五、全国大会と台風

 ひまわりが太陽に向って背伸びしていた。八月一日。言闘部メンバーと初代、二代目部長、顧問の理宇治は大都駅に集合していた。

「よくわからないけど、全国大会なんだね?」

 言闘のルールもさることながら、全国大会のこともよくわかっていない理宇治が、ぼたんに確認する。

「そうだ。貴様はきちんと生徒を引率するように」

 最早どちらが顧問なのかわからない。小麦はそんな兄の肩を優しく叩いた。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。電車の乗り換えはモバイルでも確認できるしー」

「小麦、お兄ちゃんをバカにするのはやめなさい! そのぐらいわかる!」

 本人はそう言っているが、千と緑の『わりと常識人ペア』は不安を隠しきれなかった。

 脅されて入った部なのに、今、自分たちは全国大会まできてしまった。女装が似合う部長に、両極端な副部長&書記ツインズ。腹黒マネージャーと騙され人間顧問の兄妹。その筋の初代部長プラス金髪ピアスの弁護士志望の二代目部長も加わり、もう、何が正常で何が間違いなのかすらわからなくなっていた。

「言闘の全国大会って、またマニアックな人種が集まるんだろうな」

 千が呟くと、隣りの席に座っていた緑も同意した。

「物好きというか……、何を考えているのかわからない人間ばっかり来るんだろう」

「いや、そうでもないぞ?」

 座席を回転させて、向かい合わせに座っている深見が言った。

「俺と仲いいやつは、めっちゃ普通。そいつと同じ高校のやつはまともだぞ」

「『そいつと同じ高校』以外の人はどうなの……」

 千が言うと、深見は苦虫を潰したような顔をした。千は何となく兄の気持ちを理解した。

「実際、他の高校はどんなところなんですか?」

 緑は通路を挟んで千の向かい側に座っているコウに話を振った。駅で買った鯖寿司に箸をつけようとしていたコウだが、優しく説明してくれた。

 夏ヶ瀬高校以外に参加する高校は、名門私立の葵坂あおいさか高校、お嬢様が通う白薔薇学院女子高校、県立の海南かいなん高校の三校。全校、大会に参加する部員は五人で、先鋒二人、次鋒二人、主将一人で対戦する。

 深見たちと仲がいいのは海南高校で、共学ではあるが、部員は全員三年の男子らしい。部長の千倉寿ちくら・ことぶきは深見と特に仲が良く、たまにメールや電話もするらしく、大会以外でも親交がある。また、彼は器用で、遊び半分で深見の女装用の服を作って贈ったりもしている。ちなみにこの間、彼が着ていた白いワンピースも彼の作品だ。他の部員もバンやコウと個人的なやり取りがあり、お互い懇意にしていた。

「だから今回、海南のやつらに会うの、楽しみにしてるんだよ」

 コウの言葉にバンも頷く。あまり人と関わらないバンまでも慕っているということは、かなりの仲なのだろう。

「他の二校はどうなんですかぁ? 知りたーい」

 小麦が空気を読まず、深見に質問した。彼は嫌悪を顔中に表したが、それでも屈しない小麦に折れ、仕方なく話した。

「葵坂高校部長・御堂詩仙みどう・しせん。メガネインテリ、陰険、最悪。白薔薇学院部長・烏山千歳からすやま・ちとせ。高飛車、陰湿、最低。以上。他の部員とは会ったことがない」

 そっけなかった。あまりに無味乾燥な物言いに、コウが笑いながらフォローする。

「ああ、葵坂と白薔薇の部長以外の部員は、一昨年の大会以降に入部したからね。去年は大会なかったから、面識がないんだ」

「だけど、御堂も烏山も俺、嫌い……」

 コウの横で鎌倉の神社仏閣ガイドを読んでいたバンが口を挟んだ。のほほんとみんなの話を聞いていた理宇治が、目をきらきらさせて三年トリオに気になっていたことを質問した。

「一昨年の大会で、うちの学校は何位だったんだい? やっぱり強いの?」

 真っ直ぐに見つめる瞳は、三年トリオにはまぶしすぎた。深見は目をそむけ、バンも本で顔を隠す。逃げ遅れたコウが、それに答えるハメになった。

「……優勝は葵坂で、うちは二位。三位が海南で、最下位が白薔薇でした……」

「なんだぁ、優勝じゃなかったのか」

 小麦のような口調で理宇治は呟いた。小麦との決定的な違い。それは天然かどうかというところだ。理宇治に悪気は全くない。それでも神経を逆なでされた深見が「二位で悪うござんしたね」と文句を言った。



