――流転―― 5 華美に舞う捕食者




 栄子は自宅のソファに腰を沈め、頭を抱えていた。


 何度も電話をかけるが未だ榎本に繋がっていない。伝えたい情報が山とあるのに、だ。


「どうしてよ――お願いだから電話に出て」


 メールを打ちはしているが、こちらも届いている見込みは少ない。

 彼の身を案じ、気が気ではいられなかった。


 握りしめてるスマートフォンに着信が掛かり、驚き短い悲鳴を上げた。液晶に表示された名前は、待ち望む人物ではなかったが、こちらも待っていたと言わんばかりに素早く通話を繋ぐ。


「どうだった? 調べはついたかしら?」


 開口一番にまくし立て、栄子は高鳴る脈を落ち着かせるため、呼吸を整えた。


『お待たせしてすみません。わずかですが情報を得ることができました』


 そう電話越しに話すのは、佐々木真郎だった。彼は自信なさげに言葉を続ける。


『八年前に有名企業が立て続けに倒産したことは覚えてらっしゃいますか? その中に今回の被害者、萩野敏の企業も含まれていました。同じ年に孔雀蜘蛛ピーコックスパイダーと呼ばれる少年少女たちに、商業的性的搾取を強要し人身取引をしているとして蜘蛛網いがきと名乗る組織の幹部を検挙しています』


 やはり関わりがあったか――と栄子は相づちを入れ、それでと彼に話の続きを促す。


『蜘蛛網には日本に留まらす世界中の権威者が関わっていたようで、深く介入することができなかったようです。それに、誕生日なんかの様々な祝い事にかこつけ、蜘蛛網と結託して有力者が主催するパーティーを開いていたようですが、警察が検挙した際には未成年はおらず誤りだったとされたようです。

