## パート3: ブレイクポイントへの旅立ち
旅立ちの朝は、思ったより早く訪れた。
空がまだ薄暗い中、僕は荷物をまとめていた。何度も確認した持ち物リスト。着替え、保存食、水筒、毛布、小銭入れ、古い魔法書、手帳、そして父から譲り受けた短剣。すべてが古い革の旅行鞄に収まるよう、何度も詰め直した。
「陽介、もうできた?」
母の声に振り返ると、彼女は僕の部屋の入り口に立っていた。目に涙を浮かべながらも、微笑んでいる。
「ハーバートさんが到着したわよ」
深呼吸をして、最後に部屋を見回した。子供の頃から過ごしてきたこの空間を離れるのは、想像以上に寂しい。でも、ここにいては何も変わらない。
「うん、行くよ」
鞄を持って母の後に続き、家の外に出た。まだ薄暗い村は静かで、冷たい朝の空気が肌を撫でる。広場に向かって歩きながら、不思議と落ち着いた気持ちになっていた。決断したからだろうか。それとも、ようやく一歩を踏み出せるからだろうか。
村の広場に着くと、大きな荷車が止まっていた。いつも村に商品を運んでくるハーバートの荷車だ。彼は太った体に似合わぬ素早さで荷物を整理していた。
「おはよう、ハーバートさん」
僕が声をかけると、彼は作業の手を止め、こちらを振り向いた。
「ああ、春日野の息子か。乗せていってほしいんだっけ?」
彼の声には懐疑的なトーンが混じっている。おそらく村中に広まっている噂——魔力適性Eランクの若者が冒険者を目指すという笑い話——を耳にしているのだろう。
「はい、よろしくお願いします」
「ブレイクポイントは甘くないぞ。特に魔力の弱い者にはな」
彼の言葉は厳しかったが、悪意はなさそうだった。現実を教えてやろうという親切心もあるのかもしれない。
「わかっています。それでも行きます」
ハーバートは僕の顔をじっと見た後、肩をすくめた。
「まあ、若いうちの挫折も人生勉強だ。荷物を後ろに積んで、出発の準備ができたら乗り込め」
言われた通りに荷物を積み込んでいると、朝の光が少しずつ強くなり、村人たちが活動を始める気配が感じられた。何人かが広場を通りかかり、僕を見ると顔を見合わせて小声で話し合っている。
「あれ、春日野の息子じゃないか」
「本当に冒険者になるって出て行くんだ」
「Eランクで何になれるっていうんだろうね」
「すぐに戻ってくるさ。世間の厳しさを知れば」
それらの声は風に乗って僕の耳に届く。無視しようとしても、心に刺さる言葉ばかりだ。
荷物を積み終えて振り返ると、村の若者たちが数人、距離を置いて見ていた。同い年のタケシは腕を組み、嘲笑うように見ている。魔力適性検査ではCランクだった彼は、来年、中央の魔法アカデミーの入試を受けるという噂だ。
「おい、陽介!」彼が声を上げた。「冒険者ギルドの玄関番にでもなるつもりか?」
彼の周りの仲間たちが笑い出す。僕は無視して荷車の側に戻ろうとした。
「教えてやるよ。Eランクじゃ、荷物持ちすらつとまらないんだぜ」
足を止めて振り返ろうかと思ったとき、意外な声が聞こえた。
「タケシ、朝からうるさい」
父の声だった。彼は家から出てきて、広場に立っていた。いつもの厳しい表情だが、どこか違う雰囲気を感じる。タケシたちは黙り込み、そそくさと立ち去った。
父は僕の方に歩み寄ってきた。母も後に続いている。
「荷物は全部あるか?」
「はい」
父はうなずき、ポケットから何かを取り出した。小さな布袋だ。
「持っていけ。緊急用だ」
布袋を開けると、小さな銀貨が数枚入っていた。村での数か月分の労働に相当する額だ。
「これは…」
「黙って受け取れ」
父の目は僕を見ていない。しかし、この行動は彼なりの応援なのだと理解した。
「ありがとう、父さん」
僕が礼を言うと、父はようやく僕の顔を見た。
「自分を信じろ」
それだけ言うと、彼は僕の肩に手を置いた。短い接触だったが、その重みに力強さを感じた。
母は涙をこらえきれずに前に出て、僕をぎゅっと抱きしめた。
「気をつけてね。無理はしないで。何かあったらすぐに手紙を書いてね」
母の温かさと香りを最後に感じながら、僕も彼女をしっかり抱きしめ返した。
「出発するぞ、若いの!」ハーバートの声がした。
両親から離れ、荷車に乗り込む。車輪が動き始め、村の出口に向かって進み始めた。両親は手を振っている。僕も振り返って手を振り返した。
村の出口に近づくにつれ、胸の高鳴りが強くなる。不安と期待、緊張と解放感が入り混じっていた。後ろを振り返ると、村が小さく見え始めている。生まれてからずっと過ごしてきた場所。そこを離れることの寂しさが込み上げてきた。
同時に、前方に広がる道と未知の世界への期待も高まる。Eランクの魔力適性。最底辺からの出発。それでも、自分の道は自分で切り開く。父の言葉が心に響く。