 電車で約二時間。藤沢駅で乗り換えて、一同はこの度の合宿先についた。片瀬江ノ島駅から徒歩五分の江ノ島旅館は、白い二階建てで、外壁は海風で少しペンキが落ちてしまっている。

 しかし、中はきれいだ。小麦とぼたん、弘都は、大会参加者ではないため、駅からそのまま他の宿泊施設へ向った。小麦は千や理宇治と離れることに難色を示していたが、終いにはぼたんに引きずられていった。

「よーう、深見じゃん!」

 旅館に入って早々、ワイシャツにチェックのズボンの制服の赤髪が、深見に飛びついた。

「寿か? 髪どうしたんだ!」

 千はさっきのコウの説明を思い出した。彼が海南高校言闘部部長の、千倉寿か。

「俺だけじゃねーよ。君津きみつ潮来いたこも染めた! 夏の間だけ、なっ!」

「よっ」と軽く手を挙げた青髪と、小麦と同じくらいの身長のピンク髪の少年が後ろからひょっこり出てきた。

 千倉は千たちに自分の部員を紹介した。青髪が副部長の君津でたまにコウとライブに行く間柄だ。ピンク髪の小さい少年が潮来で、ミニマムサイズであることから、部のマスコット的存在である。バンとはどういう訳か気が合うらしい。他のメンバーも夏ヶ瀬高校の三年と仲がいい。深見も今年入った千と緑を紹介した。

「千ちゃんって、マジでイケメンだな! つーか、深見以外、この部イケメン揃いじゃんか」

「俺以外、ってどういうこった」

「んー、そのまんまだけど?」

「アホっ!」

 千倉と深見のやり取りは、まるで漫才のようだった。コウ、バン兄弟と一緒のときとはまた違う表情。千は兄の動きを無意識のうちに目で追っていた。

 傍若無人で自分勝手、人を傷つけてもあっけらかんとしている。やられたら百倍返し。人の弱みを握ったらどんなことにも利用する。中学時代からずっとそう思っていたし、実際そうだ。大多数の人間から彼は嫌われている。でも、それはある一角度から見た深見の印象。千倉から見たら、また違う印象なのだろうか。

 千が考え込んでいると、冷たく鋭い声がロビーに響いた。

「全く、海南と夏ヶ瀬か。公共の施設なのだ。もう少し大人しく行動できんのか」

「本当、こんな野蛮な方々と一泊ともにするなんて、頭が痛いですわ」

 メガネにノートパソコンを抱えたグレイのズボンにワイシャツの男と、白い変わったセーラー服の女がそこにいた。千も緑もそれがすぐに葵坂高校と白薔薇学院の部長だと分かった。

「ちっ、御堂と烏山か」

 深見が嫌悪を露わにする。千倉も少しムッとした表情に変わる。

「御堂くんに烏山さん。お互いいい試合にしましょうね」

 態度の悪い部長に代わり、コウが二人に挨拶する。

「あらぁ、書記の光長くんが挨拶してくるなんて、夏ヶ瀬は部長がしっかりしていないのではなくて?」

 烏山の言葉に、深見の血管が切れる音がした。

「……失礼致しました。御堂くん、烏山さん、夏ヶ瀬高校部長、松本深見です。今年もよろしくお願いします」

 引きつった笑いが恐かった。

「こちらこそよろしくお願いします」

 御堂は笑顔を作りもせずに、深見と握手を交わした。その後、千倉も挨拶し、出場四校が集結した。

 少し待つと、黒魔術の時にかぶるような、三角の黒頭巾にスーツの人間が数人、ロビーに集まった。千と緑はゴクリと唾を飲み、お互い口をぱくぱくさせた。突っ込みたいが、深見、バン、コウはもちろんここに来ている他校の生徒たち全員、真面目な顔で座っている。突っ込むことが間違っているのか? 二人はただ黙り込むしかなかった。

「この度は全国学生言闘大会にお集まりくださり、誠にありがとうございます。私は主催者の『ジョーカー』でございます」

 怪しい。全てが怪しい。千は「ありえない!」と叫び出したい衝動に駆られた。

 ジョーカーは大会のスケジュールを発表した。『言闘』は今まで体験したように、互いのことをよく知らないと試合ができない。よって、初日は親睦を兼ねて合宿を行なう。今回は二日目、精神鍛錬の一環として、鎌倉の寺で座禅。その夜試合が開始されるという日程だった。

