この人を見よ 2

 旧友からの連絡は大体においてうれしいものだよね。お金に関わらないものであれば特に。あ、マルチ商法の勧誘とか宗教系を除いて。


 で、今回ぼくの携帯に流れてきたお誘いは明らかにうれしいことの範疇に分類していいものだ。食事の誘い。友人からの。

 ぼくにはちょっと人に自慢できるタイプの友人がいるんだ。したことないけど。


 知っているだろうか。最近ドラマとか映画で大ブレイクしているユリス・レスパン。

 あ、由理ゆうりって言った方がいいかな。彼の芸名。一見女性と間違えられる名前だけど、それもあながち間違いでもない。中性的な美貌ってこういう顔なんだと全国民に教えてくれるタイプのイケメンなので。よく似合ってる。

 本名から分かるように、由理くんはフランス人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれたハーフだ。

 容姿の細かい説明は必要ないね。ふらっと渋谷辺り行ってみればいい。いろんなところに広告写真貼ってあるから。


 彼、実はぼくの友人だったりする。

 うだつの上がらない地方中小企業の社長と今をときめく大スターの彼がなんで知り合いなのか、不思議だよね。


 これは純然たる若気の至りなんだけど、結構前にうちの会社、新規開拓を頑張ったことがある。正確には会社じゃなくてぼくが頑張った。言い換えれば、先走った。

 エコとか再生エネルギーとかが騒がれてた時期だ。SDGs! 

 造園業のベースを生かして、自然との共生とかエコとか盆栽とかそういうのを全部ぶち込んで、お洒落カフェとかも展開して、って謎ムーブに出た。

「世界を変える。木々と暮らす世界へと」みたいなキャッチフレーズで。

 もう一度言う。ぼくがやった。戦犯です。


 ぼくの前職はネット広告の営業だっていったよね。言ってなかったかな。

 IT系、今はどうかしらないけど、当時はまだふわっとしたところがあってね。知り合いの知り合いを辿るととんでもないイケイケの大会社とか旭日の勢い目映いベンチャーとか、そういう辺りと繋がることができた。

 で、そんな「人脈モドキ」と家業をどうにかジョイントできないか、足りない頭で色々考えて謎プロジェクトが出来上がった。

 こう、渋谷で飲むわけです。そういうお洒落IT界隈とか広告界隈の人たちと。趣味はスケボーで、古いレンジローバー乗ってる(ゴールデンレトリバーとかと一緒に)感じのアレな人たち。お酒も入ってノリノリで広告打とうってなった。事業戦略もなにもないくせに。

 話しはトントン拍子に進んで、アサインされてきたのが当時駆け出しのモデルだった彼だ。


 初対面はお世辞にも好意的なものじゃなかったよ。今でもそうだけど彼はあの時もピーキーだった。ぼくはぼくでイケメン嫌いだからね。


 第一声、彼は言ってくるわけだ。

 180センチを優に超える長身で、波打つ金髪をはためかせて。


「小金持ちのお遊びはさぞや楽しいでしょう。——あなたは本気で思っているんですか? こので世界が変わると」


 電波かな? 

 ひょっとしたら、ちょっとをキメてらっしゃるんじゃないかと疑ったりもした。

 そもそも世界を変えるつもりなんてないよ。ただのCM撮影なんだから。


 尖り方にも限度ってものがある。クライアント、しかも初対面の人間にここまでの直球を投げられる人はまず居ない。尋常じゃないルックスを持ちながらこんなしょぼい広告のイメージキャラクターに応募してくる理由がよく分かった。これは大成は無理だわ。

 唖然としつつぼくも言い返した。若かったからね。


「逆に聞くが由理ゆうりさん、どんな行動であれ、あなたは自分が何かをすれば世界が変わると思っている。そういうことだろうか」

「ええ。何も善いものを生み出さない行為に価値はありません。俺は価値ある仕事をしたい」

「それはあなただけの特性と考えていいのかな。変えられるのは選ばれた者だけ。あなただけが特別な人間だと」


 こういうタイプの人間はそれほど珍しくない。というか、世界をよくするかどうかはさておき、人はみんなそういう感覚を持っているはずだ。この世界においてと。もちろん現実は異なる。ぼくたちは端役に過ぎない。でも、その事実に気づくには年月が必要だ。まだ20歳(当時ね)そこそこの青年にそれが分かるかと言われれば難しいね。