「自分を信じろ」
荷車は揺れながら進み、村はどんどん小さくなっていく。朝日が完全に昇り、道を黄金色に染め上げていた。新しい一日の始まり。新しい人生の始まり。
揺れる荷車の上で、僕はブレイクポイントでの計画を頭の中で整理していた。最初に宿を見つけ、その日のうちに冒険者ギルドの場所を確認する。翌朝、一番早くギルドに行き、受付の人間と話をする機会を作る。魔力が低くても雑用係や荷物持ちとして雇ってもらえるよう、礼儀正しく、仕事に対する熱意を示す。そして数か月かけてギルド内での信頼を築き、冒険者たちの仕事ぶりを観察して学ぶ。
魔力の代わりに役立つスキルを身につけることも重要だ。罠の設置方法、薬草の知識、地形の読み方、魔物の習性など、本から学べることは多い。何より、魔力に頼らない戦術と観察力で自分の価値を証明する。そのために、ギルドの古参冒険者から学べるチャンスを見逃さないようにしよう。
「ブレイクポイントまでは丸一日かかるぞ」ハーバートが声をかけてきた。「途中で山賊に出くわすこともある。何の役にも立たないだろうが、もしものときは覚悟しておけよ」
「はい」僕は短く答えた。
彼は僕を一瞥して、「まあ、その程度の覚悟はできているようだな」とつぶやいた。
荷車は森の中の道へと進んでいく。木々の間から差し込む光が、僕の新しい旅路を照らしていた。リムサイド村で感じていた無力感と閉塞感が少しずつ薄れていくのを感じる。
昼頃、ハーバートは荷車を止め、簡単な食事をとることにした。彼は自分の携帯食から僕にも分けてくれた。固いパンと干し肉だったが、空腹には十分だった。
「何か特技はあるのか?」食事中、ハーバートが尋ねた。
「特技、ですか?」
「ああ。魔力がないなら、何か別の取り柄がなければ生き残れんぞ」
「観察力には自信があります。あと、諦めないことと、工夫すること」
ハーバートは大きく笑った。
「それで冒険者になれるとでも?」
僕は黙ってパンを噛んだ。彼の言葉は痛かったが、間違ってはいない。
「まあ、街は村よりも機会が多い。工夫次第では道は開ける。ただ、覚えておけ。強くなるには相応の犠牲が必要だ」
彼の言葉に、僕は小さな希望を見出した。魔力がなくとも、工夫次第で道が開ける。それは僕が信じたいことだった。
午後も遅くなると、森を抜け、開けた丘陵地帯に出た。そして遠くに、息を呑むような光景が広がった。
「あれがブレイクポイントだ」ハーバートが指差した。
村の小さな集落しか見たことのない僕の目に、ブレイクポイントは別世界のように映った。高くそびえる城壁は灰色の石で築かれ、その背後には幾重にも重なる建物の屋根が広がっていた。遠くからでも見える大きな塔、おそらく冒険者ギルドか何かの重要な建物だろう。城壁の周りには人や荷車の行列が小さな点のように見え、街の活気が遠くからも伝わってくる。
夕陽に照らされた街は、オレンジ色に輝いていた。煙突から立ち上る煙、風になびく旗、城壁の上を行き交う衛兵たち。ここには何千もの人々が暮らし、それぞれの物語を紡いでいるのだ。その一部になろうとしている自分に、畏怖と興奮が入り混じった感情が湧き上がる。
「すごい…こんな大きな街があるなんて」
思わず声が出た。リムサイド村なら全体がブレイクポイントの一区画にも満たないだろう。
「田舎者丸出しだな」ハーバートは楽しそうに言った。「街に着くのは日が暮れてからになるだろう。明日の朝、東門近くで降ろしてやる」
「ありがとうございます」
荷車は日没前に街の外れにある宿場に到着した。ハーバートは馬を休ませるため、ここで一晩過ごすことにしたようだ。小さな宿屋で、彼は自分の部屋を取り、僕には荷車の上で休むよう言った。
夜空を見上げながら、明日から始まる新生活に思いを馳せる。あの巨大な街の中で、どうやって自分の居場所を見つけるのか。冒険者ギルドで雑用係になれたとして、そこからどう実際の冒険者へと登りつめるのか。Eランクの魔力で何ができるのか。
不安と期待が入り混じる中、僕は星空の下でじっと考えを整理していた。魔力の低さは事実だ。だが、それを補うだけの観察力と工夫を身につければ、道は開ける。まずはギルドで信頼を得て、そこから少しずつ経験を積む。正面から戦うのではなく、頭脳と準備で勝負する。そう、必ずやれる。
「赤髪の冒険者さん、あなたの言葉を信じて、自分の道を突き進みます」
星空に向かって誓いを立て、僕は旅の疲れを抱えて眠りについた。明日、新しい人生が始まる。魔力親和性Eランクという最底辺からの挑戦が、今始まろうとしている。
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