第五章 変えなければ ①

ふと、人の気配を感じ、薄く目を開けた。

神薙家のセキュリティは日本屈指のものだ。しかし、それでも世間は金持ちへの恨みを募りやすいが故に、執念で侵入してきた輩が現れないとは限らない。強盗か、誘拐か、それとも殺し目的か。

相手に起きていることを悟られないよう、細めのまま周りを見ると、そこには魂が抜けているかのように間抜けな顔をした朱莉がいた。

朱莉の目の下にある隈から察するに、施設の企画書でも書いて徹夜したのか。それで深夜テンションのまま今の時刻を忘れて、詩織に見せに来ようとしたのだろう。

足元に蹴落とされた毛布を詩織に掛け直し、フラフラと部屋から出ていく朱莉の後を追った。朱莉があそこまでの酷い表情をしていたのは、オレと詩織が一緒に寝ているところを見たからか。窈窕淑女な詩織が男と寝ているところ見て、神様の如き詩織が汚された気でもしたのだろう。

オレは詩織に身体までは許してもらったことは無いし、許してもらいたいと思ったことも無いのに、あれほどの絶望顔を披露してくれるとは。なんとも嬉しい限りだ。

「やあ、朱莉」

静かに朱莉に近付き、後ろから耳元でそっと囁くと、幽霊でも現れたかのような顔で朱莉が振り返る。思わず、口元が歪んでしまった。

「ははは、酷い顔だね」

「葉月君……」

悪いことが親にバレたような、迷子の子供のような表情だ。

あぁ、分かった。朱莉は詩織の唯一の友達という立場を得たつもりだったが、オレと詩織が寝ているところを見て、蚊帳の外にいる感覚を感じたのだろう。「詩織にとって、わたしはなにか」と不安に思った。

──ならば、それを利用するまでだ。

「君は詩織の友達って言うけど、本当に君たちは友達なの? 詩織の表面上の格好良いところにだけ目を向けて、詩織の弱さからは目を逸らして、勝手に神格化してさぁ。それって友達じゃなくない?」

「……」

朱莉はなにも言わない。とても良い気分だ。

「オレは知ってるよ。詩織は強く見えるけど、実は強さに執着しているだけの人間だって。君にはそんな一面、見せたことも無いだろうけど、オレにはよーく他人には話しにくいことまで話してくれるからさ。ま、当たり前だよね。朱莉は詩織に出会ったのが最近だけど、オレは九歳からずっと、詩織の一番近くで、一緒に暮らしているんだから」

「……」

さらに朱莉の顔色が悪くなっていく。そろそろ止めを刺してやろうと、一呼吸を置いて、オレは口を開いた。

「ね、弱音を話してくれないのは、友達じゃないからだよ。詩織は優しいから、そんな素振りもせず君のために時間を作ってくれるけど。きっと、神薙家と燦桜学園のために〝ALSの特待生と、それを支援する神薙財閥〟っていう最高の広告塔が欲しいだけだ。だから朱莉、君は詩織にとって、ただの神薙財閥の道具なんだ」

冷静に考えれば、詩織が朱莉のことを道具などと思っていないことが分かるはずだ。朱莉がALSに罹る前から気に掛けていたし、なにより詩織が朱莉を見る目の優しさを見れば、簡単に否定できるだろう。しかし、今の朱莉には冷静さが無い。詩織から離れることは経済的にも身体的にも難しいだろうが、勝手に絶望して、愚かな夢を捨てて、出来るだけ詩織から離れて欲しい。

大体、こんなオレの脅しで諦める程度の夢なら、叶うはずもないだろう。

だから、これ以上。──詩織を苦しめるな。

「……そうかもしれない」

顔を伏せているため、朱莉の表情は見えないが、とてもか細い声で言った。

「でも、それでも、わたしは詩織に憧れてる。だから、詩織がわたしを利用するように、わたしも詩織を利用する。そして、詩織の中に一生消えないものを残す。

それが、わたしの存在証明になるなら──それでも良い」

「──ッ!」

オレは「朱莉が絶望して終わる」ことを望んでいた。だが、朱莉は「利用し返す」と言った。前髪から覗く瞳は、暗くも確かな光を放っている。

朱莉は、こんな人だっただろうか。弱くて、生きづらくて、詩織に縋りつくことしか出来ない人間だと思っていた。だがどうだ。オレの知らない内に朱莉は変わっていた。死を覚悟した人間は、ここまで強くなれるのか。