 だから彼の返答は意外だった。気色ばんで詰め寄るように由理くんは言った。


「まさか! 皆がその力を持っているはずです。世界を少しでもよくできる力を」


 ならば話は早い。ぼくの答えは今回もシンプルだ。


「では、あなたは他者を巻き込むべきだ。拒絶ではなく。決めつけるのではなく。誘い込むべきだ。——あなたが何を望んでいるのかは分からないけれど、あなたの想いは恐らく善いものだ。だから、それを実現するよう努めて欲しい」


 年長者としてちょっとかっこつけてみた。

 人を巻き込むのは大切。ちょうどこの時は例のIT系やらクリエイティブ系イケイケ界隈と仕事してたからね。その「チーム」感が言葉に出たんだろう。


 で、この会話、地球規模の自然保護活動とかそういうレベルの話なら格好がついたんだけど、残念なことに今回はね。主張したいことがはっきりしない我が社のイメージ映像と自然派カフェの宣伝だからね。某家電メーカーが野原に屹立する巨大な木を延々写すだけのCMとかあるでしょ。あれ。社名を覚えてもらうためだけに流すやつ。

 つまり、造園業のちょっと古いイメージをカッコいいものに刷新したいというぼくの浅はかな欲望の表れ。言い訳させて貰うとその方が新卒集まるから。将来の採用難を見越しての一手なんだ。後付けだけど。


 ぼくのちょっと気取りすぎた言葉に彼は無言だった。

 長く続いた静けさの後、彼は口を開いた。本当に、驚くほどに優美な唇を。

 同時に笑顔を。

 さっきまでの狂犬じみた表情は姿を消した。

 なんでだろうか。本当にうれしそうに彼は笑ったんだ。


「そんなことを言われたのはです……俺は」

「私もだよ。”小金持ちのお遊び”とはっきり言ってくれたのはあなただけだ」


 ハッとさせられた瞬間だった。

 由理くんは明らかにおかしなやつだけど、確かに真摯だ。自分の食い扶持と評判を失うことを覚悟しながら、ぼくに”本当のこと”を言ってくれたんだ。

 知ってるかな。社長、特に田舎のオーナー社長になるとね。”本当のこと”を言ってくれる人は誰もいない。


 最後に締まらない話をしておこう。

 CMは撮った。ラフな白シャツとジーンズの彼が裸足で芝生を歩くシーン。うちが手がけた庭のね。

 手にはこれまたうちがプロデュースする予定の抹茶ラテをマグカップで。

 うん。全く話題にならなかったね。


 でも未来は予測不能だ。

 由理くん、今では大人気モデル兼俳優だからね。その時撮ったCMが大スター幻のお宝映像みたいになってる。で、バラエティ番組のゲストとして彼が出演すると「過去の面白映像コーナー」とかで昔の映像が流れたりするでしょ。そこであの時撮ったうちのCMを流してくれるんだ。わざとらしいくらいにうちの社名まで連呼してくれるよ。

 つまり彼はいいヤツだ。


 ちなみに、後で分かったことだけど、彼はぼくの大学の後輩でもある。




 ◆




「先輩、俺、どうすればいいですか」


 六本木の某老舗イタリア料理屋で会った。

 超売れっ子の彼だからリアルに顔を合わせるのは久しぶり。といっても三ヶ月ぶりくらいだろうか。

 あ、ちなみにスマホのメッセージはしょっちゅう来る。なんか暇になると連投してくる。ぼくが暇を持て余す哀れな人間であることを分かってるんだろうね。他の全てを投げ打ってでも彼とメッセージのやりとりをしたい人なんて山ほどいるだろうに。

 彼も大人になった。気遣いというものを理解したね。一番どうでも良さそうなぼくを暇つぶしの相手に選ぶ程度の常識を手に入れたわけだ。


「いい役だと思うよ。受けたらいい。私も最近に教えてもらって読んだけど、間違いなく売れるだろう。意外にも女性人気があるみたいだしね、あのお話」


 三沢さんと茉莉さんがハマっている例のマンガ、アニメ化に加えて今度実写映画化するっぽいんだ。ただ、まだ情報解禁前、それどころかキャスティング段階なので誰にも言えない。彼女達に教えてあげたら喜ぶだろうけど、由理くんの信用に傷がつくのでね。


「女性人気……。信じられませんね。あの話、ヒロインなんてそれこそ皆舞台装置みたいなものなのに」

「いや、そうでもない。私の知人の女性も何人かハマってるから。その子はヒロインが自分に似てるって嬉しそうにしていた」


 その人、キャラのイラストを自分のメッセンジャーのアイコンにしてるんだけど、そこまでは言わないでおいた。個人情報なので。

 由理くんは無言。考え込むように宙を凝視する。なんというか、身振り手振りの全てが絵になるな。彼は。


「上手くやれるよ。きみなら。グロワス13世はそんなに複雑なキャラクターじゃない。果敢な行動をカッコよく演じられれば及第点。胸に秘めた懊悩と激情をどう表現するかがポイントだけど、それはまぁプロのきみの方が詳しいだろうから」


