第17話 明日香の伝えたかったこと

「なんで僕がここにいるって知ってた?」

 明日香の様子や言動から、最初に会った時から明日香は僕がここにいることを知っているような感じがしたのだ。

「私の友達から、ここにゾネっていう高校生くらいの子がいたって聞いたから。」

「それだけで、僕って分かる?」

「うん。このミュージアムを運営しているのって、トートレーベンっていうとこでしょ。ドイツ語でトートは死、レーベンは生のこと。だから、ゾネもドイツ語じゃないかって思ったの。ゾネは太陽って意味なの。」

「ドイツ語…太陽。」

 そうか、ゾネっていうのはドイツ語で太陽のことだったのか。じゃあ、伯父さんのブライトという名前も、リーベさんの名前も、ドイツ語なのか。

「ひなた君って、太陽って呼ばれてた時もあったんでしょ?環が言ってた。」

「ああ。陽太って書いてひなたって読むから、陽太をひっくり返して太陽。小学校の時とかはそう呼ばれてた。」

「そうなんだ。」

「え、ちょっと待って、さっき友達から聞いたって言った?」

「うん。」

「だ、だれ?」

「福永葵と椎名美岬。」

 僕の驚いた顔を見て、明日香はふっと笑う。

「美岬ちゃんとは知り合いだったんだね。」

「うん。同じ高校の先輩だった。」

「みたいだね。」

「明日香はなんで美岬先輩のこと…」

「美岬ちゃんとは大学の友達なの。美岬ちゃん1年間お父さんの転勤で海外に行っていたみたいだから、年は1つ上だけど、学年は同じなの。」

「あ、そういうことか。」

 美岬先輩と明日香が知り合いどころか友達といえるほど仲が良いことが信じられなかった。なかなかイメージができない。それにあの記憶喪失の女の子も友達だったのか。

「ねえ。」

 明日香が僕の目をじっと見つめる。

「ひなた君は亡くなってからずっとここにいるの?」

「ああ、そうだよ。」

「じゃあ、5年もここで働いているんだね。」

「いや、まだ5か月だよ。」

「え?」

 明日香がきょとんとした顔になる。確かに明日香の言う通り僕が死んだのは5年前だ。しかし、僕がここで5か月しか働いていないというのも紛れもない事実だった。

「どういうこと?」

 明日香に尋ねられ、この世界の不思議な仕組みを明日香に伝える。

「ここは、明日香たちが生きている世界の12分の1のスピードで進んでいるんだ。」

「12分の1…。え、じゃあ、2時間の上映で24時間分の寿命をっていうのも…。」

「そう。ここで2時間を過ごすということは、生きている世界の24時間分を使っていることになるから。」

「そこにも12分の1のルールが隠れていたんだ…。」

「だから、返事の手紙が2日後に来ていたとしても、こっちの世界からしてみれば、2時間後に出していたってことなんだよ。」

「そっか。そう考えると、返事早かったんだね。」

「うん。」

 なるほどなという顔で明日香が何度も頷く。


「あ、じゃあ、もう1つ質問いい?」

「うん。」

 明日香の顔が少し暗くなる。そして、少し小さな声で言った。

「…なんで死んじゃったの?」

 明日香はそう言うと、涙が出ないように口をぎゅっと結んだ。

「映像見たけど、つらい人生だったんだろうって思ったけど、でも映像だけじゃひなた君の気持ちは分からなかった。ひなた君はどういう思いで死を選んだんだろうって…ずっと知りたかった。」

 明日香のその言葉を聞き、何を言おうか考えた。

僕はなんで死んだのか。それは僕でもよく分からなかった。だが、強いて言うとするならば…。

「もうどうしたらいいか分かんなかったんだよ。」

 今まではっきりと考えてもいなかったことだったが、自分の中のそうした思いを少しでも言葉として出したら、次から次へと言葉が出てきた。

「受験勉強のプレッシャーとか疲れで心が麻痺していたんだと思う。頑張っても成果が出なくて、自信もなくて、どんどん追い詰められていて。自分ってどうしようもない人間だなって思って、そうしたら今まであった嫌なことたくさん思い出して。」

 明日香は黙って頷きながら聞いてくれた。誰にも伝えることができなかった思いがどんどんと溢れ出して止まらない。

「親が離婚したのもさ、あんな喧嘩毎日聞いているくらいなら離婚してくれてよかったって思った。でも、友達が当たり前のように塾に通っていたり、会話の中に当たり前のように父親の話が出てきたりするとさ、僕って普通じゃないんだなって思った。当たり前の存在がいないって、結構苦しかった。」