この瞬間、オレは朱莉を思っていた以上に危険な存在だと認識した。もはや、詩織と朱莉は引き離せないし、朱莉は勝手に神薙家の名を味方に、社会を変えようと動くだろう。となれば、オレは詩織の、神薙家の名を落とさぬように、朱莉を監視する必要がある。

きっと、朱莉は詩織を変える。ならばオレは、その詩織の心の変わる方向を、オレに都合が良いようにコントロールしてやる。

「そう。勝手にしたら。……企画書、書いてきたんでしょ。見せて」

オレが手を差し出すと、素直に朱莉はプリントされた企画書をオレに渡した。

「じゃあオレ、これ読んでおくから、君は少し寝な。倒れても知らないよ」

「そうだね。……部屋まで送ってくれたりしないの?」

「は? するわけないじゃん。オレは詩織の執事──護衛も兼ねているから、いつも一緒にいないとね」

突き放すように言うと、朱莉は乾いた笑みを浮かべて、自分に与えられた部屋に帰っていった。その後ろ姿に言い表しようがない憎悪を感じながらも、朱莉の存在をどう利用しようか考え始めた。


朱莉から渡された分厚い企画書を手にしながら、オレは深く息を吐く。

「はぁ……めんどくさ」

表紙には、簡潔なタイトルが印刷されている。

「ALSヴィレッジ構想企画書」

表紙をめくると、最初のページには朱莉の決意が力強く書かれていた。

──「ALSだから諦める」をゼロにする。

オレは無意識に鼻で笑ってしまう。オレと同じ、親にも愛されなかった朱莉が、本気で世界を変えるつもりなのか。叶うはずのない理想を掲げて、それでも前に進もうとしている。

ページをめくると、ALSヴィレッジの概要が書かれていた。

ALSヴィレッジの目的は、ALS患者が住み、働き、支援を受けながら社会とつながり続けられる統合型支援施設を作ること。

「ふーん。なるほどね」

オレはベッドに腰掛け、詩織の静かな寝息をBGMにして、続きを読む。

ALSヴィレッジの核となる機能:①24時間医療・介護支援エリア、②在宅就労支援エリア、③家族支援・コミュニティエリア、三つとする。

オレは思わず苦笑した。

「君は全部詰め込むつもりなの……」

この三つの機能を統合して、ALS患者が〝生きやすい社会〟を作る、か。施設自体は作れるだろうが、そんなの簡単に〝生きやすい社会〟が実現できると訳が無いだろう。

社会はあらゆる因果が絡み合い、人を苦しめている。それを変えたいのであれば、政治家──否、国のトップにでもならない限りは無理だろう。

第一段階:モデル施設の設立(パイロット施設)では、最先端の医療・介護・就労支援を整備。ALS患者と家族の負担を軽減し、データを収集。その成果をもとに、世間・政府・企業へのアピールをする。

ページをめくるごとに、オレは無意識に朱莉の顔を思い浮かべた。

こいつは自分の時間が限られていることを、誰よりも理解していたらしい。

だからこそ、焦っているのだろう。これは常識的に考えて、一つの施設で完結すべきではない。だが。

「──ただの夢物語じゃない。現実にするつもり」

そんな朱莉の声が聞こえてきそうだった。そこまでの熱量で、書かれたものだった。

オレは、さらにページをめくる。

企業・自治体・国との連携(全国展開のための基盤構築)。

(A)企業との提携:ALS患者向け最新技術(視線入力、AI介護ロボット、電動車椅子)の開発支援を、ALS支援企業連盟を設立し、スポンサー企業を募る。

(B)自治体との連携:ALS患者が多い地域と協力し、施設の建設・運営を実施。自治体からの援助と、クラウドファンディングを継続させ、資金を調達する。

(C)政府への働きかけ:ALS患者を始めとした難病患者向けの福祉政策強化のため、厚生労働省と協議し、ALSを始めとする難病患者支援法案の提出を目指す。

「……詩織が気に入るわけだ」

オレは小さく呟いた。

本気で社会を変えようとするこの野心、詩織が朱莉に肩入れする理由がよく分かる。

詩織は「可能性があるもの」にしか手を貸さない。

つまり、これは詩織が朱莉を信じた結果である、「実現可能」な計画ということだ。

「………」

ALSヴィレッジの施設構成(各エリアの詳細)

1F:家族支援・コミュニティエリア・重度訪問介護事業所

2F:在宅就労支援・リモートワークセンター

3F~5F:ALS患者向け居住エリア(24時間医療ケア付き)

