第22話 暦

「どうしてなのか、理由なんて無いんです。心の奥底では何かしらの理屈に沿って考えているのかもしれませんが、少なくとも上手くは説明できません」


 うつむきがちにバモが語る。


 俺は、自分のことを「バカみたいだな」と思いながらも、

「ゴメン、ちょっと話についていけてない。どういうこと?」

 と話に割り込む。


「シローくん、今ならまだ⋯。いや、無理か。君も頭が良さそうだからな。ここまで聞いてしまったら、あとは時間の問題だろうな」


 ジョーホーヤは俺を過大に評価してくれているようだが、わからない。


 今ならまだ引き返せるのか?


 このまま部屋を飛び出して、何も考えずに寝てしまえば良いのか?


 飲んだこともないアルコールに逃げて、記憶が飛んでしまうことに賭けたほうが良いのか?


 バモは何と言っていた?


 たしか、「還るべき、リアルな世界や身体がある」と言っていた。


 それがひっくり返るべき、間違った土台だということだ。


 ならば真実は⋯、

「俺たちには、還るべき世界や身体が、無い?」




「僕たちが植物人間になってしまったという事ですか?」


 バモが淡々とした口調で質問する。


 ジョーホーヤは、首を横に振って応える。


「そういう考え方もあるね。でも、そうではないんだよ。もっと自分の中の常識や倫理観などを取り払って考えるんだ」


 そう言われて、どこかで見聞きしたSFの設定を思い出す。


「俺たちの意識が、すでに肉体から離れてしまった?」


 そのSFには、「人間の魂をデータとして抽出することに成功した」という設定があった。


 現代科学の力でそれが可能だとは思えなかったが、常識を取り払えと言うのなら、そういう発想こそが「当たり」なのかもしれない。


 その場合、「自分の肉体に再び戻れるのか?」が気になるところだが。


 ジョーホーヤは、またしても首を横に振った。


「少しだけ正解に近付いたかもしれんが、まだまだだ。もっと根本的な部分で、君たちの思考は常識に囚われ過ぎている」


 正解に少し「近付いた」という表現は、嫌な予感を抱かせるものだった。


 ジョーホーヤの言うとおりならば、「自分が植物状態の寝たきりになってしまった」状態よりも、「自分の意識が肉体から離れてコンピュータに入り込んでしまった」状態のほうが、正解に近いらしい。


 つまりそれは、「当たり前の日常を生きていた自分」からの逸脱の仕方が「さらに突拍子もない、現実的ではない」状態が、正解という事にならないか?


「ちょっと待ってください!」


 バモが叫ぶ。


 なにか重要なポイントに気付いたようだ。


「そもそもなぜ、あなたは正解を知っているのですか?どうやって、それにたどり着いたんですか?」


 もっともな疑問だった。




「私のような仕事をしていると、この世界についての様々な情報に触れることになる。それは分かるね?」


 ジョーホーヤの声も仕草も、まるで出来の悪い学生を教え導く大学教授のような全能感にあふれていた。


 俺たちはうなずくしかない。


「私だって、初めはすぐにログアウト出来るだろうと思っていた。少なくとも、すぐに運営からのアナウンスはあるだろうと。

 おかしいだろう?どんな事情があるにしろ、現実世界から何のアプローチも無いなんて、ありえない事なんだ。よほどの事でもない限り、だ」


 そう、よほどの事が起こったのだろう。


「死に物狂いで情報を集める中で、不可解な事象に出くわしたのだ」


 数秒の空白、張り詰める空気。


「管理者コマンドというのは、分かるかね?」


 それなら、知っている。


「俺たちも使える一般のコマンドとは違って、GMや運営側の人間が使うために作られた専用コマンドですよね?」


「そのとおり、特別な立場の者だけが使える特別なコマンドだ。その機能も様々だが、プレーヤーに使わせてしまったら、ゲームバランスが崩壊しかねないようなコマンドも存在する」


 キャラクターを無敵状態にするコマンドや、対象のステータスをのぞき見るコマンドなど、まるで神の御業のようなコマンドが存在する、という話は聞いたことがあった。


 ゲームの管理やテストプレイには必要な機能なのだろう、ということも理解できる。


 が、ジョーホーヤはいったい何を言おうとしているのか?


