第3話 《悪魔化――デビル・トランス――》
ズーンとした頭の痛みに、意識が覚醒する。
痛みを感じる。こんな感覚は生まれて初めてだった。
「……マジかよ」
それは紛れもなく、俺が神ではなくなった証。
辺りを見渡す。俺が倒れているのは生い茂る木々に挟まれた、整備された細道。どうやらここは森の中らしい。
立ち上がり、パチンと指を弾く。
『テレポート』の魔法を唱えるが――乾いた音が響くだけ。
親父は本気で俺を異世界へと追放したようだ。それも、神の力をすべて没収したうえで。
「最悪だ」
神の力を失ったということは、不死身の体も、創造の力も、戦う力さえもない。つまり、下等生物の人間と何一つ変わらない状態ってことだ。
「クソ親父……ふざけやがって」
と、悪態をついてみるが意味はない。
かといって何か行動を起こす気力も湧いてはこないので、俺は適当な木の日陰に寝転び、目をつぶった。
「マジで追放することはねぇだろ……クソ親父。それにアテナもチクりやがって……あいつら覚えとけよ」
とはいえ、こちらから天界にコンタクトを取ることは出来ない。親父が俺を許さない限り、俺は戻ることはできないわけだ。
ああ、最低の気分だ。
現実から目を背けるように、そのまま一眠りすることにした。
それから数時間後。俺はある異変に気がつき目を覚ます。
「……マジか」
俺の言葉を肯定するように、腹の虫がぐぅ~と鳴る。
――腹が減った。
基本的に神は食事を必要としていないが、今の俺は力を失い、人間の体になってしまっている。生きるためには食事を取らなきゃならないみたいだ。
背に腹は代えられない。俺は立ち上がり、大きな欠伸を一つしてから歩道を進んだ。
しばらく歩くと、大きな街にたどり着いた。
確かここは『ベルベット』という、比較的大きな国家だ。この世界を担当しているアフロディーテが、よく話題に出していたのをなんとなく覚えていた。
露店が立ち並ぶ通りを歩いていると、少し傷んだ赤い果実が目につく。
俺はなんの躊躇もなく、それを手にとってかじりついた。
なんだこれ、ボケていて不味いな……。
捨てようかと一瞬迷ったが、まぁこれでも腹の足しにはなるか。
「ちょ、ちょっと!」
「ん?」
二口目を口へ運びながら歩き出した俺に、誰かが声をかけてきた。
「お金は!」
険しい顔で手の平を差し出すのは、露店のテントから顔を覗かせる赤髪の女だ。恐らく店主だろう。
大人びた顔立ちとは裏腹に、女性特有の胸の膨らみは小さく、体の線も細い。俺が見てきた女神たちは軒並みスタイルがいいせいで、人間の女はとてつもなく貧相に見える。
「あ?」
「あ? じゃないでしょ! それは大事な商品なのよ! 食べるんだったらお金を出しなさいよ!」
ああ、そうか。人間は通貨を使って物のやり取りをしているんだったな。
神は物々交換や通貨というシステムに馴染みがない。そもそも、この世界に急に追放されたんだ、通貨など持っているわけがない。
「……持ってねぇ」
「はぁああああああああ? 泥棒! すぐに聖騎士団に通報してやる!」
「泥棒って……お前、誰に向かって言ってんだ? 俺は神だぞ?」
俺の言葉に、少女はポカーンとした顔を作り、それから噴き出すように笑った。
「なに言ってんの? 神? アンタが? アハハ、なによそれ! いくら顔が良くても、神様気取りはさすがに痛いわよ?」
「俺は本物の神だ」
「真顔で冗談言うのやめて、お腹痛いから……プハハ! ちょっとまって、それでそんな露出狂みたいな純白のローブ着てるのね。こだわり過ぎでしょ」
女は涙を浮かべながら腹を抱える。……いつまで笑い続けんだ、こいつは。
「というかお前ら人間は、神に食べ物を供える習慣があるだろ?」
少し落ち着いた女は「まだ神様ごっこ続けるの?」と涙を拭いながら答える。
「あるわよ。でも、神様にお供えするなら、もっと状態のいいやつじゃないと」
「確かに、この店の商品はどれも傷んでるな」
「うるさいわね。ここ最近は天候が悪くて、いいやつが流通してないの! アンタが神様なら、もっと晴れの日を増やして欲しいわよ」
「この世界の管理は俺の担当じゃない。アフロディーテに言え」
俺の言葉をコイツは「はいはい」とあしらう。
「とにかく、アンタが神様だろうとなんだろうと、これはれっきとした犯罪よ。聖騎士団に報告するから、」
「おいアグリ!」
ふいに聞こえた野太い声に、さっきまで威勢よく騒いでいた女がビクッと体を跳ねさせる。
恐る恐る振り向く女に続き、俺も果実にガブリとかぶりつきながら視線を送る。
そこには、斧を背負った大柄の男と、ガラの悪そうな取り巻きが二人いた。
「今日こそ場所代、ちゃんと払えるよな?」
「えっと……今は天候が安定してなくて、仕入れが出来なくて……商品があまり売れていないの」
「んなことを聞いてんじゃねえんだよ! 金を出せって言ってんだ。なぁアグリ、また痛い目に遭いたいのか?」
アグリと呼ばれた女は、体を小さくして肩を震わせている。
「ったく、ボケボケじゃねぇか……ペッ、食えたもんじゃねぇな」
大柄の男は俺と同じように赤い果実を鷲掴み、それをかじってから吐き捨てた。
