みや様と、わたし
ちはや
第1話
時は、ご一新より四半世紀。
時の帝は大帝として尊ばれており、国威発揚、益々盛んな時代であった。
宗右衛門にはご一新以前に得た嫡妻及び継室の他に妾婦が幾人かいたのであるが、あまり子宝には恵まれなかった。
しかも成人したのは、嫡妻との間に儲けた息子が一人と、妾婦に産ませた息子が一人のみだった。
当時の慣例により、当然、跡目を継いだのは嫡妻の息子の
妾婦の息子である
妾婦として部屋を与えられていたとはいえ、雄宗の母親は元をたどれば宗右衛門の妹に仕える御末だったのだから、それらを総合して鑑みるに彼の雄宗への扱いは、むしろ過分すぎる程であった。本来、分家を起こしたり相続したり出来るのは嫡妻の子か、もしくは妾腹といえども、嫡妻に準ずる母親の身分の高さが必要不可欠となる。
全ては血筋がものをいう世界なのである。
妾婦の子とは本来、本家の一大事においての予備、備蓄品なのだから、成り代わるには当然、能うだけの保証が求められるのは至極当然の事といえた。
ご一新後に正宗は、後に男爵を叙爵した半家の令嬢、七辻園子と結婚した。これは帝自らが婚姻の許しを与えたため、当時は社交界で大きな話題をさらった。
七辻園子が一時ではあるが皇后の女官として仕えていたからなのであるが、帝の肝いりでの結婚に、宗右衛門はたいそう鼻を高くした。これで跡継ぎに恵まれれば、その子は生まれながらに帝の覚えがめでたくなる。将来は約束されたも同然だった。
が、正宗もなかなか子宝に恵まれなかった。ようやく、園子との間に子を儲けたが、産まれたのは女児だった。
それが、
園子は希望子を産んだ後、体を壊して次の子を望めなくなっていた為、宗右衛門は正宗にせめて娶妾するように言い渡したのであるが、園子への愛情か、はたまた遠慮してか、正宗は首を縦に振ろうとしない。
そして数ヶ月後、生来病弱であった園子は、一度も希望子に乳を与える事もなく、儚い存在となってしまったのである。
正宗はこの時、仕事に忙殺されており、妻の死に目に立ち会えなかった。思えば、この時からさらに正宗の態度は頑なさを増し、再婚話を頭から拒絶した。
その間、実相院家での雄宗はというと、妻だけでなく妾婦との間にも次々と子を儲けていた。
宗右衛門は、ため息まじりにいつも嘆いていた。これが、逆であればどんなにか、と。
時間だけが無情に過ぎゆく中、正宗はある日、継室を迎えたい、と宗右衛門に願い出た。あまりにも唐突な申し出であったが、ようやく、と宗右衛門は胸をなで下ろした。
が、正宗が連れてきた継室候補の女性を面会するや、二人を叩き出した。
女性は、
しかも彼女は、希望子と同い年だった。
宗右衛門は怒り狂った。
もともと気性が激しい人物であったが、これ程の猛り狂いようは見たことがない、と使用人たちは口を揃える程であった。
諸外国への外聞がよろしくない、という理由で自国特有の畜妾制度が禁じられたとは言え、上流階級では以前、公然と妾婦を持つに至っている。
だからせめて、娶妾であれば許さないでもない。だが、たかが半玉、しかもどこの得体の知れぬ素性の小娘を継室にとは。
「我が聖護院家は元は九千石取の交代寄合、ご一新立藩を経て子爵家に叙爵された名門だ。この貴き家の継室に、馬の糞よりも出自の怪しい卑賤な娘を室に据えるだと!? 何を考えておるか! そもそも、華族に属する以上、婚姻には帝と政府からの許しが必要となる。この栄誉をなんと心得ておるのか! 身を売るを生業とするような卑しさに加えて、どこの男をたらしこんでおるかも分からぬ淫らな女であるぞ! 華族の継室に納まろうと画策するような狡猾な女なぞに手玉に取られ、浮かれおって! 馬鹿者めが恥を知れ!」
よもや正宗は物狂いしたかと涙にくれたが、それも一瞬のことで、宗右衛門は激高した。
煮えたぎる怒りのままに正宗を痛罵した。
まゆ胡のことを頭から否定して貶めた。
