第2話

 1年宙組の教室はというと、まだ少しながらも桜が咲き誇り小鳥が歌う春だというのに真冬に雪が降るよりも凍えた、どんよりとした重い空気が漂っている。

 みんな少し気が立っているような、ピリピリとした雰囲気だ。そしてそんな空気の中、そんな空気を作り出した張本人が教室のドアをバンッと開けながら入ってきた。

「はぁ…まじイラつく!」

「アニアちゃん、声落として…」

 そう、私が原因だ。まあ私が原因という言い方はおかしいが、教室の後で箱を持って泣き崩れているアリエスを潰し『廃棄』送りにしたの私だ。

 しかし、私も彼女が挑まなかったら彼女を潰すつもりは一切なかったしそれに負けたのは自業自得じゃないだろうか。

 それを私のせいにするなんてたまったもんじゃない。

 泣き崩れたアリエスの周りに集まる女子生徒たちは私を睨みつけひそひそと何かを小声で話している。

「これだから、弱いものいじめって嫌いなのよ」

「は…はは…それ、アニアちゃんが言う?」

 ルボフは私の言葉に苦笑いをしながら答えるが、私は聞き流す。

「アニア様、さすがですわ。またクラスメートを廃棄送りにして」

 先ほどまで、世界地図の前でグループを作って私を冷たい目で見ていた生徒のうち一人が私に声を掛けてくる。

 このクラスの生徒は皆一様にルボフ以外はプライドが高いが、先ほど私を陰でコソコソ言っていたグループ…目立たないくせに人数だけが多い地味グループはなぜか、クラスの中でも群を抜いてプライドが非常に高い。

「あら、元優等生様のご友人がわざわざ私なんかに話しかけてくださり光栄ですわ」

 私はわざとその気取って言ってるのかすらよくわからない変な口調で返すと、その優等生様のご友人は身体を震わせる。

「アニア様ったら、私をおちょくってますの?」

「もちろんそんなつもりはありませんわ。ただ、嫉妬心とは恐ろしいものですわね」

 すると彼女は顔を真っ赤にして怒り出す。もちろん彼女が私に嫉妬していないことは分かっているがあえて挑発している。理由は一つ、その方が楽しいから。

「ん"んっ…とにかくまた一人のクラスメートを廃棄送りしてどんな気分ですの?かわいそうとか慈悲の気持ちは…ないのかしら?」

「は?何言ってんの?」

 私はわざと嫌味なしの真顔で彼女に言うと、彼女はたじろぐ。

「勝負に慈悲もクソもないでしょ?勝負に情けをかけない。情けなんかかけたら、自分が殺される…それが戦争の世界。でしょ?」

 私がそう返すと、彼女は唇を噛みしめる。

「そ…そういう割には自分は主席から次席に落ちたんですわよね?どうするのです?主席のないアニア生徒なんて誰も敬ってくれないわよ。これからはみんながあんたを狙って模擬戦を申し込んでくるわっ!!」

 その変なお嬢様口調すらも忘れ、半狂乱という言葉がふさわしい今の彼女は息もつかずに私にそう叫んできた。私はその彼女の言葉を聞き、ふっと鼻で笑うと彼女に近づき見下ろすように彼女を睨みつける。

 そして彼女の耳元に口元を近づける。

「あんた馬鹿?私自身の頭脳と才能は変わってないんだから私以下が束ねて挑戦してもそいつらが負けるに決まってるでしょ。そんなこともわからないから、あんたたちは廃棄ギリギリの順位にいるのよ」

「なっ…」

 彼女は私の言葉に対して言葉を失い、口をパクパクと動かすだけだ。私は彼女の肩にポンと手を置く。何もいうことのできないかわいそうな彼女に笑顔を向ける。

「ま、頑張って。私に勝てないからって八つ当たりしないでよね?」

 そう言うと彼女は悔しそうな顔をして仲間たちのところに戻る。所詮猿は集団ではないと、一匹では活動できないのだ。私はそんな様子の彼女を見て満足すると席に座る。

 後ろからアリエスが嗚咽と共に教室を去る音が聞こえるが私は振り返ることはしない。

「まあ絶対に私が廃棄送りになることはないでしょうけど、あんな見苦しく泣くような真似だけはしたくないわね…」

 先ほどから出てきている『廃棄』とは、簡単にいうと退学ということだ。

 この学校では模擬戦が全てで、模擬戦表で一学年生徒90人中下位5位を3回とると廃棄送りとなる。

 ただの退学をなぜ『廃棄』と言うのかは私も理由は知らないが一番有力視されているのは、廃棄となった生徒は皆なぜか退学後、行方不明か音信不通になるからだ。

 だから、皆生徒は廃棄されずに卒業するために死ぬ気で模擬戦に挑む。

 ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴ると同時に生徒たちは席につく。

 そしていつものように1年宙組の担任であるレスキナ教官が教室に入ってきた。が、表情はいつもの優しいものではなく厳しく凛々しい表情だ。   

 今日一日教室がピリピリしていた理由はアリエス以外にもう一つある。

「全員いるわね?…よし」

 レスキナ教官はクラス全体を見回すと、私たちの机の前に立つ。

「前日から話していた通り、今日から宙組と陸組、そして海組で合同指揮実習が始まる。前にも言ったがこれは成績の50%を占めるぞ」

  指揮官に必要な連携や作戦立案能力を高める目的で毎年行われている取り組み、それが『合同指揮実習』だ。

 合同指揮実習とは簡単にいうと、宙組・陸組・海組の異なるクラスの生徒が、教官の指名によってバディを組み、通常は1対1で行われる指揮官同士の模擬戦を、2人で協力して指揮する実習である。

「宙組と陸組、そして海組は空中戦、陸戦、海戦のスペシャリストだ。お互いにペアを組むことでお互いの技術を盗み合い、最高の戦果を挙げることを目標に模擬戦をしてもらう。いいわね?」

