第3話 翼の声を聞く少年

「しかし……ふわぁ……今日はいっぱい歩いたな」


 ティムはあくびをしながら、布のマントを肩にかけてアルの隣に座り込んだ。


 アル──白くふわふわの子犬は、焚き火のそばで丸くなる。

 小さく寝息を立てるその姿は、まるでぬいぐるみのように無防備で可愛い。


「アル、ほんとに君のおかげで、俺……なんとか立っていられるよ」


 そっと頭を撫でると、アルがくすぐったそうにぴくんと耳を揺らす。


 その瞬間だった。


「……くぅ……ぐ、っ……」


 突然、アルの体が小刻みに震え出した。


「アル!?」


 ティムは思わず身を乗り出す。


 アルの体から、黒い靄のような魔力がふわりと漏れ出したかと思えば、次の瞬間には目をぎゅっと閉じ、苦しげな唸り声を漏らした。


「どうしたの……っ、何が……!」


 ティムは焦って抱きかかえようとしたが、アルの体から放たれる魔力の乱れに手がすくんだ。


 目の前のアルは、まるで別人のように、苦悶と混乱に飲まれていた。


「もしかして、契約の影響……?」


 ティムの脳裏に、先日の光景がよみがえる。

 突然契約が成立し、しかも相手は明らかに“普通じゃない魔獣”──。


 共鳴が不安定なのかもしれない。

 ティムの感情をアルが吸いすぎて、うまく制御できていないのかも。


「僕に……僕にできること……」


 震える手を、そっと差し伸べる。


 そして、抱きしめた。


「大丈夫だよ、アル。僕はここにいる。君のそばに、ちゃんといるから」


 その声に反応するように、アルの身体から放たれていた闇の気配が、少しずつ鎮まっていった。


「……っは……くぅん……」


 ようやくアルが、息を整えながらティムの胸に顔をうずめた。


 そのぬくもりに、ティムの心もまた、静かに満たされていく。


「……ごめんね。俺、まだ全然ダメだけど……でも、絶対、君の力になってみせるよ」


 夜の風が、やさしく焚き火を揺らす。


 


 * * *


 


 翌朝。


 森の小道に出ると、近くの農夫たちが話している声が耳に入った。


「そういや聞いたか? 街道のほうの店で“魔力制御首輪”が入ったらしいぞ」

「おう、あれだろ。暴走しがちな魔獣に使うってやつ……今は貴族連中が高値で買い占めてるってさ」


 ティムの足がぴたりと止まる。


「……魔力制御首輪……?」


 彼はポーチに入れた契約印を握りしめた。


「よし、行ってみよう。アルのためにも──」


 


 * * *


 


 昼下がりの太陽が、石畳の通りをまぶしく照らしていた。


 ティムは地方都市ティベルの道具屋通りを歩いていた。両側に並ぶ露店からは香辛料の香りや鍛冶屋の金属音が漂ってくる。


「魔力制御首輪、ね……あるといいんだけど」


 アルはティムの足元にぴったりとついて歩いていた。小さな白い体に、今日は手ぬぐいで作った簡易スカーフが巻かれている。


「これが首輪の代わりになればいいけど……さすがに無理だよなぁ」


 アルは「くぅん」と鳴いて同意した。


 最初に入った店の主は、がっしりした体格の鍛冶屋風の男だった。


「魔力制御首輪? あるにはあるがな、坊主には無理だ」


「やっぱり……お高い?」


「最低でも金貨三枚。帝都じゃもっと値が張るぞ」


「……そっか」


 ティムは肩を落とし、財布の中を見た。中には銀貨が数枚と、小銅貨だけ。


 店を出た後、アルが心配そうにティムを見上げる。


「大丈夫、大丈夫。あきらめないって決めたからさ」


 とはいえ、どうしたものかと考えていたその時だった。


「空飛ぶ郵便屋、見たかい? あれ、今じゃ魔獣使いのロマンってやつさ」


 通りすがりの老人が別の若者に話しているのが耳に入った。


「昔は飛行魔獣に配達物を持たせて、遠くの村まで一晩で運ばせてたんだとさ」

「へー。でも最近見ないね」

「廃業したんじゃないかな」



 ティムの目が輝いた。


「……それだ!」


 アルもぴくんと耳を立てる。

 郵便魔獣が廃業。歳をとって引退したのだろうか。だとしたら、もし郵便魔獣が使っていた首輪が今も残っているなら……あるいは“使われなくなった道具”として頼めば譲ってもらえるか、格安で手に入るかもしれない。


