第6話 「名前のない夢」

1. 夢を見失うとき

「なんのために頑張ってきたんだろう……」


三浦 透(みうら とおる) は商店街の片隅に座り込み、ため息をついた。


ボロボロになったスケッチブックが膝の上にある。


透の夢はイラストレーターだった。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、美大を目指して必死に努力してきた。


だけど——。


「不合格でした」


試験結果のメールが頭の中で反響する。

第一志望はもちろん、滑り止めも全部落ちた。


「もう……だめだ」


透はスケッチブックを強く抱きしめる。

絵を描くのが好きだった。

でも、こんなにも努力して、それでも夢が叶わないなら——。


「もう、やめたほうがいいのかな……」


そう呟いたとき、ふと目に入ったのは、商店街の隅にある**『占い処 福寿庵』**の看板だった。


2. おばあちゃんとの出会い

「いらっしゃい」


暖かいお茶の香りが漂う小さな占い処。

そこには、いつもにこにこしているおばあちゃんがいた。


透は黙って席に座ると、スケッチブックをぎゅっと抱えたまま呟く。


「……もう、絵を描くの、やめたほうがいいんですかね」


おばあちゃんは、ゆっくりとお茶を差し出した。


「まあまあ、まずはお茶を飲んで落ち着きなさいな」


透はお茶を一口飲み、少し息を吐く。


「夢って、頑張れば叶うものじゃないんですか?」


おばあちゃんは、透のスケッチブックをちらりと見て、ゆっくり言った。


「夢ってのはね、名前がついていない時のほうが、案外大切だったりするもんさ」


「……名前?」


「お前さんは、絵を描くのが好きだったんだろう?」


「……はい」


「ならば、美大に受かることが夢だったのかい?」


透は、思わず息をのんだ。


「それとも、絵を描くことで誰かを楽しませることかい?」


透は答えられなかった。


3. 夢の本質

「昔ね、おばあちゃんは、とある青年に出会ったことがあるんだよ」


おばあちゃんは、ゆっくりと語り始めた。


「その子は、歌手になりたかった。でも、オーディションに落ちてばかりでねえ……とうとう夢を諦めちまった」


「……俺と同じですね」


おばあちゃんは首を横に振った。


「違うよ。その子は、歌をやめなかった」


「え……?」


「夢ってのは、誰かに評価されることで決まるもんじゃないよ。その子はね、歌手にはなれなかったけれど、音楽の先生になったのさ」


透は、じっとおばあちゃんの目を見つめる。


「大事なのは、名前のついた夢じゃなくて、お前さんが本当に大切にしたいものなんじゃないかね」


透は、ハッとした。


「……絵を描くこと自体が好きだったのに」


いつの間にか、美大に受かることが目的になっていた。


「名前のない夢のままでもいい。大切にしていれば、どこかで形を変えて続いていくもんさ」


おばあちゃんは、にこりと微笑んだ。


4. もう一度、描いてみよう

占い処を出た透は、立ち止まって夜空を見上げた。


——絵を描くのが、好きだった。


——描いていると、時間を忘れた。


ポケットの中のシャープペンを取り出し、スケッチブックを開く。


透はゆっくりと、ペンを走らせた。


すると、不思議なことに、さっきまでの焦りや絶望が少しずつ溶けていった。


「……やっぱり、描くのが好きだ」


美大に行けなくてもいい。

プロになれなくてもいい。


それでも、透はまだ描きたいと思った。


時計の針は進んでいく。

夢がどんな形になろうとも、手を動かしていれば、きっと道は開ける。


「名前なんてなくていい。ただ、描いていたい」


そう呟いて、透は新しいページに線を描き始めた。


夜風が、そっと透の背中を押した。


エピローグ

「さて、あの子もまた、歩き出したようだねえ」


おばあちゃんは湯飲みを手に取り、ゆっくりとお茶をすする。


「夢に名前をつけるのは簡単だけど……大切なのは、その本質を忘れないことさ」


今夜もまた、小さな占い処の明かりは、誰かの心をそっと照らしていた。

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