「はっ!」

 私たちは声を揃えて返事をする。するとレスキナ教官は満足そうに微笑みまたクラス全体を見回す。

「それでは、学年主任から陸組の準備が整ったということなので今から視聴覚教室に行く。各クラスの担任教官、そして副担任教官も同行する」

 そうレスキナ教官が告げると、私たちは席を立ち上がり荷物を持って教室をでる。

「みんな緊張しているわね」

「そりゃそうさ…なんせバディの相手となった生徒の相性次第で順位が大きく変動するかもしれないんだよ。これのせいで廃棄になった生徒が毎年十数人もいるって先輩から聞いたくらいだし」

「まあ、バディの子より数段高い技術を見せて自分が主導権を握ればいいだけの話でしょ?余裕、余裕」

 私は小声で教官に聞こえないように呑気にそんなことをルボフと話して視聴覚教室まで整列して向かう。扉の前に着き教室の中を見ると、既に他のクラスは席に座っており私のクラスのみが遅れているようだ。

「宙組到着しました!」

「遅いぞ、さっさと座れ」

「はっ!」

 学年主任である教官の怒号に私たちは返事をすると、教室別に分けられた自分たちのプレートが貼られた席に座っていく。

 私たちが番号順に縦並びに座るのを確認すると各担任教官、副担任教官が視聴覚教室に入ってくる。それを見て生徒たちは起立し顔をあげて敬礼をする。

 レスキナ教官が代表して教壇に上がっていくと、軽く手を挙げて敬礼を解かせる。

 そして全員が席に着くと、レスキナ教官は教壇に立ち生徒たちを見る。

「王立イアンティネ指揮官学校高等学部一年の皆、私は宙組担任教官のレスキナ・セルガだ。以後よろしく頼む」

 レスキナ教官はそう言うと敬礼し、私たちもそれに応え敬礼をする。

「この合同指揮実習では、我々が考えに考え抜いて選んだバディと共に様々な実習、主に模擬戦を行ってもらう。1年間の模擬戦の結果は成績の50%を占めるため、気を引き締めて臨むように」

 レスキナ教官はそう言うと、一呼吸置いて話を続ける。

「それでは今から名前順でバディを発表していく。名前を呼ばれたら返事をして起立、教壇の前に来て握手をし、その後前の席に順番に座っていけ……」

 教壇に置かれた生徒名簿と各学年の生徒名簿を見ながらレスキナ教官は1人1人名前を呼んでいく。

 そして呼ばれた生徒は教壇前に行き、軽く握手をかわす。

「アニア・スカーレット・イリイーナ」

「はっ!」

 やっと私の名前が呼ばれ、私は席から立ち上がると教壇まで歩いていき、レスキナ教官の前で敬礼する。

 まあ私のバディなんて誰でもいいんだけど、どうせなら気の強い子だったら面白そうね…という思考を巡らせているとレスキナ教官と目が合う。その表情は先ほどの厳しいものではなく私に対して少しの同情が混じっているようにも見えた。

 なんだか嫌な予感がする、私の今まで模擬戦などで培ってきた指揮官としての勘が言っている。

「ミロク・ヒトトセ」

「はーい!」

 レスキナ教官は名簿を見ながらその生徒の名前を口にする。

 私は目を大きく見開き、思わず口から声が漏れそうになる。

 私のペアが…ミロク・ヒトトセ?無理、無理、無理、無理!耐えられないっ!

 なんであいつが私とペア?ご冗談でしょ?これなら、冴えない頭の悪い生徒の方がまだマシよ!

 ミロクは私の気などつゆ知らず、優雅な足取りで教壇の前に向かい、ウオッシュ教官に敬礼をし、そして目を輝かせた様子で私の前に来る。

 来る際に目が合うと、彼女は私に対して優しく微笑みかけてきた。

 イラつく…この女……。

 しかし、私は動揺を悟られないように無理やり笑顔を作り右手を差し出す。

 ミロクもそれに応えるように笑顔で右手を出すと、力強く握手をする。そして私の耳元に流れるように口を近づける。一瞬のことなのに、全ての時がゆっくりとゼンマイを回すかのように流れていくのを私は感じた。

「これから嫌でも仲良くしてね、ニア」

 私の中に彼女の吐息がかかり、耳元をくすぐり、全身がゾワッとする。周りの生徒や教官たちに聞こえないほど小さな声で微笑みながら右手を放す。

「っ!…」

 私が顔を歪ませたのを見て、彼女は手を離すと何事もなかったかのようにレスキナ教官に敬礼をして席に座る。私は彼女の背中を睨みつけ、軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせるとミロクの隣の席につく。

 絶対負けるものか…こんなふざけた女に…。絶対に一学年が終わるまでに泣かす。

 私はそんな決意を固めると、ウオッシュ教官がついに最後の生徒の名前を呼び、最後の生徒も教壇前に歩いて行く。

 これで全員のバディが発表された。

「今呼ばれたバディと共に一学年が終わるまで模擬戦および実習なども行ってもらう。お互いを知りお互いの技術を盗み合い、お互いに高め合うように。以上。質問があれば、各担任教官に聞け」

 レスキナ教官は名簿を閉じると生徒は立ち上がり敬礼し、教官たちもそれに応えるように敬礼をする。レスキナ教官や他の教官たちが視聴覚教室から出ていくのを確認すると生徒たちも自由に立ち上がりバディにお互いに握手を交わして教官の指示のもと教室から出ていく。

