贈り物
私は広い屋敷の中を歩き回り、やっと端の部屋にたどり着いた。もう夜なので灯りがあってもどこか薄暗い。この視界の悪い家で雲雀さんが迷わないなんて嘘みたいだ。私は襖の向こう側へ声をかけた。
「雲雀さんのお部屋、ここですか?」
「入れ」
「失礼します」
私がお辞儀をしながら襖を開ける。八畳の畳部屋の奥の窓が全部開かれ縁側が解放されていた。縁側から通った秋の夜風が私の頬を撫でる。私は部屋の襖を丁寧に閉め、畳に片膝を立てて座る雲雀さんの前に正座した。
「これ、巴さんから預かって来ました。雲雀さんにお手紙です」
「手紙?」
手紙と呼ぶには頼りないメモ用紙だ。メモを受け取った雲雀さんさんはその紙を開いて目を通す。
「あのババア」
雲雀さんはものすごい速さで立ち上がって、襖に手をかけた。雲雀さんが襖を横に引いたが、襖は動く気配がない。雲雀さんはメモを握りつぶして、過去最大に大きな音で舌打ちした。家が揺れそうな舌打ちだった。
「ど、どうしたんですか?」
「ハメられた」
握りつぶされたメモを投げつけられた。雲雀さんは縁側に向かい、縁側の端で手を出して立ち止まる。なんとか開いたメモにはこう書いてある。
『バアは坊ちゃんと、野々香ちゃんの未来を夢見ておるゆえ!今宵の野々香ちゃんを贈る!』
「どういう意味ですか?」
「襖が開かねぇ。縁側も出られねぇ。閉じ込められたんだよ」
「え?!どうしてそんなこと?!」
「そこに書いてあるだろ」
私は二十秒ほどたっぷり考えた。そしてやっと巴さんと交わした「坊ちゃんとの婚約をもう一度考える」という約束へたどり着いた。これが考える時間か。
「もしかして巴さん、ここに私たちを閉じ込めるために、連れてきたんですか?!」
「あのババア、目的のために見境ねぇからな」
「ハァーすごい、本当にすごい」
「お前すんなり騙され過ぎだろ」
私は畳の上にぺたんと座って天井を仰いだ。巴さんは見事な策士だ。けれど、あの布団の中で話してくれたことに嘘はないと、私は信じる。直感だけど。
今宵の野々香と書いていたので、きっと朝までここに居なければいけないのだろう。縁側に立った雲雀さんは庭へ下りるのを拒む透明の壁に触れて、眉間の皺を深くした。
「雲雀さんなら、出られるんじゃないですか?一人だけでも」
「ここはババアのテリトリーなんだよ。全部ぶっ潰せば出られるが、ババアも吹っ飛ぶ」
「そ、それはやめてください」
「ハァ……」
そんな大げさなため息は初めて聞いた。さすがに育ての親を潰す気はないようで安心した。私がまんまと罠にハマって、雲雀さんは巻き添えだ。
静寂が満ちる部屋で時計のカチカチという音だけが延々と刻まれていく。飾り気も何もない畳部屋。することも何もない。スマホは圏外。本当に考えさせられる時間だ。
暇を持て余した私はじっと壁に凭れて不機嫌そうにしている雲雀さんに提案した。
「寝ます?」
「お前正気か、寝れるかよ」
「私は眠れそうですけど」
「あぁ?」
「サーセン」
雲雀さんは絶対眠れないらしい。私は今日は色んな事があったのでもう眠れそうなのに、上司が眠るのすら許さない。役所OL過酷。
さすがに疲れたので、寝転んで縁側をごろごろし始めた。雲雀さんも寝転ぶくらい文句は言わない。
「雲雀さん、暇なんでお喋りしていいですか」
「何だよ」
相手してくれるらしい。私はふっと笑ってから縁側に寝転んで綺麗に見える丸い月を眺めた。視線で殺されそうな上司の顔より淡い月を見ていよう。
「どうして一人で憑依しちゃダメなんですか?」
巴さんが私はひとりで憑依ができると言った。けれど、雲雀さんは止める。雲雀さんがどう考えているのか知りたかった。雲雀さんの重苦しい口が開く。
「俺が仲介すれば、幽霊とお前の器の波長を調整できる。器の中でお前と霊を共存しやすくするってことだ。お前ひとりでやると、異なる周波数のエネルギーを受け入れきれずに、器が損傷を受ける」
「う……説明が難しかったです」
半分もわからなかった。その周波数を合わせるという難しそうなことを、昔の私はやっていたわけか。神童、大人になればただの人だ。
「危ねぇから、ひとりでやるなってことだ」
「……ウッス、雲雀さん」
