エレメンタリー、マイ・フレンド
村の近くに広がる森の中で、ひっそりと佇むトサント古城こそが僕らの秘密基地であった。
石造りの決して広くはない城ではあるが、悪ガキ五人を隠すくらいには十分である。この森は定期的に中位の開拓者が巡回しており、野盗や妙な魔獣が出ることもない。
というか、偏執的なまでに用心深いトサント伯どのがそのような外道のものの存在を許していない。内務伯とも呼ばれるだけあって、自身の本拠地はクリーンに保っておきたいようだ。
実は、ヴィーヴィーと僕だけの秘密の小部屋からも結構近い。彼女と別れた後、僕が傷心を紛らわすために周りを探索していたら、この古城跡を「発見」したというわけだ。
古城跡にまつわる小さな冒険こそあったものの、特段大きな危険なくこの場所をせしめることができた。
スパイ団の面々には協力してもらって、この城には軽い認識阻害と侵入者検知の魔をかけてある。
僕ら以外がここに辿り着くことは簡単ではない──所詮は八歳児の魔法なので特別難しいわけでもない──ほか、誰かが入ってきたらすぐわかるようになっている。
元々はいにしえの騎士たちが円卓を囲んでいたのだろう。だが、ゲールと僕がいるこの大広間は、昔の栄華などを忘れ去ってしまったようにところどころが崩れかけて、積み上がった石の隙間などから青空が覗いている。
地面にあぐらをかいて座っている僕の視界の中で、体格のいいゲール少年が行ったり来たりしている。
「そわそわしてんのか?」
「そりゃ、久しぶりだからな。集まるのは」
「僕抜きで集まっていたわけじゃないんだな」
ゲールは急に立ち止まって僕の方を向いた。あまりにも急だったから、この部屋が揺れたんじゃないかと錯覚するほどだった。
彼は激しく首を横に振りながら「そりゃ集まりはしてたけどよ……」と宙ぶらりんの言葉を発した。
「僕がいない間に、何か面白いことでもあったのか?」
「何が面白いのかってことも、俺たちはミュシャに頼り切りだったんだよお」
彼はわざとらしい悲しみの声をあげて、座っている僕の膝に縋り付いてきた。暑苦しい。だが、このくらいの男の子ってのはこういうもんだろう。
やや引きつつも、僕はこの城に張り巡らせた感知魔法に意識を向ける。
「まあ、僕は実際賢いからな」
「……もしかしてミシェルって、味噌とか米とか好きだし、中身はおじさんだったり──」
「っと、誰か来るよ。多分僕らの仲間」
それを言うなら、おじさんよりもおばさんの方が近いかも。ゲールの言葉を遮るようにして、僕は言った。
小さいサイズのゆっくり動く生命が近づきつつあることを、感知魔法が僕に知らせている。図らずしも真理に近づいたゲール君の思考を遮ってくれて助かった。
ややあって、メガネをかけている痩せた少年が現れた。
地面がところどころ剥がれていたり、謎の布が引っかかっているような不安定な地面の中、彼は確かめるようにゆっくり歩き、僕の横に腰掛けた。
「やあ、ナタレ」
「……ども」
僕は彼のメガネの向こうから控えめにこちらを見る灰色の両目を覗き込みながら、彼に挨拶をした。
ナタレはミケラ人の父と、リクランド人の母の間に生まれたという。もとは都会の方にいたそうだが、喧騒を嫌ってここトサントに移り住んだとのことだ。ミケラとリクランドはしばらく前まで戦争をしていたらしいが、今は一転して交流が盛んだ。
彼の父も、ここトサントで細々とミケラ語を教えるなどして暮らしているそうだ。ナタレはいつかの僕と同じく本の虫で、この秘密基地でも必要以上に喋らず、概ね本を読んで過ごしている。
「ねえミシェル、今日は誰が来るの?」
「うーん、あと一人か二人が関の山かな。急な集まりだし」
「俺キンボルと会いたいな。キンボル来ねえかな」
「ゲールはパンが食いたいだけじゃないのか? うまいもんな……あいつのパンは──っと」
感知魔法が、もう一度反応した。今度はナタレのようなそわついた足取りではなく、むしろそれとは真逆の、極めて慌てんぼうで、転がるような勢いだ。
人間の子どもであることだけは確実だが、誰だ。僕が集中していることを察したのか、ゲールとナタレは固唾を飲んで僕のことを見守る。