「……なんで夜?」

 千が呟くと、緑も「さぁ?」と首を捻った。

「試合終了後は解散となるので、関東の学校はそのまま帰宅することができます。もう一泊する高校は今日の夜までに申し込んでください。また、合宿中の部屋割りですが、女性陣は二部屋、男性陣は先鋒、次鋒、主将ごとに三部屋に分かれています。少し狭いでしょうが、ご了承ください」

 説明が終わると、ロビーの壁に部屋割り表が張られ、その場は解散となった。



 夏ヶ瀬高は先鋒が千・緑ペア、次鋒がバン・コウペアで、主将はもちろん深見で登録されていた。

「兄貴、全然こんなこと相談しなかったじゃない……」

 ぶつぶつと文句を言いながら、二階の女子部屋に荷物を持って入る。すでに同室の白薔薇学院の二人と葵坂の女子は到着していた。

「えっと、遅くなりました。夏ヶ瀬の松本です」

 少し恐縮して、挨拶する。三人はちょうど部屋に置かれていたお茶を淹れてくつろいでいるところだった。

「あ、松本さんだね。荷物はそっちの端に置くといいよ。布団敷くときまとめてた方が楽だと思うから」

「はぁ」

 白薔薇の生徒に言われ、ボストンバッグを置くと、所在なく立ちすくんだ。集団での合宿は小学校の修学旅行以来だ。中学校の集団行動を全部サボった千は、久しぶりで勝手がわからず戸惑った。すると、葵坂の子が「こっちに座るといいよ」と、座布団を出してくれた。その言葉に甘え、腰を下ろすと、千の分もお茶を注いでくれた。

「じゃ、この部屋は全員揃ったね。自己紹介でもしよっか」

 ボブカットの白薔薇の子が、自らすすんで名のりを上げた。彼女は池ノ上と言った。明るく、その場をうまく仕切ることができる人物だ。彼女は今回の試合、次鋒として出場する。もう一人の白薔薇の生徒は、中井と名のった。中井は二年だが、先鋒で出場するらしかった。

  池ノ上も中井も、主将の烏山ほど『お嬢様』という感じはなく、千はその分気は楽になった。次に自己紹介を始めたのは、葵坂の部員だった。

「葵坂高校一年、八瀬蓮華やせ・れんげです。ちょっと名前がハデで気にしてます。今回初参加ですが、頑張ります」

 ふわふわなロングヘアーが似合う蓮華は、にっこりと笑った。彼女の屈託のない笑顔に、千は少し安心した。名門と言われる葵坂の生徒だが、御堂のようなかっちりしたがり勉にも見えないし、雰囲気も柔和だ。

 最後に千が自己紹介をすると、四人は話すことがなくなり手持ち無沙汰になった。夕食まで、まだ時間がある。

 何を話そうかと考えていると、自然に池ノ上が会話の流れを作り出した。

「そういや、葵坂と夏ヶ瀬の他の部員って、どんな感じなの? うち女子高じゃん。だから他の学校とあんまり交流持てないんだよね」

「言われてみると男子の出場者が多いですからね。葵坂と夏ヶ瀬は男女混合だけど、海南も白薔薇も偏ってるし」

 蓮華は頷いて、自分の部について話し始めた。

「うちは部長が結構厳しいんですよ。でも、あの人はなんだかんだ言ってもすごいです! 生徒会長も務めていて、勉強も運動もできるし」

「八瀬さんは、御堂くんのこと好きだったりするの?」

 突然の中井の発言にも、蓮華は笑って否定した。

「そんなわけないですよ! 確かに何でもできるし、格好いいけど、彼氏にするには色々厳しいと思うから」

「あー、確かにね!」

 池ノ上が蓮華に同意した。あのキツそうな御堂の彼女を務めるには、学力、運動神経他、好きとか嫌いとかの感情以外のものも必要な気がする。一緒になって千も笑うと、今度はこちらに話を振られた。

「松本さんは、お兄さんが部長なんだよね。どんな感じの人なの?」

 笑いが止まり、池ノ上の質問に顔が引きつる。あの兄貴について説明しろというのか。最近は若干歩み寄り始めてはいるが、それでもいい面はまだ見つかっていない。苦し紛れに嘘をつくこともできるが、そんなものはすぐに見破られてしまいそうだ。ともかく、千は一生懸命深見の長所を探そうとした。そこで出た答え。

