第6話 総合内科医 水島孝一

午前の外来が終わったあとの静けさが、総合診療科の小さな診察室に流れていた。

水島孝一は、タブレットを前にして指先を止めたまま、データと向き合っていた。

目の前のスクリーンには、数日前に診た少年の記録が表示されている。


榊 大地、十三歳。

交通事故による下肢麻痺。

レベルAで予報されていたらしい。

診療記録には「将来的な歩行機能の完全喪失の可能性あり」と残っている。

その予報も、現実になった。

「わかってたのに、どうして助けられなかったの?」

先日、大地がぽつりと言ったとき、水島は言葉を失った。

それは医師としての彼にとっても、兄としての彼にとっても、ずっと胸に残る問いだった。


弟の水島 直(なお)は、二十七歳。

生まれつきの視覚障害で、極度の弱視。

未来予報によると、数か月以内に完全な視力喪失が確定している。

予測レベルA。変えられない未来。

「未来がわかってても、治せないのか。」

弟は冗談めかして言ったが、心ここにあらず、どこか遠くを見つづける日々が増えていった。


午後の診察開始の前に、大地が再び来院していた。

今日はリハビリではなく、定期的な内科的チェックと生活面の相談。

専属リハビリ医のフォローとは別に、こうして水島のような総合内科医が患者の全体像を診ることも多い。

「調子はどう?」

「普通。動かない足以外は。」

大地はいつものように淡々と答えるが、その声の奥にはいつもわずかな棘があった。

「今日は…見ないつもりだったのに。」

「予報?」

「うん。でも、結局見ちゃった。午後三時、未来の名前を考えますって。予測レベルC。」

水島はふっと笑った。

「予報は、だいたいそういうふうに書くね」

「未来に名前をつけるって、変な言い方。」

「そうかもしれない。けど、僕はちょっとだけ、良いと思った。」

水島はペンを置いた。

少しだけ自分の話をする決心をする。

「僕の弟、目がほとんど見えないんだ。しかも、数か月以内に完全に見えなくなるって、未来予報に出てる。」

「キューゴー?」

「うん。子どもでも、キューゴーって言うんだね。」

大地は目を伏せ、じっと床を見つめる。

「こわくないんですか?」

「こわいだろうね。僕も怖い。でも…弟が言ってた。」

“真っ暗になる”じゃなくて、“世界が組み変わるんだ”って。

“失くすかわりに何かが増える気がする”って。

「…僕には、そういう切り替えはできません。もっと、サッカーしたかった。」

「きっと“強い名前”を未来につけたかったんじゃないかな。“失う”じゃなく、“変化する”っていう名前を。」

大地はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「…予測Cだ!」

「大切なのは、大地くんが“未来をどう呼びたいか”ってことだね。まだ見えない未来を、どう呼ぶか、どう受け止めるか君が考えていいんだよ。たぶん。」


大地は、はじめて小さく笑った。

「うーん…”足使わないサッカー選手”とか?」

「いいね。いつか“本物の未来”になるかもしれない。」

診察が終わり、大地が帰ったあと、水島はカルテにひと言だけ書き添えた。

『榊大地。未来を、自分の言葉で再定義しようとした。』


その日の夕方、弟・直からメッセージが届いていた。

「兄貴、今週末ひま?一緒に“見ておきたいもの”があるんだけど。」

水島はそのままスマートグラスを起動し、翌日の自分の予報を見た。

『午後六時 光について話します(予測レベルB)』

その光が何なのか、目に見えるものなのかは、まだわからない。

水島はそっとメッセージを打ち返した。


「了解。俺も、まだ見たいことがある」

未来は見えている。

けれど、どう受け止めるか、どう呼ぶかはまだ、自由だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る