「安心して。敵じゃ──」
「大変だ! 大変なんだよ!」
「おっ」
甲高い、声変わり前の少年特有の声。その声で叫ばれたものだから、少し驚いてしまう。声を追いかけるようにして、僕らの小部屋に転がり込んできた少年は、部屋の中心でふらふらと立ち止まると、膝に手をついて息を整える。
「キンボル、パンは──」
「まずいんだよ、ミシェル! まずいんだ!」
「何がまずい」
食欲に敗北したゲールを遮ってまで勢いよく捲し立てたものだから、彼は苦しそうに咳き込み始めた。
僕は立ち上がり、彼の肩に手を添えて、彼の呼吸と僕の呼吸を合わせる。父上から教わった技の一つ──呼吸を取ることで、相手の調子を整える、あるいは乱す技。
「落ち着けよ、キンボル。何がまずいんだ」
「パンだよぉ……俺たちのパンが不味いんだよ……」
「ふうん……おい、ゲールにナタレ、面白くなるかもしれないぞ」
ナタレは得心した様子で目を細めているが、ゲールの方はいまいちピンと来ていないようだ。
僕は過去の活動を思い返す。あれらは全て些細な変化から始まった。それと比べれば、パンが不味いということは遥かに大きいものだ。
「思い出してみろ。僕らの『スパイ活動』を」
「ああ、今やってる……」
「そうだ。街を往来する馬車の数がいつもよりちょっと多かったり、村の掲示板に誤字が増えたとかと比べれば、パンが不味いってのは大事件だ──さ、いつものように座ってくれよ、キンボルも」
まだメンバーは揃っていないが、揃うのを待てるほど僕も辛抱強くない。集まった少年たちの顔を見回す。ゲール、ナタレ、キンボル。半分以上集まっている。十分だ。
「さて、それ以外に何か変わったことはないか。諸君」
しばらくの沈黙のあと、ナタレがおずおずと手を挙げた。軽く頷いて言葉を促すと、彼はゆっくりと喋り始める。
「最近、父さんがよく家を開けるんだ。ミケラ語の教室も、僕に任せたりでさ、結構大変で、よく寝れてない……」
「ふむ。他には?」
「うちの畑から取れる麦がスカスカなんだよな。なんでかはわかんないけど」
ナタレの父には何度か会ったことがある。強いミケラ訛りのリクランド語を話す以外は特に印象がない男だ。一旦彼のことは置いておくとしよう。
もし麦がスカスカであれば酒造にも影響が出るはずだ。母上が身籠っていた間は僕が酒造の業務を一部やっていたが、出産した直後からその業務も母上の手に戻っている。
これは一度戻って確認する必要がある。
「僕からも一つ、妙なことを挙げよう。例の時計台にくっついてる水車の軸受が、ひどく消耗している」
「つまりどういうことだ?」
「初歩的なことさ、ゲール少年。パンや麦との共通点を考えたまえ」
彼は顎に手を当てて、黙りこくってしまった。
ナタレは本を閉じて中空をぼうっと見つめながら何かを考えており、キンボルは立ち上がってその辺を歩き回りつつ思索を巡らせているようだった。
「水車ってことは、水かな。ミシェル」
「もう一声欲しいな」
ナタレ少年、五十五点。あと誰かが五点分の加点を僕から引き出すことができれば「可」だ。
「水、水。てことは川だな、ミシェル」
「ゲールも、僕のやり方に慣れてきたようだな」
「でも、それはまだ予想に過ぎないと思うな」
「素晴らしい。サンボルは僕のことをよくわかっている」
伊達に何年も一緒につるんでいるわけではない。最初こそ僕に振り回されるだけだった彼らも、成長しつつある。
人はそもそも遊ぶ生き物なのだから、遊びを通じて学べばいいというわけだ。
成長した彼らには「良」か「優」をつけてもいいかもしれない。
ナタレの父については今のとこの何も言えないが、とりあえずは川の水から当たってみるのがいいだろう。
ここに仮説がある。であれば、実験をしてその仮説を確かめるほかない。僕が前世より培ってきた、本能のようなものだ。
「これは予想だ。だから、確かめなきゃいけない。来週にまた集まろう……僕は酒造でいろいろ調べてみるよ」
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