「女装が……うまい?」

 ろくな答えじゃない上に、疑問形。千の言葉に、他の三人も唖然とした。

「するの? 女装」

 池ノ上の問いに、こくこくと頷く。質問の主は中井と目を合わせた。何とも反応しがたい微妙な空気。それを破ったのが蓮華だった。

「ぷっ! あははっ! 愉快なお兄さんだね!」

 彼女の笑い声に、池ノ上もつられた。

「本当、すごいよね! 普通しないっていうか! あ、でもあのお兄さんだったら似合うかも」

「最近は、そんな男子もいるんだね……」

 中井は難しい顔で真剣に考えはじめている。

「あは、はははっ」

 こんな答えでよかったのだろうか。千は愛想笑いを浮かべながら、複雑な心境だった。



「夕食の場所は『江ノ島エグゼクティブホテル』の最上階、『ス・ネ・パ・アセ・キュイ』という店になります。移動は各自、顧問の先生に従って行動してください」

 ロビーでジョーカーにそう告げられ、夏ヶ瀬高校言闘部メンバーは、夏の夕暮れの道を歩くことになった。気温はまだ三十度を超えている。アスファルトが熱い。

「でも、すごいね。フランス料理が大会で出るなんて」

「フランス料理ぃ?」

 嬉しそうな理宇治の言葉に、千と緑は驚いた。深見、バン、コウは平然としているが、大会でそんな高級なものが出るなんて、想定外だ。千は自分の格好を見た。相変わらずのスニーカーにTシャツ、デニムのコンボだ。緑もそれに似たような姿である。それに比べ、深見はちゃんとしたシャツに黒いパンツだし、バン、コウ兄弟にいたってはジャケット持参だ。理宇治はポロシャツに綿パンツだが、清潔な感じなのでさほど問題ではないだろう。

 心配顔の千に、コウはあっさりと言った。

「大丈夫だって。他の子は制服かもしれないし、ドレスコードもないし。ラフな格好でも問題ないよ。むしろ俺たちの方が気合入れすぎてるかもだし」

「でもなんでフレンチなんか出るんですか? お金かけすぎでしょう」

 緑が深見に言うと、「バカだな」と一蹴された。

「相手の弱点を見定める一つの関門なんだよ。これも大会の一部ってことだ。ここでズレたことしてみろ。明日の試合で葵坂や白薔薇にチクチクいじめられるぞ」

「そんな……」

 千も緑もがっくりと肩を落とした。落ち込む二人に、深見は更に追い討ちをかける。

「それと、同室のやつらはお前らの行動をしっかりと監視してるぞ。言動には気をつけろよ」

「え?」

 深見の言っていることが理解できず、顔を見る。千に見つめられ、深見は溜息をついた。

「おいおい、本当に親睦目的で合宿が組み込まれてると思ってるのか? 大間違いだ。互いの弱みを見つけて、大会で使うために決まってるだろ」

「ま、マジですか?」

 緑も深見を見る。深見はやれやれ、という表情で、腰に手を当てた。

「千、緑。これからはできるだけ同室のやつらに気を許すな。相手の粗を探せ。いいな」

「できないよ、そんなこと」

 千が首を振り、それを拒むと、深見は鋭い一言を放った。

「相手はハナっからお前の粗探しをしてるんだぞ。そういう大会なんだ。それに、同じレストランに向っているはずなのに、何で俺たち以外のチームがいないと思う?」

「そういえばいないね。おかしいな、道を間違えたかな」

 マイペースにジョーカーから渡された地図とにらめっこする理宇治を横目に、コウが言った。

「先生、道は合ってますよ。他の学校の生徒と会わないのは、全員が違う道を行ってるからだと思います」

「……他のやつらも作戦会議中ってこと」

 バンがボソッと呟いた。

「言動全てを観察されているのか……」

「私、もうやだ……」

 緑と千は夕食を前に、胃が締めつけられるような痛みを感じた。



 ホテルの最上階にある『ス・ネ・パ・アセ・キュイ』は貸切だった。テーブルは八人席が二つ、四人席が二つあり、先鋒、次鋒、主将、顧問と別れて座ることになった。千と緑はがちがちになりながら席についた。それに比べ、三年トリオは平然としているし、理宇治は他の顧問たちと案外楽しそうに会話していた。

「あ、松本さん、早いね」

 蓮華だった。ペアの男子も緑に挨拶し、二人はウェイターにイスを引いてもらうと、さっと席に座った。その後に、中井ともう一人の白薔薇の先鋒が席につく。彼女たちはロビーに集合した後、一度部屋に戻って着替えたのか、ワンピースやアンサンブルといった華やかな装いで、一層千の気持ちを沈ませた。だが、最後に現れた海南の潮来と佐原は、千と緑並みのラフな格好で、二人の気持ちを幾分和らげてくれた。

