全ては許されている
何に耐えるのか。
それが問題だ。
六本木の高級コンドミニアム、ブランド立ち上げまでの仮住居として借り上げた一室。
微かに開いたカーテンの向こうに瞬く夜景に彼女が目を向けることはない。
向けるべきは別のところ。ノートパソコンのモニターの中にある。
髪を後ろで纏め眼鏡をかけた女は、画面に表示された「物語」を貪るように読んだ。
彼女にとっては外国語——それも習得が難しい類いの——である日本語で書かれた文章は、作者の意識を反映してか読みやすいとはとても言いがたいものだ。軽薄な口語が続いたかと思えば、突如硬質な、時に論文めいた文体の描写が状況を塗り替える。日本語学習者としては後者の方が断然に読みやすいが、面白いのは明らかに前者だった。
多義性と隠喩、明示されぬ反語。
読者が作者と同質の知的、文化的——より踏み込むならば階級的とさえ表現できる——背景を持つことを前提として描かれた文章こそが、文化の象徴としての日本語を彼女に教える。
アナリース・エストブールが『地に落ちて死なば』というウェブ小説を発見したのは、男に紹介された青年、由理・レスパンがポストに貼り付けたアドレスを見たときのこと。
その後由理が行った狂乱含みの連続ポストにも全て目を通した。
俳優であれ学者であれコメディアンであれ、SNSで持論を臆面なく開陳することは欧米圏ではよくある光景だった。ゆえに『この人を見よ』の原作者が何かある対象に熱烈な批判——それは明白な批判、つまり対象に並々ならぬ関心を抱いていることの証左である——を加えているところを見てもさして驚きはしなかった。
アナリースは由理が著した『この人を見よ』という作品に関して特に感慨を持たない。
自身を擬するヒロイン、アナリゼが主人公たる王グロワス13世に愛される様は悪くはないが、それとても他人事である。王とその妻達に関する描写が事実とかけ離れすぎているため、感情移入には全く至らない。
著者が舞台と登場人物の名前を完全に一致させながら、そして王没後の政治的な変動(作中では王が主導したものとされているが)をかなりの精度で書き上げながら、王の私生活に関しては描写が杜撰に過ぎることを彼女は常々疑問に思っていた。
少女の頃から温めたその謎は、あの日、有楽町のフレンチレストランであっけなく氷解した。
作者があのジュール・レスパンであるのならば辻褄が合う。
彼は王の私生活を知らない。しかし王の思想と心の一端を理解していたであろう男だ。そして、
だが、そのことにすら彼女は特段の思いを持たなかった。サンテネリに生きた当時から。
「世界はかく在るように在る」のであり、それは全て定められた「物語」の一部なのだ。
新大陸に旅立つ前日、息子は彼女にこう告げた。
「母上。おれは父上の魂を継ぎます。地位ではなく」
彼女は息子を優しく抱きしめ、「そうなさいませ」と答えた。
息子の死の報に接して彼女は少し涙を流した。そして思った。「神の御裾の元、世界はかく在るように在るのだ」と。
その教義と真逆の姿勢を貫いた夫と暮らし、強く影響を受けてなお、彼女の存在の根本には正教の教義が根付いていた。あるいはその教えは本来、彼女のような境遇に陥った人間を慰めるためにこそ在ったのかもしれない。息子を亡くした母の心を慰撫するために。
ゆえに彼女はサンテネリ共和国のことも国民会行政委員長のことも恨みはしなかった。かく在るように在っただけのことなのだから。
しかし、地球に生きる女、アナリース・エストブールは違う。
彼女はアナリゼでありながらアナリースである。
かつてサンテネリを現実に生き、今「現実」を現実に生きる1人の女性である。
よって彼女は「物語」を受け入れない。
この心境こそが、かつて夫が心に秘め、子ども達に伝えようとした最も気高いものであることに、この世界に生まれて初めて彼女は気づいた。
聖書の一節から採られた詩的なタイトルに惹かれて、半ば語学学習の1教材として、彼女は『地に落ちて死なば』を読み始めた。
それを書いた人間が誰であるかはすぐに見当が付いた。
その人は比較的洗練された大人の男性である。
彼女よりも10歳年上の落ち着いた男だ。彼はある企業の代表であり、時計を趣味としている。
そこそこに知的でもある。母国で飛び級を繰り返し
悪くない男だ。より正確に言えば好ましい男だ。
そこには虚勢がない。焼け付くような、煮立ったような野心もない。
だが、そんな外面の印象は作品を読み進める中で霧散した。
そこに描かれていたのは一種の苦闘である。煩悶と言ってもよい。
現代日本から転生したごく平凡な一人の男が大国の主となる。否応なく。
しかも誠にもって不幸なことに、男はそこそこの知性を備えていた。
文化と常識の違いが意味するところとその相対性を理解している。21世紀の「進んだ世界」の常識を元に「劣った世界」を変革してやろうなどとという素朴な使命感を決して持ち得ない程度には、彼は現代の人間であった。しかし一方で、過去の世界の枠組みに染まることができないほどにも、彼は現代人であった。
ゆえに男は慎重に事を進める。
周囲に臆病と見られようとも、優柔不断と侮られようとも、彼はそうあらざるをえない。なぜなら、彼の下す決定は多くの人間に致命的な影響を与えること明白なのだ。
彼は王である。
彼、アントワン3世はいくつかの失敗をする。
国軍の規模縮小や宮廷歳費の削減は国庫を多少潤す一方で、リュテス王国に生きる様々な人々に少なからぬ犠牲を強いた。それを理解しながらも彼は決定せざるを得なかった。
経済学の萌芽はあれど、それは未だ哲学と分化しえず全てが手探りの時代である。よって時代の常識に添う——換言すれば前例を踏襲する——ことが最良の選択であると見なされていた。
王は決定し、その責任を引き受けた。言い換えるならば恨みと罵倒を。
宮殿に住まう王の目には決して触れることのないところで発せられる怨嗟を想像できる程度には、彼は知的な男であった。
現代の地球においても頻繁に起こる、何一つ目新しいところのない平凡な悲劇が展開されていく。ある文化における最適解が他の文化においても最適解であることは希だ。たとえば西欧とアフリカ。たとえば東アジアと中東。例を挙げればきりがない。ただし、現代の悲劇は「文化」対「文化」の衝突の末に起こるものである。リュテス王国で起こったのは「一人の男」対「世界」であった。
アントワン3世はいつものように皮肉めいた自嘲を連ねながら、内心決まってこう呟く。
「まぁ、なんとかうまくやっていくしかない。ぼくの責任において。その道を選んだんだからね」
よって物語は単調だ。
それは毎日の生活——目新しいところなど何もない、いつもの「どうしようもない」日々——をわかりやすく象徴化したものにすぎない。だが、単調さは不変を意味しない。かすかな変化は常に存在する。彼はその微細な動き——彼に許された自由——をその意思において操作する。例のごとくぼやきながら。
こうしてアナリースは彼を知った。
彼が何者であるかを。
全くもって指導者には向かない男だ。
臆病で神経質、かつ他者を気にしすぎる。
作中、精神的に追い込まれていくアントワン3世の姿には説得力があった。適性が皆無の仕事を否応なく割り振られた哀れな男だ。
しかし。
アントワン3世は、強いられてなお「物語」を受け入れなかった。
受け入れてしまえば楽になる。子を失おうと、家を失おうと、夫を失おうと、それが「運命」であると思えば
だが、彼は拒否する。
彼は耐える。
つまり彼は真に偉大な男だ。凡庸でありながら偉大であるような類いの。
アナリースは思う。
アナリゼではない。アナリースは思う。彼女の内奥、乳房の奥、肋骨の奥からは1つの感情が湧き上がる。その思いに名をつけることはできないが。確かに。
彼は手巻きの3針時計なのだ。
派手な技巧はない。ただ時間を表すのみ。退屈な時間を、淡々と。
それがどれほどに素晴らしいことであるか、時計師である彼女はよく理解していた。
◆
「実はその……ああ、読んだことはあるんですよ。ほら、時計がテーマの一つになっているとネットで評判だったから」
実にばつの悪そうな声色で男は白状した。飲み終えて氷だけが残るウーロン茶のグラスに口をつける素振りをしながら。
「さっきまでは知らないと言っていましたね?」
アナリースは静かに、穏やかに問う。平板な口調。だが彼女をよく知る者が聞けば、そこには微かな愉悦の色が混じっていることに気づいただろう。
「確かに、私は嘘をつきました。申し訳ない。——ただ1つ言い訳をさせてください」
『どうぞ。なさって?』
男の狼狽があまりにもかわいらしく感じられるがゆえに、彼女は自然母語で返答する。
「ああ、うん。その……。あなたがSNSに上げた投稿を実は私も見ました。あなたは『地に落ちて死なば』を大分気に入っているようだった。個人の好みは自由です。ただ、ビジネスにそれを持ち込むのはよろしくない。あの作品よりも『この人を見よ』の方が何倍もいい。私はそれを”取るに足らぬもの”とあなたに感じてほしかった。だから知らないふりをしました。——分かるでしょう? あなたは仕事をしてるんだから」