私は縁側から月を見上げながら、雲雀さんが意外と保護的な方針を取る事に驚いている。封鎖村から去った私を探さなかったこともそう。
獅子を谷底へ落としそうな顔のくせに、私を大事にしようという意図が頭の鈍い私にでも伝わってしまう。どうにもくすぐったい。
それって私が婚約者だったから、とか関係あるのだろうか。
いや、ないか。ついこういう思考に走るのが巴さんの思うつぼだ。
「でも私もできること増やしたいんで、いろいろ教えてくださいね」
「……気が向いたらな」
「えーおかしい!上司は部下の向上心を無下にしないはずなのに!」
「うるせぇ」
雲雀さんがいつものうるせぇを返してきたので、この空間の異常さが少し緩和された気がする。私はひょいと起き上がって座り込み、縁側を照らす月を見上げた。私は反対側の壁にもたれる雲雀さんにちょいちょいと手招きする。
「雲雀さんちょっとこっち来てください。見せたいものがあるんです」
雲雀さんは少し考えてから、眉間に皺を寄せてゆっくり立ち上がった。雲雀さんは私の隣に移動して座り、あぐらをかいた。
「なんだよ」
「ほらここ!見てください!」
私は縁側から夜空に浮かぶ月に向かって指を指して笑った。いつもしかめっ面の雲雀さんはもっと心が緩む綺麗なものをたくさん見た方が良い。そういう親切心だった。
「月が綺麗ですね!」
雲雀さんは頬の筋肉を痙攣させ始めた。え、コワ。
「あぁ?お前、ふざけんなよ」
「え?」
「どの口でそういうこと言いやがる」
雲雀さんがチッと舌打ちする。今なぜ舌打ち。月が綺麗の言葉が地雷だったのか。これは予想外。この上司、どうしようもなく付き合いにくい。雲雀さんが私を鋭く睨む。
「お前、ババアから俺とどういう関係だったか聞いたんじゃねぇのか」
聞いた。そこを巴さんに利用されて実現したのがこの監禁部屋である。その関係について考える時間を与えられている今、雲雀さんはそこを掘り返すのか。
「月とその話と、今どう関係があるんですか?!」
「聞いたのか、聞いてねぇのか返事しろ」
「こ、婚約者って聞きましたけど、そんなの覚えてなくて、実感がないですよ」
雲雀さんの頬の痙攣は止まり、ぎゅっと眉間に痛そうな皺が寄った。勢いの良かった口がパッと止まり、一瞬の静寂が流れる。一息の空白があったことで、雲雀さんの低い声が余計に私の鼓膜を震わせた。
「覚えてねぇのは、最初から無かったことになるのかよ」
あまりに低い声がお腹の奥を突くようだった。縁側を照らす明るい月が雲雀さんの不機嫌そうな眉間に深い影を落とす。その声は怒りより、哀しみとして伝わった。
「いや、それは……違うんですけど」
私は額にかかる短い前髪に指で触れて、刺さる視線を見つめ返した。
「雲雀さんと婚約者だったとか意識したら、どうしていいか……わからなくて」
思ったよりか細い、弱い女の子みたいな声が出てしまって恥ずかしくなってしまう。頬と耳輪に熱が集まる。厳しい雲雀さんの視線が少し和らいで、淡い熱を帯びた気がした。
「ズルい顔だな……」
雲雀さんが畳に手をついて、ぐいと私に顔を寄せる。月の青白い光の中で雲雀さんの整った顔が際立ち、低い声が私の鼓膜の奥を痺れさせた。
「ずっと前から、月は綺麗だろ」
顔を傾けると鼻先がぶつかってしまいそうな距離でまた月の話。脈絡が見えない。だが雲雀さんの顔の造形が綺麗であることは理解させられた。私は騒がしくなる胸の中をかき消すように、口をペラペラ動かす。
「つ、月?そうですね。月は綺麗で、星も綺麗だと思いますけど!」
「星も綺麗、か。悪くねぇ返事だな」
今度は雲雀さんの口端が軽く持ちあがった。どういう情緒なのかまるで理解できない。どこがご機嫌スイッチなのか。
「今、天体の話してましたっけ?」
「体力バカはほどほどにしろ」
「ただの暴言に成り下がったんですけど!イダァ!」
雲雀さんは私の額にバチンとデコピンをぶつけてから、畳にごろんと横になってしまった。お前は絶対寝るなと命令を受け、もうそこから何度話しかけても無視。私はため息のまま長い夜を貫徹した。
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