 隣の席に座るミロクは何か言いたげにウズウズしているが、私は何かを言わせるつもりは一切ない。

「さっき私を愛称で呼んだけど、これからは呼ばないで」

 私は鞄を肩にかけながら席を立ち上がる。

「ダメ?ニアがアニアちゃんって呼ぶなって言ったからニアにしたんだけどな…。あっ、ニアニアとかどう?もっと可愛くニャアニャアとか!!」

「ニアでいい」

 …調子狂う。本当はニアなんて愛称をこいつに呼ばれたくないけど、これ以上放っておくともっとひどいあだ名になってしまいそうで鳥肌が立つ。

 ミロクは私の名前を何度も何度も呟きながら嬉しそうにムカつく表情でうんうんと頷く。

「じゃあ、私陸組だから。バーババーイ」

 ミロクは満面の笑みで私に手を振り教室から出て、整列に参加する。

 なーにがバーババーイよ、ベーっだ。

 心の中で毒づきながら睨み付けていると、背後から鞄を持ったルボフが私の顔を覗き込む。

「なによ」

「アニアちゃんミロク生徒とバディになったんだ…」

 その表情から心配と困惑が同時に見て取れた。そんなルボフを見て思わず吹き出してしまった私は背伸びしてルボフの髪を両手でくしゃくしゃと撫で回す。

「私が不安な表情ならわかるけど、なんでルボフがそんな顔してんのよ?」

「だってさ…アニアちゃんはミロク生徒を気に入ってなくて嫌そうにしてたし……」

 ルボフは撫で回された髪を手櫛で整えながら俯く。

「そりゃあ嫌よ…ムカつくし。でも、バディが誰であろうとこれは学校の課題なのだからするべきことをしないとでしょ?まあ一学年終えるまでに泣かして優秀な成績で終わらせるって決めてるから安心しなさい」

 ルボフの不安そうな表情は少し和らぎ笑顔になる。

「一年宙組、廊下へ整列!」

「はっ!」

 陸組が教室に戻るのを確認するとレスキナ教官の号令がかかり、私たちは廊下に出る。

「休め!」

 副担任教官を先頭に2列横隊で並ぶと、レスキナ教官は私たちに正面を向ける。

「これからは副担任であるゴドリス教官の引率のもと、1年宙組教室に移動。その後、本日のカリキュラムを終えたとし教室にて解散。夕食後の夜間実習授業は今日はないため、寮に戻り体を休めるように。以上」

「はっ!」

 私たちは敬礼し返事をし、そのまま教官の先導で昇降口に整列して歩いていく。

「ルボフはバディの子どうだったの?」

「えっとね…海組の生徒でまあ厳しそうだけどいい子だと思うよ。模擬戦の戦績は中くらいとかじゃないかな」

「ふーん、私もそういう子がよかったな。らくそうだし」

「また、アニアちゃんそういうこという…」

 教室前まで到着すると、ゴドリス教官は教室の戸を開け、私たちはそのまま教室内に入り鞄を席の下に起き着席する。

 ゴドリス教官は教壇に立つと名簿を教卓に立てて置き、教室内を見渡す。

「ああ…授業はこれでで終わりだが気を引き締めてそれぞれ必修運動等、鍛錬を忘れないように…これにて解散」

「敬礼!」

 生徒たちは席を立ち左手を背中に当て、右手を額の前に持って揃える。

 ゴドリス教官は軽く右手を斜め前に出して教壇を下りる。

 私たちは教官が教室から出ていくのを確認するため一旦沈黙が流れ、すぐにそれは授業がやっと終わった生徒の歓喜の声で埋め尽くされた。

 そして、各々席を立ちクラスメイトと談笑しはじめたり教室を出て行く。

 色々あった1日に疲れ切った私は椅子の背もたれに寄り掛かって伸びをし、今日という1日が終わったことに少し安堵する。

「やっと終わったぁ…ルボフ帰るわよ。今日は私たちの部屋がゴミ当番だから、他学年の生徒が帰ってくるまでにダストシュートに捨てましょ…あそこいつも混むから」

「ごめん、ちょっと寮に戻る前に模擬戦をしてくるから先に部屋に帰ってて」

「放課後なのに今から模擬戦するの?」

 彼は申し訳なさそうに手を合わせて私に謝ると鞄の蓋を開き、中から模擬戦申込票と書かれた紙を私に見せる。

「サポートに入ろうか?」

「いや、今月の分の模擬戦表の点数が足りてないだけだから大丈夫。ちょっと今月は負けちゃっててやばいから、廃棄にならないように模擬戦しとかないとね」

 模擬戦は原則として自分から相手に対し対戦申込票を提出して、受理されれば1日に何回でも対戦することができる。しかしそれは裏返せば誰も模擬戦を受けてくれなければ、対戦を受理されるまでずっと何もすることができずにそのまま『廃棄』行きになるということだ。

 なので人脈と人脈を繋ぎ模擬戦のできる相手を探さなければならない。これがこの学校の酷なところだ。

 まあ私は何もしなくても、色んな生徒から一発逆転を狙って挑戦されるけど。

「相手は誰よ?」

「海組のディアっていう女子生徒だよ、ほら同じクラスのパンラオイス生徒の彼女の…あっ!あの人」

 廊下を指刺したその先を私が目で追うと、そこにはパンラオイスとかいう私の記憶には存在しない地味めの男子生徒が教室の窓から顔を出し、茶髪の少女と抱き合いながら何か親しそうに耳打ちしながら話し込んでいた。

「あのディア生徒って娘とパンラオイス生徒って付き合ってるんだって。恋人同士って響きがなんかよくて憧れるな〜」

「いつどちらかが廃棄になるかわかんないのに恋人関係を結ぶのって結構リスキーな気がするけど」

うっとりとした目で時々私の方をチラチラと見るルボフに、若干引きながらそう応える。

「アニアちゃんはわかってないなーまあとりあえず俺はディア生徒と模擬戦を受けに行かないといけないから、また後で部屋でね」

 ルボフは鞄を持つと私に手を振り教室から出ていく。そんなルボフの背中を見送り、しばらくクラスメイトたちの談笑をぼんやりと聞く。 

 教室・放課後・生徒の談笑、この三つが揃うたびいつも先輩のことを思い出す。

 ルボフはわかってないっていうけど、実は私だってずっとそばにいない相手を待って思い続ける相手はいる。

 まだルボフとも友達になれていないずっと孤独だった中等部2年の時の私に手を差し伸べた最初の友達、それが先輩だった。




「ああっ!!まだ教室にいたの、アカちゃん」

 廊下を走る音と大きな声と共に、教室の扉が開き普段の制服ではなく、軍服を着た少女が私の元に駆け寄る。息を切らしながら少女は私の肩に手を回し、ニッと白い前歯見せながら満面の笑顔を向ける。