「中には地味な効果のコマンドもあってね。なにせ開発段階やテストプレイで使われていたものだから。

 その中の1つに、『タイムコマンド』というモノが存在したんだ。どんな機能のコマンドなのか、推測できるかい?

 使用方法はね、コマンド入力画面に『/time』と入力するんだ」


 時間に関する何かをするコマンドなのだろうが、なんだろう?


 バモが先に思い付いた。


「現在時刻を表示するコマンドですか?」


 現在時刻なんて、コンソールウィンドウを開けばトップ画面で確認できるではないか?


 だが、バモの言うことで正解だったらしい。


「そのとおりだ。今でこそコンソール画面のトップに時刻表示がついているが、それはこのゲームが製品版だからなんだ。

 試作段階では、その時刻表示が無かったのだろう。だからタイムコマンドが必要だったんだろうね。

 本来なら、このゲームが正式サービスとしてローンチ(サービス開始すること)される時に、タイムコマンドは不必要なものとして消されるはずだった機能というわけだ」


 なるほど、試作段階ではタイムコマンドに存在理由があった事はわかった。


 だが、

「その事と、ログアウトできない事に何の関係があるんですか?」

 と尋ねずにはいられない。


「その存在を私に教えてくれたプレーヤーは、そのコマンドを偶然に発見したと言っていた。きっかけは誤入力だったそうだがね。

 開発時に作られたタイムコマンドは、テストプレーヤーたちにも使用が許可されていたのだろう。だから情報提供者の男が誤入力した際にも発動できた。そういう意味では、管理者コマンドではなくプロトタイプの一般コマンドと言ったほうが良いのかもしれない。

 だがね、情報を提供してくれたその男は、この機能が壊れていると言ったのだ。

 このコマンドの結果として表示される数字の意味を、考えることが出来なかったんだろうね⋯」


 ⋯沈黙。


 なにかとてつもなく、悪い予感がする。


 この先の話を聞いたら、おそらく元には戻れない。


 絶対に後悔する。


 そんな予感があった。


 だが、それと同じくらいに「知りたい、知らなければならない」という思いが心の底から湧き出てくる。




 ジョーホーヤはコンソールウィンドウを開くと、なにやら操作をしながら話し続ける。


「現在は修正されて、タイムコマンドは使えなくなっている。残念ではあるが、そのこと自体がタイムコマンドを見ることの危険性を示してくれている、と私は思う。

 いいかね?そのとき、⋯情報を得た当時の私がタイムコマンドを打ち込んでみたときに、表示されたメッセージがコレだ」


 ジョーホーヤの右手に、1枚の写真が実体化する。


 スクリーンショットで撮影された画像を、自分以外のプレーヤーに見せるための機能だ。


 そこに写されているのは、どこかの建物内部と思われる壁を背景としたコンソールウィンドウのメッセージ表示画面だった。


 写真に写ったメッセージウィンドウには、【現在の日時は、23XX-07-27 T11:15:50 です】と表示されている。(「西暦23XX年7月27日11時15分50秒」の国際標準表記)


 この表示はおかしい。


 俺たちが生きているこの時代は、西暦20XX年だ。


 この表示では、時間が300年以上も先に進んでしまっている。


「いや、でもコレ、おかしいですよ」


 と言いながらも、考える。


 悪い予感が膨らむ。


 自分のコンソールウィンドウを開き、トップ画面に表示されている【19:22:32】をクリック。


 表示されたのは【20XX-11-03 T19:22:33】、やはり今は20XX年だ。


「23XX年って、300年以上ズレてるじゃないですか」


 ジョーホーヤは、俺たちを見つめたまま応える。


「はじめは私もそう考えたよ。だがね、こう考えてみてはどうだろうか?」


 悪い予感が、さらに膨らむ。


 その先を言って欲しくなかった。


 だがジョーホーヤの口からは、淡々と言葉が紡がれる。


「表示が誤っているのはコンソールウィンドウのほうであって、正しい暦はタイムコマンドで表示された23XX年のほうだとしたら?」


「なんで⋯、そんな事を?」


「『表示が誤っている』というのは正しくないね。正確には『情報操作によって正しい暦を隠された』とでも言うべきだろう」


 ショックを受け止めきれず、目の前の景色が眩む。


 俺の頭脳はもはや、思考を放棄したくなっていた。

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