病院夜勤
私は事務所横のゲストルームに待機していた碇さんとともに、病院へ向かった。一般の病院ではなく警察病院だ。
警察病院は公共施設のため、公的裏組織である幽霊館とのパイプが強い。成仏課が望む配慮を叶えてくれる。幽霊館職員の私は裏口からいつでも病院に出入りできた。
「碇さん、今日から私も担当になりますので、よろしくお願いします!」
私は明るく挨拶しながら碇さんと並んで病院の薄暗い廊下を歩く。碇さんが左胸から腕の先をぶちりと千切られたような体でぺこりと頭を下げる。
「お世話になります。お手数をおかけして申し訳ありません」
「そんな!何でもおっしゃってくださいね!」
碇さんは覇気がなく声も小さい。雲雀さんの軍人体型を見慣れた私にとって、碇さんは爪楊枝くらいの印象を受ける。気の弱そうな碇さんの中に、社長を殺したいほどの激しい未練の業火が燃えている。秘めた恨みなど見た目ではわからない。
碇さんを伴って、病棟の端、離れ小島の病室の扉をノックした。中から白雪さんが現れる。
「白雪さん、お疲れ様です。交代します」
「お疲れ様、野々香ちゃん」
夜に見る白雪さんは存在が輝いている。白雪さんは扉を閉めて、廊下の端に私を誘導して耳打ちした。
「莉乃さんの命に別条はないわ。でもやっぱり心配なのはメンタルで。食事が取れなくて、ひどい倦怠感が続いてる。今日話してくれたのは、死にたいってたった一言だけよ」
「それは……苦しいですね……」
白雪さんの報告を受けて胃が縮まる。打ちのめされた莉乃さんにかける言葉が見当たらない。白雪さんは私の心情を察して、肩にぽんと手を置いてくれた。
白雪さんが帰宅し、私は息を整えてから碇さんと共に莉乃さんの病室に入った。
広い個室には、私たち幽霊館職員が待機する用のソファと、莉乃さんが眠るシングルベッドがぽつんと一つ。ベッドの上に座った莉乃さんは、朧な瞳で窓の外を見ていた。窓の外には格子がある。飛び降りさせないためだ。
彼女の頬はこけ、唇は血の気を失っている。長い黒髪は艶を失い乱れ、指でかき上げる気力すらないのか、無造作に頬へと落ちていた。私は頭を下げた。
「莉乃さん、今晩お側にいさせてもらいます。依月野々香です。よろしくお願いします」
莉乃さんは一度だけ私に視線を向け、布団に潜り込んでしまった。話をできる状態ではなさそうだ。
碇さんがそっと彼女に寄り添って、同じようにベッドに寝転んだ。触れられない莉乃さんに右手を伸ばして何度も撫でる。
私は碇さんを視界に入れながらソファに座った。受付課が作った資料によると二人は目黒区育ちの幼馴染だそうだ。
「莉乃ごめん、ごめんね」
碇さんは仕事用のツナギの下に「MEGURO」とデザインされたTシャツを着ていて、莉乃さんが今着ているトレーナーも同じデザインだった。目黒デザインでペアルック。よくわからない趣味だが、二人は目黒推しらしい。
同じものを身に着ける様に、仲睦まじかったことが透けて見えた。
「莉乃……ごめん、ごめんね。ずっと一緒にって約束したのに、アイツのせいで……」
碇さんの気持ちもわかると思って最初は聞いていた。だが、碇さんは無数のごめんねとアイツのせいで、を莉乃さんに浴びせかけ、夜が更けていくとともに様相が変容していった。
「莉乃?ずっと一緒にいるって言ったからさ、幽霊になって一緒にいるのも良いよね」
私は耳を疑った。
「莉乃が自殺してまで僕を追ってくれてさ……嬉しかった」
碇さんは私が聞いていることを意に介さないのか、莉乃さんを優しく撫でながら甘くて冷たい声を紡ぎ続けた。
「莉乃も僕がいないと、死ぬほど苦しいんだよね。僕も身体が引きちぎられた感覚が続いてるみたいに苦しいよ。莉乃は僕と一緒なら苦しくなくなるよね。もっとずっと一緒にいたら莉乃、笑えるよね」
碇さんの「一緒に」と囁く声は一晩中続き、私は耳を塞いでしまいたかった。碇さんの発言は狂気に聞こえる。けれど、彼が本気で莉乃さんを「救おうとしている」からこそ怖い。彼にとっては、これが愛なのだ。
私は冷えていく指先をあたためる方法が見当たらず、雲雀さんにスマホでメッセージを打った。
碇さんがこの世で果たしたい最後の願いは「莉乃さんを殺して、一緒に連れて行きたい」かもしれないと。
窓の格子の向こうから朝陽が差して、指先の緊張と冷たさがやっと溶けていくようだった。朝になり看護師が莉乃さんに食事をとらせようとしたが、莉乃さんは一口食べて吐き出してしまった。碇さんが莉乃さんの隣に座り、彼女を優しく撫でる。
「莉乃しんどいね。かわいそう、もうかわいそうだよ。苦しませて、ごめんね」
碇さんの謝罪は自分が死んだことではなく、いっそ早く殺してあげられなくてごめんねと聞こえてきた。息をするのすら肺が重く感じた。昼前には警察から応援が来てくれて莉乃さんの見守りを交代することができた。
「莉乃、側にいられなくてごめんね。また来るから」
碇さんはベッドで青白い顔をして眠る莉乃さんの唇にキスを贈って、私と共に幽霊館に戻った。私は体力には絶対の自信がある。二晩寝なくても動ける。でも今はもう移動中に口もきけないくらい疲労困憊だった。
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