「教官に提出しないといけないものがあったので教室に残ってたんです。あと私はアカちゃんじゃないのでそのふざけた呼び名はやめてください、ニエ先輩」

「いいじゃない、今日は私の卒業式なんだから許してよ。後輩の君に会いたくてわざわざ中等部校舎まで来てあげたんだし」

「それとこれは別問題です」

 私の肩に回した彼女の腕を振りほどき、先輩の顔を見上げる。

「どうかしら軍服。似合ってる?」

 そういいながらシワのない真っ白な軍服を見せびらかすようにクルッとその場でターンをする。彼女の胸には小さな銀色の星が輝いており、それは主席で卒業でしたことを示す勲章だった。

「ええ、黒髪とよく合っていて似合っています。卒業したらどこに配属される予定なんですか?」

「実は私、指揮官じゃなくて衛生兵になるつもりなの。意外でしょ?」

「指揮官?」

 先輩はニヒルな笑みを浮かべながら再び私に近寄ると、私の顔を覗き込み嬉しそうに笑う。

「前までは立派な指揮官になることを目指していたけど、本当の戦争に行った時に知っちゃったの。衛生兵は兵士の救いだって」

「先輩に『救い』ってあまり結びつかない言葉ですね」

「あっ!また減らず口叩いちゃって」

 私の首に腕を回しながら、髪をワシャワシャとかきむしる。

「卒業式きてくれなかったのね、本当は1番にアカちゃんにこの晴れ姿を見せたかったのよ」

声を沈めてそう私に呟くニエ先輩は少し寂しげに笑う。

「……忙しかったんです」

「本当に?私がいなくなるのが寂しくて来れなかったんじゃなくて?」

 その言葉と感触に私は先輩の体を引き剥がし、彼女の目を直視する。

 違います…そう否定したかったのにどんどん目頭が熱くなって言葉が出なくなってしまい、それでも私は下唇を噛み締め、目から溢れ出る悲しみの涙を必死にこらえた。そんな私の頬を軽く触れ先輩は言葉を続ける。

「泣かないでよ、泣かれるとお別れしにくくなるじゃない」

「…泣いてないです。離してください」

 先輩から離れようと先輩の体を押すが、先輩は離れるどころか私を強く抱きしめる。こんな顔を先輩に見られたくない私は腕で涙を拭き取ると、彼女はポケットからハンカチを取り出し私の目元に優しくあてがう。

「もう仕方ないな〜」

 先輩は自分の軍帽を私の頭に乗せると、左手で軍服のポケットをゴソゴソと漁る。 

 泣いてる顔を隠したくて、被せられた軍帽のつばをギュッと掴んで深く被っているとと、先輩の白くて細い人差し指がつばを押し上げて私の顔を覗き込む。

「制服のボタンとかは他の後輩にあげちゃったから、アカちゃんにだけ特別ね」

 私の両手に先輩のポケットに入っていたゴツゴツとした感触で軽い物体を握らせた。手を開くと拳サイズ程の少し小さめの四角い箱があって初めて見る機械に私は困惑する。

「なんですかこれ?」

「図書館で調べたところポケベルって言うらしいわ。なんか昔の製品でこれなら学校にバレずに卒業した後も会話できるの、管理人室に置いあった廃棄物の段ボールに入ってたのを見つけてくすねたのよ」

「先輩っ、生徒は通信機を持つのは禁止ですよ!」

「手紙も固定電話も学校を通して連絡しなきゃいけない上、通信機も禁止ってどう考えてもおかしいわよ〜それとも何、私と卒業した後も話したくないっていいたいのかしら?」

 先輩が少し唇を尖らせ私の両頬を軽くつねる。

「別にそうとは言ってないですけど」

「なら持っててよ。私も持ってるから時々これで連絡を取りましょ」

 私は無言のまま頷き、ポケットにそのポケベルをしまうと彼女は満面の笑みを浮かべる。まったくこの人には敵わない……本当に卒業式の日まで騒がしい先輩。

「さて私は帰りの汽車に乗るために荷物をまとめないと。汽車に乗ったらポケベルで固定電話の方に連絡するからちゃんと返事してね。またね、アカちゃん」

 クルッと軍服のスカートを靡かせて私に背中を向ける先輩の腕を、思わず私は掴んで引き止めてしまった。

 そんな私の様子に彼女は少し驚きながら、再び私の目を見る。

 引き留めたのはいいものの何を言うべきか用意してなかった私は、咄嗟に心の奥底でずっと思っていたことを言ってしまった。

「…先輩はなんで二人っきりのときは私のことをニアって呼んでくれないんですか?」

 小さくかすれたような声が私自身も驚くほど自然と喉から鳴るように、言葉はボソリと出た。先輩に何か変な表情をさせたくないのに、次第に私の顔は耳まで熱くなり力が入らず持っていた先輩の制服を掴む私の手も震えていた。

 何やってるんだろ、最後なのにまた先輩を困らせてしまった……私はすぐに掴んでいた腕を離し、謝るために口を開こうとしたその時だった。

「私たちってニアとニエで名前が似てて紛らわしいでしょ?だからアニア・スカーレットから『ア』と『カ』を抜いてアカちゃんって呼ぶの。可愛いでしょ?」

 その馬鹿みたいな回答に思わず泣きながらも笑ってしまう。どうして彼女の一言一句がこうも私の心をくすぐるんだろう。

「次会う時はアカちゃんが卒業したあと、指揮官と衛生兵として会おう」

 そう言って拳を握り腕を差し出す彼女の拳に、少し驚くも私も拳を作りコツンと軽く当てて応える。

「汽車から絶対に連絡するからね。またね、アカちゃん」

 そして彼女は私に背を向け、手をヒラヒラと振りながら教室から出ていく。

 その夜、私は学校に置いてある固定電話の隣でずっとポケベルを眺めて先輩からの連絡を待ったけど結局来ることはなかった。




「私はずっと連絡を待っているんですよ、ばか先輩」

 談笑していた生徒がいなくなり、一人きりになった教室で私は力なく机に突っ伏し呟きを漏らしながらポケットからハンカチに包まったポケベルを取り出し、先輩とのやりとりを思い返す。