大会参加者全員が着席すると、前菜が運ばれてきた。

「鰆のマリネに木苺ソースをつけてお召し上がりください」

 ウェイターがそう告げ、目の前に皿を置いた。周りを見る。一斉にナイフとフォークを手に取り、ディナーが始まる。千は目の前が真っ暗になりそうだった。緑も冷や汗が止まらない。次鋒のテーブルに目をやる。バンもコウもそつなく料理を楽しんでいるようだ。主将席も静かだった。いつもは乱暴な行動が多い深見ですら、テーブルマナーはまともだ。

「ま、松本、これどのフォークから使うんだ?」

「知らないよ、そんなの。フランス料理なんか、小麦に作ってもらって食べた一回こっきりだし! 梅田はわかんないの?」

「わからないから聞いてるんだろ? 俺の家は、外食もほとんど和食なんだよ」

 二人の小声のやり取りを聞いていたらしい白薔薇の先鋒が、クスリと笑った。

「やだぁ、知らないんですか?」

「こら、失礼でしょ」

 中井がたしなめると、悪びれた様子もなく食事に戻った。二人はますます惨めな気持ちになったが、それを元気づけたのが蓮華だった。

「松本さん、これは外側のナイフ、フォークから使っていくんだよ。そんなに肩肘張らないで、食事を楽しもうよ」

「そうそう、フランス料理だからって、気にする必要ないって」

高桐たかぎりくん……」

 緑も、同室で葵坂の先鋒、高桐の言葉に感謝した。

「っていうかさ、どうせ胃に入ったら全部一緒なんじゃないのー?」

 葵坂の二人に励まされた千と緑だったが、潮来のあまりにもそっけない一言は、周りの雰囲気をすべてぶち壊しただけだった。



「粗探しなんてできないよ……」

 旅館に戻り、風呂から上がると、一人夜の海がよく見える窓に立った。「一緒に入ろう」と池ノ上に誘われたが、千は丁寧に断った。もう全てが信用できない。けれど、蓮華だけはいい子に見えてしまう。そんな彼女も自分の弱みを探して、目を光らせているのだろうか。そう考えると部屋に帰りたい気分にはならなかった。

「はぁ……」

 溜息が誰かと重なった。顔を上げると、浴衣姿の緑がいた。お互い視線が合うと、再び溜息をついた。

「梅田も逃げてきたんだ」

「ああ」

 二人は海を見つめた。何人かが浜辺で花火をしていた。

「深見先輩は、御堂部長と烏山部長を目の敵にしてたけど……葵坂の高桐くんはいいやつにしか見えないんだよ」

「こっちも。白薔薇の部員はちょっと何考えてるか計りかねるけど、八瀬さんはいい人だと思う」

 二人は黙り込んだ。波風に乗って、浜辺の若者の楽しそうな声が届いた。窓ガラスにそっと、手を当てる。ひんやりとした感触が、湯上りの体に気持ちいい。

「あの……さ」

 緑がゆっくりと切り出した。

「俺、大会終わったら、やっぱり部活辞める」

「え……」

 突然の告白に、千は緑を見つめた。その瞳から目をそらし、頬をかきながら緑は言った。

「この部にいて気づいたんだ。どんな噂が流れたって、所詮それは噂でしかない。周りの目なんか気にする必要はないんだって。まぁ、松本には迷惑かけるかもだけど」

 千はまた海に視線を移して、静かに言った。

「いいよ。それに、私も本当は気づいてたのかもしれない。ただ、その勇気がなくて、部活を続けてきた」

 緑が何か言おうとしたところ、千は「でも」とさえぎった。

「梅田が部活いなくなっても、噂が広まっても、私は部活、辞めないよ。この部にいて、わかったことがもう一つある」

 強い眼差し。初めて見かけたときの、何かから逃げようと必死だった彼女の面影はもうない。

「松本……」

「決心ついた! もう全国大会なんて、関係ない! この状況を精一杯楽しんでやろうじゃん!」

 千の元気な一声に、緑はフッと笑顔を浮かべた。

「だな! こんな変な大会、なかなか体験できないしな!」

 窓の外は、赤と緑の光が蛍のように輝いていた。江ノ島大橋には規則正しい間隔の星が宿っている。遠くに見える灯台の横で、木々が騒いだ。



 部屋に戻ると、すでに人数分布団が敷かれていて、蓮華が一人横になって読書していた。千は仕事を一人サボってしまったのではないかと、すぐに謝った。

「ごめん、なんだか私の分まで布団敷いてもらっちゃって……」

「ううん、大丈夫だよ。私が勝手にやったの」

 彼女は枕元に読んでいた本を置いて、横の布団を指差した。

「松本さん、ここでいい?」

 頷くと、千は蓮華に訊ねた。

「池ノ上さんと中井さんは?」

「白薔薇ってミッション系の学校らしくて、夜のお祈りがあるんだって。隣りの烏山部長たちの部屋に行ってるよ」

 要するに作戦会議か。気がついて、蓮華に目をやると、彼女も笑っていた。布団に入ると、お互い話すこともなく黙った。普段だと気まずくなるのに、なぜか今は穏やかな気持ちだ。八瀬とは今日あったばかりの間柄だというのに、同じ空間にいると、心地いい。小麦と一緒のときとはまた違う、安らぎにも似たような感じがする。

