二つ目の国 -4
広場に着くと、ジンさんの言う通り雰囲気は物々しい状況だった。持参した毛布を身体に巻き付けてみるが、日中の冷え込みとは比べ物にならない程厳しい寒さに襲われた。
「今晩とはいえ、厳密にはいつ奴が現れるか分からない。気は抜けないな…。」
私はそっと俯いた。バンに会えたら私はどうしたいんだろう。ずっと考えていた。一緒にいたいという一心で来てしまったけれど、バンのやってきたことは決して良いことではない。ならば、罰を受けさせるべきなんだろう。だけど私はそれを望んでいるの…?
「どうした。」
ジンさんに顔を覗き込まれて、ハッとした。
「なんでもないです…。」
……そういえば、ジンさんはバンを捕まえようとしている。彼はバンを捕まえてどうしたいんだろう。警官隊なのだから、やはり罰を受けさせたいんだろうか。けれど、仮にも幼馴染を…? というか、罰って一体…。
「ジンさん…」
「あれ、この前のお嬢さん?」
ジンさんに声をかけた瞬間、どこからか呼ばれた。振り返ると一昨日の警官隊の男性がいた。
「こんな寒い中、どうしたんだい? 外国人の君たちにはこの寒さは堪えるだろう。まさかミングの見物かい?」
「あ、えっと…、そうなんです…。」
素直に言ってしまうべきか悩んだ末、下手に嘘を吐いても仕方がないと私は素直に答えた。警官隊の男性は目を見開いた。
「驚いたな、彼にはこんなファンがいるのか。」
「ファンという訳では…。」
「僕がミングを捕まえたら、僕のファンになってくれる?」
「えっ…。……ええぇ?」
驚いて吃る私を見て、警官隊の男性は吹き出した。大笑いする彼を見て冗談だと気が付いたが、恥ずかしさで私は少し不貞腐れた。完全に彼のペースだ。
「いいね君、とっても可愛いよ。隣の彼はラッキーだな。」
急に振られたジンさんは一瞬面食らった顔をしたが、すぐに仏頂面になった。彼にペースを崩されるのが気に食わなかったんだろう。
「僕の予想では、まだ当分現れないと思うんだよね。だから鎌倉を作ってあげるよ。」
「鎌倉…?」
「そう、雪のドーム。簡単に作れるんだけど、中はとても暖かいんだよ。」
そう言ってニッコリ笑うと、男性は慣れた手つきで小さな鎌倉を作ってくれた。
「わぁ…! すごい…!」
あまりの手つきに私は感嘆を漏らした。
「この国の人間は子どもの頃に必ず作るからね、誰でも作れるよ。お嬢さん一人分の大きさだけど、隣の彼の分も作ろうか?」
「いや、俺はいい。」
「そう。じゃあこのバケツ、雪かき用に詰所から持って来たんだけど、良かったら椅子代わりに使って。お尻冷えちゃうからね。」
「あ…、ありがとうございます…。」
私は警官隊の男性が差し出すバケツを受け取った。何だか致せり尽くせりで申し訳なくなってしまう。そんな私に気付いてか、男性は優しく笑いかけてくれた。
「俺ね、お嬢さんくらいの年の妹がいるんだ。だから放っておけなくて。」
「そうなんですか…。」
とっても良い人だ。きっと妹さんにもとても優しいんだろう。自然と笑みを零すと、男性は満足気に笑った。とそのとき、警官隊の制服を着た髭面の男性が、男性の背後から声を掛けた。
「いつまで油を売っているつもりだ。そろそろ持ち場に戻れ。」
「はーい。」
やりとりの雰囲気を見るに同僚なのだろうか。ひらひらと手を振って持ち場に戻る彼を見送ると、私は鎌倉の中に入った。鎌倉の中は驚く程暖かくて快適だった。男性から借りたバケツを椅子代わりにするとさらに快適だった。これは明日感謝を改めて伝える必要がある。私は身体に巻いた毛布を撒き直しながら彼に心の中で感謝した。
「暖かいか?」
ジンさんが身を屈めて鎌倉の中を軽く覗き込んできた。私は笑顔で頷いた。
「とっても快適です。ジンさんはよかったんですか…?」
「あぁ。寒い方が眠気にも耐えられる。」
それを聞いて、そのストイックさに私は少し苦笑した。ここのところほとんど寝ていないのだから無理もない。
「お前は少し寝ておけ。現れたら嫌でも騒ぎで目が覚めるはずだ。」