「そうだったんだ…。」

「美岬先輩の時もさ、綺麗な先輩だなってずっと思っていて、正直好きだったのかは分からなかった。でも、あの最後の日に美岬先輩が告白されているのを見て、すっげー悔しくてショックだった。その時、あー、俺美岬先輩のこと好きだったんだって気づいた。遅かったよ。もっと早く自分の気持ちに気づいていれば、告白していれば、って。」

「好きな人が告白される瞬間なんて私も見たくないな…。」

「だよなー。よりによって、なんであの時見ちゃったのかな。」

 明日香も僕も黙ってしまった。

「なんで自殺したかっていったら、上手くまとめられないけど、自分が嫌になったからだと思う。何か1つのことが引き金になったわけじゃなくて、色んな嫌なことが僕の心をじわじわ突き刺していって、これ以上生きていくことが怖かった。嫌いな自分から離れるにはもう死ぬしか選択肢がないって思った。死んだら僕の苦しみに気づいてみんな可哀想だと思ってくれるかなって、そんなことぼーっと考えていたら、気づいたら飛び降りていた。」

「ひなた君…。」

弱弱しい声で明日香が言う。

「ごめんな、こんな暗い話して…。明日香には関係ないよな。」

 僕がそう言うと、明日香は言った。

「ひなた君はすごい人だよ。」

 声が震えている。目も潤んでいて、少しでも動いたら涙が溢れそうだった。

「嫌な人に出会っても、その選択をしていなければ大切な人にも出会えなかって、私あの言葉にずっと助けられていた。今までいろんな選択してきて、違う道を選べばよかったんじゃないかとか、間違えた選択をしたって思うこともたくさんあったけど、その時にいつもこの言葉を思い出していた。」

 もう明日香の目からは大粒の涙が溢れて頬を伝い、床に零れ落ちる。

「ひなた君が亡くなったことを知った日に、ひなた君とブランコで話をした日の日記を遡ったの。そしたら、その言葉、ひなた君が言ってくれていた言葉だって思い出したの。それまでは誰に言われた言葉か思い出せなくて、でもずっと大切にしていて、私の人生を救ってくれた。」

「人生を…救った…?」

 何気ない会話の中で言った言葉が明日香の人生を救っていた…。映像の中の僕は確かに明日香にその言葉を言っていたが、覚えていなかった。そんなささいな言葉を明日香は覚えていたのか。

「うん。今もだよ。就活の時に、もっと偏差値の高い大学に進学していれば、もっといいところから内定もらえたのにとか、思ったこともあったけど、もし違う大学だったら、美岬ちゃんにも葵にも会えなかった。そう思ったら、この選択をしてよかったなって思えた。」

 明日香がそのまま続ける。

「そんな風に、ひなた君がしてくれたことや言葉が、誰かを支えたり助けたりしているんだよ。そのままの形じゃなくて、いろんな風に形を変えながら、回りまわって影響していくんだよ。ひなた君は私たちの中でまだ生きているんだよ。」

 明日香が泣きながら一生懸命伝えてくれる。その思いが、言葉が、とてもとても嬉しかった。僕の視界がぼやけていく。涙が出て止まらなかった。

「私だけじゃない。環もそう。私と環、毎年ひなた君の命日にひなた君の家までお線香あげに行っていたの。」

「え?」

 全然知らなかった。

「でも、去年おばさんにもういいよって言われた。今まで毎年来てくれてありがとうって言ってくれた。」

「そうだったのか…。ありがとう、来てくれて。」

「うん。このミュージアムのこと、環とかひなた君のお母さんにも伝えようと思ったんだけど伝えなかった。2人ともカウンセリングとか受けて心のケアをしながら、少しずつだけどようやく前を見られるようになってきたの。だから、私が代表して2人の気持ちを伝えに来た。」

 一瞬の間があく。僕は涙でぼやけながらも明日香の顔を見る。明日香は涙をぬぐって言う。

「なんで死んじゃったんだよー!ひなたのバカー!もっともっと一緒にいたかった。暗くても元気なくても、もう昔のひなたには戻れなくても、それでもひなたに生きていてほしかった。ひなたのこと大切だよってもっと伝えればよかった。もっと話せばよかった。ひなたが死を選ばない道を作ってあげたかった。」

 母と環の顔と声が浮かんでくる。ああ、ほんとバカだな…。僕は1人じゃなかったんだな。恥ずかしくても照れくさくてもちゃんと話せばよかった。

「環とお母さんは、本当にひなた君のこと大切に思っていたし、その分、ひなた君の死にショックを受けていたよ。」

「環…、母さん…、ごめん…。」

 僕は下を向いた。僕のことをこんなに思ってくれている人たちを置いて、悲しませて、なんの感謝の気持ちも伝えずに、死んでしまった。申し訳なかった。

「生きているうちにはなかなか気づけないものだけどさ、自分が思っている以上に誰かに影響を与えているんだよね。良い影響も悪い影響も。」

 明日香がそう言った。本当にその通りだと思った。

「明日香はすごいな…。」

 明日香はううんと首を振った。

「私だって、ひなた君に言われた言葉だったってこと、ずっと忘れていた。薄情な人間だよ。」

「そんなことないよ。」

「ありがとう。でも、これからは忘れないようにする。人間って長い間思い出さないとその記憶は消えちゃうの。だから、忘れたくないことは、何度も思い出すようにすればいいんだって。」

「忘れたくないこと…。」

「そう。ひなた君の言葉に助けられたこと、ひなた君と出会えたこと、環や葵や美岬に出会えたこと、忘れたくないことたくさんある。絶対に忘れたくないから、ひなた君のことも。だから、何度だって思い出すようにする。」

「あすか…。」

「ひなた君。」

 明日香は泣きはらした目で僕を見据えて言った。

「私と出会ってくれてありがとう。私の人生の登場人物になってくれてありがとう。」

 胸がぎゅっと締め付けられた。こんなにも温かい気持ちになったのはいつぶりだろう。

「こっちこそ、ありがとう。忘れたくないって言ってくれてありがとう。」

 僕は明日香に言った。心からの言葉だった。自分の伝えたい思いはきちんと言葉に出して伝える。もっと早く気づきたかった。


「僕からも1つ聞いていい?」

「うん。」

「なんで、明日香の人生の記憶と僕の人生の記憶、両方を依頼したの?」

 明日香が依頼を出したと聞いた時から疑問に思っていたことだった。

「ほんとはひなた君の記憶だけを見ようと思っていたけど、美岬たちからゾネさんも一緒に上映を見ていたって聞いて。ひなた君に私のことも知ってほしいなって思ったから、私の人生の記憶に変更しようと思った。でも、ひなた君もきっと誰かに自分の人生のこと分かってほしかったんじゃないかなって思った。だから半分こ。知りたいし、知ってほしかった。」

 僕が今日案内上映を担当するのは偶然だった。リーベさんとリヒトさんと3人でシフトを回しているから、今日僕が明日香の案内上映を担当するのは3分の1の確率だった。運命や縁とかそういうものを感じざるを得なかった。

「明日香は優しいな。確かに僕の人生のこと誰かに分かってほしかったし、大変だったねって思ってほしかった。」

「それならよかった。」

 まだ目は赤いが明日香が笑った。


「そろそろ、時間だ。」

 僕がそう言うと、明日香が腕時計を見た。今はちょうど18時。

「そうだね。」

「ミュージアムの出口まで送るから。行こうか。」

 僕は明日香と並びながら、シアターを出て、ミュージアムの出口へと向かった。出口まで明日香と他愛もない話をする。

「さっきここ通った時、下向いていたのは泣いていたから?」

「そうだよ。明日香多分最後の10分で何か話すつもりなんだろうって思ったから、ここで泣き顔見られるわけにはいかないって思っていたんだよ。」

「ええ?そうなの?なんか怒ってんのかと思ってたよ。」

「ちがうよ。こっちは一応勤務中だし、あんまり感情丸出しもダメだからね。」

「なるほどねー。」

 そんな風に話しているうちに、ミュージアムの出口に着いた。

「じゃあ、ここで。」

「うん。ありがとう。」

「明日香。元気で。」

「うん。」

 ミュージアムのドアが開く。輝かしく眩しい光の中に明日香が走っていく。そして一度振り返り、僕に手を振った。

「ひなた君、またね!」

 あの日の最後、僕が明日香に言ったセリフと同じだった。それを明日香が真似しているのか、それともそんなこと関係なく言っているのかは分からなかったが、嬉しかった。

「明日香、またね。」

 僕も同じように言うと、明日香は白く眩しい光の中で太陽のような輝かしい笑顔をしていた。そして、ミュージアムの扉が徐々に閉まり、白い光も明日香の姿も見えなくなった。さっきぬぐったはずの涙が一筋、右目から頬を伝っていった。


 生きていたら良いことあったのかな。自分の思いを素直に言葉にして伝えればよかった。きっとまだ希望はあったんだな。環や母さんたちにも会いたい。友人たちと大学生になりたかった。自分が選んだ選択なのに、どうしようもなく苦しい。

「……死ななければよかった…。」

 誰もいないミュージアムに自分の声だけがぽつりと聞こえた。涙が溢れて止まらなかった。


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