものになっているのでしょう。

 そしてそんなところで自分も「貴族」として振る舞えと言われ、いよいよ耐えがたいと考えているに違いありません。アヴェリア様はウェッダ様へと怒鳴りつけました。


「そんなに、そんなに優治が欲しいわけ!? 領民の生活より公爵殿下への無心のほうが大事なの!?」


「言い方がよくありませんね。公爵殿下への嘆願で領地をより良くするための手助けが得られると、領主様はそう申しておりましたよ」


「領地を良くするために民を殺すなんてバカのすることよ! あーもうよくわかったわ! ウェッダは敵! 敵よ! あっち行きなさい! しっし!」


「……これでは埒があきませんね」

 

 ウェッダ様はアヴェリア様の腕を掴みました。

 同じように「離しなさい!」と罵るアヴェリア様でしたが、とうとう痺れを切らしてしまったウェッダ様は口すら聞くこともなくアヴェリア様を持ち上げます。そしてウェッダ様はこちらを一瞥することもなく踵を返してその場を立ち去ろうと扉へ向かいました。


「フィーナ!!」


「……!」


 アヴェリア様が私の名前を呼びます。それはこれで何度目になるか分からない、アヴェリア様のわがままのように聞こえました。

 私は、その声を聞き届け、そして――


「お待ちください」


 私は分相応にも、騎士であるウェッダ様を呼び止めました。

 

「なんだ、見てわからないのか? 私は忙しいんだが――」


「優治に選ばれればよいのですよね?」


 食い気味に問い詰める私に眉を顰めつつ「なにが言いたい」とウェッダ様は問い返します。

 簡単なことです。要は辺境伯らは誓約祭で優治を得るため、辺境伯令嬢であるアヴェリア様を着飾らせたいのでしょう。そのために屋敷に戻らせ、とにかく体裁の良く見えるものをアヴェリア様に覚えさせるのです。それもこれも一令嬢として公爵殿下の目を引く存在となることを期待されているため。優治に選ばれるため。


「今日のところはお引き取りを。領主様にはこうお伝えください。『アヴェリア様は領主様の力添えなくとも結構だと申されている。己の独力で優治を獲得する代わりに、今後一切こちらのやることに口を出さないでいただきたい』」


「貴様……農奴の分際でお嬢のお言葉を騙るとは不届き千万だぞ」


「嘘かどうかはアヴェリア様が決めることです」


 心臓を大きく鼓動させながらも必死に食らいつき、私は悪魔の形相のウェッダ様に正面から向き合いました。

 まるで生きた心地がせず、ともすればすぐにでも腰が砕けて膝が折れそうな重圧を感じていました。ですが、私は最後まで膝を折りませんでした。


「お願い、ウェッダ」


「……」


「わがままな主人でごめんなさい。でも本当に、いまのお父様にはついていけないの」


 しばしの間だけ沈黙が流れ、そしてウェッダ様はアヴェリア様を抱く手をパッと放しました。

 アヴェリア様は「痛ぁ!?」と尻もちをつき声をあげ、ウェッダ様は肩をすくめました。


「……反抗期、というやつでしょうかね」


「そんなんじゃないわよ!」


「はいはい。ですがまぁ今回はお嬢に免じて、一旦のところは手を引かせていただきます」


 扉を潜って背を向けるウェッダ様は、私たちに目を向けることはありません。

 しかしその冷たい鋼の鎧が、どことなく刃を突き付けられているかのような冷たさを感じさせます。


「……お嬢のわがままには困ったものです」


 扉はパタリと閉まって、荒れた部屋には再び私とアヴェリア様と、苦しそうにしているシーナおばさんだけが残されました。

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