第15話 交渉に策を

 ガルダの背に乗って要塞へと戻った私たちは、急ぎジャガトの侵攻に備え始めた。

 隣国へ送った救援の要請には返事がなかった。想定の範囲内ではある。至急国内で志願兵を募り、急ごしらえの軍を組織しているが、できれば戦わせたくはない。前線に集まった兵士たちが痩せて疲れた顔をしているのを見て心が痛んだ。

 間者からはマハーヴァナ軍の位置についての情報が定期的に入ってくる。ジャガトとその兵は着実に迫っており、その姿が見えるのも時間の問題だった。


 果たして、私の到着から二週間後。塔の見張りが告げた。

 マーニカとの国境にマハーヴァナの旗を掲げた大軍あり――と。


 戦の作法として、いきなり衝突することは好まれない。まずはそれぞれに条件を提示して交渉が行われるのが常だ。

 私は国を代表し、おじ様を含む武官数名を引き連れて、マーニカとヒマーチャラをつなぐ橋の上へと赴いた。


 橋の中央、取り巻きを引き連れて待つ男の姿を見た瞬間、はらわたが煮えくり返るような感覚を覚えた。

 ――ジャガト。憎き侵略王。

 金の鎧に身を包んだジャガトは、曇った晩秋の朝だというのに、召使いに傘を差しかけさせている。わざわざ持ってこさせたのか、豪奢な装飾の椅子に腰を下ろして。にやにやとこちらを見やる顔、舐めるような視線。その頭の上には王冠が――大蛇霊ナーギナー・デーヴィー魂脈こんみゃくせきが輝いている。


 対する私が椅子など用意しようはずもない。黙って橋の中央に立ち、ジャガトを睨み据えた。

 ジャガトの隣に立つ軍人が貝葉ばいようを広げ、声を発した。


「マハーヴァナ王国は交渉に応じる。人質でありながら約定を破って出奔した王女の懇願に応えること、偉大にして寛大なるジャガト陛下のお慈悲であると心得よ」


 隣に立つヨーディヤおじ様が長く息を吐いた。怒りを抑えているのだろう。

 私はできるだけ表情を殺して、軍人の方を見やった。


「和平を望むのであれば、ヒマーチャラは三つの条件を呑むべし。第一、国土の八割を渡せ。第二、宝石鉱山の権利をすべて委譲せよ。第三――アムリタ王女を、渡せ」


 武官たちがざわついた。ヨーディヤおじ様が身をこわばらせたのが分かった。

 私は片手を挙げ、彼らを沈黙させた。おじ様が身をかがめ、私の口元に耳を近づける。私はそっと囁き返した。


「よいでしょう。まずは第三の条件から応じます」

「王女殿下!」


 おじ様が驚愕の声を上げる。だが私が指を立てると口をつぐんだ。


「それぞれの条件に応じた段階的撤退を求めましょう。第一段階を確認できれば、他の条件について検討すると伝えてください」

「……アムリタ様」

「それと、最低限の嫁入り支度はさせてもらいます。――そのため、都から侍女を連れてゆく許可を得てください」


 私がそう言った瞬間、ヨーディヤおじ様の表情が変わった。

 思案するような、何かを探るようなまなざし。私が軽く目を細めると、おじ様は囁いた。


「王女殿下、何かお考えが?」

「ええ。お任せくださいな、おじ様」


  ***


 交渉を一旦終え、要塞の自室に戻った。

 机に向かって作戦を整理していると、誰かが扉を叩いた。


「どうぞ」


 声をかけると、厚い木の扉がゆっくりと開く。入ってきたのはミーラだった。彼の青い瞳はなぜかこぼれそうに揺れていた。


「アムリタ。僕もジャガトのところへ連れていって」


 ああ、彼も話を聞いたのだ、と悟る。私は静かにかぶりを振った。


「ダメよ、ミーラ。侍女でないと意味がないの」

「でも……君があいつのところへ行くと思うと、心配で仕方がない。それに石を取り返すのだったら、僕の責任でもあるじゃないか」


 彼は私に歩み寄る。机に向かう私のそばに膝をつき、子犬がするように見上げた。


「僕も侍女の格好をして、こっそりついていくから。お願い」

「――ミーラ」


 私は溜め息をつき、彼に向き直る。

 彼はしばし私を見つめ、それから潤む瞳を床に向けた。


「……分かってる。今の僕は何の役にも立てない。君みたいに戦うこともできないしね」

「そういうつもりじゃないけれど……」

「いや、いいんだ。――単に、君がいなくなるのが怖いだけなのかも」


 彼の白い手が軽く握り込まれる。胸の奥がつきり、と痛んだ。私は手を伸ばし、彼の手の甲にそっと触れた。


「ミーラ、大丈夫。私はいなくならないわ。勝算はあるの」


 白いおもてが上げられる。そこに薄い笑みが浮かび――すぐに消えた。


「でも――君は」

「……ええ」


 彼の瞳が見つめているのは、私の喉元。消えずに残っているジャガトの呪いの証。

 ――貴様はじきに死ぬだろう。あの男が宣した運命は、厳然として私の道の先にある。

 危険のない戦などない。誰が死んでもおかしくない。だが呪いに縛られている以上、私に迫る脅威はいっそう大きいとも言えた。敵の懐へ入るとなればなおさらである。


 ミーラが私の手を握った。探るように、繋ぎ止めようとするように。


「いつなんだろう、と思ってしまうんだ。がもし今だったら、明日だったらと」

「ミーラ……」


 美しい顔が歪む。海の瞳が伏せられた睫毛でかげる。

 彼の手は冷たい。優しくて――今は、とても冷たい。


「どうして……だろうね。ごめん、こんなことを言って。一番不安なのは君だろうに」


 言ってミーラは立ち上がる。膝を払い、何事もなかったかのように微笑んだ。


「待っているよ、アムリタ。必ず無事に帰ってきて」


 彼はきびすを返し、部屋を出ていく。

 雨の日の空気のような残り香が部屋を漂い、やがて消えた。

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