『阿畑萌窪《アバタ・モエクボ》』

やましん(テンパー)

『阿畑萌窪』 上

 

 『これは、フィクションです。』




 尾道は、坂道の都である。


 神戸もそうだが、やはり、香りが違うのである。


 海の近さがまるで違っている。だから、漂う香りがより濃厚になる。


 さらに、神戸は、街が巨大すぎる。


 そこは、好き好きなのだが、ぼくには神戸はあまりにも、大きすぎるのだ。


 巨大なものは、近づきにくいものなのである。


 人間だってそうである。


 もし、ベートーヴェンさんが、不意にぼくの目の前に現れたとしたら、ぼくは、一目散に逃げるだろう。


 『阿畑萌窪』は、ほとんど誰も知らないような隅っこにある喫茶店だった。


 クラシック音楽しか鳴らさない店だった。


 尾道には、クラシック音楽が似合うと、ぼくは思っていた。


 それは、ジャズが好きな方なら、ジャズが似合うと言うにちがいないが、それでも、あまり、賑やかなのは合わないとぼくは感じるのだ。


 尾道には、やや、ひなびた味わいが相応しい。


 脚光を浴びて、さかんに繁盛することとは、いささかの齟齬が生じるかもしれないけれど、お金が飛び交うだけが繁盛ではないだろう。夜の都内などに漂う、どうしようもない空しさは、尾道の静かな繁栄とは対をなしている。


 昔ながらのフェリーが、目の前の島に行き交う。


 しかし、往事に比べると、その業者さんの数は、大幅に減少したという。


 橋が使えるようになったからだ。


 ぼくの両親は四国から関東に出てきていた。


 ただし、母は、いつか帰りたいと思っていたふしがある。


 しかし、ぼくは、転校するぞ、と言われたときに、ほんとうは、首都圏から離れたくなかったのだ。


 子供ながらも、たしかに、明らかに都落ちみたいな感じはしていたからだ。


 それは、母が懐いたのであろう希望とは、方向が逆だけれども、中身に違いはないかもしれない。


 とはいえ、尾道の町は、そうした、双方の想いの、まさしく、橋渡しの位置にある。


 たしかに、本州と四国をつなぐメインルートは、長らく宇野~高松連絡船だったが、愛媛の今治や松山に渡るには、むしろ、尾道から今治に渡るのが便利だった。その時代、四国内の鉄道は、あまりに速度が遅くて、普通列車は特に、なかなか前に進まなかったからである。特急は、さらに、なかなか利用しにくかった。もちろん、高いからである。いまは、その連絡船もなくなってしまったけれども。



 『あい、らっしゃい。』


 じつは、神奈川出身の主は、なにか良く分からない事情で、ここに流れてきたらしい。


 『ねえ、マスター、いつも訊くけど、この『アバタ・モエクボ』て、名前、単なる洒落じゃないんだろ?』


 『ひひひひひひひひひ。』


 マスターは、不敵に低く笑った。


 『エビフライピラフ&たまごうどん』、という、やや、ミスマッチなメニューが、ぼくは好きだった。


 『あんたさんも、物好きに、良く通ってきますなあ。』


 『ああ。でもね、一昨年がんしたから、あまり、安心ではない気はしているんです。』


 『なんの。がんなんて、もはや、病ではない。ダイジョブですよ。』


 『そうかな。』


 『そうです。ここまで来られるんだから、間違いない。その気力は大したもんす。気力のまえには、がんも、とらさんも、ライオンさんも、歯が立たないす。』


 『やけに、持ち上げるね。いや、じつは、経済的に困窮してきていて、もう、無理かもしれなくて。でも、あばた・もえくぼ、は、気になってさ。』


 『はあ。お金なんてのは、上がったり下がったりするもんですよ。天下の回し者と言うでしょう。下がったら、また、上がりますよ。きっとね。』


 『まあね。ならいいけどなあ。』


 『そうす。いやあ、店の名前はね、それ以外(意外な)には奥の意味はないすよ。あばたもえくぼ。そのままですがね。あっしがここに来たのは、50年ちょっとまえです。あのころは、まだ、向島に渡る橋しかなかった。ここは、父親が作ったうどん屋でした。』


