第2章「異国の王子と王女」②
いつの間にかすっかり陽も沈んでしまっていたので、今日中に従者たちと合流するのは諦めたほうがいいと考えたメイヴィスは、まずは随分と心身を消耗しているハルス王女を急造りの横穴で休ませることにした。欠伸を噛み殺しながら火の番をしている間、メイヴィスはぼんやりと昔のことを思い出して独りごちた。
「懐かしいな……」
メイヴィス王子がハルス王女と出会ったのは、十三歳になる年だった。ハルスはメイヴィスの兄のシグナスが東の国ラダニエに留学に行くのと入れ替わりで
出会って半年が過ぎる頃には、メイヴィスはハルスとすっかり打ち解け、他のどんな学友よりも一緒に居る時間が長い存在になっていた。もっとも、毎日夜遅くまで書庫に残って自主的に勉強していたのは二人しかいなかったので、会話する機会が多くなるのは必然とも言えた。因みに、真面目な性格のハルスがいつまでもメイヴィスに対して敬語を使うので、事あるごとに気楽に接してくれれば良いと言い続けていたら、友人同士の呼びかたにはなったものの、敬語はついに外れなかった。
もうすぐハルスが留学してきて九月ほどが経とうという頃、座学が終わって弓術の練習場に移動している最中に、彼女がふとメイヴィスに尋ねた。
「メイヴィス。さっき先生とお話していて聞いたんですが、十日後のサンシュヒョウテイカイって何ですか?」
メイヴィスはああ、と頷いた。三種評定会とは、この国で年に一度開催されている伝統的な催しだ。
「もうそんな時期か。きみがここに来たのは、去年の評定会のしばらく後だったね。かんたんに言うと、成人前の王族や王宮務めの貴族が、弓術と剣術と座学の成績の三種目を競うお祭りのようなものだよ。留学生の王族も対象だから、今年はきみも参加することになると思う」
なんでも、この国が創られた当時の英雄王が弓と剣の名手であるとともに学問を重んじる人物でもあったことに由来しているらしい。
「なるほど。それじゃあ、これから弓と剣をもっと練習しないと……」
ハルスはそう言いかけて、誰かの視線に気付いておや、と立ち止まった。メイヴィスもつられて立ち止まる。練習場の入口の左の角のほうで、メイヴィスと同じ髪の色をした少年がこちらをちらちら見て、仲間と何事か言い合っているようだった。
「あそこにいらっしゃるの、グラフィアス様……ですよね」
ハルスが戸惑ったようにメイヴィスに耳打ちした。ハルスが言った通り、輪の中心にいる少年はメイヴィスのすぐ上の兄のグラフィアスだ。メイヴィスは溜息をついて、ハルスにだけ聞こえる声量で答える。
「取り合わなくていいよ。僕が去年の評定会でたまたま総合優勝したからって、それ以来ああして何かと僕を目の敵にしてくるんだ。姉の面子をつぶすとは何事だ、ってね」
三種評定会は表向きは王室内の交流促進という名目ではあるものの、次期王室を牽引していく世代の者が現国王に自らの有能さを示すための場であるということは周知の事実である。メイヴィスの姉のテオドラ親派の筆頭であるグラフィアスにとっては、テオドラの活躍の場を潰すメイヴィスの存在が面白くないのだろう。グラフィアスは、一番上の兄のシグナスが二年ほど前に王位継承権を放棄してからというもの、次の王位継承権を持つ姉のテオドラにあからさまに取り入り、器用にも両親が見ていないところでだけ、こうしてメイヴィスを邪険にして、どうにか評判を下げようとしているのだった。メイヴィスは性格上、誰かから敵意のある目で見られるくらいは特に気にしていないものの、それでも面倒なこと極まりないのは確かだった。テオドラやグラフィアスと違って、メイヴィスは特に王位を狙うために評定会に参加するわけではない。ただ、現時点で第一王位継承者でない者が表立って王位継承権を放棄することはできないというだけのことだ。
「でも、ごめん。僕といっしょにいたら、きみまで悪く言われるかもしれない」
メイヴィスがそう謝ると、ハルスはどうしてそんなことを、と言わんばかりの表情で即座に首を横に振った。
「ううん、気にしません。それより、練習しましょ。わたしたち、そのためにここに来たんだもの」
メイヴィスは目を丸くして一時言葉を失ったが、すぐに目元を緩めて頷いた。
次の日からも、メイヴィスはいつも通り自習を続け、弓と剣の鍛錬を続けた。ハルスも評定会に参加するからにはもっと上達したいからと、生来の真面目さを発揮して、メイヴィスと一緒に鍛錬を重ねた。その期間中、王宮ですれ違ったグラフィアスたちがメイヴィスの悪い噂を流そうと陰口を言っているのを何度も見かけたが、メイヴィスは相手にしないことにした。
そして、三種評定会の日がやってきた。座学の試験は事前に行われ、今日は成績が貼り出されるだけだ。午前中の種目は剣術だった。メイヴィスは昨年と同じように一位を獲ったが、グラフィアスは剣術が得手ではなく準決勝で既に敗退していたためか、それとも元々剣術が男女別の種目のためか――女性の部は姉のテオドラが一位に輝いて惜しみない賞賛を得ていた――、剣術の評定の時間はわりあい平和に過ぎていった。
問題は午後の弓術だった。弓術は男女混合競技で、遠くの的にどれだけ正確に矢を当てられるかを競う。十四人の参加者が挑戦したところ、その中で最も中心近くに矢を当てられたのは、今のところテオドラとグラフィアスだった。残るは十五人目のメイヴィスと十六人目のハルスだけだ。
メイヴィスはひとつ息をついて集中力を最大限にまで引き上げ、事もなげに弓を引く。その途端、どよめきが起こった。メイヴィスが放った矢は的の中心を見事に射抜いていた。
矢を射って皆の前を辞した後、メイヴィスが控えの場に戻ってハルスと軽く雑談していると、グラフィアスがメイヴィスの後ろを通って、声変わりの済んだ低い声で一言呟いていった。
「目上の者を立てられもしないとは、恥知らずめ」
「…………」
メイヴィスは反応しなかった。グラフィアスからはちょうどハルスの姿が見えていない角度だったらしく、第二皇子は
「おっと。他国の姫君にお聞かせするようなことではなかったな。失礼。独り言とでも思ってお忘れください」
ハルスは特にはいともいいえとも答えず、グラフィアス王子に笑顔で礼をした。
「……次、わたしの番ですね。失礼します」
既定の持ち場についたハルスは、限界まで弓を引き絞って冷静に矢を放つ。その矢はメイヴィスの矢が刺さった箇所の僅かに右に突き立った。この瞬間、今回の弓術の評定でメイヴィスが一位、ハルスが二位の成績を修めたことは誰の目にも明らかだった。
控えの場に戻ってきたハルスは、「大舞台で中心に当てるのはやはり難しいですね。勉強になりました」と残念そうにメイヴィスに話しかけた。そして、グラフィアスが近くにいることを横目で確認し、大きくも小さくもない声で冷静に付け足す。
「ああ、そういえば――少しばかり鍛錬を積んだだけの他所者の下級生に遅れをとるのは、『恥ずかしいこと』ではないんでしょうか」
グラフィアスの顔色が変わる。彼が何か言い出す前に、ハルスは素早く笑顔を作って続けた。
「ただのひとりごとです。では、失礼」
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