 あれからもう3年が経ったが私はあの日の言葉通り、いつか先輩から連絡がくると信じて、いつきてもいいようにずっとポケベルを肌身離さず持っている。

 こんなにも待っているのに先輩は連絡をくれない。

「あと1年待っても連絡こなかったら死んだと思おうかしら」

 ポケベルをポケットにしまい、うつ伏せになった際に乱れた制服を直しながら椅子の下においた鞄を掴み立ち上がる。

「馬鹿みたい。ルボフも模擬戦してるし帰ろ」

 それにしてもルボフはヘラヘラしていたが大丈夫だろうか?廃棄されるなんてことに本当になったら笑い事じゃない。

 私はルボフのことが気になりながらも昇降口に足早に向かい、靴箱まで着くと靴を履き替え、靴のつま先をトントンとして寮に向かって歩く。

 この学校に通学する生徒全員が住む寮は学校から歩いて15分程のところにあり、5階建ての少し大きめな建物だ。

 木々が風に揺れてさらさらと音を放ち、心地の良い音が耳に入る。桜はちらほらと散っているが緑が生い茂り、時折、小鳥の囀りも聞こえてくる。

 学校の敷地を出て坂を下り、道なりに歩いていくと私たちの寮が見えてくる。

 寮のドアはステンドグラスで彩られまるでどこか教会を思わせるような作りになっており、壁やドアには木彫りの装飾が施されている。

 さすが王立学校なだけあって作りが豪華だ。

 寮の周りには手入れが行き届いた庭があり、そこで他の生徒が寝転がって談笑していたり、射撃訓練用のターゲットで自主練をしている姿も見え、皆思い思いに過ごしている。

「今日は1学年教官会議だから、1学年は早く学校が終わったんです。今お風呂空いてます?」

「ふふっ他の生徒がいない間に使おうと考えてるのね。ええ、今はまだ生徒が少ないから空いてますよ。しかもさっき掃除したばっかりだから今入ったらきもちいいですよ〜」

「なら、よかったです。では」

「あれ?アニアちゃん、帰ってくるの早いですねぇ」

 玄関の前で掃き掃除をしていた管理人のおばさんが私に気づき、手を振る。

「今日は1学年教官会議だから、1学年は早く学校が終わったんです。今お風呂空いてます?」

「ふふっ他の生徒がいない間に使おうと考えてるのね。ええ、今はまだ生徒が少ないから空いてますよ。しかもさっき掃除したばっかりだから今入ったらきもちいいですよ〜」

「なら、よかったです。では」

 私は管理人に軽く会釈をして玄関まで歩き、寮に入るための認証登録を入力する。

 そもそも管理人は私たち生徒より下の存在なのだから敬語など使わなくていいはずだが、まあ印象をよくするに越したことはないと愛想だけはよくしてあげている。

 玄関を開けるとすぐ右手に談話室や食堂があり、そして寮の廊下を進みエレベーターまで向かう。

 ドアが閉まりランプが点灯するとゆっくりと上昇していくのを感じる。

 自分の部屋の階に到着しエレベーターから出ると、一番奥にある私とルボフの部屋の前に行き、鍵を鞄から取り出す。

「ただいま…って誰もいないか」

 電気は付いておらず、部屋には日の光すら入ってないため薄暗くひんやりとしている。

 靴を脱いでゆらゆらと夢遊病者のような足取りで部屋に入り、荷物をベッドに放り投げ、そのまま電気もつけずにベッドに制服のままうつ伏せに倒れ込む。

「疲れたぁ…ビバ布団」

 あー…今日は疲れた…もう寝たい。このまま寝たい…でも、ルボフがいないなら

せっかくだし大浴場に行きたい。

 布団の柔らかさが心地よくて、布団に顔を埋めたまま目を瞑る。しばらく何も考えずただぼぉっとする。今私の顔がどれだけ間抜けか自分でもわかっているが、表情を正す気力さえ湧かなかった。

「眠い…けど今日は自主練する予定なので寝てはいけない。そして大浴場に行くのよ…私」

 私は仰向けになると天井に向かって手を伸ばし、ぐっと背伸びをして起き上がる。

「着替えるか…」

 私はのろのろと立ち上がり、クローゼットから着替えを取り出して洗面台に向かう。鏡に映る自分の顔はいつも以上に疲れている。「本当に醜い容姿だこと…か」

 鏡に映る自分の姿を見るたびに、中等部の時にそうクラス中に言われいじめ続けらた記憶が呼び起こされる。

 確かに自分で自分を見ても醜いと思う。

 不気味なほどに真っ白で腰まで伸びた髪は、艶やかでちゃんと手入れもされているが、その髪には色素が全くなく絹のように白く光の加減によっては何も反射せず透過しそうなほど存在感がない。

 この真っ白な髪は病気でも遺伝でもないらしく、おそらく何かの大きなストレスによるものだと前に医者に診断された。

「まあ容姿なんて、戦場において何も関係ないからどうでもいいけど」

 私は自分のその雪のように白い髪をほどき、口にリボンを咥えて髪を結ぶ。 

 中等部の時までは髪を結んだりなどしていなかったが先輩が私の髪で遊んで二つ結びにした際「似合っている」と言われてからなんとなく毎日二つ結びをするようになった。自分の容姿ではなく髪型が褒められただけというのは、ちゃんとわかっているがそれでもずっと醜いって言われてきたから嬉しかった。

