日常の3 御手洗真心はその手にまごころを込めている

 休日の昼下がり。

 僕は最寄りのコンビニまで買い物に出かけていた。

 昼ご飯を食べた後、莉差りさねえが冷凍庫のアイスが無いことに駄々をこねたんだ。

 ちなみに買い出しに出たのは僕だけで、莉差姉は家でだらだらとスマホゲームをやっている。姉とはずるい生き物だ……。


 けど、僕が出発する直前、莉差姉から、

『ふふ~ん。和博かずひろ、釣りはとっておきなぁ……!』

 とアイス代として千円札を預かった。

 思わぬ臨時収入のおかげで、僕も快く引き受けることができた。


 そして、もうじきコンビニへ到着するといった折に――。


「あれ? ……真心まこさん?」


 今まさにコンビニの中から出てきた人を見て、僕は呟く。

 帽子を目深に被って黒マスクをつけているおかげで、素顔が見えづらい。

 だけど、真心さんを含む姉の友達とは、僕も小学生の頃から面識がある。

 知らない仲じゃないから、何となくの雰囲気で、その人とわかるつもりだ。

 僕は足早に駆け寄って、真心さんへ背中から声を掛けようとした。


「真心さ――」

「よう! 御手洗みたらいじゃん。こんなとこで何してんの?」


 その直前。

 僕の前に割り込む形で、見知らぬ男の人が現れた。

 外見は高校生くらい。もしかしたら真心さんの同級生かもしれない。

 ただ、この人が壁になって真心さんの顔が見えない。

 きっと真心さんからも、僕が見えてないだろう。

 真心さんの声だけが、僕の耳に届く。


「あ~……小学生の頃に引っ越した山田?」

「いま高校で同じクラスの喜多川きたがわだけど!?」


 真心さんの発言を、男の人が驚愕とともに否定する。

 僕も真心さんの言葉はちょっとひどいと思う……。


「そっか、ごめん。で、何か用?」

「……い、いや。用ってほどでは。顔見知りを見かけたから、挨拶をと」

「気を遣わなくていいよ。友達でもない、ただのクラスメイトなんだから」


 真心さんの声は平坦で冷たかった。

 僕が知る限り、こんな真心さんの声は聞いたことはない。

 莉差姉や他の友達と喋るときの真子さんは、ここまで突き放したような物言いはしない。僕に対しても、そうだった。


 でも、考えてみれば。

 僕は真子さんのことをよく知らないんだ。

 あくまで姉の友達っていう、近いようで遠い距離感だから。


 どうしてだろう。

 急に居心地が悪くなってきた。


「お、おう……悪かった、じゃあまた学校でな!」

「うん。さようなら」


 男の人は別れの挨拶を告げて、そそくさと去った。

 そうなると、その背中に隠されていた僕の姿が晒される。

 真心さんが、あらんかぎりに瞳を見開いた。

 

 お互いに硬直。

 僕と真心さんは、二人して見つめ合う。


 僕が言葉に詰まっているのは……不安だからだ。

 もし、もしもだ。

 真心さんが、莉差姉の手前、今まで僕に優しくしてくれていただけだったら?

 さっきの男の人みたいに、僕に挨拶をされることも同じように迷惑なのか……?

 そう考えると萎縮してしまう。

 半歩後ずさって、ジャリッと靴底を鳴らした。


「――い、今まですみませんでしたっっ!」


 僕は九十度に腰を折る。それから即座に踵を返した。

 地面を蹴って、走る。

 数秒後。

 背後から伸びてきた手にあっさり手首を掴まれた。


「…………ハァ、ハァ……な、なんで逃げんの?」


 振り返ると、真心さんが黒マスクをつまみ上げて息を整えていた。

 何となく視線を合わせづらくて、僕は目を逸らす。


「ご、ごめんなさい。つい」

「――……和博くん。ちょっとついてきて」


 真心さんに手を握られたまま、再びコンビニまで戻る。

 力強く繋げられた手からは、決して逃すまいという念が感じられた。

 そうして、真心さんはコンビニに入店してアイスを二つ購入する。

 店先の邪魔にならない場所まで僕を連れて移動した。

 買ったばかりのアイスの片方を、僕へと差し出してくる。


「あげる。少し話そう」

「……ありがとうございます」


 僕は真心さんと隣り合って、一緒にアイスを食べ始めた。


「で、なんで逃げたの? 『今まですみません』ってどういう意味?」

「ウァ……それは、真心さんが……ずっと無理をして、僕と喋っていたのかと思って」

「はあ? どうして――……って、あたしが山田にキツく言っていたせいか。陰で見てたもんね」


 山田じゃなくて喜多川さんじゃなかったか?とは思いつつ、僕は頷く。

 すると、真心さんが、僕の顔を覗き込んできた。

 視線がぶつかる。


「あたしのこと、怖い? 嫌いになっちゃった?」

「……あ」


 その心細そうな声色を聞いたら、今度は目を逸らせなかった。

 もし真心さんを傷つけたなら、どうにかしないといけない……。

 僕は、真心さんの瞳をじっと見つめ返して、それから自分の気持ちをよくよく探ってみた。


「ちょっとびっくりしたけど……怖いとかじゃないです。嫌いにもなりません」

「……ん」

「真心さんは姉に使われてばかりいる僕の味方をしてくれて、優しいところを知っています……うちの莉差姉はだらしないから、姉に持つなら真心さんみたいな人がよかったと思うくらいで、えっと――……僕にとって真心さんは、尊敬する年上のお姉さんなんですっ!」


 僕はしどろもどろになりながら、何とか言葉を締める。

 途中から何が言いたいか自分でもわからなくなっていた……。


「…………もうあたしの弟にならないかな……」


 真子さんがボソッとなにか呟いた。

 けど、なんだろう? 声が小さくて聞こえなかった。


「あの、今なにか言いました?」

「っ……別に」


 真子さんは咳払いをして、微笑む。


「驚かせたのはごめん。あたし、思っていることはハッキリ言っちゃうし、言い方がキツくなる時もあるから、誰とでも仲良くなれるタイプじゃないんだ」

「そうですか……」

「だけど和博くん。勘違いしないように」


 真心さんは肩を寄せ、額をコツンとぶつけてきた。


「和博くんは、あたしのお気に入りだから」

「それは…………えっ、と、つまり……僕たち、ちゃんと仲良しってことですか?」

「ふっ。そうとも言うかもね」


 食べ終えたアイスの棒を咥えながら、真心さんが僕の頭を撫でる。

 その手つきは、やっぱり優しい心が込められている気がした。


 その後。

 真心さんと別れて、そのまま帰宅した。


「和博おかえり~! アイス、わたしのアイスは~?」

「あ。ごめん。買うの忘れた……」


 怒りの莉差姉から、預かった千円札は没収されたのだった。

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