 これまでも彼とはよく文学とか演劇の話をしてきた。同じ文学部同士、結構込み入った会話になる。

 最近のテーマは芸術全般にとって最も重い問いの一つ。


「飢えた子どもを前にして、芸術は価値を持ちうるか」


 ぼくみたいな芸術と縁遠い人間にとってはそこまでの切実さはないけれど、彼にとってはまさに死活問題だろう。

 もう何年も前にぼくに浴びせた言葉は今も彼の心の内にしっかりと根を張っている。

 由理くん、ドラマであれ映画であれ新しい役をオファーされる度に相談してくるんだ。

「この役で俺は何をもたらせるでしょうか。善いものを」って。

 もうこのシーン自体ドラマにすればいいと思うよ。ぼくの役はイケオジ俳優に変えて。


「確かに表面を演じることはできます。でも、先輩が言うとおり、難しいのは”秘めた部分”なんです。俺にはそれができない」

「最悪、無くてもいいんじゃないかな。強大なリーダーシップで社会をより善い方向に変えていく。そのために必要なのは強靱な、揺るがない意思だ。それ以上の複雑さはテーマをぼかしてしまうかもしれない。ストレートにやればいい」


 複雑な話は受けない。

 例のマンガが受けてるのだって誰にでも分かる勧善懲悪の図式あってこそだ。それは悪いことじゃないよ。分かりやすく楽しめる話は必然的に多くの人に届く。そして多くの人の心に「何か」を残すだろう。


 彼はぼくの言を受けて再び黙り込んだ。

 真面目なのは良いことだけど、もう少し肩の力を抜いた方がいい気がするね。

 そんなことを考えながら子羊のグリルをつついていると、彼が唐突に面白いを口にした。赤ワインを片手に。

 あ、ここの赤いいよ。値段さえ考えなければ。


 昔はぼくが奢ったものだけど、そろそろぼくの方が彼に集っても良い頃合いではなかろうか。彼も売れっ子だ。なのにぼくと食事するとき、由理くんはいつもぼくにごちそうしてほしがる。

 奢ると高いから嫌だと茶化すと、じゃあファミレスでいいとかほざく。無理だよね。ぼくが愛する千葉県発祥のイタリア料理ファミレス(間違い探しリーフレットが秀逸な)に由理降臨とか。

 よって結局こういう芸能人あしらいに慣れたお店に足を運ばざるを得ない。遠いんだよ、六本木。あと駐車場がなかなか見つからない。


「——先輩やりませんか?」

「なにを」

「グロワス王」

「ああ、いいね。素晴らしい。私もいよいよスクリーンデビューか。あの決め台詞を言う機会が来た。——”この剣を振り下ろす相手は何者だ! その卑劣漢の名を王に教えてくれ! 賢明なるシュトロワ市民諸君!”」


 あ、これね。ゾフィ姫っていうヒロインの一人が悪いやつに陥れられて、民衆につるし上げられそうになるのを、王が危険を顧みず救出に向かう名シーンだよ。序盤の見せ場。


「やっぱりがやるべきだ。——王を」


 この「王を」と呟くときの間。やっぱり由理くんはプロなんだと実感する。ゾクッとする雰囲気がある。


「分かった分かった。じゃあ、きみが製作サイドを説得してくれたら引き受けよう。ちゃんと言ってほしいな。『自分じゃなくて、知り合いの造園会社の社長やってる30代のおじさん(役者未経験)をキャスティングしてほしい』って」


 ぼくは笑いながらワイングラスを揺らす。

 結構酔いが回ってきてるので匂いもなにもあったもんじゃない。お洒落仕草。


 宴もたけなわ、あとはデザートを待つばかりなのに、いきなり由理くんが居住まいを正す。

 あ、これはあれか。CM出しませんかとか製作委員会に一口噛みませんかとか、そういう頼みかな。


「本気で答えてください。——あの話、先輩は面白いと思いますか?」

「え? ああ、うん。もちろん」


 すると彼は再びを口にした。

 そう思いたかった。冗談であって欲しいと。


 なぜって、由理くんの言葉が真実ならば、ぼくは彼を心の底から妬まなければならないから。

 ぼくがなりたくてなりたくて、なれなくて、諦めた何者かに、彼がなったということだから。


「俺が書いたんです。あの話。——『この人を見よ』を」

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