 リボンで髪を縛り終えると、普段着に着替えるため制服を脱ぐ。ブラウス、スカート、タイツを脱いでいきそのまま適当に床に落ちていく。

 ルボフが綺麗好きなため普段なら、こんなふうに散らかすことはないけど、今日はそのルボフがいないので、気にしない気にしないっと。

「もう16だけど成長の兆しなしか…はぁ」

 自分の胸を下着の上から手を当てて、ため息をつく。

 人より少し小さいとはいえ、ある程度膨らんでいるし形も悪くないはず…ただ大きいとは言い難いだけで。

 射撃、剣術、馬術、体術などの訓練により必要な筋肉が無駄なくつき余分な肉が一切ないその体は、兵士にとって理想の体と言っても過言ではない。

 ただ女としては少し足りない物を感じる。

 そんなことを考えていると私の部屋に近づく足音が聞こえる。この足音はルボフだろう、ルボフは歩くとき少しパタパタと音がするからわかりやすい。

 私はその足音に耳を傾けながら、ルボフが帰ってきたため脱ぎ捨てた服を拾っていく。

 部屋の扉が開いた音が聞こえ、その音の人物は部屋の中に入ってくる。

「おかえり、模擬戦をしてきた割りに早かったわね。もしかして今日対戦してきたディア生徒って弱かったとか?」

 洗面所の扉を閉めているため姿は確認できないが、ルボフだろうと思い私はそのまま話を続ける。

「あっ、悪いけどベッドにあるワンピースとってくれない?」

 扉を少し開けて手だけ出して受け取る準備をするが、なかなかシャツを渡してくれない。

 ルボフが言うことを聞かないなんて珍しい、仕方ない自分でシャツを取りに行くか…私はタオルを体に巻いて洗面所の扉を開ける。

 ルボフが言うことを聞かないなんて珍しい、仕方ない自分でシャツを取りに行くか…私はブラウスだけ上に着て洗面所の扉を開ける。

「ちょっとルボフ、ワンピースとってって言った…でしょ…」

 私は私のベッドの前にいる少女を見て、体が硬直する。

 そこにいたのはルームメイトのルボフではなかった。赤い髪の少女ミロクの左手には私の愛用しているナイフが握られていてその視線は私の足から頭の天辺までじっくり見て一言言う。

「ワオ…!」

 私は私のベッドの前にいる少女を見て、体が硬直する。

 そこにいたのはルームメイトのルボフではなかった。赤い髪の少女ミロクの左手には私の愛用しているナイフが握られていて、その視線は私の足から頭の天辺までじっくり見て一言言う。

「ワオ…!」

「きゃあああああああああああ」

 私の姿を見て感嘆するミロクを見て状況を理解した私は奇声を上げて、胸と股を隠すようにぺたん座りで地面にへたり込む。

「あんた……なんでここにいんのよ!?ここは私とルボフの部屋よ!不法侵入よっ変態!!」

「ちょ…ちょっと待ってよ!」

「うるさい変態!!もうなんなのよっ!」

 ミロクは本を簡単にキャッチすると、ベッドにそのまま置く。

「よくわかんないけど、ごめん!と、とりあえずブラウスの上からでいいからこれ着てっ」

謝りながらミロクは、ワンピースを私の近くに放り投げる。私は素早くそのワンピースを掴み、パッと腕を伸ばし上から着る。

「あんた、何でここにいんのよ?」

ミロクを睨みつけながら私は問う。ミロクは私が服を着るまでの間ずっとベッドに腰をかけて、私の様子をただ眺めていた。

「いやその前に…何で、下着姿でいたの…」

「べ、別に私の部屋なんだからいいでしょ?入ってきたのがあんただとわかっていたら服着てたわよ!そんなことより、なんでここにいるの…言わなきゃぶっ殺すわよ?」

「管理人さんや教官に聞いてないの?今日からニアとこの部屋で暮らすんだけど…」

「はぁ!?」

 私はびっくりして、大きな声が口から漏れる。

 先ほど管理人と話したがそんな話聞いてないし、ミロクが私と暮らすなんてありえない。ただでさえ人と一緒に四六時中一緒に過ごすのはそんなに好きじゃないのにこいつと暮らすなんて絶対に嫌だ。

「な、何言ってるの?ここは二人部屋で私はルボフと同じ部屋だから、あんたが入る余地なんてないわ」

「うん、だからルボフ生徒はこの部屋から移ったよ」

「なっ!?」

 私が驚きのあまり口が塞がらなくなっているとミロクは続ける。

「とりあえず荷物はしっかり持ってきたから開封しようかなと思ってたんだけど…今までルボフ生徒の荷物がないことに気づかなかったの?」

 私はミロクが言った言葉全てに開いた口が塞がらないし、もうこいつと話すだけで目眩がする。

 ベッドに放置された自分の鞄を手繰り寄せ、中から携帯を取り出す。

 そして私は発信履歴からレスキナ教官を呼び出し、ミロクに聞かれないように洗面所に入ってゆっくりと扉を閉める。

「あ、すみません。レスキナ教官」

「なにか用かな?私、今忙しいんだけど」

 私は自分の耳に当てられた携帯から聞こえるその無頓着な声に怒りが浮かぶ。

 忙しくても私にこのことを言う機会はいつでもあったでしょうっ?絶対に。

「教官…今私は悪夢を見てるみたいなのですが部屋にミロク生徒が今いて…一緒に住むって」

「ええ。そうよ、私が手配したの」

 レスキナ教官はケロっとした様子で他人事のような返事に、私は一旦深呼吸をしようと携帯から耳から離し、怒りに震える手でレスキナ教官からもらったこの携帯を握り潰さないよう肩の力を緩める。

 そして、再び耳に携帯を当てレスキナ教官に問う。

「お言葉ですが教官。手配したというのはどういう理由で?一体なんのためにか聞いてもよろしいでしょうか、じゃないと納得が...」

「だって彼女なんでか知らないけど異様にあなたに興味があるみたいだし、この学校にも慣れていないようだから私がルボフ生徒に先ほど断って、あなたの部屋に入れさせた。何か不満が?」