 蓮華が、横になったまま千の方を向いた。

「松本さんって、何だか私に似てるな」

「へ?」

 いきなりの言葉に驚き、変な声を上げると、蓮華は笑いながら続けた。

「変なこと言ってごめんね。今日一日一緒にいたけど、どうも好きで言闘部にいるわけじゃなさそうだったから」

「ということは、八瀬さんも好きで入部したわけじゃないの?」

 千の質問に、彼女は「うん」と素直に言った。

「あ、ここから先は明日の試合に使っちゃダメだよ? 私も使わないから」

 そう前置きすると、内緒話をするように小声で千に打ちあけた。

「実はね、私、高桐くんが好きで入部したんだ」

 高桐。先ほどフランス料理の店で同じ席だった、もう一人の葵坂の先鋒か。彼も人のよさそうな雰囲気だった。

「高桐くん、御堂先輩にすごく憧れててね。それで言闘部に入部したんだけど、どうもこの部には合わないみたいで」

 千は想像して、思わず笑った。高桐はディナーでもそのいい人っぷりを発揮し、テーブルマナーを詳しく教えてくれた。潮来のばっさりとした独特な会話にも、一人喜んで参加していた。

 白薔薇の二人は、そんな彼を呆れた眼差しで見ていたが、高桐は良くも悪くも素直でまっすぐな人間なのだろう。そんな彼と、御堂。あまりにも差がありすぎる。御堂とはロビーで会っただけだが、いかにも優秀で冷徹な機械人間のように見えた。それに対して高桐は、熱いタイプだと感じた。

「言闘って、悪く言えば人のあげ足を取る勝負じゃない? 高桐くん、実直すぎて勝てないのよ」

 ひねくれた人間の方が強いという、皮肉なゲーム。よく考えてみれば、ひどい勝負だ。

 千も蓮華に自分が入部した経緯を話した。彼女はそれを黙って聞いていたが、やっぱり彼女は「自分と同じだ」と言った。入部した後に、この部活のあり方に疑問を持ち、退部したいと申し出たらしい。が、御堂は高桐を盾に、彼女の退部を許さなかった。

「高桐くんがこの部活のおかしさに気づいたら、一緒に辞めるつもり」

 蓮華ははっきりと宣言した後、「それとね、もうひとつ」と付け加えた。

「私、中学のとき、いじめられてて。人が恐くてビクビクしてたの。最初、松本さんがこの部屋に来たとき、当時の自分に似てるなって思ったんだ」

 千は何も言わなかった。見ず知らずの相手と一緒の部屋になり、どうすればいいかわからなかった。そこに手を差し伸べてくれたのは、蓮華だ。

「八瀬さんは優しいよね。私もそうなれるかな」

 深い意味はなかった。何気なく呟いただけだったが、蓮華は笑って答えた。

「優しい訳じゃないよ。でも、マイナスなことを体験すると、些細なことでも幸せに感じるようになれる。そうなると何でかわからないけど、おせっかいになっちゃうんだ」

 彼女の言葉は、聞いている方まで優しい気持ちになれるものだった。もう少し話していたいと思ったが、池ノ上と中井の帰ってくる声が聞こえた。二人は咄嗟に布団をかぶり、眠ったフリをした。



