お風呂のために
家に帰るとアヴェリア様が隅っこでうずくまっていました。
ムスッとした顔で、帰ってきた私に目を向けます。
「……ごめんなさい。あんたが私のわがまま聞いてくれてあそこに連れていってくれたのはわかってるの」
「アヴェリア様……」
言えません。こんなふうに落ち込んでいるアヴェリア様に、働いてないのが癪で鬱憤を晴らすために連れていっただなんて、絶対言えません。
私は内心脂汗を垂れ流してアヴェリア様の隣に座りました。
「私、あんたにまだ屋敷を出た理由を説明してなかったわよね」
「なにか事情があるんですか?」
「……本当は私、あんたたちを助けるつもりでここに来たのよ」
そこから語られるのは、アヴェリア様がその身一つで私と出会う前のお話。
アヴェリア様がこっそりと辺境伯屋敷を抜け出した、その理由でした。
◇ ◇ ◇
アヴェリア様は辺境伯家の一人娘であり、当代領主であるモドラテ・ティア・バーバル辺境伯の数少ない肉親の一人でした。
「アヴェリア様、詩吟ばかりを嗜むのではなくテーブルマナーのお稽古にもお越しくださいませ!」
「嫌よ! つまんないもの!」
彼女は辺境伯家でも稀代の暴れ馬としてその名を周辺領地にまで轟かせており、その世話には側仕えの方や領主様でさえも手を焼いていたということでした。
アヴェリア様はとにかく自由気まま。やりたいことには全身全霊ですが、それ以外にはてんで興味も示しません。
「来て欲しいなら無理矢理にでも捕まえなさいよ! できるものならね!」
そう言って彼女は自室の窓を開け放ち、その縁に立ちました。アヴェリア様は暴れ馬として知られる他に、その驚異的な魔法の才覚でも有名です。三階から飛び降りようとする彼女は魔法の詠唱を始めました。
「――天地を司りし精霊たちよ。季節を運ぶ恵風の申し子たちよ。汝が力を我が身に宿し、大いなる自然の断片を行使することを許したまえ。宙を統べる空気流よ! 咲きなさい!」
「アヴェリア様!」
「【スカイジャンプ】!」
その足が空を踏んで体が地面に吸い込まれます。そしてそのまま地上に追突して――というふうにはなりませんでした。魔法によって生み出された猛烈な勢いの上昇気流が、アヴェリア様をもう一度空の彼方へ吹き飛ばさんと唸ったのです。
アヴェリア様はこうして稽古から逃げ出してはいつも従者の方々を振り回しており、れっきとした悪童として振る舞っていたのだそうです。そうしてその日もいつも通り、側仕えの人を撒いて広い屋敷を歩いていたときにふと声が聞こえてきたのに気がつきました。
「お父様? ……こんな狭い部屋でなにを話してるのかしら?」
領主であるモドラテ辺境伯。そんな父親とは向こうが多忙であるゆえに滅多に関わる機会がありません。アヴェリア様はそのことを大層つまらなく思っており、そのときも単なる出来心から一つの考えが浮かんできたのでした。
「こっそり聞いちゃいましょう!」
仕事の邪魔になるとして、これもやはり滅多なことでは仕事中の辺境伯とは触れ合えませんでした。時たま触れ合えるのも仕事の都合で、事務的に済まされてはまた放っておかれるだけ。せめてそんな父親が自分から遠ざけているなにかを暴いてやりたいと思うのも、彼女の子供心というものだったのでしょう。
『…………の戦争……………財政…逼迫……村の……低下して…………誓約祭を………し……………………せん』
『だけど………でまた増税……………解決…………でしょ?』
『いまだけで………優治さえ…………ばすべて………ではありませんか。金の融通………どうにでも………というもの……』
「誓約祭……? 社交会のことを話してるみたいだけど……」
誓約祭の優治。これに選ばれたたった一人の公国貴族は国主である公爵殿下より、公爵殿下に嘆願を行なう権利が与えられるのです。
