第5話

ヴィルヘルムが執務に当たっている間、アンジェは彼の部屋の掃除をすることが多い。


「ヴィル様が幸せになれますように……」


 願いをこめて丹念に……。

 わりと几帳面な彼なので、部屋の片付け自体は簡単にできる。そのおかげで、清掃に力をいれることができていた。


『雑巾がけなんかは無理にしなくて良いぞ。ゴシゴシやりすぎて、オモチャのお前の手が荒れたら大変だからな』


 そんなことを言われているので、ハタキでの簡単なホコリとりがアンジェのメインだったりもする。

 ふと、彼の機能的な机の上の一枚の絵に目が留まった。


「これは……何だろう? ドレスのデザイン画……?」


 よくよく見ると――

 

 結婚式なんかで見る花嫁姿の格好だ。


(どうして、ヴィル様の机の上に、結婚式の花嫁衣装のデザイン画なんかが……?)


 花のような愛らしいドレスが幾体も並んでいて、結婚に憧れる女性なら心ときめくものたちばかりだ。


 不思議に思いつつもデザイン画を眺めていたアンジェだったが、ドアがガチャリと音を立てたので、びくうっと普段の倍以上驚いてしまった。

 現れたのは、もちろん――部屋の主ヴィルヘルムだ。


「アンジェ、雑巾がけなんかはしてねえだろうな?」


「はい、もちろんです!」


「部下に指示出して戻ってきた。午後から客人への挨拶をしないといけなくなったから、アンジェも茶の準備を頼む」


「はい、わかりました!」


 ヴィルヘルムに頼まれ、アンジェは客室に向かって、せっせと紅茶入れの準備をした。

 ある程度仕上げたあたりで時間ができたため、ヴィルヘルムに問いかけてみることにした。


「そういえば、私もだいぶ成長しましたかね?」


「まあ成人したし、多少は……身体はお子様体型のままだけどな」


「えへへ、色々と大きく育てませんでした。こんなお子ちゃま体型ですが、ちゃんと奥さんになれるのかな……?」


 自身のぺったんこ体型を見ながらアンジェがしゅんとしていると、ヴィルヘルムがわりかし大きな声を出した。


「別に、そんなお前でも嫁にしたいって思ってる男は……いると……思うが……」


 後半は尻切れトンボになっていく。


「そう……でしょうか?」


「そりゃあ、そうだろうさ……」


 口ごもるヴィルヘルムの様子を見て、アンジェは思いきって質問してみることにした。


「そのお、ヴィル様はどうでしょうか? ヴィル様も、ちょっとだけお子様体型の女の子でも、奥さんにしたいなって思ったりしますか?」


 ヴィルヘルムが、アンジェのぺったんこな胸へ、ちらっと視線を向ける。


「質問の意図が分からねえが……別に惚れた女なら、体型なんてどっちでも良いんじゃねえか?」


「惚れた女……」


 大好きな彼に好かれたのなら、どれだけ幸せだろう。

 ウェディングドレスを身に着けて、ヴィルヘルムに教会でキスをされる自身の姿を想像したアンジェは、思わずウットリとしてしまう。


「……アンジェ、何考えてるんだよ?」


「ふえ? ええっと……その、ヴィル様との将来を……」


 アンジェは顔を俯けると、モジモジしながら答える。

 なんだか胸がむずがゆくて、ドキドキして落ち着かない。


「俺との将来?」


「はい、そうなのです!」


 なんだろう。

 最近なんだか良い調子な気がする。

 もしかしたら、ヴィルヘルムが自分にとって都合の良い返事をくれるかもしれない。

 そう考えたら、幸せな胸の高鳴りを感じるのだ。


「そんなの決まってるじゃねえか……だって、お前、ずっと、俺に仕えるつもりなんだろう?」


「ええっと……」


 だけど、ちょっとだけ返事は期待してるものと違っていた。


「もちろん、それはそうなのです……! だって、アンジェは――!」


 それ以上、何も言えなくなったアンジェに対して、ヴィルヘルムが怪訝な顔を浮かべていた。


「アンジェは……ヴィル様の……オモチャ……だから……」


 自分でそう言ったにもかかわらず、ちょっとだけ胸がズキンと痛んだ。


 そう、オモチャ。


 彼にとってのオモチャ。


 オモチャでしかないのだ。


「ああ、アンジェ……」


 ヴィルへムルの大きな手が伸びて来たかと思うと、アンジェの細いうなじを掴んできた。


