どうも俺には彼女がいたらしい。
吉乃佳乃
SIDE STORY
SIDE0【夏樹楓太】
「あんたまだ有線なの」
「逆にもうみんな無線なのな」
「当たり前でしょ。断線しないし、首に当たってウザくないし」
「なくしやすそうだけど」
「今は探す機能までついてんの」
「あー、でも機種によってじゃないのかあれ」
「まあ」
炎天下。蝉時雨。木漏れ日が降り注ぐベンチに二人で座る。
シャーベットアイスの片方を口にして、彼女はこくりと喉を鳴らす。頭がキーンとでもなったのか、肩をすぼめた彼女だけど、相変わらず長い前髪が彼女の表情を隠していてよくわからない。そういや前髪ぱっつんにしてたときもあったっけ。――可愛かったよな。
「なに……?」
彼女が、ぽーっと視線を向けている俺を訝しげに見てくる。
首をこてっと右に傾けた彼女の、長い前髪で隠れた右目がちらりと覗いた。
「……いやっ、別に」
「そ」
ああ、なに考えてんだよ。慌てて彼女から目を逸らす。これは俺の悪い癖だ。そうやって失ったものを思い返して、今に重ねようとする。あの日、あの時、あの場所で、その時々にしか感じられない瞬間がある。だからこそ、たとえ全く同じことを繰り返したとしても、あのときと同じ楽しさや幸せが得られることはないはずだ。
なぜなら、人は成長するから。人は変わるから。人には〝記憶〟があるから。
だから、あのときと同じままではいられない。あの頃は面白いと思っていたものを、今ではくだらないと一蹴するようになるし、逆に今の自分になら、あの頃は触れることのできなかった機微に触れられるようになる。あの頃憧れていたスーパーヒーローになりたいと思わなくなるみたいに、子供のころは興味のなかった恋愛ドラマを毎週視聴するようになるみたいに。感じ方が変わるのは、それまでに積み上げてきたものがあるから。
だけど、もし、積み上げてきたものが全て消えたなら。もし、彼女が――
「暑いわね」
「そうだな、年々暑くなってるよなこれ」
「去年着てた夏服じゃもう暑いかも」
「たしかに。でも、お前いつも同じだったし、これを機に買い換えたら?」
「うっさい。あたしはまだ入るからいいの」
「成長してないってか」
――ゴッ。
「痛っ――!」
思い切り脛を蹴られた。
「変態」
「いや今のどこにその要素あんだよ⁉」
背を丸めて負傷した部位を両手で押さえながら、小さな彼女を見上げる。彼女が胸を隠して睨みつけてくる。いや、小さいって、背のことだからね……?
「あんたこそそろそろ買い変えたら?」
「別にまだ使えるしいいだろ……」
彼女は、耳から垂らした白いオープンイヤー型イヤホンに目を向けてくる。
「でもあんたあたしのワイヤレス羨ましがってたじゃん」
「まあ、ほら、便利そうだし……」
「断線こわくて慎重に扱うの地味にストレスって前言ってたしね」
「だけど、俺は有線派なんだよ」
「変なの」
痛みが引いてきた足から手を離して、ベンチに浅く腰掛ける。
そっぽを向いた彼女の姿を、〝幼なじみ〟の姿を見て、思考の続きを始める。
――もし、彼女が〝記憶〟を失ったら。
積み上げてきたものが全て消えて、俺たちの関係はリセットされて、あの頃と同じ瞬間を取り戻すことはできるのだろうか。記憶喪失になって、幼なじみとは呼べなくなった彼女に、俺はなにをしてあげられるのだろう。もう一度やり直すことはできるのだろうか。あの日の続きを始めることはできるのだろうか。あの時の〝間違い〟を、なかったことにできるのだろうか。
……全部、この暑さのせいだ。どうでもいい、起こるはずのない夏の妄想だ。
「ねぇ」
「ん?」
「聞かせて」
「懐かしいな」
「は? 歌?」
「いや、まあ、うん」
「なによ」
「なんでも、ない」
少しだけ音量を上げてから、右耳のイヤホンを外して彼女の小さな手に渡す。汗だくの俺とは対照的な手汗一つかいていない、心配になるほど白く透き通った手だ。普段は外に出ないのに、こんなとこにいて平気なのだろうか。熱中症とか怖いな。彼女は渡されたイヤホンをそっと耳に挿す。前下がりに切り揃えられた色素の薄い髪がパラパラと揺れた。
「……懐かしいの聞いてるわね」
「だろ。夏といえば、だよな」
懐かしい。彼女から、頼みごとがあった。頼み事と行っても、イヤホンの片耳を貸すくらいのことだけど。なんかこう、むずがゆい。こんなの、久しぶりな気がする。
「イントロからもう夏って感じするよな、このメロディラインマジでエモくない?」
「でもこのボカロP、夏の曲しか作んないじゃん」
「いやほら、それは一貫したコンセプトがあるから」
「うん。あたしそこが好き」
「俺も」
シャンシャンシャン――中学のときに流行ったボカロ曲を、今ではほとんど聞くこともなくなった淡いメロディを、イヤホンのLとRを二人で分けて聞く。これができるから、やっぱりイヤホンは有線に限る。この五月蝿い心音のために、使い続ける。
「いいわね」
「ああ」
イヤホンをしていない方の耳から蝉の声が聞こえる。青々と茂った木々がサァーッと揺れる。うだるような暑さの中、ほんの気持ちだけ涼しい風が吹く。
なんてことはない夏の日だ。なんの〝意味〟も生まれない、幼なじみとの駄弁りだ。
それでも、俺はこの日のことをずっと覚えているのだろう。この日のことだけじゃない。彼女との日々を含めた、この『俺の生き方』を捨て去ることはないのだろう。いつかの自分と同じように、未練がましく想い続けるのだろう。
彼女が〝記憶喪失〟になったらどうしようか。そんな物語じみた馬鹿みたいな妄想をしたことすら、未来の俺はきっと覚えていて、きっと懐かしむのだから。
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