 全く罪悪感がないどころか、逆に疑問符を浮かべながら軽くタバコを口に含んだ口調で言うレスキナ教官に私の中にあった怒りは頂点に達する。

 思わず携帯を耳から離し、洗面所の床に向かって投げつけようかとすら思った。普段温厚で優しい私からは想像もできないことだ。

「実は彼女なかなかの問題児でね」

「ええ。なんとなく雰囲気でわかります」

「普段学校にいるときは私や他の教官がミロク生徒のそばにいれるが、寮にいる間はほとんど彼女のことを把握できない。この意味が優等生の君ならわかるね」

 私の皮肉を『優等生』という嫌味で返すレスキナ教官の淡々とした言葉に、私は小さく鼻で笑う。

 私のことを優等生なんていう安っぽい言葉で評するのは、教官と……先輩ぐらいだ。なんとか冷静さを保ちながら深呼吸をする。怒りに震えるこの体は深呼吸一つじゃ鎮まりそうにないけど無理やり抑え込む。そして携帯に向かって言う。

「善処します」

 私がもう一度深呼吸して、長く細いため息をついてから自分の部屋に戻るとミロクはルボフのだったベッドに腰をかけて自分のトランクの中を漁っていた。

 ミロクは私が部屋に入ったことに気づくとこちらに視線を合わすことなくそのまま鞄に視線を向けたまま話し始める。

「おっ、今度はちゃんと服を着ているみたいだね。よかった、よかった」

「ミロク生徒と一緒に寮生活をすることはとりあえず了解する。でも必要以上に私はあんたと馴れ合うつもりはないから。ということでしばらく外出する」

「あっ、じゃあ寮案内してよ?ここ広いからどこがどこか全然わかんなくてさ…」

「聞いてなかった?私はあんたと一緒にいたくないから外出するの。例えバディになってもあんたと馴れ合うつもりは一切ないから」

 私はミロクに釘を刺すように強い口調で伝えるとそのまま靴を履いて玄関の扉を開ける。

「好きなことでもしておけばいいんじゃないですか?主席さま」

 私は嫌味ったらしく言って、私は扉をバンッと閉じて鍵をかける。

 嫌味を言っても結局は主席にはなれない、他の生徒に嫌味を言われてきた自分が一番わかっているのに……嫌味しか言えない自分が情けない。

 エレベーターの下ボタンを連打しながら、心の中で自己嫌悪に陥る。

 明日は主席に戻るためにも2戦くらいは模擬戦をしてミロクから主席を奪い返す。

 心に誓っている中、ガチャっと私の部屋の方から扉が開いた音が廊下に響き渡る。

 その音を聞いて私が振り返ると、ミロクが私の部屋の鍵を指で回しながら、こちら歩いてきていた。

 寮案内はしないって言ったじゃない!は…早く逃げなければ。

 早く来いとボタンを連打していると私を救うようにエレベーターが到着し、開くと同時に逃げるように中に入り1階のボタンを押す。

 逃げれたと安心したその時、ミロクは目にも止まらぬ速さで扉の隙間から腕を入れて『開』をのボタンを扉が閉まる寸前、間一髪のところで押す。

 ミロクはそのまま私をエレベーターの壁に追いやると私の頬を両手でつかみ私の顔を自分の顔の前まで持ってくると、私に真顔で言い放つ。

「はぁ…好きなこと…したいから…きたよ!」

 私はミロクのその真珠のような瞳に吸いこまれ、彼女から目が離せなくなる。彼女の長い睫毛が一本一本はっきりと見え、頬から伝わってくるミロクの体温が直に伝わってくる。

 数秒間だろうか、私が目を離せずにいるとミロクはパッと私の頬を解放しその瞳は扉の方へと向かれた。 私は数々の出来事に頭が追いつけず未だに立ち尽くしていたが、ようやく意識を取り戻す。

「ば、ばっかじゃないの…何なのあんた…」

「同じ部屋になったんだし仲良くしようよ、あとあんたじゃなくてミロクって呼んでくれたまえ」

「教官と管理人にあんたと違う部屋にすることを要求するから結構よ」

「ふーん。まあ頑張ってみれば?」

 ミロクはエレベーターの壁に寄りかかりながら私の方を見る。

 その時、天井のスピーカーからチャイムの音ともに声が降ってくる。

『304号室のミロク・ヒトトセ生徒、304室のミロク・ヒトトセ生徒。お荷物のお届けです、管理人室に届いていますので受け取りに来てください』

 管理人のアナウンスにミロクは視線だけ上にあげて、めんどくさそうにため息をつく。

「荷物?」

 私が扉が開くと同時に出た一言だった。

「うん、元々いた施設から送られてきた荷物が届いたみたい」

「施設って?」

「まあそれは置いといて。管理人室ってどこかわかる?私、わかんなくてさ」

「…はあ、ついてきなさい」

 ため息を一つこぼしてから、私はミロクより前を歩く。管理人室は射撃場の近くにあるため、それほど遠くはない。

 ミロクも私を追うように後ろからついてきて、いつのまにか私の隣に並んで歩く。

 歩いている最中、ミロクは私に色々と質問してきた。誕生日は?血液型は?好きな色は?好きな食べ物は?など。そんなこと知って、どうするつもりなんだか。

 そんなことを考えていると管理人室の扉が見えてくる。管理人室につくと少し古びた扉に私はノックを二回して扉を開ける。

 中に入ると、カウンターテーブル越しに管理人補助の女性が一人。そのカウンターテーブルにも一つのダンボールと何枚かの書類が置かれているのみで質素な部屋だ。

 私は愛想よく微笑み、補助に挨拶をする。

「こんにちは、ミロク・ヒトトセ生徒の荷物の受け取りに来ました」

「取りに来ましたー」

「はぁ…ちょっと待ってくださいね」

 女性はため息をつきながら、奥の部屋に行きそこに置かれた小包を私に手渡す。

 小包の側面には施設とやらの名前がかかれていた。

「ミロク生徒、荷物を取りに来たんでしょ?早く受け取りなさいよ」

 私が小包をミロクに渡すとミロクは「おっ、ありがとう」と言って私から受けとる。そのまま管理人補助に軽くお辞儀して私は管理人室から出ていき、ミロクも私に続いて軽く会釈し管理人室の扉を閉じる。