「従順なオモチャがいてくれて……俺としても飽きねえな……」


「あ……」


 引き寄せられ、そのまま唇を奪われる――かと思ったが――。

 彼は彼女の首に噛みつくように近づいて、肌の柔らかな部分を吸い始めた。

 跡が残るほどに、強く強く、彼は彼女の肌に花びらを散らしはじめる。


 けれども――。


(やっぱりヴィル様は、私にキスはしてくれない……)


 なんだか、虚しさが胸の中に澱のように溜まっていく。


「あ……ヴィル様っ……ここは……客間でして……」


「客が来る前にって思ってな……ほら……」


「きゃんっ……!」


 言うが早いか、アンジェはソファの上に押し倒されてしまう。

 ヴィルヘルムの身体が華奢な身体の上に跨ってきたかと思えば、ドレスの裾へと掌を侵入させてくる。


「気持ち良くさせてやるから……」


(いつまで立っても、彼に気持ち良くされるのに慣れなくて恥ずかしい……だけれど……私はオモチャだから……)


 虚ろな心は奥に仕舞い込んで、今は彼の求めに応えなければ――。

 そんな風に思っていたら――。


「なあ、アンジェ」


 彼の手が私の頬をそっと撫でてきた。


「ずっと聞きたかったことがある……」


「え?」


 意外な問いかけに、アンジェは訝しげな表情を浮かべてしまう。


「お前が俺のことを好いてくれているのは……知っているつもりだ」


「あ……」


(ヴィル様は私に何を言いたいの……?)


 だから、俺はお前と結婚したいと思っている――。

 どうしようもなく期待で胸がトクントクンと高鳴っていく。

 そんな都合の良い言葉を期待した罰だろうか――。

 彼が放った言葉に私の心は凍り付いた。


「……もし……仮に俺が誰かを嫁に迎えるとして……お前はどうしたい?」


(あ……)


 彼の言い回し――。


 彼の未来の想像図の中に、アンジェが奥さんになっているものなんてないと――。


 現実を突きつけられてしまったようで――。


(ああ、やっぱり、アンジェは……ヴィル様にとってオモチャでしかなくて……)


 彼の妻。


 ――もしかして、先ほど見たご令嬢と関係することなのだろうか――?


 考えたくもないのに、嫌な想像だけがグルグルと胸の内を渦巻いて止まらなくなる。


 アンジェは、なんとか絞り出すようにして、言葉を紡いだ。


「ヴィル様に……もし奥様ができたとしても、できなかったとしても……アンジェはずっとずっと大好きなヴィル様のそばに……いたくて……」


 そう言いながらも、アンジェの心臓は壊れそうなほどズキンズキンと痛んだ。


「そうか、それなら良かった」


 普段は不機嫌そうなヴィルヘルムが、なぜだか柔和な笑みを浮かべた後――。



「――だったら、結婚を急いだほうが良いな」



 思いがけない言葉を彼の口から耳にしてしまい、アンジェは絶望の淵から叩きのめされてしまった。


「結婚を急ぐ……? ヴィル様の……結婚、ですか?」


「もちろんだ」


 喉がカラカラに渇いてくる。

 目の前のヴィルヘルムが嬉しそうだけれど、アンジェの方はどんどん気落ちしていった。

 彼女はきゅっとエプロンの裾を両手で握る。


「誰……とのでしょうか?」


「なんで俺が、そんなのいちいちお前相手に説明しなきゃいけねえんだよ……」


 遠回しに別れ話を告げられているはずなのに――。

 ――相手が誰かも教えてはくれないのだ。

 哀しさが増して、アンジェが戦慄く唇をきゅっと引き結んだ。


「その……ヴィル様……」


「なんだ?」


「これから、もっともっと素敵なお嫁さんを目指して頑張ろうと思うのですが……」


「お前は昔からそればっかだが――悪い目標じゃあねえと思ってるよ。せいぜい今までみたいに俺を使って、練習でもしてりゃあ良い」


 そんな彼に畳みかけるように彼女は質問をした。


「その!! ヴィル様は私のことはオモチャだと、やっぱり思っているのでしょうか?」


「そんなの、そりゃあ、そうに決まってるだろう……? お前がオモチャになるって同意したじゃねえかよ。結婚しようがどうしようが、お前が俺のオモチャのままなのには変わらねえよ」