それもそうだと思い、私は少し目を閉じることにした。とてもじゃないが興奮と寒さで眠ることまではできそうにない。今日バンに会ったら。私は…、どうしたいんだろう。そういえばジンさんに聞きそびれてしまった。ジンさんはバンを捕まえてどうしたいのか。
そこまで考えてふと、昨晩のことを思い出した。昨晩のあの手は、あのキスは誰だったんだろう。ミナさん? それとも…。私はそっと目を開けて、鎌倉の脇に立つジンさんを盗み見た。しかし見上げるには入口が小さくて、私からはジンさんの足しか見えなかった。
それからしばらくただ時間が流れた。私は鎌倉の中で目を閉じたまま、体を少し動かした。鎌倉の中は快適だけどさすがに体に堪える。何よりまた熱が上がってきている気配がする。とその時、広場の中央から叫び声が上がった。
「うわぁぁああああ!」
驚いて鎌倉の外に飛び出そうとすると何かに入り口を塞がれた。それに激突してしまった私は、それがジンさんであると気が付くのに一瞬遅れた。
「出るな!」
名前を呼ぶより先にジンさんが叫んだ。一体何が起こったんだろう。バン……いや、ミングが現れたんだろうか。
「ミングだ! 煙を吸うな!」
「宝石を守れ!」
バタバタと足音が聞こえる。私は鎌倉の中で状況が掴めず、ただ耳をそばだてていた。咄嗟にマフラーで口元を覆ってから、ジンさんに声をかけた。
「マフラーで口を塞ぎました、出してください!」
バンを捕まえるためにここまで来たのに、ここに閉じ込められたままじゃ話にならない。ジンさんの胸を押すと、ジンさんはそっと身体を退けてくれた。鎌倉から出ると、辺りは煙に包まれていた。屋外だというのにこんなに充満するなんて相当な量の煙だろう。視界が晴れるまでまだ時間がかかりそうだ。覚悟を決めて煙の中に飛び込もうとしたその瞬間、物凄い勢いで腕を掴まれた。
「!?」
「死ぬつもりか! 警官隊が抜刀している。銃も携帯しているんだぞ。」
「っ…。」
じゃあ、このまま何もできないの!? この煙の中に、バンがいるのに…! 次の瞬間、低い銃声が広場に響き渡った。私は身を竦ませた。恐怖。それだけが私の心を支配する。足に根が生えたようにその場から動けない。ジンさんは私の肩を抱いて少し後退させると、私を背中で庇うように立った。そうして私は…私たちは、ただ煙を見つめることしかできなかった。その間にも煙の中からは様々な音と声が聞こえてくる。銃声、刃がぶつかり合う音、そしてガラスが割れる音、金属がぶつかり合う音。怒声、悲鳴、呻き声…。いつしか私の体は震えていた。
煙が晴れ始めた頃には、私はジンさんに支えられてその場にしゃがみ込んでいた。侮っていた。バンが……ミングがいる世界を。だってこんなの、知らない。
「ミング!!」
不意にジンさんが大きな声を出した。釣られて顔を上げると、広場の中央に人影が見えた。煙で霞がかっていても分かる、バンだ。バン……ミングは、私たちを視界に捉えると困ったような顔をした。マスクで目くらいしか顔は見えなかったが、そんな気がした。ジンさんが勢い良く走り出した。けれどそれより先に、ミングが広場に生えていた木を駆け上がった。そのまま枝から低い屋根へ飛び移り、また他の屋根へと飛び移る。そしてその姿が見えなくなったのはほんの一瞬の出来事だった。
「……バン…。」
誰にも聞こえないようそっと呟いて、拳を握った。俯くと涙がボタボタと零れ落ちた。私、何もできなかった…。戻って来たジンさんは私のその状態を見て、何も言わずに側にただ立っていた。
「お嬢さん…。」
呼ばれてハッと顔を上げると、鎌倉を作ってくれた警官隊の男性だった。すぐに異変に気が付いて、私は息を呑んだ。左腕を抑えている。怪我を負ったんだ。
「無事かい?」
「お兄さん…怪我…!」
「大したことないよ。それより、無事でよかった。」
冷や汗を滲ませながら笑うその顔を見たらまた涙が止まらなくなった。バンがやったの…? こんな良い人なのに…、私に良くしてくれた人なのに…。もう、私の知ってるバンじゃないの…? まとまらない思考で考えたって混乱するだけで、私とジンさんは警官隊の男性に促されてその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます