シャロン・ホームズの助手
十二田 明日
第1章 名探偵シャロン・ホームズ Ⅰ
十九世紀末、蒸気機関とそれに付随する科学技術は異常な発展を遂げ、その技術革新の最先端にいる大英帝国は、世界の四分の一を牛耳る覇権国家となった。
そんな大英帝国の首都、ロンドンへ向かう汽車の中での事。
とある二人組の乗客が座っていた。片方は淡い茶髪の青年で、眼鏡をかけている。ほっそりした体格で背は少し高め。真面目そうな顔をしており、手元の本に視線を落として熱心に読みふけっていた。
もう一人は金髪の美女で、腕を組み座席にもたれて眠っている。夫婦や恋人には見えない、不思議な組み合わせの二人組だ。
他の乗客はまばらで、あまり混んではいない。
──不意に客車の前の方で悲鳴が上がる。
何事かと茶髪の青年は顔を上げた。
「騒ぐな! 大人しくしろ‼」
「妙なことした奴はぶっ殺す!」
前方車両から来たのだろう。バンダナで顔の下半分を隠した男が二人、拳銃を持って立っていた。威嚇の為に一発天井へ向けて銃を撃つ。
それで車内に広まりつつあった騒めきは、一瞬で静かになった。
どうやら列車強盗らしい。
空気がピンと張り詰め、胃が痛くなるような緊張感が場を支配した。だと言うのに──金髪の美女は座席にもたれて眠りこけたままだった。
「ん? なんだアイツは──」
強盗の一人が未だに眠り続ける美女に気が付いた。一歩一歩、威圧するように足音を響かせて近付く。しかしそれでも美女の起きる気配はない。
「おい姉ちゃん、起きな」
「ん……まだ眠いよ……ロンドンに着いてから起こしてくれ」
「いいから起きろってんだよ!」
強盗の男が銃を突きつけて怒鳴ると、美女は顔をしかめて瞼を開き、エメラルドの瞳がゆっくりと動いた。
「なんだい、うるさいねぇ……」
寝ぼけまなこの美女は、眼前に突きつけられた銃口を見て、ようやく何事かが起きていることを察した。
しかし慌てた素振りもみせず、気だるげな調子で連れの青年に声をかける。
「驚いたな。ワトソン君、どういう状況なんだい?」
「……列車強盗にあったみたいだ」
ワトソンと呼ばれた茶髪の青年が答える。
「列車強盗──なんで起こしてくれなかったんだ」
「銃声を聞いても起きない女をどう起こせばいいんだホームズ?」
「もう既に発砲までしてるのか。これはマジっぽいねぇ」
ホームズと呼ばれた美女は、スンスンと鼻を鳴らす。空気に漂う硝煙の香りを嗅ぎ当てたようだ。
そんなホームズの軽い態度が気に食わなかったらしい。ホームズに銃を突きつけた強盗は、カチャリとこれ見よがしに拳銃の撃鉄を起こす。
「おい舐めてっとブッ殺すぞクソアマ!」
恐らく男が見たかったのは、ホームズが慌てふためき恐怖する姿だったのだろう。確かにホームズの態度は強盗の男を軽く見ているようにしか思えない態度である。
しかしそれも無理からぬ事だろう。事実として、ホームズにとっては目の前の男などなんの脅威でもなかったのだから。
「……誰がクソアマだって?」
スッと急にホームズの目付きの鋭さが増した。それを見てワトソンはマズい! と思ったがもう遅い。
ホームズは立ち上がりざまに銃を突きつけている男の横に回り込むと、腕の逆関節を取りながら足を払う。銃を突きつけていた男は、一瞬で列車の通路に這いつくばって組み伏せられた。
ホームズが腕の折れる限界まで関節を極めると、男は悲鳴を上げて持っていた拳銃を取り落とす。バリツという東方の流れを汲む武術による早業である。
「──ああ、もう!」
それを見てワトソンも座席から飛び出した。もう一人の強盗に向かって駆け出す。
「な、なんだてめぇら⁉」