屋上:リラックス・リハビリスペース

「朱莉、もう完全に自分が死ぬ前提で考えてるし」

ALSヴィレッジの企画書は、感情的な言葉ではなく、冷徹なほど論理的で、現実的な視点で構成されていた。本来ならば、「自分がこの施設でこう生きたい」「こういう社会を作りたい」といった自分自身の未来像があってもいいはずなのに、朱莉の視点は徹頭徹尾、「ALS患者全体のための仕組みづくり」に向いていた。

つまり、この計画は 「朱莉が生きてこの施設で生活すること」よりも、「自分が死んだ後もALS患者が生きやすい社会を作ること」 に重点が置かれている。オレはそれを読み取ってしまい、思わずため息を付いた。

朱莉には「自分の未来を見据えすぎている」異様さがあった。少し前までは、現実から醜く逃げていたというのに。

それに、朱莉はこの企画書を「夜通しで」考えていた。

普通なら、病気の進行が怖くて泣いたり、絶望したりする時間があってもいいはずなのに、朱莉はそうしない。眠ることもせず、自分の身体が動かなくなる未来を前提に、施設の運営計画を立てている。

まるで、感情を排除した機械のように。

朱莉に、オレは違和感を抱いた。既に朱莉は自分の病気を完全に受容しているのか。ALSという難病を患ったのにも拘らず、受容が異様に速すぎる。

「……バカだなぁ」

オレは呟きながら、最後のページを開いた。

最終目標:「ALSヴィレッジ」を全国展開し、社会の仕組みを変える。

ALS患者が「住む・働く・支援を受ける」すべてを叶える。

重度訪問介護(24時間訪問介護)・就労支援を全国に普及させる。

ALS患者が社会とつながり続ける新しい仕組みを確立する。


オレは企画書を閉じ、窓の外を見た。

朝日は完全に昇り、そろそろ詩織を起こす時間になった。

……こんな時間まで、朱莉は必死にこの企画を書いていたのか。

詩織のためか? それとも、自分のためか?

どっちにせよ、こいつの意志は本物だ。だが、それでも。

「簡単に世界が変わると思うなよ、朱莉」

オレは、机の上に企画書を置いた。

詩織がどう動くのか、そして朱莉がどこまで行けるのか。

──このまま指を咥えて見守るつもりはない。

朱莉の理想を、オレの形で実現させる。

それは、詩織を守るためであり、詩織を壊さないためであり、詩織がオレだけのものになるためだ。

「さて。どう利用しよっか」

オレはニヤリと笑い、その笑みを消して、愛しきオレの教祖様を起こすために声を掛けた。

「詩織ぃ、起きて。もう朝だよ」


いつもより遅めに朱莉の部屋を訪れると、寝間着のまま車椅子に座っていた。

「あれ、どうしたの?」

「あー、ちょっと腕があんまり動かなくて……」

悲しそうな表情を浮かべたが、次の瞬間にはいつも通りの笑顔を浮かべて、口を開いた。

……空元気、だろうか。

「まあ、今日は外に行かないからいっか! で、葉月君、企画書どうだった?」

ALSは進行が速い。一週間前までは出来ていたことがもう、出来なくなる。

「まあまあじゃない? これだけじゃ社会は変わらないとは思うけど。取り敢えずオレの方から、建築会社を選びと、契約、工事会社を探して、最短時間で施工してもらえるように、話を付けてあげる」

「え? なんか葉月君にしては優しい。なにか裏でもあるの?」

ほんのひと昔前は、朱莉は能天気で人の機微に鈍感だったはずだが。もう、目の前の女は明らかに、昔の無垢な少女では無かった。

「まーね。君がオレや詩織を利用するように、オレも君を利用しようかなーって。あ、でもそんなに身構えなくても良いよ。君が君の思うままに生き、死ぬことが、巡り巡ってオレのためにもなるから」

朱莉は怪訝そうな顔をして、オレの真意を見極めようとするが、オレがいつも通りの無表情を保っていたため、諦めて溜息を吐いた。

「……詩織を傷つけないなら、なんでも良いよ」

「オレが詩織を傷つける訳ないじゃん」

心臓が高鳴ったが、一瞬で押さえつける。

「で、神薙財閥としては、まず土地だけど、真雅大学病院の隣で良いよね。そこ、まだなにも建設予定無いから、言えば使えると思う。真雅大学病院の医者が病院と隣だと行き来しやすいからピッタリだし。