出来の良かった正宗を殊の外、溺愛していた宗右衛門は、かけていた期待のその重みの分、失望感も尋常ではなかったのである。
気迷い者に家は継がせられぬと家督相続権を取り上げてしまいたかったが、だが、廃嫡は出来なかった。
それほどまでの怒りの只中にあってなお、正宗への愛情は頑強に宗右衛門の胸の中に根を張り、そびえていたのである。
宗右衛門と正宗が修羅場を演じていた時、雄宗は、ほくそ笑みながら、事の成り行きを見守っていた。
絶縁されてしまえ、家門から追い出されてしまえ、そうすれば、聖護院家の全ては、やがて俺のものとなる、とっとと失せろ――と、念じながら。
やがて、二人が駆け落ちした、という醜聞が上流階級の間を旋風のように駆け巡った。
もちろん、雄宗が流したデマであるが、二人が聖護院家から締め出しをくって後、あちらこちらのホテルや友人宅に流れるよう逗留するになったのは事実であったため、皆は簡単に信じてしまった。
また、こうした色恋沙汰の醜聞は上流階級のみならず、下々の民も大好物だった。おりしも、識字率の上昇により新聞が庶民にも広まり始めており、彼らは憧れを抱いている貴族たちの生活を垣間見することを強く望んでいたのである。
そうした読者の期待に応えようと、連日、紙面には帝室や上流階級の生活が紙面を飾っていた。中には許可無く雲上人の写真を載せているものもあったのだが、だがこうした不躾で礼儀知らずな新聞社ほど販売部数を伸ばしていたのである。
そこに降ってわいた艶話を、各社が見逃すわけがなかった。
各社はこぞって、聖護院家の正嫡である正宗と雛妓まゆ胡の二人と、宗右衛門老翁との家督を巡る愛憎劇場を連日に渡って書き立てた。
醜聞の取材合戦は加熱して行き、この頃、希望子は女学校に通うことすら困難になってしまっていた。仕方なく、ツテを頼って家庭教師を雇い入れたは良いのだが、この家庭教師がまたぞろ碌でもなく、宗右衛門の私生活を探って新聞社に切り売りしたのである。
生真面目で面白味のない希望子は売りつけるようなにネタもなかったため、彼女はさしたる被害に遭わなかったが、老翁の心労はここに来て最高潮に達していた。
ちまたで、正宗とまゆ胡の純愛逃避行を知らぬ者は居ないとまで言われるまでになった頃、帝都で一大災害が発生した。
俗に帝都大火と呼ばれる大火災である。
この大災害に、まゆ胡が所属していた置屋が巻きこまれていた。
もしや二人は置屋に身を寄せていたのではなかったか、ならば巻きこまれているのでは、と居ても経っても居られぬ宗右衛門が置屋を訪ねると、果たして、まゆ胡は大火にまかれて重傷を負い、病院へ担ぎこまれたと言う。
が、何しろ大混乱の最中の事で、置屋の女将や姉芸者たちも病院名までは分からない、と涙で言葉を詰まらせながら答えるのがようやっとだった。
まゆ胡が治療を受けている病院を探し当てた宗右衛門が目にしたのは、大火傷を負い、全身包帯まみれの姿だった。
愛らしさしかなかった
そんな宗右衛門を一言の恨み節もなく許したまゆ胡は、息も絶え絶えながら語った。
正宗とは、災禍の只中、二人で逃げ惑ううち、あんなにも硬く握り合っていた手が、ふとした拍子に外れてしまい、離れ離れとなってしまった、それから彼の行方は杳として知れないまま、という事だった。
そして最後に、ここだけ唯一、無事である腹を撫でさすった。
「どうか、この腹の中に息づいている、だんな様のお子だけは無事に産ませてくださいまし。後生にございます、この子に、だんな様の、あとを、継がせて」
まゆ胡は涙ながらに訴え、それを最後に気を失った。
意識不明となった彼女が出産まで命を長らえられたのは、正しく、奇跡だった。
まゆ胡は、子を産み落とすと、役目を終えたとばかりに静かに息を引き取ったのである。
同じ頃、上流階級の中でも最高位にあたる家門でも、密かに醜聞が繰り広げられていた。
もう一つの醜聞を起こしていたのは、なんと、宮家であった。