もう一人の男がワトソンに銃を向ける。しかしワトソンは怯むことなく男に駆け寄った。どうせ狭い車内で逃げ場もない。下手に怯んで足を止めるよりも、懐に飛び込んだ方が安全だ。
ワトソンは一瞬で男との間合いを詰めると、銃口を逸らしつつ相手の腹に強烈な膝蹴りを叩き込んだ。くぐもった悲鳴を上げて、男は身体をくの字に曲げる。
前のめりになって下がった男の顔面に、もう一度膝蹴りを入れる。腹と顎を蹴られた男は、白目を剥いて失神した。
「ふぅ……」
男の意識がないことを確認してから、ワトソンは詰めていた息を吐き出した。
「急だったから動き出すのが遅れた……肝が冷えたよまったく。もっと前振りをしてくれよ、もう少しで撃たれるところだったぞ」
そう言うワトソンにホームズは肩を竦めた。
「君なら合わせてくれるだろうという信頼の証だよ」
「信頼を盾にすれば、どんな無茶振りも通ると思うなよ」
「──クソ! クソッ‼」
憎まれ口を叩き合う二人に、ホームズに取り押さえられた男が唸る。
「放しやがれこのクソアマ!」
「……」
怒ったホームズは取り上げた拳銃のグリップで、男の後頭部を殴りつけた。暴れていた男は静かになった。この男も気を失ったのだろう。
「まったく失礼しちゃうね。こんなお淑やかなレディに対して、なんて言い草だ」
鼻を鳴らして憤慨するホームズに、ワトソンは
(本当にお淑やかな奴は、怒って強盗を気絶させたりしないだろ……)
と思ったが、面倒になりそうなので言うのを止めた。
シラーッとしたワトソンの目線に気付いたホームズが、あざとい仕草で小首を傾げる。
「何か言いたいことでもあるのかなワトソン君」
「いや、何もない」
ホームズが貼り付けたような笑みでプレッシャーをかけるが、ワトソンは視線を外して誤魔化した。
「……どうするんだこれ」
不意に他の乗客がつぶやいた。
「こいつら列車強盗だろ。この二人を倒したら、他の奴らが襲ってくるんじゃないか?」
大人しくしてた方が良かったのでは……という空気が場に流れる。
そんな空気をかき消すように、ホームズが高らかに宣言した。
「乗客の皆さま、あなた方は非常に運がいい。何しろ私──このシャロン・ホームズが同乗していたのですから。皆さまの安全は私が保証します、私がこの列車強盗事件を解決するのでどうかご安心を」
まるで舞台役者のような気取った仕草と口調である。普通の人間ならただふざけているようにしか見えないだろうが、ホームズほどの美人が行うと様になる。
周りの乗客たちは思わず息を飲み、見入ってしまった。
ホームズは満足げな顔で頷くと、強盗たちが来た前方車両へ歩き始める。
「──さぁこれで後には引けなくなってしまった。この事件、我々の手でさっさと解決してしまおう」
ワトソンは大きく肩を落とした。
「本当に君といると退屈しないな」
「楽しいだろ」
「僕は平和主義者なんだ。刺激的な毎日より、穏やかな日々を送りたいと常々思っている」
「ほう、そうだったのかい?」
「それが中々叶わないのが最近の悩みなんだ」
「それは可哀そうに」
「……(誰のせいだと思ってるんだ!)」
ワトソンは無言でホームズにプレッシャーを与えるが、当のホームズは素知らぬふりをする。
軽口を叩き合いながら前方車両に向かう二人に、乗客のひとりが訊ねた。
「解決って……アンタら一体何者だ?」
するとホームズは不敵に微笑み、ピンと人差し指を立てる。
「世界一の名探偵!」
「──と、その助手です」
ホームズが高らかに宣言し、ワトソンはおまけのように小さく付け足した。
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