人材としては、真雅大学からも看護師や薬剤師、作業療法士と理学療法士を募ろうか。それだと新卒が多くなりそうだけど、病院と連携して教育すれば良いしね」

「なるほど……人材か。今は何処の病院も人手不足らしいし、考えないと」

「まあ、神薙財閥が援助している上に、今話題のALS施設となると、興味は引きやすいだろうけど。「高収入と風通しの良い雰囲気、残業少なめに綺麗な施設、高水準な教育」を徹底させないと、続かないだろうね」

世の中には就職先が見つからなくて大変な思いをしている人間もいるのに、人手不足が埋まらない。なんとも、やりにくい世の中だろう。

「あと、ALS患者向け最新技術の開発支援、ALS支援企業連盟を設立は全面的に神薙財閥が請け負うよ。ついでに在宅就労支援として、IT技術講師の派遣と、ALS患者の就職枠を作るよう、オレから伝えるね。リモートワークセンターの設備設置もこっちでやれるか」

「わたしも頼もうと思っていた部分だし、ありがたいけど……。葉月君が勝手に決めちゃって大丈夫なの?」

「もちろん。詩織はオレを信じているからね」

詩織が信じているのは、オレだけじゃなくて朱莉もだが。都合の悪いことは言わない主義なもので、言わないでいると朱莉が不機嫌そうな顔をする。

利用すると、合理性を優先させると決めたとはいえ、やっぱり詩織に認めて欲しいのだろう。執着は、消えていない。

「えーと、後は……」

自分なりにALSの現在の課題について調べたところ、経済問題や介護負担、治療法の未発見などは勿論そうだが、それらを優先して大きな課題が一つあった。

だが、どうせ今後朱莉も気が付くだろうし、オレがわざわざ言う必要は無いかなと思う。

「これからは、また動画配信とかするの?」

「もちろんだよ。わたしの日常とか、もっと病態が悪くなっても学園に通えるよーってことをアピールしたいし、あと、施設が出来たら、その紹介と施設の有用性を世間に伝えるつもり」

「そっか」

キラキラと目を輝かせながらこれからを語る朱莉に、嫌悪感を抱きつつも、朱莉の部屋から退出しようとする。

「あ、これから他の人間が朝食持ってくるから。なにか他に不自由があったら、その人に言ってね」

朱莉の返事を聞かず、部屋から出た。これから、やることがどんどん増える。

めんどくさいなとは思いつつも、オレは今後を考え、行動に移すことにした。


詩織に朱莉の考えた〝ALSヴィレッジ〟の概要や、それにあたって神薙財閥が援助をする内容を簡単に伝えると、「お前が良いと言うのなら、良いのだろう。それで進めてくれ」と上っ面の話しか聞いていないのにも関わらず、承諾を出した。

最近動画の撮影や、動画をアップしたことによる対応に追われ、だが勉強時間を一切変えずにいたのだ。流石に疲労が溜まっているのだろう。目の下には朱莉と同じような隈が出来ていた。

「詩織、最近忙しいんだよね?」

「ああ。最近衆議院解散の噂があるだろ? 政治資金パーティーに数個誘われててな。時期はもう少し先だが、親は年単位の旅行中だし、私が出ないといけない。政治家の方々の情報を集める時間が欲しいのだが」

現在、詩織の親は詩織に神薙家の総取を任せ、世界を知るための旅に出ている。まだ高校生の娘に家督を任せるのは常識知らずだと罵る人間もいるだろうが、詩織は既に親と同等の運営能力を身に付けていた。また、高校を神薙財閥が所有するところにすることで、授業を受けずに財閥の仕事が出来ると踏んで、詩織は両親を送り出していたのだ。

詩織の親もまた、神薙家のために生まれ、育てられた人間。ずっと家のために生きていた両親に束の間かもしれないが、人生を楽しんでもらいたくて、もう高齢の両親の背中を押した。親には、頼れない。

「なら、ALSヴィレッジの件はオレがやっても良い?」

「良いが、大丈夫か? いや、お前の能力を疑っている訳では更々ないが、お前は朱莉と仲が悪かったろ」

「仕事にまで私情を持ち込まないって」

「そうか。なら頼む。一々私に許可は要らないからな。好きにやれ」

「うん、ありがと」

と、詩織から全幅の信頼と共に送り出してもらい、最速で行われたALSヴィレッジの建設に、人員集め、組織作りは。

たったの二か月で完成し、その一か月後、試運転を始めたのだった。

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