東雲宮
いや、正確には十九男である。
東雲宮は鎌倉時代より続く、世襲宮家である。子福者の家系であり、明里親王自身も、元は東雲宮
宮家といえど、第五世孫以降は嫡男以降は親王を名乗らず王という立場に留まり、成人後は臣籍降下する。宮家を継承する王が帝から親王宣下を受け、その者のみが親王を名乗ることが許されるのである。
第八王子である明里親王が東雲宮の家督を継いだのは、上の七名の王子が後継者を残すことなく次々と鬼籍に入ってしまい、家督が巡りめくって来たからであるが、親王がこの幸運を喜んだかといえば、実はそうではなかった。
彼には大いなる秘密があったのである。
それは、まだ彼が宮様と呼ばれていた時分の頃、自身の乳母子と縁を結び、子を儲けてしまっていたのだ。
この時、明里親王はまだ十三歳という若年であった。性的に大らかな宮中にあっても、さすがに憚られるということで、子供は宮門跡として有名な六曜院曼珠寺へ猶子に出された。
子は、
これは当時の貴族社会では公然の秘密というものだったのだが、父の明里王が王のままであったならば、荏苒もいずれ曼珠寺の門跡として一生を終え、醜聞の臭いなどたちもしなかっただろう。
しかし運命は激しく転換し、明里王は親王宣下を受け東雲宮の当主となった。その為、荏苒の立場も微妙なものとなってしまったのである。
庶子とはいえ、荏苒は紛う事なく明里親王の長子なのである。それに乳母子とはいえ母親は名家の出である。身分はしっかりしており、しかも荏苒はとうに成人している。
明里親王は荏苒の扱いに頭を悩ませたが、結局、曼珠寺から離籍させた後、帝室に復帰させ、そして改めて臣籍降下させるという処置をとった。
帝から伯爵の位を授爵された荏苒は、慈しんでくれた寺門を忘れまいとしてか家名を曼珠寺とし、名は美都皇后から一字を下賜されて、美也、と改めた。
こうして荏苒、もとい美也は華族社会に足を踏み入れ、新たに事業を興し、短期間でその分野で名を馳せるまでになった。
さて、ここまでで済めば、良かった良かった、で終わるであるが。
ここで思い出して欲しい。
明里親王は子福者である、と。
つまり、それだけ女人を耽溺するに長けた人物なのである。
事件は、荏苒が美也と名乗ってから十数年後、明里親王が薨去した後に起こった。
なんと、明里親王の血を受けた二十番目の王子が名乗りを上げてきたのである。正確には、子の母親の縁者が密かに、しかし決死の覚悟で親王邸へ押しかけてきたのだ。
明里親王は東の帝都ではなく、西の皇都を深く愛していたため、普段からそちらの邸宅に滞在することが多かった。親王との子を成した女房たちも、みな、先ず西の皇都で仕えている。
さて縁者によると、子の母親は産後の肥立ちが悪く寝込んでいたところに明里親王薨去の事実を知って錯乱し、もはや正気を取り戻すのは非常に困難な状況に陥っている、とのことだった。
どさくさ紛れにたかりに来た眉唾ものとして追い払うことも可能であったが、縁者が所持していた赤子の産着には、明里親王のみが身につけることを許された御印章の
これではもう、彼らを追い遣ることはできない。
東雲宮を継いだばかりであった第二王子の
彼女は女房として正式に父宮に仕えていたわけではなかったが、明里親王は自身の子と認めていたからこそ御印章を赤子に贈っていたはずだ。
だが今現在の法に則れば、父親の死後、母親からの申し出では子を認知できない。あくまでも、父親からでなければ、子は認知されない、出来ない。宮家であっても許されないのだ。
この難問を前に、祝里親王は庶長子である美也を頼った。
兄弟は籠もりきりで長く相談しあい、そして弾き出された結論は――生まれたばかりの子を、美也の子として戸籍に載せる、というものだった。
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