コーヒーハウス・ルール

滝久 礼都

第1話 『カフェ・ド・ドラゴン』

 若者の集まる賑やかな街の小さな小路こうじに、そのカフェはあった。

 入り口正面はただの白い壁で、こそにカフェの名前だけが小さな看板でかかげげられている。


『カフェ・ド・ドラゴン』

 営業時間 am.10:00~pm.11:45


 その看板を見ながら進むと、右に直角に折れる階段が存在する。

 階段は狭く、深く沈んで行く。

 その先に大きな木の扉があった。



 浅海せんかいみさき高校2年生は、この店のアルバイトだ。

 父の弟にあたる、つまりは叔父がこの店のマスターで、夕方5時から夜9時までの4時間が、いつもの彼女のシフトだ。


「お疲れ様です」

 挨拶をしながら、奥の狭いバックルームで着替える。着替えると言ってもバックパックを置いて、上着を脱ぎ黒いエプロンをかけるだけなのだが。


「お疲れ! みさきちゃん」

 みさきがやって来て、やっと昼シフトのタカさんが休憩、と言うわけだ。

タカさんは大学4年生だが、もう必要な単位は取得済みで、あとは卒論を完成させればオーケーなのだそうだ。卒業後は父親の会社に入ることが決まっているらしい。そんなわけで、卒業旅行に必要な資金を貯めるためにバイトをしている。


「タカさん、マスターは?」

「ちょっと用事で出てる。悪い、ワンオペで。俺、奥で飯食ってくるから、よろしくね! なんか困ったら呼んで」

 そう言うとタカさんは、そそくさとバックに引っ込んでいった。


 ワンオペとは言っても、ここはカウンター席10席しかない狭いカフェなのだ。

ドアを開けて手前から奥まで長いカルンターがあり、足の長い椅子が向こうまで並んでいる。カウンターを挟んで客席とカウンターの中がほぼ同じ広さという細長いスペースだ。

こうゆうのを『うなぎの寝所』って言うんだろうか? 前にマスターが言っていた。


 その時はうなぎのベッドって、狭くて長いのだろうな、という感想しか浮かばなかったのだが、今はそれを実感している。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの中に入ってすぐ、一番奥の席にいる常連さんに挨拶する。

「……どうも」

 返事は短い。

 いつもこの時間に来るサングラスを掛けた若い常連さん。どんなに暗い日でもサングラスを掛けている。やや乱れた長めの髪がサングラスに掛かる様は、なかなかにイケメンである。それに決まったようにいつも黒いシャツを着ている。その上に羽織るものは季節で変わるのだが、『黒いシャツ』と言うところだけは変わらない。

みさきはひそかにこの男を “黒シャツ” と命名した。


 黒シャツは、静かにタブレットで何かを読んでいることが多い。静かに画面に表示された文字列を追っている。カウンターの中のみさきには、黒シャツが追っている文字列が、彼のサングラスに反射して見えているが、何を読んでいるかは謎だ。

 彼はいつもグランデサイズの大きなカップでアメリカーノを飲んでいる。


 2席空いて真ん中に近い席には、カップルが座っている。

 自分たちの話に夢中だ。この街には私立の某有名大学や女子大が存在するので、大学生が多い。この客もそんな学生客なのだろう。


 今いるお客さんはこれだけ、と思ったらガヤガヤと階段を降りてくる声が聞こえた。


 ドアがキィーッと開いてまた大学生くらいの若い男女三人組が入って来た。

「いらっしゃいませ」

 入って来た三人は周りをキョロキョロしながら、カップルの隣を一席を空けて座った。

 座ったところで、コップに注いだ冷水とメニューを出す。


 男、女、男と真ん中に女の子を挟んで両側に男が座っている。大学のサークルか、同級生といったところか……


 メニューを見ていた女の子が真っ先にオーダーを決めた。

「私、カフェラテ」

「じゃ、俺カプチーノ、ダブルショットで」

「俺は……アイス・オ・レで」

「かしこまりました。カフェラテはホットでよろしいですか?」

「ホットで」

「カフェラテをホットでおひとつ、ダブルショットのカプチーノがおひとつ、アイス・オ・レおひとつですね」


 みさきは端末にオーダーを打ち込むと『送信』をペンでタッチした。


 オーダーの品を次々と準備して、イタリア製のエスプレッソマシンにセットしていく。

 長いグラスに製氷器から氷をすくい、ザカリと入れる。

 ショットグラスに出来上がって来たエスプレッソのグラスの目盛りを確認して、さっとグラスとカップとに流し込む。

 ミルクを入れたピッチャーにフォームのノズルを差し込んで一気に泡立てていく。

 カプチーノにはフォームいっぱいのミルク、カフェ・ラテにはフォームなしのミルクを注いだ。


「お待たせしました。お先にカフェ・ラテとダブルショットのカプチーノです。お客様、当店のルールはご存知ですか?」


 いつものようにいつもの質問を投げかける。


「あ、ホントに言うんだ?」

 カプチーノを前に男子学生が聞いた。

「はい、ルールですから。お願いします」

 飲み物を前に、二人の男女が顔を見合わせた。


「じゃ、せーの……ドラゴン!」

 二人が息を合わせてコールした。


「はい、ありがとうございます」

 残ったもう一つのオーダーに、冷たいミルクを注ぎながら、返事する。


「お待たせしました。それではこちらもお願いいたします」

 そう言いながら、もう一人の前にアイス・オ・レを置いた。


 皆の注目が集まる。

「……ドラゴン……」


 小さな声が響くと、三人は顔を見合わせて笑い出した。


「やっぱり本当だったんだねえ! ドラゴンって!」


 そう、このコーヒーハウスにはたったひとつのルールがある。

 それは飲み物を注文したら、飲む前に必ず『ドラゴン!』と言わなければならないのだ。

 バイトのみさきには、最初何とも不思議なルールだったのだが、毎日聴いているうちにそれが当たり前になった。

 今では自宅でコーヒーを飲む時にまで『ドラゴン』とつぶやいている。


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