第3話

 そんなこんなで、休日である。

 俺は久しぶりに陽葵の部屋へと赴いた。

 最後にここに来たのが確か小学生の頃だったから、あれから三、四年は経過していることになるが、当時とあまり変わってなかった内装に、どこか安堵を覚える自分がいた。


 とはいっても、それは学習机やベッドといった動かすのが大変な物に他ならず、床にはビニールが一杯に敷かれており、ドレッサーなんかも追加されていた。


「さ、ここに座って」


 その合図を受け、ドレッサーの前に備えられている椅子に座る。


「結構本格的なんですね」


 カットシザーやスキバサミのような専門道具が腰に備わっており、その姿はまるでベテラン理容師のよう。


「まぁね! 期待してなさい!」


 首元にタオルを巻かれ、体全体にはカットクロスを被せられる。


 正直なところ腕前の善し悪しの心配はしていなかった。

 これまで何でも完璧にこなしてきた陽葵の事だから、今回もきっと大丈夫だろうと思い、俺は目を瞑って終わるのを待った。


 シュッシュッと霧吹きのようなもので、頭部に冷たい水の粒子が噴射される感覚。

 チョキチョキ、チョキチョキチョキと軽快な音が弾んでいき、分断された髪の毛がビニールの上に散らばっていく。


 チョキチョキ。


 あ、鼻が痒い。


 チョキチョキチョキチョキ。


 順調に音色を奏でていたその時――、


「あ」


 という陽葵の声が。


「大丈夫ですか?」


「えっ? あぁ、うん。大丈夫、大丈夫!!」


 少し手が止まったものの、最終的には良い感じに仕上がっていた。


「あの、えーっと、ごめん……」


 一通り散髪が終わったあと、陽葵はいきなりそんなことを言い出した。


「え、何が?」


「だから……髪、失敗しちゃって」


 鏡で自分の髪を確認するが、特別おかしいところはない。

 恐らくプロ意識的なものなのだろう。素人には分からないが、優れた人からみたら違和感が残る、みたいな。


 陽葵はまだ高校生だ。その歳でこれだけの腕前があり、おまけに意識も高いのだから将来有望なのだろうな。


「これ、失敗してたんですね。気付きませんでした。それにしても俺で良かった」


「え、どういうこと……?」


「失敗したのが夏海さんじゃなくて俺で良かったです」


「――ぇ? 何でお姉ちゃんが出てくるの?」


「あれ? 陽葵ちゃん言ってませんでしたっけ? お姉ちゃんの役に立ちたいから――って」


「……ぁ。確かにお姉ちゃんの役には立ちたいけど……でも、でもっ!!」


「じゃあ良かったです。夏海さんにやる時も頑張ってくださいね」


「――わ、わたしは優人にかっこいい髪型をプレゼントしたかったのに!! 失敗しちゃって……ごめんなさい……」


 陽葵の瞳からは小さな雫が零れていた。

 

 瞠目した。

 なんだ、そうだったのか。陽葵はちゃんと、俺を物としてじゃなく、人として見てくれていたのか。その涙に、俺は身勝手にも救われた気になってしまったのだ。


 この髪型は陽葵が俺のためを思って、試行錯誤した結果、だとすれば、これを失敗と誰が言えようか。


「失敗なんかじゃありません。謝る必要なんてないです」


 俺は陽葵の零れた涙を指で拭い頭を撫でた。

 完全な無意識だ。小さい頃からずっとそうやって慰めてきたからついやってしまった。もう高校生だというのに。


 仮にもこれが、クラスで評判のイケメン君なら絵にもなったのだろうが、俺がやると華やかさにかけて気持ち悪い。

 すぐさま手を離し陽葵から距離を取った。


「でも、でも……っ!!」


「大丈夫、またやれば良いだけです。それに俺、この髪型結構気に入ってますよ?」


「……ほんと?」


 嘘じゃない。

 短すぎず、かと言って長すぎもせずの一番落ち着く髪型。紛れもなくこれまでで一番好きな髪型だ。

 本人は失敗したなんて言っているが、俺からしてみればこれほど嵌った髪型もない。本心からそう言った。


「ええ、本当です。ずっとこれで良いくらい」


「外に出るのも恥ずかしくない?」


「寧ろ人目を集めちゃうかも……なんて。もちろん良い意味で」


「そ、それは困る……けど。じゃ、じゃあ明日、私と遊びに行ってくれる?」


「はい、もちろん遊びに――は?」


 ちょっと待て、これはどういうことだ?

 確かにこの髪型は好きだ。だが何故俺が陽葵と遊びに行く流れになる!? 別に外で遊ぶことが嫌いなわけじゃないが、クラス一、いや学内一とも言っていいほどの美少女と遊びに行くとなれば話は変わるぞ!? 

 さっきは良い意味で人目を集めるなんて言ったけど、陽葵と一緒じゃ悪い意味で人目を集めてしまうじゃねーか!!


 だが待て、確かに遊びに行くとは言ったが二人きりとは言ってない。つまり大勢で行く可能性が残されているのだ。

 そうなれば陽葵からはしれっと離れて一人を満喫できる!!


「もちろん二人きりじゃないですよね?」


「え? 二人でだけど?」


 終わったー!! 完全に終わってしまった。

 休日に、学内随一の美少女と、それも二人きりなんて、完全にデートじゃねぇか。陽葵は体裁とか気にしていないのかよ。

 もしこんな姿を同じクラスの奴らなんかに見られたら……はぁ、考えただけでも面倒くさい。


 これは絶対に断らねばいかん!!


「やっぱり、ダメなんだ……その髪型……」


 目を潤ませて俯く陽葵。

 だからその顔をやめろ!! 断れねぇだろうが!!


「いや、全然そんなことは、喜んで行きます!」


「やた!! じゃあ時間は後で連絡するわね!!」


 あまり目立たない格好で行こうと心に固く誓った。

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