 企業の取締役に、有名な医者や弁護士、政治家だけでなく各国の最高権力家者が名を連ねていたとの噂もあります。警察の上級幹部の名もあったとも言われています。

 残念ながらないこれ以上詳しいことは分かりませんでした。なにせ、トップシークレット扱いされていますから』


「やっぱりその程度か――。さすがにそれだけの有権者が関わっているんじゃ、ね。幻の組織と言われただけあるわ」


 栄子は深いため息を付いてから、キッチンへと向かった。連絡の取れない苛立ちからか妙に喉が渇く。早く伝えなければと気ばかりが逸った。


 綴喜はこの組織の存在すら知らないのに――と。


 焦っても仕方ないと気を取り直し、作り置きしていたアイスコーヒーをグラスに注ぐ。適当に氷を入れて半分以上を一気に飲み干した。


 部屋が乾燥しているのね――ふとフル稼働するエアコンの下に備えている、停止したままの加湿器に目をやった。数日前に故障してそのままだったことを思い出す。


「加湿器――買い換えなきゃ」


『唐突に加湿器の話ですか? この頃は酷く乾燥していますからね。今日だって十分に一件火災の通報が入ってますよ』


「まあ、そんなに。急にごめんなさいね。壊れてたのを思い出しちゃって」


『そうでしたか。この時期に加湿器の故障は痛いですよね――。なに? あ、須藤さんすみません。少々お待ち下さい』


 佐々木は車内に居たようで、微かにパワーウィンドウの開閉する音が聞こえた。


 どうして僕に――と、電話口を押さえているのかこもったように遠い会話が聞こえる。さほどかからず、お待たせしてすみません、と彼は通話に戻ってきた。


『榎本さん宛てに封書が届いていたみたいです。僕に渡されても困るんだけどな』


 心底困惑した風に佐々木はぼやいた。


「今更綴喜宛が署に? 一体誰から?」


『それがわからないんですよ。面に書いてないんです』


「開けてみて」


『それはさすがに――信書開封罪にあたりますよ。僕、一応警察官ですし』


『彼ならすぐに開けろと言うわ。私が強要したと罪をかぶるから、開けてちょうだい』


 それでも渋る佐々木に「時間がないの! 綴喜死んでるかも知れないんだから」と、強い口調で諭した。


『わ、わかりました。ちょっと待っててください』


 ガサガサと紙の音が響いた。わずかな沈黙にも手に汗握る。


『し、城川元警視正』からです――佐々木は声を震わせてから『一月ほど前に自害なさった、あの城川元警視正からです』と、語気を険しくし言った。


「な、なぜ元警視正から。彼は城川警視正との接点なんてないはず。それに、亡くなってからこんなに時間が経って――」


 栄子が困惑に言葉を失っていると『今欲しい情報が綴られていますよ』と佐々木は告げ、躊躇うように言葉を続けた。


『孔雀蜘蛛の一人と親しいみたいです』


「誰が」


『榎本さん』


「馬鹿言わないで! そんなわけないでしょ」


 勢いの余りってグラスを倒してしまい、溶け残った氷が散乱する。やってしまったと氷を拾いつつ会話を続けた。


「ただの一般人である彼が――。いいえ、彼だけじゃなく私だってそう。警察も介入できない組織に飼われてるのよ、孔雀蜘蛛と出会うなんてないはずじゃない」


『それは、そうなんですが――』


「話にならない。全部読み上げてちょうだい」


 怒気を含んだ栄子の言葉に、わかりましたと佐々木は小さく返し『口挟まないでくださいね』と言って続けた。


『じゃあ、読みますよ。


 私と榎本様とに直接的な接点はありませんし、お会いしたこともありませんし、ましてお話したこともない関係でございます。ですが、手紙をしたためることをどうかご容赦ください。

 先日、私の前に悪魔が現れました。唐突に悪魔などと言われ困惑なさると思います。我々は彼岸の悪魔と呼んでおりますが、実在する人間でございます。

 悪魔は私にこう言いました。「時が来たらお前の知り得る情報を榎本綴喜に伝えろ」と。私の知る情報などたかが知れていますが、わずかでもお伝えできればと存じます。

 peacock spiderは蜘蛛網と名乗る主に人身売買を行う組織の主力商品で、かなりの高額で取引されている少年少女たちです。性的な行為だけでなく、知り得ることのない残虐な行為まで可能なようです。ただの性的搾取として売り出される子供には、peacock spiderの名は付きません。なんでも、人体改造されてあらゆる行為を許容でき、尚且つ美貌に優れていることが条件にあるのだそうです。

 彼岸の悪魔はpeacock spiderの中でも最高傑作と言われ、トップレベルの有権者が権力と資金力を行使し奪い合いをするほどの存在でした。すでに成人した年齢で現在の立ち位置は不明です。なにをして過ごしているのか、どこに隠れ住んでいるのか、誰に飼われているのか。全て不明です。ですが、榎本様の側に居ることは間違いありません。本人がそう言っていましたから。

 蜘蛛網にはあらゆる企業とも繋がりがありまして、中でも国内外の高級ホテルに入っていたディナーレストラン、レガーラの経営者は、榎本さんとも深い繋がりがあるのだと聞きました。先代の社長がpeacock spiderの一人を飼っていたそうです。

 ご提供できるの情報はこの程度です。なんのために、なにを榎本様へ伝えればよいのかわかりません。直接お会いしお話すべきなのでしょうが、私にはできないことでした。

 私は蜘蛛網の存在を隠蔽し続けてきました。この組織の悪事を知りながら、世間の目から隠し通すことが私の仕事でありました。警察組織に属す者の名もありましたし、著名人や政治関係者も名を連ねておりましたから、蜘蛛網の名を世間に知らせるわけにはいかなかったのです。

 私は前警視正のように割り切ってしまうことができませんでした。いつも犯罪を隠蔽する罪悪感に苦しみ悶えておりました。私は弱く力のない存在だったと身に沁みております。私にはこれ以上耐えうる精神を持ち合わせておりませんでした。

 榎本様と対峙する壁は、想像以上に巨大で分厚い物だと思います。ご健闘をお祈り申し上げます。


 以上です』


「死ぬ前に書いていたのね。こんなに日付が空いて届いたことを不審に思うけど、今はわかりっこないわね」


『そうですね。取り敢えず手紙は須藤さん家にFAXしておきます』


「ありがとう、お願いね。綴喜から連絡来るかも知れないしこの辺で」


 またなにかありましたら――との言葉を聞き届け栄子は通話を切った。重い溜息ばかりが漏れる。


 調査を続ければ続けるほど、新たな情報が舞い込み混乱する。まずは現段階の混乱を緩和することが先決だろうな、とアイスコーヒーを淹れ直し、小ぶりなピンクの灰皿とタバコを手にソファへ戻る。

 慣れない手付きで一本箱から抜き取り火をつけた。榎本が吸っているものと同じ銘柄のタバコだ。いつしか彼が恋しくなると、面影を追って煙を焚くようになった。別段タバコを吸いたいわけじゃない。


「あの人、こんなものを美味そうに吸って――。味も臭いも毒でしかないわ」


 着けたばかりの火を揉み消し、深く息を吸った。年甲斐もなく、自室に漂うタバコの匂いにときめきそうになる。


「さあ、どこまでspider's web複雑な陰謀を解き明かせるかしら。私、あなたの力になって見せるわよ」


 栄子はそう意気込み、手にした情報資料を整理するが最初から犯人像は揺るがなかった。さらなる確信へ導き、確実な証拠を集めて退路を防ぐ。そのための情報収集であり、整理だ。