「もちろん分かります。でもそれは逆ですよ? 仕事だからこそ『この人を見よ』では駄目なんです。時計は実用品ではありません。ブランドそのものですから。ブランドビジネスの成否はその存在を正確に語れるかどうかにかかっています。だからエストブールが何を目指す、どのような存在であるか、顧客に正しく伝える必要があります」
『この人を見よ』とコラボレーションすることにより、彼女が計画するエストブールのセカンドラインは日本において一定の知名度を得るだろう。短期的な広告宣伝としては悪くない。だが、ブランドビジネスは1年、2年のスパンで行うものではない。20年、30年、40年、50年。長い歴史の中で「生き残っていく」ことを目指す業種である。
エストブールとはこういうブランドだ、と正確に認知され、憧れられなければならない。長い時間をかけて。
ゆえにブランドイメージとマッチしない広報は短期的な利益をいかにあげようとも、究極的にはブランドを毀損する。それは死だ。
目の前の彼はブランドビジネスに明るくない。
アナリースはそれをはっきりと理解した。
地方の企業創業家の3代目だというが、彼の企業が持つであろうブランド——信頼——は意図して作られたものではない。長く存続することによって自然発生したもの、つまり、後からついてきた「余録」である。
一方、立ち上げたばかりのエストブールはブランド——憧れ——を人工的に作らなければならない。意図的に。
それは似て非なる行為である。
「では『地に落ちて死なば』であればエストブールのイメージを正確に伝えられるんですか? あの地味な、湿気た話が……」
途方に暮れた体で戯れにグラスのストローをかき回しながら男が答える。
「ひどい言いようです。『地に落ちて死なば』がお嫌いですか?」
「嫌いでは……。まぁ、悪くはないと思いますよ。悪くはない」
「ではどこが好きですか?」
アナリースははっきりと、楽しげに問うた。狩りは楽しい。
かつて
『陛下はときどきよくない嘘をつかれます』
王は最終的に自身の悪行を認めた。
『分かったよ、
女の幸福に満ちた人生において、真に「幸福」であったひとときの追憶がアナリースの胸中を満たしていた。
「好きなところは特にありません。ただ嫌いでもない。……あれは、ああいうものなんです」
彼の諦め混じりの口ぶりは意図しないところで心情の核心を彼女に伝える。それはもはや自白に近い。
『頻度は比較的高いと
まれに嘘をつくこともある、とごまかした夫グロワス13世を王妃アナリゼはこう言って追撃した。
だが今回、
東京においても2人は相変わらずだ。
彼が全面降伏するまでにはもう少し時間がかかるだろう。
◆
就寝前のひととき、ノートパソコンを閉じてベッドに横たわりながらアナリースは夢想する。
『地に落ちて死なば』の著者とビジネスパートナーになった自分を。
エストブールの取締役として、彼女は彼と契約するだろう。
作中にエストブールをモデルとした時計を登場させる。映像化の際には実物を王アントワン3世に使用させる。
新作発表会にも当然彼を呼ぼう。特別ゲストとして。
場合によっては著者本人にエストブールメインラインのブランドアンバサダーになってもらうのもよい。芸能人よりも作家や学者の方がより上品なイメージを形成できる。
あるいはそれは新作の発表のみに止まらなくてもよい。
たとえば彼女と彼の婚約発表でもよい。
そのときは「お友達」も呼ぼう。
そして言うのだ。
「青佳さん、茉莉さん、知子さん。こちらにいらしてくださいませ。一緒にお話をいたしましょう?」と。
そこまで空想したところで彼女は現実に引き戻された。
それは後の話であると。
まずは彼を引き留めることだ。網をかけ、縫い付けること。逃げ出さぬように。厳重に。
青佳から送られてきたメッセージを思い出して、彼女は思いを新たにする。
まずはビジネスパートナーからでいい。
彼と一緒に何かを作る。
それは一つの強固な鎖となるだろう。
アナリースは一度閉じた瞳を再び開け、じっと天井を眺める。白い、無機質な。
かつて自身の身体を包み込んだ天蓋はもうない。豪奢な羅紗地の天蓋は。
ここは日本である。
彼女は何でもできる。意思したことを意思したように。
「物語」はもうない。
全ては許されている。
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