それを見て、アグリは文句も言わずにグッと歯を食いしばる。
おい、こいつは泥棒じゃねぇのかよ。なんか文句言えよ。
「明日までに用意しておけ」
「そんなの無理よ!」
「無理かどうかは聞いてねぇ、やれ。お前なら体を売ればすぐだろ。いいところを紹介してやってもいいぞ?」
大柄の男は仲間たちとゲスな笑いを浮かべる。アグリはギュッと拳を握り、悔しそうな表情を浮かべたが、相変わらず何も言い返さない。
「んじゃあな」
男は果実をポイッと投げ捨てる。それが、俺の肩に当たった。
「……おい」
斧を背負った大男に声をかける。
「あぁ?」
ヤツらは不機嫌そうに振り返り、俺を睨みつける。
「俺に当たった。謝罪しろ」
「……おいおい、冗談だろ?」
それから大股でこちらに歩み寄り、いかつい顔で俺を覗き込んだ。
「なんだ男前の兄ちゃん、俺様のことを知らねえのか?」
「知らねぇよ。興味もねぇ」
「……この辺じゃ見ねぇ顔だな。旅人か?」
「いや、神だ」
――。
少しの沈黙。
それから男たちは顔を見合わせ……大爆笑した。
「コイツは傑作だ。頭がイカれちまってるぞ」
ゲラゲラとゲスな笑いを続ける三人。下等生物どもが……。
「お前ら、鬱陶しいな」
「わりぃわりぃ。兄ちゃんが神様なら……謝らないとなぁ」
よほどツボに入ったのか、男たちは笑い続ける。
「……いや、もう謝罪はいい」
俺は一歩前に踏み出し、大柄の男の顔を睨みつけた。
「そのかわり、さっさと失せろ」
俺の言葉に、先ほどまでの笑い声は消え去り、場の空気が張り詰める。
「面白いヤツだから見逃してやろうかと思ったが……俺様は売られた喧嘩は買う主義でな」
大柄の男は背負った斧の柄に手をかける。
「ちょっとガルガイン! こんな場所で戦いはやめてよ!」
俺の前に飛び出したアグリが大柄の男に訴える。
何してんだ、こいつ? 邪魔なんだが。
「そいつの味方をするつもりか、アグリ。俺様に喧嘩を売ったヤツの末路はお前も知ってるだろ? 死にたくなかったら女は引っ込んでろ」
「アイツの言う通りだ。邪魔だぞお前」
「はぁ? 邪魔って何よ!」
庇ったはずの俺にまで邪魔者扱いされ、アグリは驚いた顔で振り返った。
「……アンタね、あいつはあのガルガインなのよ? 認めたくないけど、元傭兵だけあって腕は確か。ひ弱そうなアンタじゃ絶対に勝てないわ。散々いたぶられて、下手したら殺されちゃう。今からでも遅くないから、謝りなさいよ」
俺にそっと耳打ちしてくるアグリ。
「なぜ神である俺が、人間ごときに謝罪しなきゃいけないんだ?」
「またそれ? もう、本当に死んでも知らないんだからね」
アグリは「ふんっ」と怒ったように顔を背けながらも、どこか心配そうな表情を作ってから俺の後ろに回った。
さて、少し前の俺なら、怪物だろうと悪魔だろうと神の力を使って一瞬で葬れただろう。だが、今は父・ゼウスに与えられた神の力を失っている。
創造の力も、テレポートも、魔法すらも使えない。
だが、俺には神々の王であっても決して干渉することの出来ない空間を有している。そこには、人間には扱えない規格外なスキルが眠っている。
――戦う力がないなら、付与しちまえばいいだけの話だ。
パチン。
俺の指が弾けると同時に、目の前の空間に穴が生まれる。
よし、予想通り問題なくこの穴は親父にバレていなかった。
ただ、一つだけ問題がある。
……光の球体はすべて同じ色、同じ形をしている。どれがどのスキルかなんて、外見からは判断できない。
まぁ、俺が創ったスキルにハズレなんてないんだから、どれでもいいか。
「な、なんだその穴は?」
驚くガルガインを無視して、俺はその中に手を突っ込む。
そして、適当に手のひらサイズの球体を掴み取った。
俺は迷うことなく、能力の結晶である球体を心臓部に押し当てる。
球体は溶け合うように俺の体内に入っていく。
「……《悪魔化――デビル・トランス――》か。そういえば創ったなーこんな能力」
俺が引き当てたのは、肉体を悪魔にする能力。
一時的とはいえ完全な悪魔になってしまうため、アフロディーテには危険過ぎると止められたスキルだ。
確かに普通の人間に渡すには危険かもしれないが、俺が使う分には問題ないだろ。神だし。
「今なら見逃してやるぞ?」
「てめぇ……調子に乗るなよ!」
奇妙な穴を出現させたわけだが、いまだに俺は丸腰。忠告をしたところで、ヤツらも強気な姿勢は崩さない。
それなら、仕方ないな。
「さぁ、誰から死にてぇ?」
その言葉とともに――俺の体は悪魔になった。
頭からはねじれた二本の角が伸び、肌は漆黒に染まり、鋼のように硬化する。手足は鉤爪に変わり、背中には悪魔を象徴する翼が生えた。
それはまさしく、人間が恐れるデーモンの姿そのものだ。
悪魔の体になった俺を見て、ガルガインは目を白黒させる。
「て、てめぇ……悪魔だったのかよ!」
青ざめるガルガインに、低くなった声で答える。
「だから、神だって言ってんだろ」
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