「きたきた」

 ミロクは小包をはしゃいだ様子で小包をビリビリと開封すると古びた黒い本がミロクの手から滑り落ちる。

「何よこれ?」

 私が落ちた本を拾い上げようと、しゃがみ込むとミロクが慌てた様子で私から本を遠ざけるように腕を伸ばす。

「日記だよ、日記」

「日記?」

 私はミロクの言葉に疑問を抱き、質問をしようとするがミロクは何も言わずに奪い取った本を制服のポケットにしまい込み、私の背中を押す。

「遺品だよ、私が死んだ時の遺品として提出する日記。もういいじゃん」

「ふーん遺品ねぇ」

 指揮官学校に通う私たちは、模擬戦がVRだからと言って安全とは限らず私たちは訓練として実際に戦争に介入して実戦訓練することもあるし、射撃、格闘技、剣術、手榴弾の投擲なども実際に行ったりする。

 なので毎年命を落とす生徒の数は少なくないし、訓練で命を落とすことなどは決して珍しいことではない。

 なので、私たち生徒は一人一人に遺品として何か選ぶように言われている。

 そしてその遺品は私たちが亡くなった後、家族に送られるらしい。

「そういえば、ニアの遺品って何?」

「あんたに言うつもりはまずないし、そういうのってあまり人に言うことではないでしょ」

 ミロクは私の話を聞いて「確かに」と返す。ミロクに限らずルボフにですら、私の遺品について話したことはない。

 まあ、生まれたときからこの学校に通う私が一度も家族から手紙をもらったことがないのだから、家族にとって遺品なんてどうでもいいだろう。

「よし!じゃあ、管理人室は見終わったから次の場所にいこうっ」

 ミロクは私の背中を押しながら、グイグイと進んでいく。私はバランスを崩しそうになりながら、必死で歩く。

「ちょ…ちょっと!?どっかいくなら一人でいけばいいでしょ…私がいく理由は」

「もうすでに、管理人室を案内してるんだから他みても変わんないでしょ?さぁ、いこいこっ」

 そう言って、私の手を無理やり私の手を摑み取るミロクに私は苛立ちと疑問を感じるが、なぜか悪い気もしない自分もそこにはいた。

 普段ルボフは私に対して受け身だから、こんなふうに誰かにグイグイ振り回されるのは先輩以来だ。なぜか少し頬を赤らめた私は、私の手を引きながら前を歩くミロクをチラリと見る。

 教室から私の手を引いて出る姿もどこか先輩を思いだすし、強引に一緒に住もうとかわけわからないこと言うところもあの先輩に似ている。だからかもしれないな、不思議とこいつのこと嫌いなのに、ちょっとだけ体がこそばゆくて抵抗できなくなる。

「私ねぇ、近くの町で服を買いたいの。この制服と私服何枚かしか持ってないからさぁ」

「っえ!近くの町ってあんた外出するつもりなの!?」

 その言葉に私はピクッと耳を反応させ、思わず心はやる気持ちにブレーキをかけて足が石のように硬くなる。

「うん。だって服を買うんだったらそれしかないでしょ」

「あんた知らないかもしれないけど、卒業まで私たちは学校の外に勝手に出てはいけないの。出れるのは私たちが出軍するときか、退学になったときだけ。私でも一度も学校の外に出たことはないわ」

 ミロクはきたばかりだから知らないのも無理はないが、私たち生徒は基本的に学校と寮と庭以外のところ、つまり学校の外に出ることを禁止されており、外に出たければ許可証がいる。

 その許可証は担任である教官に申請して学校に提出され、学校の教官が三人と校長が許可をしはじめて外出できるという仕組みなのだ。

「ええ!?一度もってことは、生まれてから一度も外の世界とか、隣町に行ったことがないの?」

「入学前は普通に外にいたわよ。3歳の時とか」

「いや…そんなに昔?それってほぼ外行ったことないのと一緒じゃん」

 眉を顰めたミロクは両手の指を折り曲げて一体私が最後に外に出てから何年たっているのかを計算し始める。

「入学したのが3歳の時だから13年よ、もういいでしょ。新しい服とかは月末にある配給でもらえるから別に町に行く必要なし」

「わかってないなぁ。服は店で見て試着するから楽しいわけであって、配給なんかでもらえるよくわかんない服じゃ意味がないんだよ。それに他の生徒だってそんな規則守ってるわけがないんだから、こっそりと」

「却下」

 首根っこを捕まれた猫のようにミロクは不満そうに頬を膨らませるが、私はそんな子供みたいな仕草に肩を竦めて、寄せられ自分の眉間に手を当てる。

 次から次へと苦悩を当たり前かのように押し付けてくるミロクに怒りを通り越して、呆れすら感じてきた。

「とりあえずダメって言ったらダメだから、私は部屋にもど…」

 そう言って踵を返して歩き出そうとしたその時、私の体は思わぬ衝撃でぐらつく。

 そして私の腕を掴んだまま、ミロクは私のいく先と逆方向に進みだす。

「ちょっと離して。ほんとにダメって言ってるでしょ」

 足がもつれそうになりながらも私はミロクに振りほどこうと腕を動かすが、思いのほか強い力で掴まれていて微動だにしない。

「お願い、責任はミロクが取るから。だから今だけは許して」

 揺れる長い赤髪の隙間から見えたミロクの真剣な表情に私は思わず息を呑む。

 自分には理解できないこの行動への必死さが私の体の抵抗力を弱め、苦しみから逃れるように下唇を強く噛むと私は振りほどこうとしていた腕に込めていた力を抜く。

 これをきっかけに私の人生はとことんおかしくなっていくとも知らずに。

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