途切れ途切れに聞こえる会話に、アヴェリア様はさらに耳を寄せました。
『……まぁじゃあ、今回だけだからね?』
『えぇ、今回だけ。新しく特別税を導入して、思い切ってドバァ〜っと稼いじゃいましょう!』
「はぁ?」
アヴェリア様は耳を疑いました。
彼女は暴れ馬、悪童として普段から振る舞っています。ですが彼女は利己的なわけではありませんでした。
領地の財政が厳しいこと。領地に住まう人々の暮らしも苦しくなってきていること。それに対して彼女は彼女なりに心を痛めていました。そして領主である父がその解決のために奔走していると、そう信じていました。
『やっぱそうするしかない感じ……?』
『いいじゃないですか! 所詮平民なんて、飢え死にさせておけば!』
その一言が、アヴェリア様の理性のタガを外してしまったのです。
アヴェリア様は部屋の扉を蹴破って、その姿を堂々部屋の中のお二人に晒して見せました。
「アヴェリア……?」
「これはこれはアヴェリアお嬢様。今はお稽古のお時間と把握しておりましたが?」
「とぼけないで! さっきの話、聞いてたんだから!」
彼女は頑固で、一度決めたことを曲げることはなく、自由気ままで、それでいて間違ったことが許せない潔白な方でもありました。
アヴェリア様は辺境伯とその隣にいた人物、エドワード公騎士連隊長を指して、怒りのままに糾弾します。
「私たちは貴族なのよ! 民が苦しんでいるときに助けてあげなきゃ!」
「アヴェリア、現実はそう上手くはいかないんだよ」
「そうですよ。それにこれはアヴェリア様のためでもあるんです。誓約祭で立派な服で、公爵殿下の前にお立ちください」
「そんなの私、やりたいなんて言ってない! そんなんならみんなに言いふらしてやるんだから! みんなに言って――」
「――アヴェリア」
モドラテ辺境伯はそれまでの弱腰の態度から一転させ、強い口調に含まれる威圧がアヴェリア様をたじろがせながらその耳を辺境伯の言葉へと傾けさせます。
「お前にはまだ早いんだ。大人しくしていなさい」
「……」
アヴェリア様はすっかり落胆しました。
それはアヴェリア様の脅しに対して、年齢と経験を口実にそのことを防ごうとしているに他なりません。モドラテ辺境伯は自身の立場惜しさに、娘であるアヴェリア様を黙らせることを選んだのです。
「……なら、私がやるわ」
アヴェリア様はそのときだれにも聞こえないようにそう呟いたと言います。
そうしてアヴェリア様は辺境伯の指示に従いその場を立ち去り、そしてそのまま誰にも見つからないうちに屋敷を出たのだそうです。
◇ ◇ ◇
「……ダメよね。そんなこと言ってた私が、ネズミなんかで怖がってちゃ」
一通り話し終えたアヴェリア様は立ち上がりました。
少しばかり落ち込んでいたように見えたアヴェリア様でしたが、今の話はきっと自らを奮い立たせるために私に話してくれたのでしょう。彼女の表情が、少し引き締まったものに変化したのがわかりました。
「アヴェリア様。その、私からなんと言えばいいのかはわからないのですが……」
「いいのよ。きっと私の覚悟が足りなかっただけ。そうよね。わがままを言うならそれだけ頑張ってからじゃなくちゃ」
そう言うとアヴェリア様は高そうな衣服の裾をまくりあげ、その額をパシパシと両手で軽くはたきました。
「お父様たちに、みんなに思い知らせてあげるのよ! 私が、大天才だってことをね!」
……なんと言いますか、自分一人で立ち直れるのはすごく見習いたいところですね。
私はアヴェリア様の意気揚々としたその意気込みに「じゃあ今日の湯浴みは自分で準備してくださいね」と言いました。
「わかったわ……」
アヴェリア様はひどく苦心した末に了承してくださいました。
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