 『ああ、そうでしたね。万博より先だったですね。あ、うどん屋さんが祖先? それで、うどんが出るのかあ。』


 『ええ、まあね。うどんは、トラウマです。たしか、1968年す。』


 『連絡船に、乗りに来てましたよ。親が四国だって、いいましたっけ?』


 『松山にいたとは、聴きましたがね。あの時代は、賑やかでしたよね。あっしんちは、父親が、横浜で事業に失敗して、やっとこさ、逃げてきたんです。』


 『そうなのか。』


 『当時は、うどんのまるやま、といってました。まるやまは、母の姓です。まあ、らーめんしなくてよかったよ。らーめんでは勝てなかった。』


 『なんで、あばたもえくぼに?』


 『それがね、父がなくなったあと、ぼくが店を引き継ぐときに、母がいいましてね、なんでも、良く考えようとしたら、良くなる。悪く考えようとしたら悪くなる。あばたもえくぼだべ。ってね。』


 『はあ。なかなか、づきんとくるなあ。』


 『なんのお。あなたさまは、自分で思ってるほど、悲観的ではないすよ。ここまでうちのランチのために、高速を車で走ってくるなんて、悲観的ではできない! 前向きそのままですよ。すごい!』


 『ぶっ。かないませんなあ。でも、なんで、漢字なんですか。』


 『ああ。それは、まあ、当て字ですな。ふと、思い付いたんです。なぜだか。』


 主は、うつ向いて何かしながら、あっさり言った。


 潮時である。


 ぼくは、『たぶん、まあ、また来ますから。』


 と言って、店を出た


 日が落ちてしまって、なんだか、霧が出始めたのである。


 いや、霧が出るような季節ではないはずだ。


 もう、初夏だ。


 『ややや。もう帰った方がいいのかな。』


 ぼくは、じつは、ほんとは、あまり、帰りたくはなかったのである。


 理由はとくにない。

 

 しかし、自宅にいると、ただ、ぼうっとしているだけで、なんの生産性もない。仕事場の人間関係は、だいたいは、すっぱりと切れてしまっている。いや、ぼくが、そうなるようにしたのだろう。


 国の議員さんのなかには、生産性がない人間には存在意義がない、と言い切る方もあるようだ。


 いや、違う、という根拠は、ぼくにはない。


 確かに、生きていること自体が、すでに、本質的な生産性である。と、主張することは容易い。


 でも、その方たちに納得してもらうような証明はしにくいだろう。


 理念的な証明ではない、物証的な証明は、つまり、赤字かどうかは別として、経済的になんらかの実体を産み出していることを示さなくてはならないのだとしたら、それは、不可能である。


 しかし、社会自体が70歳までの就労を望んでいるのだから、ぼくはまだ、その範囲内である。しかも、食いかねているとなれば、言い訳さえ成り立たない。自業自得、地獄行きなのである。



 尾道には、いま、地下鉄はない。私鉄の電車も走ってはいない。


 ただし、むかし、尾道にも私鉄が走っていた時期があるが、ぼくは、見た可能性はあるものの、覚えはなかった。


 ぼくが降りるのは連絡船がある海側であり、駅があった山側には行ったことはないと思う。


 ただし、千光寺のあたりは違う。


 けっこう、良く歩いたし、迷ったりはしないだろう。


 でも、なぜだか分からないが、迷ったのである。


 あきらかに、様子がおかしかった。


 たしかに、お寺が沢山ある場所ではあったが、それにしても、右も左もお寺さんばかりに見えた。


 さらに、やたら、平地然としている。


 しかも、あるはずの山陽本線の線路がない。


 降りてきたばかりの坂道が見当たらない。


 『む。北と南と東と西を間違えたかな。』


 鞄の中からスマホを出したが、なぜだか圏外と表示された。


 『そうれは、おかしい。』


 ここは、大都会ではないが、れっきとした名高い街の、ど真ん中である。


 

        📶ケンガイ🎵









 


 


 


 


 

 


 


 

 


  

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