 もっと可能性を潰していかなきゃ――栄子は簡単に外出の用意をし、バッグを手に取った。


 向かう先は、諏訪正治の父である諏訪昌栄の元。アポ無しの訪問で追い返されないか不安もあった。話ができるまでいくらでも待つつもりでいたが、すんなりと本堂へと通された。

 

「なんの御用でおいでになられたのですか」


 荘厳に佇む御本尊の前で正座した昌栄は、後方へ向き直り法衣の袖を正した。

 

「科学捜査班の須藤栄子と申します。行方不明になられているご子息のことでお話が――」


 威厳とも威圧とも取れる昌栄の雰囲気に、尻込みしそうになる。二メートルほど距離を開け、栄子は彼と向かい合いに着座した。


「どういったお話でしょう。以前おいでになりました警察の方や探偵の方にもお話いたしましたが、特別探していただくようなことはお願いしておりません」


「いえ、私は行方を知りたいのではありません。ご子息である正治さんは、諏訪さんの実子であるのかを伺いたく参りました」


「なんと不躾なことをおっしゃいます。正治は私の息子で間違いありません」


「不躾なのは承知しています。正治さんが息子であるのかではなく、実子であるのかを伺いたいのです」


「なにがおっしゃりたいのですか」


 あからさまに不愉快を示すシワが、昌栄の眉間に刻まれた。


「提供のご協力をお願いしたいのです。諏訪正治さんの父であるあなた様のDNAが必要なのです」


 お引き取り願います――瞳を伏せ、厳格な態度で住職は言い放った。


「誰がなんと申しましょうが正治は私の息子です。それを否定なさるおつもりなら、今すぐにお引き取りください」


「そうはいきません。正治さんについてご回答ください」


 気迫に負けないよう栄子も食って掛かる。こればかりは引き下がるわけにはいかない。せめて昌栄のDNAだけでも手に入れたかった。


「あなたに話すことなどなにもございません。これ以上、息子に変な因縁をお付けなさるのはおやめになってください」


 住職は鋭い目で栄子を睨み付け、静かな威嚇で追い返そうとする。


「現在二十四歳になる正治さんは、本当にあなたの息子である正治さんですか? 誘拐され戻って来たのは本当は誰なんです」


 なにが仰りたいのですか――くっと住職の喉が鳴り、言葉の張りに淀身が生じた。


「本当のあなたの息子である正治さんは、すでにお亡くなりではありませんか」


「なぜ、そのようなことを――。正治は今年の二月に二十四になります」


「生きている、とは仰らないんですね」


 死んだ者は年を取りません――住職はそう言って、狼狽した感情を圧し殺すように目を伏せた。


「もう一度伺います。あなたの実子、諏訪正治さんはすでに亡くなり、現存している正治さんは別の人物なのではありませんか」


「よくもそのような不躾なことを申される。あの子は私の息子でございます。正治は私の息子です。お帰りください」


 強く言い切り、昌栄は片膝を立て腰を浮かした。


 逃がすまい、と栄子は前のめりになり「あなたはなにを隠しているんです!」声を荒らげる。


「お引き取り願う! 二度と戯れ言を申しますな。あの子は私の息子だ。二度と失ってなるものか――!」


 誰か――と、住職は屈強な弟子の一人を呼びつけ、栄子を摘まみ出すよう命じた。


「離してちょうだい、まだ帰らないわ! 今のあなたの言葉は、一度失ったような言い草じゃありませんか!」


 栄子は叫んで抵抗するも、若く強靭な弟子の腕力に叶うはずもなく、本堂から引きずり出される。


「二度と失いたくないのでしょ? 正治くんが無事に帰ってきて欲しいのでしょ? 彼を救う道を探します! 私も榎本もずっと探しています! それにはあなたの協力が必要なんです――!」


 引きずられながらでも昌栄に訴え掛けるが、無慈悲にも寺の外へ放り出された。門外に勢いよく押し出され、バランスを崩した栄子は砂利の地面に尻もちをつく。

 追い払った弟子は栄子を助け起こすこともなく、ピシャリと門を閉ざした。


 閉ざされた門前で座り込んだまま、空を見上げる。どんよりと薄暗く重い雲が一面に広がり、自身の姿を写す鏡のようだと、栄子は深く息を吐いた。


 いい加減みっともないと思い、ようやく身を起こす。スーツは砂埃で汚れていた。力なくのったりと砂を払う。


「綴喜の役にたちたいのに――。情けない」


 右手の小指を少し擦りむいていた。あまりの悔しさと惨めさに視界が滲み、栄子は口をきつく結んだ。



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