 アンジェの心は破壊寸前なまでにボロボロに傷ついてしまっていた。


「どんな時でもずっと……?」


「ああ、そういう約束だっただろうが?」


「その……オモチャ以上の存在になることは、私にはないのでしょうか?」


 ――思い切って核心をついてみる。


 せめて――。


 身体を触れあわせる中で――。


 彼にとって……。


 どうか、オモチャ以上の何かに――。


 だけど、返ってきた言葉は無情だった。



「そんなの……オモチャ以上の存在に、お前がなるわけないだろう? そもそも俺にとってはオモチャは――」



 ズクンズクン。


 胸が抉られたかのように疼く。


 ――オモチャ以上の存在になれない……。


 唐突に朝のグラマラスな美女の顔が浮かんできた。


 じわりと涙が浮かんできた。


 ズクンズクンズクンズクン。


 いつもみたいに、アンジェは唇を尖らせ頬を膨らませて、なんとか耐えようとする。


「アンジェ、どうした……?」


 何も答えたくなくて、彼女は首をフルフルと横に振った。


(嘘を吐くのは苦手だし、したくないけれど……)


「その……ヴィル様がアンジェのことをオモチャとして大事にしてくださっていることは重々承知なのですが……」


 私は思い切り空気を吸い込んだ。



「アンジェ……好きな人ができたのです」



「好きな……人……?」


 目の前のヴィルヘルムの表情が一気に強ばっていく。


「お前は……俺以外の男とほとんど会わないようにしているはずだが……そんなお前に、好きな人だと……? そんなこと……あるはず」


 彼の黄金の瞳が忙しなく揺れたのは一瞬で、すぐに力強さを取り戻す。

 ――全てを見透かされそうだ。

 そう思ったのは一瞬で――。

 なんだか彼が泣きそうな子どもに見えて、私ははっとなる。


(いくらヴィル様の気を引きたいからって、やっぱり嘘はダメ! 離れるなら、正々堂々と今までのお礼や好意をヴィル様にちゃんと伝えてから……――)


「ヴィル様、今のは――!!」


 そう、私は思ったのだけれど――。


 タイミングが悪かったり、世の中には取り返しのつかないことだってあるのだと――後から知ることになる。



「……今のは冗――」



 その時――。



「――ヴィルヘルム様、客人でございます」



 ガチャリとドアが開く。


 ドアマンの後ろには、金髪碧眼の王子系イケメンの姿があった。


 この時のアンジェとヴィルヘルムは――このイケメンがまさか二人の平穏をぶち壊す使者だとは、知る由もなかったのだ。




***




 城にある客室の扉の前。

 さらさらした金の髪に、サファイアみたいに綺麗な青い瞳、細身の体型をした――美青年が扉の前に立っていた。

 ヴィルヘルムとアンジェは、慌ててソファの上で体勢を整えた。

 キラキラしい見た目の美青年を見て、彼女は思わず声を上げる。


「客人って、まさか……エドモンド王子!?」


 そう――この場に現れたのは第二王子兼王太子エドモンドだったのだ――!

 私の隣にいたヴィルヘルム様の顔が一瞬だけ強ばった後、あからさまに嫌な表情を浮かべた。


「……王太子のてめえが、わざわざ何しに来たんだよ……まさか、アンジェがさっき言ってたのは……」


 エドモンド王子はおどけた様子で首を傾げると、爽やかな笑みを浮かべながら告げる。


「ヴィルヘルム兄さんに会いたかったんだよ。どうしても僕のことを避けるもんだからさ……」


「……ッ」


 本来は、ヴィルヘルム様が第一王子であり、エドモンド王子が第二王子の立場だ。

 ヴィルヘルム様の有能さは国民全員が知るところにあるが、妾の子だということで王位継承からは外されてしまっている。

 そのため、エドモンドが王太子の座を得ているのだ。


「アンジェは……エドモンドとも一応昔からの顔見知りだったな……」


 ヴィルヘルムの問いにアンジェは答える。


「はい、一応、王城の侍女時代から存じ上げています」


 すいっと猫のように近づいてきたエドモンド王子が、私の肩に大きな手を載せ、顔を寄せてくる。そうして、私の耳元で囁いた。


「そうそう、可憐なアンジェ嬢と昔なじみなのは、僕も一緒でしょう?」

 

