エピソード1 ——出会い——

 数年前


——冷たい。


 肌を刺すような冷気が意識を引き戻した。

うっすらと瞼を開くと視界に映ったのは暗闇。


 徐々に瞳が光を取り戻していく——。


 月明かりに照らされた灰色の壁、乾いた空気、鼻をかすめる僅かな排気ガスの臭い──。


 「……ここは……?」

掠(かす)れた声が漏れた。


 ズキッ──!

突如、頭に鋭い痛みが走り

思わず頭を抱え込む。


 視界がぐらりと揺れ、意識が霞(かす)む。

何が起こった? なぜ俺はここにいる?


──いや、それ以前に……俺は誰なんだ?


 記憶を探ろうとする。しかし

そこには、ぽっかりと穴が空いていた。


 過去の出来事も、知っているはずの事柄も

まるで霧がかかったように曖昧で

指先から零れ落ちる砂のように掴めない。


──何も、思い出せない。


「キャーーーッ!! 誰か!!」


 かすかに震えた、女性の声。

男は即座に顔を上げた。

声のする方へ視線を向けると


 薄暗い路地の先で

何人かの影が蠢(うごめ)いているのが見えた。月明かりの下、男たちに囲まれた

一人の女──。


 その表情は、怯(おび)えと恐怖に染まっていた。


「へへっ、お嬢ちゃん、こんな時間に出歩くなんて、無防備だなぁ?」
「おとなしくしろよ? 声を上げても、誰も助けちゃくれねぇぞ?」


 男たちがにやにやと笑いながら、じりじりと詰め寄る。


──助けなきゃ。


 何の迷いもなかった。

男は地面を蹴り、影の中へと飛び込んだ。


「は──?」
「誰だてめぇ!」


 男の一人が叫ぶのと同時に、男は思い切り拳を振るった。鈍い衝撃とともに、相手の男の顎が跳ね上がる。


「っぐ……!?」

……やった?


 だが、考えている暇はなかった。

「クソがッ!!」

怒声とともに、もう一人が拳を振るう。


──避ける間もなかった。

「ッ……!」


 強烈な衝撃が頬を打ち抜く。

次の瞬間、脇腹に蹴りが入り、体が浮いた。


「ぐっ……!」


 地面に叩きつけられ

肺から空気が押し出される。


 苦しい。体が痛む。

けど——助けなきゃ。


「クソ……!」


 ふらつきながらも、男は立ち上がった。


「まだやる気か? こいつ……ッ!」

相手の男が苛立ったように舌打ちする。


 だが、男が再び拳を握るのを見て

相手の男たちは、ため息をついた。


「チッ、時間の無駄だ。行くぞ!」

男たちは舌打ちしながら、夜の闇へと消えていった。


──なんとか、追い払った。

体の節々が痛む。


「……っ、大丈夫か?」


 男は倒れ込むよう女の方を見た。

女は息を切らしながらも、俺を見つめ──


「……え?」

突如、目を見開いた。


「きゃあああああっ!? 変態っ!!!」


「は……? えっ……?」


 次の瞬間、バシンッ!! と

鋭い音が鳴り響く。

頬にじんとした熱が走る。


「な、なんで裸なんですか!?!?」


──裸?

言われて初めて気づく。


 夜風に晒される、自分の肌。

まとっているものは──何もない。


「っ……ご、ごめん! これは、その、俺も訳が分からなくて──!」


「あんた、さっきの奴らの仲間ッ!?」


「ち!違う!!信じてくれ」


「……あ、あんた、本当にさっきの男たちの仲間じゃないのよね?」


 女が警戒したまま、一歩距離を取る。


「ち、違う! 俺も気づいたらここにいて……!」


「……あ、怪しい……」


 女はじっと男を見つめ

数秒の沈黙の後、ため息をつく。


「……とりあえず、助けてくれたのは

……ありがとう」


 頬を膨らませながらも、ボソッと呟(つぶや)いた。


「お、おう——。」

男は身を丸めながら耳を赤く染めた……。


 これが彼女との出会いだった

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