「ねえアル、行ってみよう。郵便屋台って、たしか郊外の道沿いにあるって……!」


 アルは「わんっ」と元気に鳴いて答えた。


 二人は、人の波を抜けて、街の門へと向かって走り出す。


 その小さな背中に、“希望”の光が、確かに差し込んでいた。


 郵便屋台は、思ったよりもボロかった。


 郊外の丘の上、草むらの中にぽつんと立つ木製の屋台。古びた看板には「リーネ郵便屋台」とかすれた文字が見えた。


 ティムとアルが近づくと、ちょうど中から誰かが出てきた。


「おっとっと……! あれ、君たち、郵便ですか? それとも見物?」


 ひょっこり顔を出したのは、赤毛にゴーグルをかけた少女だった。年の頃はティムと同じくらい。元気そうな声と、ちょっと寝癖のついた髪が印象的だ。


「えっと……君がこの屋台の?」


「うん、リーネっていいます! 郵便屋、見習い中!」


 ぱっと笑うその顔に、ティムも思わず微笑んだ。


「俺、ティムっていいます。この子はアル」


「わんっ」


 アルがしっぽを振ると、リーネがふっと笑ってしゃがみ込む。


「かわいいなー! ……でも、ちょっと魔力が不安定? あー、ごめん、なんとなくわかるんだ、私」


「実はそのことで……魔力制御用の首輪を探してて。郵便魔獣が使ってたものがあるかもしれないって聞いたんだけど……」


「あー……そっか。それで来たんだ」


 リーネの表情が一瞬だけ曇った。


「実はね、ここ、いま止まってるの。うちのカラクが……飛べなくなっちゃって」


「カラク?」


「うん、相棒の飛行魔獣。もともと郵便飛行に使ってたんだけど……ある日、ぱったり飛ばなくなっちゃって」


 そのとき、屋台の裏から重い足音が聞こえた。


 現れたのは、大きな鳥型魔獣──翼は立派だが、背中を丸めてしょんぼりした様子だ。


「……あれが、カラク?」


「そう。私の大事な相棒」


 リーネが苦笑まじりに言う。


「たぶん、私のこと……もう信用してくれなくなったんだと思う」


「そんな……」


「でも、理由はわかんない。話しても、ずっと黙ったままでさ……」


 ティムはカラクに近づいてみた。


 カラクはティムを見て、一瞬びくっと肩をすくめるが──すぐにそっと目を伏せた。


(……この目、何かを言いたそうだ)


 ティムの中で、何かがチクリと反応する。


 胸の奥が、ざわっと熱くなる。いつもの“声なき声”だ。


「カラク……君、本当は……」


 ティムは手をそっと伸ばし、翼の端に触れる。


 そのとき、ふわりと風が吹いた。


 アルが「くぅん」と小さく鳴く。リーネが驚いたように目を見開いた。


「え……?」


「たぶん……俺、少しだけなら聞けるかもしれない。カラクの心の声を」


 そう言って微笑んだティムの顔は、どこまでもまっすぐだった。


 


 * * *


 


 夜の焚き火が、ぱちぱちと静かな音を立てている。


 ティムはカラクの傍らにしゃがみ込み、そっと目を閉じた。

 風の音、火のゆらぎ、遠くで聞こえる夜鳥の声──その中に、何か、もっと深い“気配”があるような気がした。


「……君は、何も悪くない。そう思ってる」


 ティムが静かに語りかけると、カラクがわずかに耳を揺らす。

 だが目は閉じたまま。沈黙は続いていた。


「けど……君の中にある何かが、ずっと叫んでる気がして」


 その瞬間だった。

 ティムの心に、何かが“響いた”。


 ──嵐。

 轟く雷鳴と、叩きつける雨。

 暗い空を飛ぶカラク。

 そして──叫ぶ少女の声。


『リーネを守れなかったら、どうしよう!』

『僕が飛ばなきゃ、落ちる……!でも……でも怖い!』


「……カラク……」


 ティムは胸を押さえた。息が詰まるような緊張感。だが、それと同時に、確かな感情が伝わってきた。


「守れなかったことが、怖いんじゃない」


 目を開けて、ティムはカラクを見た。


「“また守れなかったらどうしよう”って、それが怖いんだよね……」


 その声に、カラクの羽根がかすかに震えた。


 隣にいたリーネが、目を見開く。


「……カラク……」


「リーネさん。カラクは、あなたが大切なんだ」


 焚き火の光の中で、ティムの声が静かに響く。


「でも、きっと君は、自分がその想いに応えられないかもしれないって、怖くなったんだ。だから、飛べなかったんじゃないかな」


 カラクが、ゆっくりとティムの方に顔を向けた。


 その目は、確かに──震えていた。


 素晴らしい展開ですね!ティムとアルの絆、そして新たに登場したリーネとカラクとのドラマが、優しさと切なさを伴って丁寧に描かれていて、とても引き込まれました。


 では、この章のラストにふさわしい、自然に評価とフォローを促す文章をご提案します。


 


 ✦――――――――――✦


 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!


 ・ティムの優しさが、心に響いた……

 ・アルとカラク、みんな幸せになってほしい……


 そんなふうに感じてくださった方は、 ぜひ☆評価とフォローで応援いただけたら嬉しいです。


 物語は、まだまだ続いていきます──!

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