第34話 ブラックスーツ

 逸る気持ちを抑えて、屋内を観察した。

 ビスクドールだ。傀儡師はビスクドールに尋常でないこだわりを持っている。妻子への恨みどころではない。阿比留はビスクドールを作る制作者として利用されていただけだ。五百城花紗音は、阿比留は人形作りに異常な執着を示していたと言っていた。その頃から取り憑かれていたのか? 安都真は家の中に潜んでいると言ったが、荒れ果てた庭や家屋、玄関に一足の靴もなかったことから、阿比留以外に人が住んでいるとは考えづらい。やはり人形だ。傀儡師はすでに念だけの存在としてこの世にしがみついており、ビスクドールに取り憑いている可能性が高い。そう思い至ったとき、伊月は絶望に襲われた。

 夥しい数のビスクドール。物を映さぬガラス細工の瞳が伊月を射抜く。


「こんな中から、どうやって呪主を見つけりゃいいんだっ」

「落ち着きなさいっ。わたしたちがパニックに陥ったら絶対にダメッ」

「そんなこと言ってもよぉっ」


 玲佳は両手で伊月の胸ぐらを掴んで黙らせた。


「喚き散らすだけなら、この家から出てって。わたしは安都真の足手まといになりたくない」


 玲佳の冷淡な一言は、伊月の心臓を抉った。安都真も玲佳も、本来ならこの場所に来なくてもよかった。来る必要があったのは自分だけだ。その自分が、見苦しく慌てふためいている。


「…悪かった。もう喚かない。傀儡師を探そう」


 伊月の顔付きが変わった。玲佳は掴んでいた手を離して、玲佳の目を覗き込んだ。


「ただ闇雲に探しても見つけられない。理をみつけるの。傀儡師はなにが目的なのか。なんでこんなにも世の中を怨んでいるのか。それを紐解かなければ、どれだけ探してもたどり着けない」

「わかった。一緒に考えよう」


 少しでも油断すると溺れそうな怨念の濁流をくぐり抜け、二人は探索を始めた。


「玲佳はビスクドールに詳しいか?」

「全然。この無表情が嫌いで、興味を持ったこともない」

「……そうか。片っ端から壊していくってのはどうだ?」

「これだけの数を? そんな余裕ない。さすがの安都真でも持ちこたえられないよ」

「そうだよな……。探すしかない。きっとなにか特徴がある。呪主ならではのなにかが」


 目を皿のようにして視線を巡らせる。神経を集中させて念の源流も探るが、屋内に充満した怨念が渦巻いて上手くたどれない。濁った沼の水源を探すようなものだ。


「二階もあるよ。二手に分かれる?」

「いや、この状況で戦力を分散させるのはまずい。一緒に行こう」


 二人は重なるように階段を上がった。段板の両側にもビスクドールが座らされており、まるで二人の進行を阻んでいるように見える。不気味ではあるが、こいつこそが傀儡師だと確信に至るまで強く感情を揺さぶられるビスクドールはなかった。

 急がなくてはならないのに、具な点までおろそかにできない。もどかしさで頭が焦げつきそうだ。


「……男の子のビスクドールもあるんだね」


 玲佳の呟き。何気ない一言。遊びに来た友人が「おまえもこのゲーム持ってたんだ?」といった具合の、些細な気づきを口にしただけの独り言だった。それだけなのに、伊月の心臓が大きく跳ねた。脳髄を突き刺す鋭さがあった。


「ビスクドールってのは女の子だけじゃないのか?」

「ほとんどは女の子だと思うけど、現にあるんだから……」


 玲佳が一体を指さす。たしかに髪の毛が他の人形より短く、衣装もブラックスーツだった。改めて周囲を見渡すと、圧倒的に女の子の数が多いが、あちこちに男の子の人形も散見される。


「………………」


 伊月は神経を集中させて思考に潜り込んだ。俺は今、見逃してはならないなにかを網膜に映している。直感がそう告げている。これは示唆だ。理に繋がるものだ。絶対に判明させなければならない。

 阿比留はなぜ別れた娘にビスクドールを送った? 目的は妻子への復讐じゃなく呪いを拡散させることじゃないのか。操り人形に堕ちたとはいえ、自分の娘にそんな恐ろしいものを送りつけるなんて……?

 伊月の頭の中で爆ぜるものがあった。

 まさか、もしかして……。阿比留は傀儡師に操り人形にされていた。そんな状態でも自分の意思が残っていたとしたら? 呪うためにではなくて、かつての家族に助けを求めるために送ったのだとしたら? あるいは傀儡師の目的を阻止するための行動だと考えたら?


「稀李弥?」


 立ち止まり沈思黙考に入った伊月を怪訝に思った玲佳は、不安げに声を掛けた。そんな心配を無視して、伊月は一体のビスクドールを鷲掴みにした。


「稀李弥っ!?」

「このビスクドール、衣装がおかしくないか?」

「おかしい? おかしいって?」

「なんだか、みんなめかし込んでるっているか…」

「ビスクドールの衣装なんて、そんなもんじゃない?」


 手にしたビスクドールは、美しい細工を凝らした衣装で着飾られている。たしかに違和感はないのだが、頭に浮かぶビスクドールとはなにかが違う気がしてならない。正解にたどり着けない苛立たしさで、ビスクドールを握り潰しそうだ。


「…いや、やっぱり違う。ここにあるビスクドールは、より洗練されているというか……」


 伊月は再び辺りを見渡した。今まで意識しなかったが、男の子のビスクドールもあると知ってから、あちこちに佇んでいるのが目に入る。デザインの差異はあるものの、男の子はいずれもブラックスーツを着込んでいる……。

 伊月の脳内に閃光が走った。


「っ! そうか…。そうかっ」

「稀李弥? どうしたっての?」

「正装だっ。ここにある人形はみんな正装しているんだっ。パーティーに招かれたゲストのようにっ」


 伊月は己の発見に興奮したが、玲佳はまだ全容が掴めない。彼との温度差に、不安と緊張が綯い交ぜになって落ち着かなくなった。

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