 朝起きると、白薔薇の二人がテレビにかじりついていた。

「おはよう。どうしたんですか?」

 眠い目をこすりながら訊ねると、初日とは全く違うトーンで池ノ上が騒ぎ出した。

「『おはよう』じゃないよ! 台風が急接近してきて、関東は今夜、暴風圏内に入るって!」

「台風?」

 布団から起き上がり、障子を開けると、雲がすごい速さで流れていくのが分かった。

「この辺、水浸しになるかな……」

 寝ぼけた声で言うと、猛反撃を食らった。

「水浸しどころじゃないって! それに、大会は今夜なんだよ!」

 烈火のごとく怒る池ノ上。中井も携帯で情報集めに必死だ。蓮華もやっと目を覚まし、千の開けた障子の隙間から灰色の空を見つめた。



「皆さんに、大変残念なお知らせがあります」

 朝食の席で、ジョーカーは大会中止を全員に告げた。当然、参加者―特に部長たちはその結果に断固抗議した。

「冗談じゃない。今年が我々にとって最後の年なんだぞ!」

 御堂の声に、仲が悪いはずの深見も同調した。

「そうだ! てっぺん決めねぇで地元に帰ってたまるかよ!」

「今年こそは最下位脱却と思ってましたのに、この仕打ちはありませんわ!」

 烏山もハンカチを握りしめて叫ぶ。

「三年としては、きっちりとした形で終わりたいんだよ!」

 千倉も声を荒げるが、右手に箸、左手に茶碗を持っているのでいまいち説得力に欠ける。

 窓の外を見ていた緑は、目の前に座っていたコウに根本的な質問を投げた。

「旅館内でやればいいじゃないですか。なんで中止にするんですか?」

「室内でやると、江ノ島まで来た意味がなくなるんだよね」

「どういうことですか?」

 緑の左隣に座っていた千も、詳しい説明を求める。

「大会はただの試合と違う。命がけだから」

 バンが代わりに答えたが、クエスチョンマークが二人の頭を駆けめぐるばかりだ。

「そう、命がけなの!」

 コウが拳を握りしめ、言い切った。それでも千と緑は理解できるわけもなく、仕方なく話し始めた。

「何て言うか、ただ試合するんじゃなくて、度胸を試す意味でも極限状態で闘うのが全国大会なんだよ。だから一昨年は、東京タワーの展望台の上にロープで体を固定してやったの。今年も多分、近くの灯台で同じことやる予定だったんじゃないかな」

「展望台の……」

「上?」

 千と緑は同時に想像して、ゾッとした。

「そんな危ないことしてたんですか!」

 緑がきつい口調で言うと、コウは慌ててフォローを入れた。

「いや、もちろん警察が来たよ? ジョーカーがうまくもみ消したみたいで、ニュースにはならなかったけど。そのせいで、去年は大会開けなかったんだし」

「当たり前ですよ!」

 千も大声を上げる。

「……結局、まともに大会開けたこと、ないんだよね。順位もジャンケンで決まったし」

 バンの一言は、千と緑だけではなく、周囲を沈黙させるのにとても効果的だった。しばらくの無音状態の後、葵坂、白薔薇の、事情を知らなかった部員たちが一斉に部長らを非難し始めた。海南高の部員だけは、事の顛末を知っていたのでそれを面白そうに眺めていた。三校の部長はジョーカーを責め立てる。黒頭巾の大会主催者は、「後に連絡します」とだけ述べて、朝食会場を後にした。