 すると――。


「アンジェから離れろ! そもそも何しに来たんだよ……!」


 ヴィルヘルム様が私からエドモンド王子を剥いだ。


「うわあ、ヴィルヘルム兄さんったら、そんなに怒らないでよ……仕方ないから、アンジェちゃんには近づかずに会話するからさ」


 そうして、気を取り直したエドモンド王子は、どこからか取り出した花を一輪口元に当てながら、ヴィルヘルム様に話しかけた。


「まあ、私情だよ。戦場を駆けるメイドちゃんに、もう一度会いたかったんだ」


 ――戦場を駆けるメイド。


「忘れたのかい? ヴィルヘルム兄さんが辺境伯になってすぐに隣国との抗争が起こった時のこと――」


「忘れるわけねえだろうが……アンジェの噂だろう?」


 当の本人であるアンジェは話についていけず、キョトンとしていた。


「アンジェちゃん、君の噂だよ。最前線に立って戦っているヴィルヘルムだったけれど、当時はまだ辺境の皆の関心を得られていなかった。その結果、ヴィルヘルムの実力を疑っていた奴らが『あいつの指揮には従わない』と言って、民と一緒に仲間割れしはじめた……あれ、覚えてなかった?」


「あ! それは……!」


 思いたる節があったため、アンジェは思わず声を上げてしまっていた。


「――そんな中、アンジェちゃんは砦の皆に『ヴィル様はすごいんです! 強くてカッコいいんです! 根拠なんて知りません! とにかく皆を守るために来てるんだから、ヴィル様なら絶対に勝ってくださいます!』って訴えて、しかも城の外に出て、帰還しようとしてくる兵達にも同じことを訴え続けた」


「そうらしいな」


 ヴィルヘルムが自身の黒髪をくしゃっと掴みながら同意したところを、エドモンドが続けた。


「あまりに必死の剣幕だったから、皆もなんだか、アンジェちゃんのいうことを一回ぐらいなら信じてみるかって空気になって――そうしたら、実際にヴィルヘルム兄さんが率いていた軍が、敵を逆転勝利に導いてたりしてさ――」


 アンジェはそんなこともあったなと思い出して、ニコニコと会話に加わる。


「懐かしいですね。エドモンド王子と会うのも、ヴィル様が遠征に行っていた時以来です……!」


 固唾を呑んだヴィルヘルムが、嬉々として話すアンジェの顔をじっと眺めていたかと思うと、彼女に問いかけた。


「アンジェ、聞きたいことがある」


「はい、ヴィル様、どうしたのでしょうか……?」


 剣呑な態度を感じ取ったアンジェがおずおずと返す。


「――俺が蛮族討伐に出ているとき、たまにエドモンドが遊びに来てたのか?」


「エドモンド王子は遊びに来ているというよりも、王都からの使者として来てくださっていましたけれど……?」


 眉を顰めたヴィルヘルムが口を噤むと、エドモンド王子が淡く微笑みながら告げる。


「今、僕ね、ちょっとした理由で、国の中を回ってるんだけど……数日間だけ、城に寝泊まりさせてもらっても良い?」


 すると――。


「――――帰れ」


 ヴィルヘルムがいつになく低い声で返した。


(ヴィル様ったら、どうしちゃったの……?)


 いつになく機嫌の悪い主君の様子を見て、アンジェはハラハラと気を揉んだ。


「……と言いたいところだが、俺に王太子への拒否権はない。空いている客室を勝手に使えば良いさ」


「やった! 兄さん、ありがとう!」


 そうして、王太子エドモンドが数日間、辺境の城に居着くことになったのだった。

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