第7話 葵の想い

 これが私が思い出せなかった人生…。今全てを思い出した。今一緒に暮らしている両親が本当の両親ではなかったこと、関西で育ったと思っていた私は東京生まれの東京育ちだったこと、実の父親は実の母親を殺した犯人だったこと…。思い出してしまった。なぜかずっと男の人が怖くて、男の人を避けるような生活をしていたけど、自分の中にあったこの記憶が無意識的に男の人を怖いと思わせていたのだろうか。

 記憶が戻ったその衝撃で頭ははっきりとしていたが、それでも心がまったく追い付いていなかった。すると、案内係のゾネさんが私の席に近づいてきた。とても暗く、落ち込んだような顔をしている。

「お疲れさまでございました。ここまで壮絶な映像は僕も初めてだったもので、正直どう声をかけたらいいのかわかりません…。」

 私は、そのゾネの言葉に返事をする気力も残っていなかった。ただ、茫然ぼうぜんとしていた。

「ただ、1つだけ言えることがあるとすれば、記憶喪失というのは自分を守る反応から来るものだとされているということです。」

 その言葉にふっとゾネの方を見る。

「受け止めきれない膨大なストレスや恐怖に直面した時に記憶喪失は起こるというふうに考えられています。それはあなたの心を守るためです。あなたの心をあれ以上傷つけないようにするために脳は記憶を思い出せないようにさせたのです。」

 心を守るため…。ゾネのその言葉がすっと心に届いた。

「そのおかげで、あなたは今のご両親に出会えて、大学生となり、今のご友人に出会えたのです。あなたの脳があなたの心を守ってくれたおかげです。過去と向き合うことができたあなたは本当に強いです。でも大事なのは今と未来です。」

 その言葉に涙があふれ出た。泣こうとすることすらできないほどの絶望・恐怖が私を襲っていたが、ゾネの言葉で心が戻ってきたような感覚になった。自分の過去をまだ受け入れることができずぐちゃぐちゃとした気持ち、ゾネの温かい言葉に嬉しくなる気持ち、いろんな気持ちがあふれ出た。止まらなかった。

「母のこと守れなかったのに、自分だけ幸せになっちゃいけない気がするんです。」

 ぽつりと独り言のように言った。だが、ゾネはその声を聞き逃さずに答えてくれた。

「映像を観る限り、お母様はアオイ様のこと本当に愛してらっしゃったと思いますよ。そんな優しいお母様が、幸せになろうとするアオイ様を恨めしく思わないですよ。ほほえましく見守っていると思います。むしろ、アオイ様を残して死んでしまって、さぞ無念だったことでしょう。」

 すうっと体の力が抜けた。心を縛っていたしがらみが外れたような気持ちだった。

「そうですかね。」

「はい、きっと。大丈夫ですよ。」

 悲しいけれど、心はすっきりしていた。涙を手で一生懸命ぬぐう。

「ありがとうございました。」

 ゾネに深々と頭を下げる。言葉じゃ表しきれないくらいの感謝の気持ちだった。

「アオイ様のこれからの人生の幸せを心より願っております。」

 ゾネは優しくほほえみ、私よりも深く丁寧なお辞儀をしてくれた。


 ミュージアムを出て、病室に戻り、その病室から病院の通路に出る。窓の外を見ると、外はもう暗かった。

 電源を切っていたスマホの電源を入れる。すると、時刻は18時5分だった。病院の面会時間は18時30分まで。まだ、美岬も明日香もいるはず。とにかく、美岬と明日香と、家で待っている両親に会いたかった。正直、まだ頭の整理が追い付いていないし、全てを思い出した元の自分と今の自分の人格の違いにも戸惑っていた。

 階段を下りて、美岬の病室に向かう。美岬の病室の前についた時、どっちの自分で2人に会えばいいのだろうと迷った。…まあ、いいか。そう思って、私はノックをして病室の扉を開けた。

 美岬と明日香がこちらを見ている。私の泣き

 はらした顔に気づき、驚いて目を丸にしている。

「え、ちょっと…。」

「葵…大丈夫?」

 ベッドの横の椅子に座っていた明日香は立ち上がってこちらに近づいてくる。その明日香の肩を組んで、ベッドに座っている美岬のもとへ近づく。美岬とも肩を組む。一体どうしたのかと言わんばかりの顔の2人を差し置き、私は大きな声で言った。

「私と友達になってくれてありがとうー!」

 私は今の自分が好きだ。過去にちゃんと向き合えたからこそ、そう思えた。


 自分の今までの人生を思い出したらちょっと泣けてきちゃってと、2人にはごまかした。今はまだ自分の中でもまとめきれていないから、2人に伝えるのはもう少し後にした。きちんと自分の中で整理できたと思ったら、きちんと2人にも伝えたい。


 病院を出て、明日香とも別れた。電車を乗り換えて、自分の最寄り駅についた。お父さんとお母さんに会いたかった。急ぎ足で改札を出て出口のほうに向かう。ふとピアノが目に入った。この駅にはストリートピアノが1年ほど前から設置されるようになったのだ。毎日このピアノの前は通るけれど、ピアノなんて弾いたこともないから弾こうとも思わなかった。でも、今日は…もしかしたら。そう思って、ピアノの席に座った。

 鍵盤の上に手を置く。すると、右手が動いた。なんとなくだけど、指が覚えていた。昔お母さんと一緒に弾いていた曲。自分で弾くその音楽を聴いていると、お母さんの笑顔が見えるような気がした。私はピアノが大好きだった。お母さんが「すごいね、上手だね。」と褒めてくれたからピアノが大好きだった。そのピアノの音とともに、ミュージアムでは流れなかったお母さんとの思い出がよみがえる。ピアノを弾きながら、また涙が止まらなくなった。

「お母さん、助けられなくて、ごめんなさい…。」

 あの時言えなかった言葉をつぶやいた。


 ピアノの柔らかい音色が葵を包み込んでいた。

 

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