 朝食後、チェックアウトの時間になってもジョーカーから何の連絡はなかった。大会参加者は仕方なく解散することになった。

「不完全燃焼だ」

 イライラを隠せない御堂に、深見も怒りを露わにする。

「俺もお前と決着つけられなくてムカつくぜ!」

「全く、何のために江ノ島まで来たというのかしら」

 烏山もキャリーバッグを蹴飛ばす。不満を爆発させる寸前の三校の部長に、千倉が一つ提案した。

「じゃ、高校卒業しても闘うか?」

 その言葉に三人が振り向く。様子を見ていた千は、緑や蓮華、高桐に笑いながらささやいた。

「無理だよね。大体みんな、進路だって一緒じゃないだろうし」

「乗った!」

 部長たちの声がとどろいた。千はそれに目を見張る。

「よし。大学に進学した暁には、言闘サークルを立ち上げよう」

 メガネのフレームを押さえ、御堂が宣言する。

「望むところですわ」

 烏山が不気味に微笑む。

「面白ぇじゃねぇの。それなら、負けたところは統合して、支配下に置くってのはどうだ?」

 深見が厳しいペナルティーを科す。

「それまで勝負はお預けだな。詳細はメールで」

 満足そうな表情を浮かべた千倉がしめると、三人は「了解」と返事した。

「結局あの四人、全員仲いいんじゃないか」

 緑が呆れると、高桐が楽しそうに言った。

「ケンカするほど仲がいいってやつじゃない?」

 緑と高桐は、一泊で随分親睦を深めたようだった。

「松本さん、よかったらこれ」

 蓮華が千にメモを渡した。見ると、花柄模様の紙に、彼女の携帯番号とメールアドレスが書いてあった。

「この旅行で松本さんに会えてよかった。気が向いたら、登録してくれると嬉しいな」

 蓮華の言葉は控えめだったが、千は「絶対する!」と喜びを隠せなかった。



 夏ヶ瀬高校言闘部一行は旅館を後にし、台風で荒れる海の近くにある公園にたたずんでいた。

「神社……仏閣……」

「バンちゃん、また来よう」

 本当だったら今日行く予定だった鎌倉での座禅が中止になり、ガイドブックを片手に肩を落とすバンに、コウが励ましの声をかけているときだった。

「待たせたな」

 他の宿初施設にいたぼたん、弘都、小麦が到着した。

「風すっごいなぁ! 雨はまだ降ってないけど、海もかなりやばそうだし」

 弘都が興奮する。

 それでも浜辺にはサーファーが何人か見える。危険をかえりみずに海へ向っていく様を、一同は心配げに見つめた。

「大会、残念だったよねぇ。それに、これじゃあ観光もできなさそうだし」

 小麦の声に、理宇治が肯定する。

「電車も止まるかもしれないからね。早めに帰ることにしようか」

 全員が各々の荷物を持ち、駅へ向おうとするのに待ったをかけたのは千だった。

「待って! 大会は参加できなかったけど、折角ここまできたんだから、手合わせしてくれるかな。『深見ちゃん』」

 名前を呼ばれた本人が立ち止った。中学一年まで千が使っていた、自分の呼び方。強い風が体を通り過ぎて、自分の心を吹き飛ばしていく感じがした。スポーツバッグを横にいたコウに預けて、ゆっくりと振り返る。

「千、やるか」

 ちょっと長めの髪がなびく。海はどちらを応援するでもなく、ただ、大きな雄叫びをあげているだけだった。



 二人の対決は、全員が見守る中、ぼたんが取り仕切ることになった。千と深見の間に立ち、コイン・トスをする。表が出れば千で、裏が出れば深見が先攻だ。風が強すぎて、上手にコインを投げることができなかったが、それでも三回目、やっとうまくいった。出たのは裏。先攻は深見だ。

「風も強いし、ここは海が近くて危ない。よって、試合時間は十分だ。いいな」

 ぼたんが言うと、弘都が腕時計を見た。千も深見も了解して、頷く。深見が一瞬、千の目を見据えると、即座に攻撃に移った。

「俺はこの部にお前を無理やり入れた。逃げようと思えば逃げられたはずだ。なんで俺につきあった?」

 わかりきった答えを、あえて千は言った。

「深見ちゃんに、梅田との手繋ぎ画像で脅されたから。聞かなくてもわかることを、なぜ訊ねるの?」

「俺は携帯で撮った瞬間以来、お前にあの画像を見せていない。すぐ削除したからな」

「なっ?」

聞いていた緑は驚いて声を上げる。千はそれでも平静を装う。

「全ては深見ちゃんの心理作戦だった、ってことだね。いつでも辞められるのに、『弱みがある』って思い込ませて。でも、もう画像があるかないかは関係ない」

 にやりと笑い、千はついに切り札を出した。

「人の噂を恐れることはないって分かったんだ。梅田は部活を辞めるよ。だけど、私は辞めない。ひとつ、面白いことがわかったから」

 中学時代だったら決して見ることはできなかった、強気な表情。さすがの深見も、千の変化にたじろぐ。傍観している緑と小麦は、千に一種の光を見出した。高校に入ってからの付き合いのバンとコウも、彼女の成長に目を見張る。取り仕切っているぼたんは満足げに笑い、弘都は感嘆の声を上げる。理宇治はいつも通り、ほんわかした優しい眼差しを向けていた。

「聞いてやろうじゃねぇの。その『面白いこと』を」

 一つ大きな呼吸をすると、千は自分の見つけた真実を深見に突きつけた。

「『言闘部』なんて、形だけのものだってこと。私が部活で知った物事の見方は、全部、自分たちで気づかなきゃいけないことだったんだ」

 あの深見が黙った。ぼたんがカウントを三まで取ったところで、彼は吹きだした。

「フッ、お前はそういう考えに至った訳か。根拠はあるのか?」

「深見ちゃんだって、分かってるんでしょ? そうじゃなかったら、全国大会の順位をジャンケンで決めたりはしない」

 千がはっきりと言い切ると、深見は本格的に笑い出した。弘都が時計を見て、ぼたんに目をやった。試合終了だ。

「深見の負けだ」

 ぼたんの言葉で我に返った本人は、「マジっすか?」とぼたんに詰め寄った。深見にとって、

 これはすでに試合ではなく、千との対話に変わっていたのだ。千もまだまだ話したりない気分だった。もっと兄と話したい。そう感じていた。

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