第37話 図書室は安息の地ではない
「……やっと、静かになれた」
午後の授業が終わり、生徒たちが部活動や談笑で騒がしくなる中、レイはひとり、学園の図書室へと足を運んでいた。
重厚な扉を静かに開け、薄暗い木の香り漂う空間に足を踏み入れる。
静寂と紙の擦れる音だけが響くこの場所は、レイにとって唯一の“安全圏”だった。
「誰もいない……よかった」
お気に入りの読書スペース、窓際の角席に腰を下ろすと、レイはそっと本を開いた。
魔法理論書、装飾も少ない地味な参考書で、誰も興味を持たなさそうなもの。あえてそうしている。
だが——。
「……」
本を開いて十秒、レイの右側に影が差す。ゆっくりと振り向けば、そこには無言の少女・ミーナが立っていた。
「……あの、何か用かな?」
「……」
返事はない。ミーナは静かに椅子を引き、レイのすぐ隣に腰を下ろす。
その動作は、まるで最初からそこに座ることが当然であるかのように、自然だった。
「えーと……他にも席、空いてるんだけど」
「ここが一番落ち着きます」
小さな声で、でもはっきりとミーナは答えた。
本を取り出し、ページをめくる。その内容は……レイがさっき開いていた本とまったく同じだった。
「同じ本……」
「偶然です」
偶然なわけがない。だが、反論しても意味がないことはわかっている。ミーナのペースに飲まれるだけだ。
レイはため息をつき、視線を戻した。だが、集中できるはずもない。
隣からの気配が常に一定の距離で漂っている。呼吸の音すら、妙に耳に残る。
「……はぁ」
そのとき、視界の端にふわりとナナミの姿が浮かんだ。宙に座るように浮遊しながら、彼女は苦笑している。
「レイ=優斗。君、それ“見張られてる”ってことだよ」
「……知ってるよ」
「ミーナちゃん、ああ見えて観察力ヤバいから。逃げたつもりでも、“どこに行くか予測済み”ってこと」
レイは頭を抱えた。静けさを求めて辿り着いた図書室が、まさか最も緊張を強いられる場所になるとは思っていなかった。
「これじゃ、落ち着ける場所がない……」
「でも、ミーナちゃん的には“ふたりきりになれて満足”なんだよね」
ナナミの言葉を裏付けるように、ミーナは本を読みながら、わずかに唇をほころばせた。
この静けさは、安らぎではなく——観察と執着の静寂だった。
そしてその日以降、図書室は“ミーナの隣席”がレイ専用の定位置として暗黙に定着していく。
誰も気づかぬうちに、その距離は“ゼロ”へと縮まっていた。
ミーナのノートには、今日もひとつ、行動記録の新しい項目が追加される。
『図書室・隣席滞在時間:87分。読書中の目線移動:34回。息遣いに変化あり』
ナナミの小声がレイに届く。
「おつかれ。これ、たぶん本当に“逃げ場”じゃなくなってきてるよ」
レイは本を閉じ、無言で椅子にもたれた。
ページは最後まで読めなかったが——それが最善だったのかもしれない。
「逃げても、無駄だよ」
ナナミの言葉が、妙に優しく聞こえた。
レイは、ただ静かにため息をついた。
図書室——それは、もう“逃げ場”ではなかった。
——その後、レイは次の日も図書室に行った。だが、今回は違った。
図書室の扉を開けると、そこには確かに彼女が待っていた。レイを観察する目が、無言でこちらを見つめていた。その冷たささえ、だんだん心地よく感じ始めていた。
人は、追われることに慣れるものだろうか。
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