第10話 嶺に秘密を

 軍議の間の長卓にヒマーチャラと周辺諸国の地図を広げ、会議が始まった。武官たちの表情にはさっきよりも気力が戻っている。

 私は隣に控えたヨーディヤおじ様に視線を向けた。


「マハーヴァナ軍の動きについて、何か情報は?」

「はっ。間者かんじゃから進軍開始の報告が来ております。兵士の数は、同盟国からの援軍も含めればおそらく一万になるとのこと」

「……そうですか」


 私は地図に指先で触れ、マハーヴァナの都からヒマーチャラまでの道をなぞった。

 徒歩であれば二カ月ほどかかる道のりだ。だがマハーヴァナ軍は騎馬のうえ、動きが速い。七年前の侵攻では一カ月足らずで国境を越えられてしまったと記憶している。

 妨げになるものがあるとすれば山深いヒマーチャラの地形、そして晩秋には積もるはずの雪だ。本来ならばじきに初雪が降る。防衛には有利な時季のはずだ。


 ――だが、今は。


「やはり雪は降りませんか」

「……はい」


 おじ様の言葉に私は軽く唇を噛んだ。

 七年前の侵攻時から、ヒマーチャラの山々には謎の異変が起こっている。毎年の降雪があまりにも少ないのだ。通常ならば山々を閉ざし、外敵の侵入を許さぬはずの雪が、薄く地面を覆う程度にしか降らない。


「ところによっては降雪不足で地下水が涸れ、水不足や飢饉ききんに襲われております。都からも支援をしておりますが、厳しい状況です」

「……ええ。聞き及んでいます」


 マハーヴァナの王宮に閉じ込められていた私の耳にさえ噂が届くほどの事態。こちらの不利はやはり揺るがないようだ。


「進軍は早いでしょうね」

「猶予は最悪、半月ほどかと」


 おじ様の言葉に私は頷き、武官の一人を見やった。


「ダメで元々です。シムヒーとムルタマダの王へ援軍を要請します。私の文を届けてください」

「はっ」


 ヒマーチャラと同様に脆弱な隣国がマハーヴァナに立ち向かうことを選んでくれる公算はない。だが、ただでさえ少ない我が国の兵士は、七年前の大敗戦とその後の無理な鉱山採掘、さらには飢饉で大きく数を減らしている。できることはすべてせねばならなかった。


「あとはどのようにマハーヴァナ軍を迎えうつかですね。こちらの手札を整理して、どうにか作戦を立てなければ。改めて国内の現状をまとめて報告してください」

「はい」


 おじ様が頷く。私は集まった全員の顔を見渡した。


「いかなる作戦を取ろうとも、民の犠牲だけは最小限に抑えます。前回の戦では、あまりに多くの命が失われました。個別の墓を作ることすら叶わず、亡骸を大穴に放り込んで埋葬せざるをえなかった村さえあると聞いています。そのようなことは二度と許しますまい」


 幾名かの武官の顔が歪む。おそらく私の語った陰惨な場面を直接目にした者たちだろう。私は大きく息を吸った。


「民なくして国はなし。我が父、亡き王の言葉です。皆、ゆめ忘れることのなきように!」

「御意!」


 武官たちが一斉に礼を取る。私はそれに頷き返し、ミーラに目配せをして部屋を出た。急ぎ隣国への文をしたためなければならない。鳩で送って間に合うだろうか。

 廊下に出て自室へ向かおうとする。だが回廊の角を曲がったところで、ふいに肩布ウッタリーヤの端を引かれた。

 振り返ると、衣の裾を握ったミーラがじっとこちらを見つめていた。


「……アムリタ、話があるんだ。いいかな」


 彼の青い瞳は今にもこぼれ出しそうに潤んでいる。こんな顔をしているミーラを見たことはなかった。心がざわついた。


「どうしたの? ミーラ」

「僕は――君に謝らなくちゃ」

「……え?」


 体の向きを変え、ミーラに向き直る。彼は視線を下げて床を見つめ、再びゆっくりと目を上げて、回廊の柱の間に見える山脈を見つめた。

 ようやく開かれた口からこぼれた声は、今にも消え入りそうだった。


「七年前に君の国が攻められたのは、僕のせいだ」


 一瞬、理解ができなかった。

 少しずつ言葉の意味を噛み砕くにつれ、じわじわと体の温度が下がっていく。


「……どういうこと?」

「ヒマーチャラに雪が降らなくなったのは、元をたどれば僕のせいなんだ。ごめんなさい」

「あなたの、せい……?」


 いつしか手が冷え切っている。ミーラを見つめ返すことしかできない。

 彼の顔はあおい。常から色白な彼だが、今はいっそう蒼白い。


「黙って罪滅ぼしをするつもりだったけど、やっぱりそれは難しいし、許されないと思って」


 言ってミーラは、揺れる水面のような瞳で私を見た。


「……僕の話を聞いてくれる?」


 私は何も言えぬまま、小さく頷いた。

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